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雪が降る
登場人物一覧
巨大な森に雪が降る。雪は高々と寒空に伸びた枝に白い花を咲かせ、全てを覆いつくす。見事な雪に混じり、聞こえる獣の声。森を駆け回っていた兎がびくりと身体を震わせ、慌てて獰猛な生き物から遠ざかっていく。何も変わらない。いつもの風景だった。だが、巨大な森は
雪が踏み固められ、雪の上に細長い足跡が刻まれている。そこには、二人の男がいた。
「ああ、寒い。寒い! どうして、こうも寒いのでしょうか。ひやあっ!? あ、ラクリマさん! そこ、気を付けてください、穴がありますよ」
足元の小さな穴を見つめながら、ぶるぶると身体を震わせるのは猫科のブルーブラッドだった。長い尾を世話しなく振り回し、どうにか身体を温めようとしている。寒さに弱そうな彼はアビシニアンそっくりな顔つきだった。
「トマスさん、ありがとうございます。あの、俺、使い捨てのカイロ持ってます」
どうぞとラクリマ・イース(p3p004247)は
「ああ、ありがとう。すぐ、積もっちゃうんだよねぇ、頭にもさぁ!」
トマスは鼻をすすり、笑う。ラクリマは頷き、自らの肩と耳に積もった雪を丁寧に払っている。冷たくて、とても奇麗な雪。見惚れてしまう。
「うわっ!? 此処、足跡ばかりですよ。兎かなぁ、これ」
頭を左右に振り、トマスはふぅと大きく息を吐き、手渡されたカイロを左手で握りつぶすかのように握り締め、幸せそうに目を細めた。
「あーー、あったけぇー!」
白い息は渦のように森に吐き出され、すぐに消えていく。トマスは歩き出した。とても寒い日だ。ラクリマは目を細め、空を見上げた。全てが凍りだしそうだ。強い風が吹き、冷えきった耳元を惑わす。
「トマスさん」
白い薔薇の眼帯に落ちた雪を指先で払い、ラクリマは少しだけ大きな声を出した。
「えっ、なんです?」
トマスは足を止め、不思議そうにラクリマを見た。柚子色の瞳が面白いくらい大きくなる。
「何故、この山なのですか?」
ラクリマは言った。トマスはローレットでラクリマに声をかけたのだ。詳しいことは聞かなかった。ただ、雪山に一緒に来てほしい。その願いをラクリマは叶えたのだ。
「そ、それは」
トマスは戦慄き、視線を泳がせ、
「そうか、分かった。なら、大丈夫です」
ラクリマは頷いた。口にしてはいけないのかもしれない。なら、何処に進むのだろう。ラクリマは分からなかった。ただ、トマスの様子から悪いことにはならないような気がした。あくまでも、ラクリマの予想でしかないのだが──トマスは唸りながら木の幹に両手で触れ、揺らし始める。雪が落ちていく。ラクリマは小首を傾げ、トマスを眺める。トマスは鼻先に雪をためながら必死に幹を揺らし、幹の表面を必死に調べ始めている。
「何かあるのですか? 俺にも手伝わせてください」
ラクリマはトマスに言った。トマスはハッとし、ラクリマに顔を向け、「●●●を探してくれませんか? 何処かにあるはずなんですよ。そう、何処かにね」
トマスの尖った歯が唾液に光った。ラクリマは眉根を寄せた。雪のせいだろうか。よく、聞こえない。
「ごめんなさい……いま、なんて言いました?」
「え? ●●●ですけど」
トマスは目を丸くした。
「ええと? ●●×ですか?」
耳を頼りにラクリマはトマスの言葉を繰り返す。どうしたのだろう。トマスが何を言っているのか理解出来ない。ラクリマは困惑する。違うのだろう、トマスは目を瞬かせた。
「いいえ。●●●ですよ、ラクリマさん。もしかして、●●●を知らないのですか? あんなに有名なのに?」
トマスは笑った。ラクリマはトマスを胡乱な目で見つめた。俺は●●●を知らない。いや、知っているような気がした。どうしたのだろう。ラクリマは笑い、指を向ける。
「あれですか?」
木の幹には青く錆びた硬貨が鱗のように埋まり、魚のように動いている。硬貨は生きていた。
「ああ……」
トマスの目の色が変わった。ラクリマはトマスから離れた。トマスは鼻息を荒くし、爪を研ぐように硬貨を乱暴に弾き飛ばす。
「いいぞ、もうすぐだ」
譫言。トマスは硬貨を拾い集め、口に含んでいく。ラクリマはトマスの喉の動きを見つめ、ふっと笑う。冬は消え、秋の幻が顔を出した。暖かかった。
「ああ、これだ! これが欲しかったんだ」
トマスは走り出し、紅葉をむしり、嬉しそうにげらげらと笑っている。ラクリマはトマスを一瞥し、歩き出した。無意識に静かな場所を求めていた。息を吐く。此処には誰もいない。ラクリマは立ち止まり、混色の瞳に紅を灯す。紅葉の帳は何処までも続いている。