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Send war in our time,"O Lord".

登場人物一覧

ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791)
懐中時計は動き出す
ヴィクトール=エルステッド=アラステアの関係者
→ イラスト

 冬、と云うのは、【少年/青年】に取っては掠奪、暴力、離別。そして或る出逢いを象徴する季節である。

 胸を焼く様な濃厚な死の臭いが、今日も貧民窟スラムを支配していた。吹き荒ぶ愚直な雪が囂々と退廃の上に降り積り、皓く染め上げ覆い尽くして尚も止まず気紛れに、悪戯に命の燈を掻き消して。其の屍肉誰かの死を貪り漁る生ける者達を酷く惨めな気分にさせるのだ。
 痩せ細り、乾涸びた皮膚でも肉とは素手では存外引き裂き難い――生き残りたいと只其れだけの『覚悟』で爪を立てて、漸く赤黒い血がぷつりと珠の様に滲めば安堵した。皮肉にも寒い事だけが救いだろうか、腐敗を遅らせてくれるから――然し、早くしなければ、急がねば。
 ――腹が、空いた。横取りされてしまわない内に、有り付かなければ。分け与える程、肥えている者など居ない。況してや義理など、お人好しなど、持ち合わせて居ても早死にするだけ。其れはお互い様の事。
 死してこそ燃える光も在る。臍に灯心を作って差込んで火を着けると、幾ばくかの間だけは暖も取れると教わって居た――そうして遣るのがせめてもの葬いなのだとも。
 だから、嘗ての少年は人は死んだ時、棺に花と共に横たえられて土の下で睡る事を識らない。頬を伝う雫が温かい事も、皆の泪が止んだ時に虹が掛かって死者の魂は其れを渡るなんて、識る由も無かった。

 少年の転機となる日の記憶は眩暈くるめきの赤色だ。何時もの様に朝に死があって、其れから両の手指では数え切れない程の人間が無惨に殺された、最低で最悪な一日。
 怒号に叫喚、罵声に銃声。真白を、なけなしの生を踏み躙る音。破壊に哄笑。余りに一方的な狩り、掃討。
 ――審判の日は来たり!
 ――来たり!
 ――来たり!
 劣れる者には死を、渡世の幕引きを!
 此れは優れし我々の慈悲であるぞ――……
 派手な軍靴が往来し、凍み雪を薄汚い鈍色に変えて行く。『劣等種』は悲鳴と共に散り散りに去り行けば、其の先々で命を乞う間も無く。滑稽な程、簡単に命を落とした。
 歯向かわなかった訳では無い。武器が刃の欠けたナイフや、辛うじて体裁だけは剣の形を保っている様なものでは到底敵わぬ相手だったと云う簡単な話に尽きる。
 ――嗚呼、何て事だ、子供だ、子供が居るぞ!
 ――塵屑の様な種等、保存する価値も無い!
 ――死を!
 ――死を!
 ――死を以て救済を!
 俗物彼奴等と来たら随分と洒落込んで、まるで森か原っぱで狩りの獲物仔山羊が逃げ惑い跳ねるのを楽しむ様に残った子供達を鼻唄混じりに追い立てて、此れ亦ご立派なサーベルだとか、綺羅びやかなクロスボウに、色鮮やかに塗ったトラップ銃なんかを見せ付けて、恐怖と云う表情に歪むのを堪能して――、
 熱い。熱い、熱い。胸を深く抉った傷が、戯れに斬られた貌が。視界が血塗られて、片眼を失っただけでも均衡感覚は崩れ、軀が傾ぐ。
 如何にか逃げねば――前に一歩。
 一層殺して欲しい――後ろに一歩。相反する二つの感情で足取りもちぐはぐに。そんな様子を面白がって、囃す手拍子と下卑た嗤いが挙がった。何れ、何れ、上手く此方迄来れば――殺してやろう。

『あの、』

 ――愉しいですか。
 頭上から降り来る聲は早天の寒風すら凌ぐ凍てついた音色で、恐ろしくて――其れから先の少年の記憶は朧なものだ。
 『悪魔Alastorが来たぞ!』と、酷く怯えた叫びだけが今でも耳にこびり付いて居る。当然の事乍ら、学の無い少年には耳馴染みの無い言葉と響きで意味は判らなかったが、只、屹度。『かみさま』とか、『救世主』が居るのならそう云う名前をしてるんだろうと、意識が薄れ行く最中で――……そう思った。

 ――
 ―――

 少年は、自分の貌に刻まれた傷が好きだ。『父さんヴィクトール』が云った、『貴方ミロンは今亡き同胞を、人の心の痛みを思って泪を流す事が出来るんですね』と。何一つ、情けない事等無いのだと、かえって箔が付いたじゃないかと。そして、決まって『大人に成ったらとても男前なのだろうね』と未来に想いを馳せる時の其の人は、優しそうな眸をして居たから。
 少年は、父を愛し慕った。産まれて此の方、家族と呼べる存在は識らなかったものだから。最初こそ、ぎこちない沈黙がふたりの間に充ちる事もあったが、少年は取り分け卑屈な訳では無い。何度か、『父が”悪友”だと称した人彼のグレイヘンガウス卿』に逢った事も有る。段々と柔らかく成って行く魔王を見ては畏怖の感情を露わにして居たのは可笑しくて、そして同時に誇らしくもあった。
 少年は、有りと凡ゆるものを父から教わった。文字の読み方に書き方、数の数え方。少年は、名を『ミロン・ヴィクトロヴィチ・ウェスカーМилон Викторович Вескер』と云う。ヴィクトールВикторの仔と云う意味で、そしてたったひとりの息子であり、家族だ。血の繋がりが無いなんて些細な事であり、何ら問題とは思わなかった。剣に憧れた息子に、父は『少し苦手なので』と眉尻を下げて代わりに杖術を教えたが、本当は相当の手練れだと噂を耳にしていた。

『敵たる者等の攻撃を、真っ向から受けて立ちなさい。其の上で身を護り、胸を張り、確かと立ちなさい』

『勝ったとて、大仰に得意がる事はせず。況してや敗けたとて、悲嘆に暮れる等、以ての外だ』

『でも、其れよりも』

『嬉しい事を、嬉しいと悦んで。己の不幸には身を、心を傷むにしても度を越さず、只覚えておける強い人』

『そう云う人に、成って欲しいと想う。ねえ、可愛い私の息子ミロン

『何、そう難しい事ではないでしょう。深く考えなくても貴方には其の素質が十二分に在りますよ』

『私なんかと、違って。ね』

 ――
 ―――

 ――そして。
 青年は、父が偉大なる『かみさま』でも『救世主』でもなく、弱さを持ち合わせた『人間』なのだと理解した。自己承認欲求との付き合い方が下手で、在り方に悩む様は非常に人間らしかった。
 千度、続いて、亦百度。其れからもう千度迄、其れから百度。
 何千度にも及ぶ彼の実直で、無邪気な敬慕が、父の首を締めて居た事に気付いた頃にはもう、遅い。他者が幾ら認めたとしても、自己は満たされない。二つの皿を天秤に掛けた時、釣り合わなければ――反動で堕ちた皿は罅割れて毀れてしまう。
 青年は、想起した。背丈も追い付いた今と、見上げるだけだった昔と、何方も寸分と違わぬ貌の造りは、まるで時が止まって居る芸術品かの様な父の美しさは、『人ならざる存在』の様であり、『人の範疇を逸脱している』と。同時に判らなく為った、目の前の父が。少しだけ、恐ろしいと思ってしまったのだ。ひょっとして自分が皺くちゃな老いぼれに、否、最終いやはての時でも――父は其の儘なのでは無いだろうか、と。
 青年は、息苦しさに眸を覚ます様な夢を見た。父が温い其の黄金の腕で、自分の首を締めて居る夢だった。父は、懺悔していた。父は、愛を囁いていた。曙色が流す其の泪を拭ってやる力も沸かず、抱き締めてやる事も叶わず、苦しさは軈て心地良いものへと変わり、強張っていた四肢が弛緩して行く感覚は妙に現実的リアルで、其処で意識を手放す夢だった。不思議と、恐怖おそれは無かった。只、父が泣いているのを見るのは、後にも先にも初めてだった。

 ――そして。
 青年は、後悔した。厳しい冬も緩んだ、西風が春を報せる様な其の日、何れ位睡って居たのだろうか。太陽の没りし後に起き上がった時には、何処にも父の姿は失く、ふたりが食事を囲む食卓テーブルにぽつりと置かれた温葡萄酒グリューワインの飲み止しの中で桂皮シナモンと苹果が乾涸びていて、赤く凝り、灰皿の中の乱雑に揉み消された吸い殻と何枚かの走り書きが、苛立ちと困惑、内病みと辛苦の記録を物語って居る様であった。何時だか、父は自分の書く字が嫌いだと云っていた事を想い出す。達筆ではあるのだが、左手で書くとどうしても歪んでしまうから、とかそんな理由だった。

 紙切れ《1》――『ごめんなさいЯ сожалею о случившемся.
 紙切れ《2》――『私は息子を殺してしまいました』
 紙切れ《3》――『どうか探さないで』
 紙切れ《4》――『直に私も彼に追い付きますから』
 紙切れ《5》――『愛していました、愛してしまっていました』
 紙切れ《6》――『睡る事をお赦し下さい、おやすみなさい』
 紙切れ《7》――『さようならМне нужно идти.
 紙切れ《8》――『彼は私の、光でした』

 青年は、吠えた。何時から、苦悩していたのかと。ずっとかも識れないし、つい最近の事かも判らない。月は太陽が無ければ耀けない、然れど少年が善良で屈強な青年に育つ程に、強い光輝かがやきは陰を落とす余地や其れに住う者の居場所すらも奪い、何時の間にか月を灼き尽くしてしまって居たと云うのは事実だ。皮肉にもそう成る様に道を示したのは父であり、息子は其れを信じて疑わなかった。故に双方に非は無い。
 青年は、決意した。むらさきはしる双眸に宿したのは確固たる想いであった。
『嗚呼、如何なれば、父の護りと我なりし――
 嘆くべからず、悦びに尽くし、彼の泪こそ絶ゆらせて見せようじゃあないか』
 夢なんかでは無かったのだ。此の首に爪が食い込んだ痕こそが、父が俺に救いを求めた証であるのだから。

『穢れしものを雪ぎ』

『燥けるものへ水を』

『歪めるものを直し』

『倦みしものを和め』

『頑なるものを撓め』

『傷めるものを癒せ』

「なあ、そうだろう、父さん」

 ――
 ―――

 青年は、父が何処かで生きている事に賭けた。自分が生きているのだから、後を追った所で其の様な者は舟に乗って居ないと――追い返されたに違いないと踏んでの事だ。
 再会の時を待ち侘びて、数奇な運命を科せられた、『死んだ筈』の青年の物語は今一度奔り出す――。

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