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I held a Jewel in my fingers.

登場人物一覧

マリア・レイシス(p3p006685)
雷光殲姫

●Water,is taught by thirst.
 水は、咽喉の渇きが教えてくれる。
 ならば此の感情は誰が、何が、教えてくれると云うのだろうか。此の胸の痛苦への答えが欲しかった。ひとつだけ判るのは、自分を振り回して止まない、心臓を雁字搦めにする糸は赤色所謂、運命の色だで、絡まって、こんがらがって、複雑怪奇な其れを何とか辿って行った先に居るのは若葉を伝う滴の様な、艶やかなインペリアル・グリーンの双眸を持つ女性ひとだと云う事。
 『あの子』の事を考え出すと、何事も手が付かなく為る。
 自分は、軍人であった。人類の創造或いは破壊主――神に抗う、匹敵する筈のマリア実に皮肉な名前だ。己を律する等、造作も無い――そうする事が極当たり前な筈だったのに、今の不甲斐なさと来たら一体全体、如何してしまったのだ。
 其れを吐露すれば、恐らく十人中十人が、或る感情の名を返すに違いない。然し、其れは士官学校でも教えてくれなかった、況してや軍を率いる者が其れに現を抜かすだなんてあってはならないものであり、不要と掃き捨てられる――そうでなければ、上官を信じて儚くも散って行った幾つもの命に顔向け出来ない、年頃の少女らしく在れない儘に、大勢の人間の死の上に立ち大人に成った彼女は識らないし気付けない。
 縦しんば、気付けた所で何かの間違いだとか気の迷いだと笑うだろう。其れはマリアと『あの子』が同性な事も一つの要因だったと云える。
 ――逢いたい。
 ――逢って、話をして、其れから。
 ――手を繋いで歩きたい。
 そんな考えが脳を支配する。彼の珠玉の翡翠が自分だけを視てくれて居たなら。其れに勝る幸せは此の世に無いと、其処まで想うのに――相変わらず彼女は其の感情に名前を付けられないでいた。只管に、平常心を掻き乱されて、酸素をずっと吸って居なかったみたいに頭がぼんやりとして、愈々逼迫する心臓の鼓動は未だ嘗て無い程の速さで脈打って。
 せめて、一眼見たい。偶然を装って、同じ空間で彼女の聲に耳を傾けるだけでも良い。
 其れだけで最初は良かったのに。

●But internal difference,Where the Meanings,are.
 何時しか、募る想いは加速して行く。
 抑も、彼女が患ってしまった病とは、成就か拒絶の二択でしか癒せないのだ。そして、其のいとしいとしという心を捧げられるのはひとりだけであり、代わりが効く訳も無く。或いは墓まで持って行くしか無い事にも未だ理解の及ばぬのは一層可哀でもあった。
 潤みを帯びた、溢れそうなスピネルが落胆の色に染まるのは、大衆酒場の扉を潜って直ぐの事。

 ――其の人は、誰だい。随分親し気じゃあないか。
 ――厭だ、厭だ。其の何時でもきりりと誇らし気な笑みを浮かべる脣が『マリィ』以外の名を象るのが。
 ――今日はもう、帰ろう。

 出された水で咽喉を潤す事すらせずに、余りに衝撃的な光景に眸を奪われた儘で居れば、注文を取りに来たウェイトレスが不審そうに見るばかり。

 ――嗚呼。ほら、只、同席した人達と他愛無いお喋りに興じているだけじゃないか。
 ――其れだけなのに。
 ――けど、愉しそうに笑ってるのを、あの笑顔をもう一寸見ていたい。

 生じる矛盾。手が、ぶるぶると震えて、心は悲嘆で石の様にずっしり重い。頭が真っ暗になって、下を向いて堪え忍ぶ以外なかった。
 幾らかの沈黙を過ぎてから、深く息を吐き出して。

「あの子。――あの、シスターの人が呑んでいるのと同じのを、貰いたい」

「とても美味しそうだと、思ったんだ。其れだけ――……」

 ――
 ―――

 此の混沌に突如として召喚された時から、随分と酒との付き合い方が上手くなった。其れは偏に、足取りも言動も怪しく為る処か、終いには酔い潰れて寝始める様な『あの子』に付き合って居たから。何回かこそ、自分も記憶が吹き飛ぶ程位に呑まされて、何処を歩いて帰って来たのかも判らない程に酩酊し、其の割には律儀に湯を浴びて、ご丁寧に寝巻きに着替えて布団に潜り込んだらしい事に起きてみて気付いたりもしたものだが――要はペースと品質の問題である。粗雑な、ボトルに名前も無い様な得体の識れないウォッカをストレートで、然も手酌で呑んだら、誰だってそう為るだろう。
 面倒を見る人間が居なければ駄目だと気付いたのもある。単純に、『あの子』に触れる権利も、酔いどれた時に見せる少しだけ扇情的な仕草に胸が騒めくのも自分だけのものにしたい。其れは本能がそう想わせて居たに違いないが、甲斐甲斐しく世話を焼く姿は傍から見たら理性的だったから――丁度良い隠れ蓑とも云えた。
 嗚呼、今日みたいな日こそ、そんな風に酔っ払ってしまえれば良かったのに。けれど、『自然に憶えるさ』と、『君がそうさせたのだ』と、自嘲気味に笑って――そして、雲が多く月を覆い尽くす夜の闇の隅で座って泣いていた。意外、の一言に尽きるかも識れないが、自分とて泣く時位ある。其れも此方に来てからの方が圧倒的に多くて、そして決まって『あの子』の事を想うと泪がはらはらと湧き上がるのだ。
 手で布団を探り、包まって枕に顔を埋める。冬はまだ先なのに、酷く寒い。見知らぬ誰かに、一方的に【良いなあ/恨めしい】と、【羨ましいなあ/狡い】と云う感情を向けて居た事を思い返すと、軀が、心が、兎に角寒くて冷たくて、凍てついて行く。内側から熱をどんどん失って死んでしまいそうな、醜い何かで押し潰されてしまいそうな、そんな感覚。

 『あの子』は途方も無く優しくて、何事にもひたむきで、何時だって真摯に向き合って、話を聴いてくれるから――私の未だ明確な形を持たない『好き』とか『大好き』を、少し戸惑い乍らも噛み砕いて、其れで「私もですわ!」って極上の笑みをくれる。

 『手が寂しい』と何気無しに示せば『仕方ないんだから』って手を取ってくれて、ふたりで月影を踏みそぞろ行く時間は、頬を撫でる微風も咲き乱れる花々の香りも飛びっきり新鮮で、美味しくて、祝福されてるみたいで、『生きてて良かった』と云えば『大袈裟なんだから』なんて揶揄うけれど。指を絡めて繋ぎ直して、握る力を強めてくれるのは私だけが識っているのだ。

 私の方が背が高い分、少しだけ歩幅が広くて小走り気味に為るのが可愛くて好きだ。勿論、歩調は合わせる様にはしている。でも嬉しくって跳ねてしまいたくって、ぴょんぴょんと飛んで行けば、下手っぴなスキップで追い越して来て頬を膨らませたりするから、『もうしないよ』なんて云いつつも、偶に其の貌が見たくなって一寸意地悪をしてしまう。

 一緒に居るだけで、蕩けてしまいそうに為る。耳迄熱い思いをしていれば、『どうしましたの』と覗き込んで来る。其のおでこに、脣に指で触れたいと。或いは脣で以て接吻キスしたい衝動に駆られるが其れは矢張りいけない事だろうか。そう云うのは愛し合う戀人達がする事で、私は違うもの。

 『あの子』は『かみさま』を心から愛して敬っていて、其れからほんの少しだけ嫌いらしい。私が『かみさま』だったら、『あの子』を此れでもかって云う位甘やかして、決して悲しい想いなんてさせないのにな。上等な葡萄畑をあげて、泣き濡れる事が無い様に――全てが上手く行く様に、祈って――手を差し伸べるのに。此れは、冒涜だろうか。そうする事は、暴虐だろうか。

 私は『マリア』、気高い聖母マリア。穢れない処女マリア。神の世界の王妃にして仇なす者。ずっとそう呼ばれていたのに、今は随分と臆病で、子供みたいに怖がりだ。ひとりきりの夜更けに現れて悪さする心の中の魔物が恐ろしくって仕方が無い。濡れてふやけた枕に貌を埋めて見ない、聴こえない振りをするのが精精。

●Elysium is as far as to.
 或る日、お腹を空かせてか細く鳴く黒猫を拾った。容易に命を預かるのは良い事では無いと判って居たが、見過ごす事も出来ず悩み抜いた末に家に招く事にしたのだ。ひとりが怖くて、参ってしまいそうだった初夏の事だった。
 其の子に、『あの子』の名前を付けようとして流石に踏み止まったが、帰りを待ってくれる存在と云うのは悪くなくて、此れからの季節を思えば暑いかとも思いつつも薄掛けタオルケットに潜り込んで来る温もりに安堵する。みっともない所を見せられないからと泣く事も何時しか無くなって、早起きな虫の鳴き声に舌舐めずりをするのを見て笑ったりして――悩みも打ち明けた。返って来るのは『にゃあん』と云う気の無い返事だったが其れに救われた。
 屹度、彼女の苦悩を、日に日に募って行く想いを一番識って居るのは其の黒猫であり――唯一の理解者だ。相談料は魚を一匹、焼き加減はミディアムで。デザートには小さく切って蒸した甘い芋をふた欠片。黒猫とて、自分以外の女がどうこうなんて話を耳にタコが出来る位に聴かされるのだから此れでも安い位。欲を云えば、もう少し欲しい――そんな時は鍵尻尾を揮って猫撫声、此れで一発。
 偶に一緒に風呂に入って、軀を震い水滴を飛ばすのも上手くなった。彼れは喜んでくれるだろうか、此れも良いとつい猫用の玩具を買って来てしまって、足繁く通うペットショップの店長とはすっかり顔見知りだ。『アンタ、甘やかし過ぎじゃないか』と笑われてしまってぐうの音も出ない。『好きなものにはとことん甘くて、尽くすタイプ』と称されて、ひょんな所で自分の『好意』の表現方法に気付かされたと同時に、腑に落ちたりなんかして。
 黒猫が少しでも気怠そうにして居れば何処か悪いんじゃないかと慌てふためいて、医者の元に走った。ぼろぼろ泣き乍ら、重篤な病気だろうかと肩を落とす彼女に医者は首を振り『此れは、お腹がいっぱいで眠いだけですね』と云った証拠に、診察台の上ですうすう寝息を立てて居たなんて。

 ――
 ―――

 出逢いが有れば別れが有る。毛艶も野良猫だったとは思えない程に良くなって、赤い首輪も二回変わった頃。最近ずっと近所を何かを探す様に彷徨く猫の噂を耳にして、ひょっとしてと或る夜に彼女を外に出してやったのだ。軈て邂逅した其の二匹は軀を擦りつけあって、尻尾を絡めあって、共に歩き出した。最後に得意気に首の鈴を『リィン、』と鳴らして、其れからくしゃくしゃに、猫らしからぬ貌で笑った琥珀が眼に焼き付いて居る。
 黄金色は、ギュッと凝縮されたマリアと黒猫の時間を象徴して居る様で頭がくらくらして。燃やすと跡形も無く消えてしまうと云う其の宝石の様な、何とも呆気ない別れさよならだった。

「良いなあ――」

「――私もあんな風に、」

 『あんな風に?』
 番だったのであろう猫に彼女が抱いた感情に名前を付けるなら、其れは『嫉妬』だった。そして、何時しか『あの子』と黒猫に向けて居る感情はほぼ同じでもあった。只、夏迄の間を共に過ごしただけの関係。けれど此れは謂わば『失戀』なのだろうと最後に教えられた。
 救い難く鈍くて。自覚しようとしない――束の間の飼い主への黒猫の、贈り物。
 故に、興味が在る者は彼女に尋ねて見ると良い――『戀をした事はあるか』と。『やだなあ、初戀だよ』と彼女は答える。
 然し、決まって人懐こい猫の様に笑って――『でも、失戀をした事はあるよ』とも云うだろうから。

 此処迄の事は、全てはノン・フィクションであり――
 彼女、マリア・レイシスが『あの子』に戀をしていると気付く迄後僅か、ほんの少し前の物語。

  • I held a Jewel in my fingers.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2020年12月31日
  • ・マリア・レイシス(p3p006685

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