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この恋に希望も奇跡も、何もいらない。

登場人物一覧

十夜 縁(p3p000099)
幻蒼海龍
十夜 縁の関係者
→ イラスト


 このつみに希望も奇跡も、何もいらない。
 このばつに絶望も後悔も、何もしない。

 ただ、ひとりのおとことして、ひとりのおんなとの恋を終わらせたい。
 ただの十夜 縁として、リーデル・コールとの全てに終止符を打とうと思う。
 それが、俺が彼女に出来る、唯一の――

 ――俺は……お前が好きだった。……本当に好きだった。


 頸筋に残った彼女が生きた証。消えない痕と共に歩み、向かうのはマイセン・コールのもとだった。
 傷の具合も少しは良くなった。自力で歩くことが出来るようになったからと、無理を承知で彼が身を寄せているというコンテュールの邸に赴いた縁を迎え入れたコンテュールの使用人は「大丈夫ですか」と問い掛けた。
 マイセン・コールは傭兵として各地を転々としていたが、静養のために暫くの休養をして居るとは聞いていた。何時、彼が此の地を発つかも分からない。故に、縁は早い内にと決意したのだ。
 傭兵として雇われて、共に戦った彼が自分の事をどう思っているか、と考えることは出来なかった。寧ろ、それを曝け出すこともなく、いの一番に彼が彼女の愛した弟であることに気付いていながらも目を背け続けて来た自分に恥じる事ばかりだった。
 縁と、甘えたように呼ぶ声が跳ねている。水際を踊った美しい幻想種の女。
 陽に透けた金の髪が美しく。微笑む彼女に手を伸ばし――そして、その絶望の重さに苦心した。
 逃げたのは、自分の方で。壊れた心でも現実を受け止めたかった彼女を怖れたのも自分の方で。
『縁』
 呼ぶ声が。こびり付いては離れない。首を絞めたときの感触と、死に近づく彼女の顔。
 、絶望を背負うことも、総てを終わらせることも出来ないままに逃げ出した自分。
 彼女が反転し、その身を魔に委ねたことは。
 そして、薔薇の異形たる化物を自身の子供として抱き締めていたことは。
 その総ては、自分の起こした事で。引き金を引いたのは自分の所為で責務は自分にあるのだと。

『おい、貴様は姉さんの『何』だ』
『……俺は』
 あの時の言葉を思い出す。何だ、と問い掛けた冷めた瞳に乗せられた殺気。悍ましいほどの感情の奔流。
『俺を恨め。後でいくらでも罵って殺せ。だから――今だけは、正気でいろ!』
 あの言葉は、今でも変わらない。
 罵れば良い、殺したいなら殺せば良いとさえそう思っていた。
 全てを知ったときにマイセン・コールという青年が、彼女の最愛の家族がどう思おうとも全てを受け止めることに決めていた。嗚呼、こうして自分が覚悟している事を苛立ち、叱る者が居ようとも。それでも、これが『けじめ』だった。

 ――故に、全てを彼に話すことに決めた。


「……」
 青年は、縁を見上げる。緊張に手が震えそうだと縁は思った。馬鹿みたいだ、海洋王国で幾ら功績を挙げようともたった一人の女から逃げ続け、真実を彼女の家族に告げることさえ怖れているのだから。
「マイセン、リーデルの弟の……その、お前に此れを渡しておきたくて」
「……これは?」
「彼女の――リーデルの骨と、お前と揃いだと言って居たイヤリングだ。
 ……すまない、あの日、俺は中途半端なことだけを伝えた。
 あの海が苛烈であろうとも、廃滅の病の進行があろうともお前には全てを話しておかなくちゃならなかった。
 ……これは、俺の弱さだ。すまない。それから、話を聞いてはくれないだろうか」
 姿勢を正し、深々と頭を下げた。其れが十夜 縁という男が出来るマイセンへの最大の誠意だった。
 リーデルの骨、それから、彼が付けているイヤリングのもう片方。それを見詰めたマイセンは言葉無く受け取った。
 指先が震えている。まるで不安を映し出したかのように。彼の仮面に隠された瞳が――彼女と同じ色彩の、優しい色が――揺れていた。
「……話せ」
 其れだけを絞り出した青年に縁はのろのろと顔を上げて一つ一つと詳らかにしていく。
 固く鎖した記憶の箱パンドラを開くように。真実を銘打った、本来の歴史を。

 リーデルと初めて出会った時のこと。
 彼女に恋をしたこと。
 ――そして、逃げ出したこと。


 ある所に有り触れた生活を送るリーデル・コールというおんなが居た。
 彼女はありふれた幸福を抱き、ありふれた不幸があった。
 愛した夫を亡くし、乳飲み子と共に二人残された彼女は海洋王国へと静養に向かい縁と出会った。
 潮騒の聞こえる、そんな優しい街で、酷く窶れて寄る辺を無くした彼女に縁は出会い、恋をしたのだ。
 それを恋心と呼んで良いのかは分からない。仄かな恋情を抱きながらも決して恋人同士のような甘やかな空気を作り出さない。それが縁とリーデルの中にあった公然の距離であった。
 夫を亡くし、親子二人で静養に向かったリーデルの世話を焼く縁は心優しい男だっただろう。リーデルにとってもそれが恋に似た感情であったことには違いない。それでも、触れることもなければ唇を合わせる事も無い。
 清廉で、清純で、無垢なまるで子供騙しのような触れるも怖れるような、恋だった。
 それでも、幸せであったことには変わりない。共に食事を取り日々を過ごし、笑い合う。
 赤子の成長は早く、少しずつ育っていく子の様子を見ては「今喋ったか?」「そんなこと無いわ」なんて冗談を言い合った。
 彼女の亡き夫の面影を感じる赤子でさえも愛おしいと感じるほどに、縁はリーデル・コールという女の全てへとその時、恋をしていたのだろう。
 ――その恋の終止符は、偶然で、突然で。
 ぼちゃん、という水音と共に平穏と平和は消え去った。呆気もなく、突然に。
「……赤ん坊が海に落ちて死んだ時、俺の心にあったのは恐怖だった。
 俺たち海種は水の中でも息ができるが、他のやつらはそうじゃねぇって……そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。分かるか? 俺が住んでいたちっぽけな海洋って国は、空を飛ぶ奴と海を泳ぐ奴に二分化されている。
 だから――だから、なんて一瞬でも考えたんだろう。俺は、リーデルの子供が海の中で息が出来ない事さえ気付かずに」
 海は風が強いから、とリーデルに注意しておけば良かったのだろうか。
 そうすればリーデルは赤子をしっかりと抱いていただろうか。
 彼女は海へと飛び込み愛しい愛しい赤ん坊を抱き締めた。もう、息のない心臓が血液の循環を行わない、空っぽになった小さな身体を抱き締めて。
「そして……海に身を投げたリーデルを見た時――あぁ、もうだめだと思った。
 リーデルはもう二度と俺を見てくれないだろう。もう二度と、笑ってはくれないだろう」
 あの穏やかな、幸せな時間は戻ってこない。
 縁、と呼んで微笑んで。想い出を語らうて。泣き声を上げた赤ん坊を抱き締めて慈しむように笑みを零して。

『母の形見なの。……故郷に残した弟がきっと片割を持っているわ。
 いつか――いつか、また会えるように、と渡したの。そんなの、夢物語かしら……?』

 そんな、彼女のことが頭から離れなかった。
 そんな、当たり前の平穏が頭から離れなかった。
 だったら、すべてなかったことにしようと、そう思った。
『リーデル・コール』という女の痕跡をすべて消して、この罪を抱えたまま、いつか来る終わりを待とうとそう思った。

 お誂え向きに世界は破滅に向かっている。神託とやらは其れを拒絶するために英雄達を呼んだらしい。
 十夜 縁という男はその力を得ようとも、破滅を打開するために戦う気になどなれなかった。
 それでも――せめて、彼女と共に微笑み、彼女と共に暮らした海洋王国だけは。
 そう思いながら過ごしてきた。
 せめて、平穏の中で終焉に繋がれば良い。
 全ては、彼女という恋心つみと共にこの全てを終わるために。


 目を伏せた縁はこれで全てだ、とそう告げた。
 その後、何があったのかは簡単だ。あの廃滅の海で魔種となったリーデル・コールの姿を見た。
 あの時のように、美し微笑んで我が子を慈しむように子守歌を歌っていた。
 それが我が子ではない事に気付いて彼女は発狂し、噎び泣くように己の心を吐露し続ける。
 誰も彼もが、利用し、利用される。そんな空間で何時までも愛しい愛しいと未だ、あの時に取り残されて微笑んで居た。
 そんな女と決着を付けたのは、自分の勝手だった。
 魔種であった女を殺すと決め、その命に終わりを与えた。
 それは縁が勝手に決めた区切りで決着であったのだと、そう考えていた。
 魔種リーデル・コールを撃破し、残されたイヤリングと骨だけを拾い上げ、マイセンの元へと連れて行く。
 ひとつの恋心つみを抱えたまま、ひとつの愛情ばつを終えただけ。
 此処からは、『コール姉弟』の――マイセン・コールという彼女の愛しい弟とのけじめなのだ、と。
 その全てを聞いた彼がどのような選択をしようとも、縁は受入れるためにマイセンの反応を待っていた。

「……お前が」
 震える声は、あの日の船上で出会った時とは違う。姉と対峙した時に見せた酷く頼りなさげな幼子のような声は仮面の奥の表情さえもありありと感じさせる。
「……お前が、姉さんを……」
 唇を噛んだマイセンに縁は頷いた。「ああ」と其れだけを返す事だけが精一杯で。
 静かに全ての告白を聞いていてくれていた彼が、どれ程の感情を抱えたのかは分からない。
「……あんたの事情なんかどうでもいい。俺はただ、姉さんに会いたいだけ……会いたいだけ、だった……」
 膝を突いた青年がちくしょう、と絞り出した。何度も何度も、ちくしょうと声を絞り出しては地を叩く。
 仮面が落ち、その向こう側に彼女の面影を残した優しいかんばせが悲哀を湛えて沈んでいる。
 その耳にゆらゆらと揺らいだティアドロップのサファイア。彼女と、彼を繋いだ唯一。
「……どうして――どうして、姉さんに大丈夫だと言ってくれなかったんだ。
 お前のせいで……姉さんはずっと苦しんで、魔種になって海の底で過ごし続けて……世界の敵だと誹られて、殺されたんだ」
 マイセンは叫んだ。その当たり前の吐露に縁は唇を噛みしめた。
 嗚呼、そうだ。彼女が魔種になったのも。彼女が、世界の敵だと誹られ殺されたのも。
 その全ての引き金を引いたのは十夜 縁という男ふがいないおれだったのだから。
「俺は……俺はお前を、絶対に許さない」
「ああ」
「忘れるな……姉さんのことを、一生」
「……ああ」
「お前が殺した女は、最後まで、……最後まで、お前のことを愛してただろ……」
 声が、凋んでいく。悔しげにそう告げるマイセンは自身の唇から飛び出した言葉に愕然としたように縁を見遣った。
 たった一人の姉の気持ちなど、魔種になろうともマイセン・コールは気付いていた。

 嘗て、愛したひと。
 嘗て、苦しめたひと。
 今も、その心にあるひと。

 世界が私を愛さないなら、私も世界を愛さない! 貴方だって――貴方だけ、だったのにせかいがあいしてくれなくとも、わたしはあなたがいればそれだけでいいの

 リーデル・コールの言葉を思い出して縁は「ああ」と呟いた。絞り出した声は、振るえ続けている。
 だからこそ、縁は奇跡になど頼らなかった。
 可能性を帯びたイレギュラーズに赦された起死回生。それに頼って彼女の最後を得る等、甘えだったからだ。
 故に、どれだけの傷を帯びようともその手で彼女を終わらせるころしたいと願った。
「最後まで、俺は……自分勝手だったんだ。分かるかい。
 ……とんだクズ野郎だ。苦しまないように殺すなんて生やさしい事じゃない。
 俺は、彼女を忘れない様にと己の中に刻みつけるために、この手で、彼女の首を絞めたんだ」
 ――それはあの日のように。
「……お前が、姉さんを愛していたのなら……姉さんが、お前を愛していたのなら……。
 俺は――もう、お前達の事を考えない。お前も、もう俺の事なんて忘れてしまえ。俺の事なんて気にするな」
「……どういう意味だ」
「俺へ償え、なんて言わない。お前に今更、償いを求めても姉さんは戻ってこない。
 姉さんとの約束だけ、このイヤリングだけが俺にとっての姉さんだ。
 でも、お前は姉さんだけを、忘れるな。姉さんのことを覚えておけ。
 お前が姉さんを忘れたなら、その時、俺はお前を殺す。忘れるな、卑怯な魚野郎……!」
 恋にとって忘却が一番の特効薬だというならば。
 其れさえ与えられぬ生き地獄に落としてやろうとでも言うように。
 マイセンは其れだけ言って大切そうに姉の遺骨を抱き締めた。
「おかえり」と涙に濡れて、「会いたかった」と何時か言おうとした言葉を連ねて。
「……俺と帰ろう」と優しく優しく、答えることのない、彼女へと囁いて。
 忘れる勿れ。
 そう告げて、自身のことなど知らぬ顔をする男。
 それでも縁は思うのだ。
 大切な姉を不幸に、絶望に叩き落とした男にも生優しい罰として、『求めていた償いの形』を残そうとする。
 優しい所は彼女と同じなのだろう、と。屹度、何もないと言われれば自身の心の落ち着く場所はなかっただろう。
 リーデル・コールは十夜 縁という男が過ごしてきた長い長い凪の中で中心であった。
 其れが喪われては、自分がどうするべきなのかさえ、分からなくなるのだ。故に、彼は『ゆめ忘れる事なかれ』とそう言ったか。

『縁』

 微笑む彼女。そのかんばせのおもかげを持った青年は、この名を呼ぶことはないだろう。
 それでもいい。それでも、彼と彼女がもう一度再会できたという其れだけで、勝手に心が満たされるのだ。
 彼女の夢が叶ったことで、少しでも彼女を幸福にしてやれたのではないかと、馬鹿みたいに妄想する。馬鹿らしい男の、馬鹿みたいな感想で。

「……マイセン、お前は此れからどうするんだ?」
「誰がお前に言うか。魚野郎。
 いや……姉さんは、お前に伝えろと言うだろうな。
 ……故郷に、姉さんを連れて帰る。姉さんだって、屹度、その日を楽しみに夢見ていただろう。
 お前は勝手に生きろ。俺はお前の人生になんか関与しない。だが――」
「……マイセン?」
「だが、聞かせてくれ……これが、最後だ。
 ……姉さんは――リーデル・コールは、幸せだっただろうか」
「……屹度、リーデルは幸せだったと、そう思いたい。
 俺が勝手に思うだけだ。それでも……俺は彼女を愛していた。それは、嘘じゃない」

 そっぽを向いて、青年は歩き去って行く。その背中に、縁は「有難う」と小さく呟いた。


 一世一代の恋だった。
 触れることもない、唇を重ね合わせることのない。子供染みた馬鹿みたいな恋。
 微笑んで、煽られる髪を押さえて目を伏せて。
「愛しているわ」なんて、二度と紡がぬ唇に「愛しているよ」と返す事なんて無く。
 それでも、終わりが何時か来るのなら。
 きちんと自分の手で終わらせたい。

 だから――

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