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Dear Mr.Umbrella
登場人物一覧
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ある晴れた日、傘が見える。
若き女領主の誕生を祝うように青空はどこまでも広がり、鳥は高らかに歌っているというのに。
観衆に紛れたダーク・スーツの男は、眼鏡の奥から就任演説をする女を見つめていた。
「寛治」
女は黒い傘を携えた男の名を呟き、嬉しそうにバルコニーから手を振る。
都市開発に関する未公開情報を新興商人に流し、水利権を買い占めさせて対価を受け取った。
その金を元に対立陣営を援助する商会を買収、あるいは裏社会に金を撒いて活動を妨害。
同時に公共事業に失業者を雇い入れて長年の労働問題を解決させた。
全てイレギュラーズである彼の助言のおかげである。
(相変わらずね、こんな日まで傘を持ち歩くなんて)
女は眼鏡同様にトレードマークとなっている雨傘を男が持ち上げるのを見た。
そしてその先端が自分を狙いすますのを。
銃声は晴天を突き抜け、銃弾が女の身を貫く。
それは舞台の幕引きを告げる終演のベルだった。
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「はじめまして、アデリーヌ様。ローレットより参りましたファンド・マネージャ、新田 寛治です」
次期領主を目指すアデリーヌ・マラカインの元に派遣された男は、愛想を振ることもなく依頼主に挨拶する。
執政として最も才能を見せた者が次の領主に指名される。
だから手腕を見せると同時に兄を追い落とさねばならない。
その為に必要なのは経済に明るく裏社会にも精通したブレーン。
だけど事が済んだら金を払い、後腐れなく手を切れる駒がいい。
イレギュラーズならばうってつけだ。
斡旋された男は異世界からの旅人で、スーツはビジネスマンの戦闘服、手にした傘は転ばぬ先の杖だと言った。
「慎重なのね、新田は。こんなにいい天気なのに」
「元来疑り深い性格でして」
「それくらいの方がいいわ。そうでなければお兄様達を出し抜けないもの」
「ご安心ください。お客様に投資していただき、それを運用して利益を分配することが私の仕事。私にお任せいただけるなら期待以上の成果を出してご覧にいれます。早速ですが、こちらの資料をご覧ください。幾つか
男は事前に用意した書類を配ると、実際の数字に基づく検証と予測を提示。
そして複雑に絡み合う利権と裏社会の
「全ての物事は単独ではなく、連鎖反応として起こります。つまりデータから十分に予測は可能……それで賄えない部分に対してのみ強行措置を取れば、リスクは最小限で済みます」
経済を語る男の横顔は理知的な教師のようで、だけど若い娘には包容力のある大人に見えた。
この男が側にいるなら何も怖れるものはない。
この男を側に置いて全てを委ねていればいい。
次々と政策を成功させ、利潤を生み出し、対抗馬を失脚させていく。
それはまるで魔法のようで、恋か打算か娘に男との未来を望ませた。
「ねぇ、新田。領主になった後も
「ローレットを通じてご依頼くだされば」
「貴方が欲しいと言ったら?」
昼下がりの執務室で、男と女の駆け引きが始まる。
「依頼主のお相手を務めるのは契約にございませんが」
「夫になれば領内の資産を好きに出来ると言ってるの。ここまで言わせて女に恥をかかせる気?」
「そうですね。据え膳食わぬは武士の恥とも申しますし」
男が片腕で女の腰を抱き寄せると、女は男の顔から眼鏡を奪う。
「キスの邪魔よ」
「私が眼鏡を外したところを見た者は死ぬと言われておりますが」
「構わないわ」
吐息だけ触れ合う口付けの寸前。
ぶつけ合う視線には昂ぶる熱情。
傘は椅子にかけられ、眼鏡は机の上に置かれる。
脱ぎ捨てられたドレスにスーツが重なり落ちた。
「ねえ、ミスター・アンブレラ。私は貴方の太陽になれるかしら?」
領主の座。
愛する男。
女は男と濡れながら、晴れの日を夢に見た。
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「
女は領主となるためのサポートと邪魔者の排除を依頼し、その兄は彼女の暗殺を依頼した。
対立する相手からの同時依頼であっても、女を領主にした後で殺せば矛盾することはない。
「眼鏡を外したところを見た者は死ぬと警告したはずなのですが。残念です」
男は硝烟棚引く銃口を下ろし、ステッキ代わりに地に突いた。
狙撃手を探す者達は、場違いな傘が凶器と気付かないだろう。
万が一誰かに追われたら、しばしじっとしてやり過ごせばいい。
『寛治……
傘を手にする男には、晴れた空は眩しすぎて。
金で取引した愛が、暴食を分別で繋ぎ止める。
「さようなら、アデリーヌ。野心家の貴方は嫌いじゃなかったですよ」
人々のざわめきは降りしきる雨となり、男の呟きを思い出ごと洗い流した。