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日影の少女は歩き出す
登場人物一覧
街を歩くとショーウィンドウに映るのは希望ヶ浜学園の制服を着た影縫・纏という名の少女の姿。年齢を考えればなにもおかしいことはない。この世界へ訪れる前、自らの生まれた世界でも纏は学校に通っていた。
ただ、状況は今とほんの少しばかり違う。
纏が生を受け生まれ育った世界には『怪異』と呼ばれるモノが存在した。奇しくもそれは希望ヶ浜に現れる怪異と似て非なるモノだった。
纏の世界に存在する怪異はソレを知る者の元へ集う。闇を知る者の昏き匂いに誘われ街灯に集う蟲の様に集まってくる。同胞を見つけた喜びなのか、光を抱く者への嫉妬なのかはわからない。容姿、年齢、性別、国籍を問わずその存在を知っているかどうかだけが怪異を寄せ付けるかどうかの境界線。知ってしまえばもう戻れないルビコンの川。
それはもちろん生まれながらにしてその身に『影纏い』という異能を宿す纏とて例外ではない。纏の人生は常に怪異と共にあった。
聞いた話によると赤ん坊のころから纏の周囲では不可思議な現象が頻発していたらしい。そのせいで母はノイローゼになり父は纏を施設に預けると母に寄り添いどこかへ行ってしまった。その後の消息を纏は知らない。纏の記憶にある両親の姿はいつでも何かに怯えていた。今になって思うとそれだけは申し訳ない。
物心がつく頃には纏も自らの異常性と怪異の存在を認知することができた。同年代に比べて些か早熟だったのが幸いした。もしそうでなければ纏は怪異に呑まれこの世にはいなかっただろう。影を操り、影を纏う異能は怪異から身を隠すのに大いに役立った。例えどんなに恐ろしいバケモノであっても影の中にいれば纏を見つけることはできなかった。
小学校へ上がる年。纏の運命を変える出会いが訪れる。
いつもの様に影へ潜り、自らを追う怪異から隠れていた纏の前に現れた一人の男。その男が何をしたのかはわからない。しかし気がつけば纏を追い回していた怪異の気配はもうこの世界のどこにも存在していなかった。
「……なんだ、ガキがいたのか。その様子だとこっち側だな」
「おじさん誰?」
影に潜む纏に気づいた名前すら名乗らなかった男。彼は纏の元へ歩み寄り、ポケットを漁って飴玉を取り出すと面倒くさそうに色々なことを教えてくれた。
怪異はそれを知る者の元へ集う。
怪異退治を生業にする者がいる。
それを援助する組織が存在する。
「やる気があるならここに行ってこれを渡せ。そうすりゃ悪いようにはならねぇはずだ」
そう言って男は地図と名刺を渡すとどこかへ行ってしまった。名刺には男の名も書かれていたが当時の纏にそれを読む方法はなく、地図に書かれた場所でお姉さんに名刺を渡すと驚いた顔こそされたが快く迎えてくれた。ここで名刺を返してもらえば男の名前くらいはわかったかもしれないが当時の纏はそこまで頭が回っていなかった。
こうして纏は怪異を退治する者となった、しかし男と再び会うことはない。
持ち前の異能を生かし怪異退治を生業とする様になり纏の生活はほんの少し変わった。これまで隠れることしかできなかった怪異も狩られる側となり少し安心できるようになった。
――だが纏の生活が怪異と隣り合わせであることは変わらない。
怪異は世界中どこにでも存在する。一般人は何も知ることなくその餌食となり闇に消える。それを一つでも多く防ぐため怪異を退治する者たちは世界中を飛び回る。
纏が国外に出ることはそう多くなかったがその代わりに日本中全国どこにでも行った。学校で起こる怪異も少なくはなく、そこに違和感なく溶け込め実力もある纏は重宝された。
怪異の目撃された学校へと転入し、情報を集め、怪異を退治して去る。そんなことの繰り返し。長くても数か月、短ければ数日しか同じ土地におらず、纏の通った小学校の数は両手どころか両足の指を足しても足りない。
結果として影縫・纏の名が書かれた卒業文集は世界のどこにも存在することはなかった。
そんな事情もあり纏に友人と呼べる者は存在しない。いたのは情報を仕入れるために近づいた上辺だけの知り合い。それも学校を去れば携帯も変わり連絡を取ることもない。
もちろん纏と仲良くなろうとする素晴らしい者たちもいた。しかし纏自身がそれを拒んだ。何もしなくとも纏が怪異を寄せ付けてしまう以上近くに誰かがいれば巻き込んでしまう。だから纏は常に一人。寄り添うのは影だけだった。
纏が学校生活で得たものはその顔に笑みを張り付けることと誰かの話に合わせる会話術の二つだけ。
そんな纏がこの世界へとやって来たのはつい先日のこと。これまでの人生を共に過ごした影との繋がりが弱まっていたことでここが異世界だと確信した。そしてこの世界についての情報を仕入れる中で知ったのは再現性東京と希望ヶ浜学園の存在。そこには自らの世界と同じく怪異がいて人々を襲っていた。
纏の足を練達へ向けるにはその情報だけで十分だった。
しかし希望ヶ浜へと赴き、怪異についての調査を続ける中でこの世界の怪異は人に寄り付くのではなく街に寄り付くことを知った。つまりこの世界の怪異は纏を狙わない。
「……それでも私のやることは変わらない」
例え自らが狙われることはなくとも怪異が存在し、怪異が人々の脅威になるのなら纏はそれを排除する。今までがそうだったようにこれからも。それが影縫・纏の生きる理由だから。
だが――もしかしたら。ここでならこれまでとは違う生活を送れるかもしれない。
真っ当な人並みの青春を。
そんな確固たる決意と淡い期待を胸に纏は希望ヶ浜学園への転入を決意する。
転入自体は拍子抜けするほど簡単でクラスに溶け込むのも慣れたもの。数日もすればそれなりに話すクラスメイトもできた。それを友人と呼ぶかどうかは纏にはわからないが自分と一緒にいても怪異に襲われることもないというのはとても心地が良く、初めての感覚だった。
「――ちゃん。纏ちゃん!」
自分の名を呼ぶ声で纏の意識が覚醒する。
「ああ、ごめん。ボーっとしてた」
「もう、急に止まっちゃうからびっくりしたよ~」
今日はクラスメイトに誘われ街の案内がてら放課後にクレープを食べに行く予定だったがその道中で纏の足が止まっていたらしい。街頭のショーウィンドウに映る自分の姿を見て少し昔を思い出していた。
「ちょっと昔を思い出して、ね。噂のクレープ屋さんはすぐそこなんだろう? 急ごうか」
「うん!」
元気いっぱいに返事をする目の前の彼女を見て不意に笑みがこぼれる。纏いはまさか自分が放課後にクラスメイトと遊ぶだなんて思ってもみなかった。いつだって纏の傍にいるのは影だけだったから。
先を歩く彼女に追いつくため、これまで歩むことのできなかった青春という道を歩くため、噂のクレープに思いを馳せて影縫・纏は一歩踏み出した。