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機械であるということ
登場人物一覧
「たすけて」と、そう
*
その日、イルミナ・ガードルーンはいつものように学園帰りの道を一人歩いていた。
雑踏の音、思い思いに過ごす住民、混じり合う人の色。誰に命令されるでもなく、ただ日々を自由に生きる人々の間を通り抜けるこの時間を、彼女は気に入っていた。
人の営みに耳を澄ませ、けれどうっかり命令を拾ってしまわないよう気を散らして。そうやって周りを気にしていた彼女だからこそ、その声に気付けたのだろうか。
小さな声だった。か細い声だった。弱々しい声だった。切ない声だった。擦り切れそうな声だった。今にも泣き出しそうな声だった。それでいて、諦めきれないなにかを求めて止まない声だった。
「……たすけて──」
「たすけて」
「お願い、たすけて……」
繰り返される声はイルミナの
「了解ッス!」
雑踏で不意に上がった声に街の人は一瞬振り返り、そして何事もなかったかのように元の動きへと戻っていく。
ここは再現性東京、非日常を許さない街。この声に自ら応えるのはきっと、自分しかいない。
けれど、声の聞こえた方へ駆け出したイルミナの
*
少女は待っていた。
少女を見付けてくれる人を。少女の声を聞いてくれる人を。少女の話を聞いてくれる人を。ずっとずっと、待ち望んでいた。
その人ならきっと、たすけてくれる筈だから。
*
空っぽの裏路地を見て気の所為だったかと首を傾げるイルミナを、再び聞こえた
声の高さやトーンから、若い女の子のようだった。まだ小学生くらいの年齢だろうか。
細い裏路地に見えるのは曲がって錆びた排水配管や溢れたゴミ箱、今にも割れそうな植木鉢。枯れ落ちたのだろうか、地面には萎びた花が数輪だけ転がっている。割れたガラスの破片は風化し丸みを帯びている。争いの跡はおろか、人の気配すら存在しない。
声の在処をが違ったかと別の細道を覗いても、やはりそれらしい人影は見えず、声は遠ざかり。隅で寝ていた野良猫が不機嫌そうに欠伸を放った。
(むむむ、これは予想以上の難題ッス……命令を遂行しようにも、対象が分からないんじゃどうしようもないッス!)
イルミナの感情とは裏腹に、体はそれでも出来ることをと動き出す。泣き出しそうな
「すみませんッス、つい最近この辺で女の子が泣きそうになってるの見なかったッスか?」
「なんでもいいッス、泣き声が聞こえたとかでもいいからあれば教えてほしいッス!」
手当たり次第に声をかける。裏路地近くの家のチャイムを鳴らし、店先に立つ店員へ尋ね。通りがかりの人でも、歩き慣れていそうに見えれば声を掛けた。
「泣きそうな女の子? 悪いけど、見た覚えはないなあ」
「さぁ……最近は何も変わったことはなかったけど」
「どんな人が通ったかなんていちいち見てないし、覚えてるわけないじゃん」
答えてくれない人やそっけない人も勿論いたが、希望ヶ浜学園の制服に身を包んだイルミナを不審がる人は幸いにしていなかった。けれど同時に、それらしい手がかりを持った者も誰一人としていなかった。
「うぅ、分かったッス、ありがとうッス……もう少し探してみるッス……」
幾度目かの空振りに肩を落とす。苦笑した花屋の店主から、励ましの言葉とともに「形が崩れて花束にも使えないから」と小さな可愛らしい花と飴玉を手渡された。
もう一度感謝を伝えようとして、あれ、と瞳を瞬かせる。この花をどこかで見たような。
思い出そうと声が聞こえた筈の裏路地を振り返ると、黒い服を着た女性が入っていくところだった。手に持っているのはイルミナがたった今渡されたのと同じ花。不思議そうに視線を動かす彼女に、花屋の店主が「あぁ」と頷いた。
「あの人が買った花束の余りなんだ。気の毒にね、もう何年も経っているのに、毎日この季節になるとあそこに供えに来るんだよ」
「お供えに、ッスか?」
「もう何年も前のことだけど、あそこでバイクの交通事故があってね。たまたま母親と歩いていた女の子が跳ねられて……さ。酷い最期だったらしいよ。今でも夢に見るんだって。」
昔の話だから君が探している女の子とは違うだろうけど、と話が締め括られる。
ああ、もしかして、あそこに枯れ落ちていた花は──声は聞こえるのに姿が見えないのは。そうだ、だってこの街には──。
「店長さん、その女の子って、何歳くらいの子だったッスか!?」
「えっ、ええと、確か小学生とかだったかな……?」
アタリだ! とうとう見付けた!
「ありがとうッス! 見つかったかもしれないッス!」
飛び上がったイルミナは、お礼の言葉だけを置き去りにして、黒服の女性を追うように駆け出した。
*
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
くり返される言葉はもう聞きたくない。そんなのほしくない。お気に入りの花ももういらない。
ほしいのは、たったひとつだけなのに。
*
裏路地を覗いたイルミナが見たのは涙と共に手を合わせる女性。路地に入ってすぐのところに設置された凹んで錆びた排水配管の足元には、小さな花束が置かれていた。
この人なら知っているかもしれないと声を掛けようとして、ふと口を閉ざす。どう言えば良い? 貴女の死んだ娘の声が聞こえます? 貴女の死んだ娘が助けを求めています? いくら機械として作られた彼女とて、それは余りにも──。
「………たすけて」
今度は、すぐ隣から聞こえた。
「っ!?」
勢いよく振り向いたイルミナの目には……やはり何も、映らない。
「そこに……いるッスか?」
かけた声は恐る恐る、確かめるように。
「! わ、わたしのこと、見えるの?」
「……すみませんッス、見えないッス」
返ってきた喜色に眉を下げて首を振る。
もうイルミナには彼女が何者か検討がついていた。再現性東京という都市。何年も前に事故に遭った女の子、未だ事故現場に通う母親、そしてその姿を映さないイルミナの
きっとこの子は、
「そっか、見えないんだ……見えないからお姉ちゃんは、私とお話してくれるんだね」
「私のことを見えた人もいたけど、みんなにげだしちゃうもの」
寂しそうな声。泣き出しそうな声。
「ねぇ、お願い、お姉ちゃん……たすけて」
諦めきれないなにかを求めて止まない声。
「お母さんを、たすけて!」
*
おかあさん。たったひとりの家族。
もうごめんなさいはいらないの。私のことを忘れてくれたってかまわない。ほんとはちょっとさみしいけど、でも、こんなお母さんは見たくない。
だからお願い、幸せになって。
私から、お母さんを、たすけて。
*
少女の願いは痛々しく、それでいて切実で。一度命令と認められてしまった願いを
その日、とある母親の元に幼い文字が並んだ一通の手紙が届き、そして再現性東京からひとりの