PandoraPartyProject

SS詳細

天使の作り方

登場人物一覧

エルピス(p3n000080)
聖女の殻
ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃

 ローレットのカウンターにちょこりと座りミルクティを飲んで居るエルピスは窓の外を茫と眺めている。彼女の傍らに据えられていたのは嫋やかな白百合であった。花瓶の中で咲き誇る真白の花を指先で突いた乙女は暮れの空の色に照らされてその頬を赤らめる。ブランケットで身を包み、陽のひかりを受けて柔らかに輝く金の髪を揺らす彼女の傍らで、彼女にとっても馴染みの情報屋が「砂糖は?」と問いかけている様子をルーキスは何となく眺めていた。
「お砂糖、ですか? この、ミルクティにいれるのですか?」
「うん。それ、俺が飲んでた紅茶にミルク入れただけだから。エルピス、珈琲も苦いって言ってただろ。それ、苦くない?」
「……これは、苦いのですね。のんでみます」
 ティーカップを手にして、すこしにがいと困ったように呟いたエルピスに「砂糖を取って来るね」と彼は席を外す。混沌大陸で生まれ育ち、ローレットの一員として活動していた歴は彼女の方が長いというのに神威神楽の動乱で一席に加わった自分以上に『外』を知らぬ彼女の事がルーキスは気がかりであった。
 ましろい羽に晴れた空の色彩をその双眸に落とし込んだ彼女の唇は言葉を紡ぐのもたどたどしい。視線に気付いたかシュガーを取りにやって来た情報屋――雪風は「エルピス、気になる?」と問いかける。彼女が世界についてあまりに知らず、『世間知らず』に拍車をかけた様子を気にする者は一定数居るようである。気になるならとローレットの書庫で閲覧が可能な報告書を読むように勧めた彼は「あんまり、良い気がしなかったら御免」と熟れた柘榴の色の瞳に僅かな悲哀を浮かべていた。

 ――エルピスさんは依頼を切欠にしてここで保護されて、今は情報屋のお手伝いをしているんですよ。

 そう、聞いたことがある。幸いにして雪風から聞いた報告書は簡単に見つける事が出来た。
 天義の片田舎、聖女と称された一人の娘。幼い頃に難聴となり、それ以降は聾となった彼女は天啓の如く神の声を聞いたのだという。うつつに無い声を聞けた娘を聖女と持て囃したのは村を襲う飢饉や憂いを払拭する為の手っ取り早い人身御供であったのだろうと推測される。
 彼女は神の声を聞くだけの為に生かされた。聾者たる幼い少女に利用価値が見いだされた瞬間だったのだろう。
 彼女が神託を聴けば万事うまく行くのだと持て囃された過去は遠く――『聴こえなくなった』途端に彼女は人ならざる扱いを受けたらしい。衣服も食事も対して与えられない神を尊ぶ国では当たり前の仕打ち。
 神の意に叛し、神に厭われた聖女として粗末な小屋に押し遣られ『呼ばれる名』も持たなかった娘を助けたのは旅人の男であったそうだ。旅人であるがゆえに、彼女の仕打ちに納得できないと立ち上がったそうだ。
 彼は聖女と呼ばれた少女に『エルピス』と云う名を与え、人を殺したらしい。
 彼女を救うために。彼女の苦しみを拭う為に。その様子に、彼女は恋をした。ひどく、切ない、はしかのような恋だった。
 そして、『彼女の為だ』と、そう位置づけて最後まで名を明かさずイレギュラーズに討伐された。
 その言葉は自身が彼を狂わせたのだと彼女にとっての傷となる。
 それでも――男は、彼女に生きて欲しかったのだろう。自分などいなくとも、世界は美しいのだと、そう教えたくて。
 希望、と。その名に確かな意味を与えた男。音無き世界で生きた彼女の生誕より現在までの――

 その報告書を見た時に全てを理解した。驚くほどに急速に世界は色を帯びていく。
 ひどく、切ない気持ちが音を立てて心というコップの中より溢れ出す。
 暖かな珈琲に驚き、紅茶の苦さにぱちくりと瞬いて。買い物の仕方や、世界のあらましを知っては驚いたように首を傾げる。彼女の、かんばせが心に浮かび上がってこびり付いては離れない。
「ルーキスさん」と呼ぶ声に鮮明なる想いがかたちを作った。
 
 どうして『世界を知らないの?』そんな当たり前の疑問が晴れたと同時に、ルーキスは奇妙な心地を感じた。
 胸に沸き立ったそれは――紛れもない。 
 名も知らない。会ったこともない。知っているのは報告書に書かれた断片的な情報。
 だけど――と唇が震えた。感情の栓が開き溢れる様に喉奥から吐き出されたこころの有様にルーキスはぎょとしたように息を飲んだ。
(……あぁ、そうか。この湧き出してくる感情は――)

 報告書を書架へと直してからルーキスはエルピスの元へと向かう事にした。先ほどと同じように窓際に座っている彼女は外のほの灯りを視線で追いかけぱちりと瞬いている。気付けば赤らんだ日差しは地平の向こうに顔を隠し、天蓋には淡い月がぽかりと浮かんでいるだけだった。
 傍らで資料を纏めていたのであろう雪風がルーキスの姿と、そのかんばせの色を認めてから「あ」と云う顔をして立ち上がる。
「雪風さま? どうかなさいましたか?」
「ん、資料が足りないから見てくる。エルピスは此処にいなよ。少し掛かるけど、さ、ついでに何か食事持ってくるし」
「……はい」
 頷くエルピスの側に行くことさえも躊躇う様な感情のいろに、気付いてしまった。
 ああやって彼が彼女の世話をするのは『彼女が世界を知らない』からなのだろう。擦れ違い様に雪風は「顔色、酷いよ」と声を掛けた。その意味が、もう少し気が晴れてからエルピスの側に行きなよ、という意味合いである事に気付いた。
 ルーキスはコップに冷水を注いで一気に飲み干してから深く息を吐く。彼女も此れなら驚き、心配する事はないだろう。。
「エルピス」と名を呼べば顔を上げて、吸い込まれそうなほどに澄んだ空のいろがこちらを覗く。「ルーキスさん」と呼ぶ声は何時もの如くふわりと浮かんでいて。
「……隣、いい?」
「はい。今、雪風さまがお食事を取りに行ってくださったそうなので。良ければ、分けましょう」
 長い睫が震え、いかがでしょうかと伺う声音は僅かに緊張のいろが含まれる。うん、と頷けば華やぐように笑みが咲いた。その顔を見て、新ためて感情の名を理解した。

 この感情は――俺は、この殺人鬼に、『彼女の大切な人』に『嫉妬』しているのだ。
 それは、彼女に対する自身の感情がどういうモノであるのかが証明されたと同義だと、そう感じた。
 陽を溶かしたような柔らかな金の髪、澄んだ空の色の瞳、小さな白い翼。
 絵本に出て来る天使様を絵に描いた聖女様だったもの。

 普通に声を掛けて、普通に返事をする。唇の動きを呼んで居る訳ではなく彼女は『聴こえて』いるのだという。
 それが世界が――ひょっとすれば『彼』が――与えた贈物の結果だと聞いた時に唇は震えた。
 彼女の過去は、そして彼女と殺人鬼の一件は、間違いなく彼女の傷だ。
 見えやしない深い傷痕があの真白な体には刻まれているのだ。
 それを目にして、同情するわけではなかった。それを目にして、懼れる訳でもなかった。
 真っ先に浮かび上がった感情が嫉妬だとは。なんと、浅ましいのだろうかと。我ながら最低だと自嘲するしか無かった。

「ルーキスさん?」
「……あ、いや……実は、エルピスがローレットに来た切欠の報告書を見たんだ」
 躊躇したが、隠していても仕方ない事で。素直に彼女の過去を探ったと、口にする事に僅かな緊張があった。
 青い瞳をまるい形にした後、エルピスはぱちり、ぱちりと幾度も瞬いた後、首をこてりと傾いだ。
「おどろき、ましたか?」
「……まあ。耳、聴こえてなかったんだなって」
「はい。でも、今は、聴こえます。ギフトというもので。ルーキスさんのお声も、しっかり聞こえています」
 背中側から声を掛けられても、その声が聞こえる事が酷く喜ばしいのだとエルピスは笑みを綻ばした。
 恋に生きて、愛を知って、只、それに惑い涙を流した過去を曝け出す訳でも、ひた隠す訳でもなく。
 エルピスは――そう、『彼が名付けた』聖女は曖昧な笑みを浮かべているだけだった。
 白百合の傍らで、カーテンが揺れている。淡い色彩の中で、いつの間にか灯ったフロアランプに照らされたエルピスは「月が」と唇を揺れ動かした。甘く揺らいだ夜の輪郭が彼女の髪と同じ色彩を作り出す。
「綺麗だね」と囁くルーキスの声に、エルピスは「ルーキスさんの、髪のいろですね」と笑みを綻ばした。
「……エルピスの髪の色も一緒だよ」
「ええ。わたしと、ルーキスさんは、瞳の色も似ていますから。けれど、私とは違う気が、します。
 ルーキスさんの月のいろは、とてもきれいです。柔らかいいろをしていらっしゃいますから」
 違うから、美しいのだとでも言うように微笑んだエルピスにルーキスはゆるやかに頷いた。
 月を見上げたその横顔を見つめながら、静かに唇を震わせる。緊張が、滲んだ。
 けれど、聞かずには居られなかった。こころの中に存在した興味と彼女の『これから』を描けるならばと願ったのだ。過去を変える事は出来ず残った傷を拭い去る事は出来ない。
 なら、彼が描けなかった未来だけでも、せめて自分の手元にあればと――そう、願ったのかもしれない。
「エルピスは、将来こうなりたいとか……夢はある?」
「ゆ、め……、ですか?」
「そう。……何かあるのかな、って」
 純粋な興味の中に僅かながらに混じったこころ。夢があるならば叶える為に力を添えたい。何だって手を差し伸べて、彼女の夢が叶えばいいと願っている。
 ないのならば、夢のラベルをつけられる輝く未来を探しに行けばいい。彼女が望むならば一緒に行きたいと、そう願っていた。
「これを、夢というのかはわかりませんが……いい、でしょうか」
 緊張したように白磁のティーカップを指先が撫でた。僅かに色付いた指先が緊張に爪先を突いている様子を眺める。
「わたしには、本来の名前はありません。……けれど、普通のエルピスとして、生きていきたいと思っています。
 皆さまが教えてくれたのです。珈琲は暖かいよ、と。ひだまりはあたたかいよ、と。
 しあわせなことはいつだって、新しく見つけることが出来るんだよ、と。
 だから……たくさんのしあわせを、束ねて花の様にして。彼に自慢をしたいのです。自慢、というのはおこがましいでしょうか?」
「そんなことないよ。彼っていうのは――」
 あの、報告書のと口にしようとしたときに、心の中に魔が差した。
 それは明確な嫉妬の形として首を擡げて存在を誇張する。飲み込む様にルーキスは「そうなるように、しよう」とぎこちなく笑みを浮かべた。
「けど、その後はどうしたい?」
 ――嗚呼、これは狡い問いかもしれない。それでも、聞いておきたかった。『彼』から離れた彼女の事を。
「……その後、は、まだわかりません。わたしは、生きていてよかったのかさえ、わからなかったのです。
 だから、みなさまの役に立って、それから……新しい夢をさがしたいと、思います」
 笑えるようになった。それだけで、自分が少し前へと進めていることを感じるから。
「なら、その夢を探すときに、俺も手伝うよ。エルピスが新しい夢を探せるように」
「……ふふ、はい。ありがとうございます。けれど……わたしの、おはなしばかりで、とても恥ずかしいです。
 ルーキスさんの、夢もまた、教えてくださいね。その夢のことをお手伝いできることなら、わたしも、がんばります」
 お役に立ちます、と頷いた彼女に「心強いよ」とルーキスは絞り出した。
 胸の奥で揺らいだ感情を口にすることが出来ない儘、その笑みを見つめている。

 ――いつか、この感情を伝えられる日が来るだろうか? それはまだ、分からないけれど。

 君が微笑んでくれるならば。柔らかに吹いた冬の風に攫われないように、今はその笑みを見つめて居よう。
 今はただ、それだけでいい。カーテン越しに小さく微笑んだエルピスの声にルーキスは顔を上げた。

「おなか、へりましたね」

 そう口にすることもさいわいのひとつなのだと、そう告げた彼女。
 その『さいわい』をひとつずつ増やしていける事をとそう願って。

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