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想いは言葉と共に
登場人物一覧
●再会
「……え、と。お手紙です」
絞り出した声は情けないくらい震えていて、穴があったら入りたいってこんな時の事を言うのかなあなんて手紙を差し出したままの僕、郵便配達員のシエルは思っていた。
「ありがとうございます、シエルさん」
あんな情けない姿を晒したのにリアさんはあの時と変わらず優しく接してくれる。本当に女神みたいな人だ。
「お久しぶりですね」
「ええ、その、あの後配置換えがありまして」
勝手に舞い上がって、勝手に失恋して、とぼとぼ帰った僕は担当変更の旨を上司から伝えられた。
ラッキーだと思ったことは否めない、暫くリアさんの顔をまともに見られそうになかったから。
「……その、お身体の方は大丈夫ですか?」
「はい、随分マシになりました」
にこっと笑うリアさんにほっと胸を撫でおろした。
暫く修道院を担当していた先輩からリアさんが廃滅病にかかったり、とある楽団のコンサート中に倒れたと聞いたからだ。サァと血の気が引いて先輩の言葉を置き去りに飛び出してきたのは約一時間前の事だった。
「そ、それは良かったです! じゃあまた!」
「あ、あの!」
元気そうな姿が見られたらそれでいい、これ以上格好悪いところを見せる前にとすごすごと引き返そうとした僕の袖をリアさんが引っ張った。ぶわっと顔が熱くなって口をパクパクさせるしかない僕は随分間抜けな顔をしていただろう。そんな僕を咎めるわけでも笑うわけでもなくリアさんは続けた。
「あたし、これからセキエイに行くんです。……その、あたし最近調子悪いので、その……付き添ってくれませんか?」
「え……?」
あの想いには別れを告げた筈だったのに。
未練がましく未だに好きな人からそういわれて断れるほど、僕は大人にはなれなかった。
●道中
セキエイへと続く石で舗装された道の上をリアさんと僕は並んで歩いていた。
石畳には若干雪が積もり始めていて、踏むとざくざくと音がする。
「そういえば、シエルさんはどこの担当をされていたんですか?」
「ええと、クォーツ修道院の更に北の地区ですね」
やそこにはどんな物があるのだとか。そこは何が有名なのかとか。
他愛ない話を交わしながらセキエイ地区へと目指す。
リアさんが楽しそうに話してくれるだけで天国に行けるんじゃないかなって思う。
と、同時に変なこと言ってないかなとか、不快な思いさせてないかなとか。
気になって目が回りそうだった。
「え、えっと僕飲み物買ってきますので! リアさんここで待っててもらえますか?」
「いいんですか? ありがとうございます」
木陰のベンチにリアさんを座らせて、僕はこのぐるぐるをどうにかするべくとりあえず飲み物でも飲んで落ち着こうと近くの商店へと足を運ぶ。
「……そういえばリアさんって何の飲み物が好きなんだろう」
商品の棚の前で、好きな人の飲み物一つ知らない僕は自分の不甲斐なさと、買う前に聞いてこなかった己の気の利かなさを呪いながら少し悩んでミネラルウォーターを二本買った。
「リアさんお待たせしまし」
瓶を二本抱えてリアさんの所に戻ると、なんかすごい肩幅の広くて腕が丸太みたいな人達がリアさんに詰め寄っていた。一人の男の人が「あ?」とこっちを見た、人を見かけで判断してはいけないというのは判っているけどすごく怖い。でも、リアさんはもっと怖い思いをしている筈だ……! 勇気を出せシエル! リアさんを守るんだ!
「や、やめてください!」
ばっとリアさんと男の人たちの前に身体を割り入れる。正直すごく怖い、絞り出した声はやっぱり震えてたし脚はガクガクしてるしかっこ悪いことこの上ない。こんなことなら護身術の一つでも身に着けておくんだった。
「ああ、違うんだ俺達は」
一人が僕に手を伸ばしてきてどんっと肩を押される。そのまま後ろに引っ張られるように重心が傾いて……頭にゴンっと衝撃が走って目の前が真っ暗になった。
●言葉
――あったかくて、柔らかくて、優しい何かに包まれて僕は微睡みの中にいた。
夢を見ているのかもしれない、とろりと蜂蜜を垂らして甘い砂糖で包んだようななんとも抜け出しがたい心地だ。
歌が聞こえる、どこか懐かしくて聞き覚えのあるフレーズとメロディ。
ああ、どこで聞いたんだっけなぁ、これ。少し考えを巡らせて、ああそうかと思い出した。
子守唄だ。幼い頃からバルツァーレク領で聞かされていた子守歌。
「……母、さん」
「ふふ、お母さんじゃなくてすみません」
……うん? 三秒ぐらい固まって、僕はゆっくりと目を開けた。
さらりと流れる絹のような黒髪に、修道服。見間違える筈もない綺麗な青い瞳。
「……リアさん?」
「はい、私です」
じゃあ、このあったかくて柔らかいのは……。
一瞬で目が覚めた。寝坊して遅刻しそうになった時の非じゃない。
気絶した挙句好きな女性の膝の上で寝かされていましたなんて恥ずかしいってレベルじゃない。
あ、いやでもちょっと嬉しいんだけど、いやそうじゃない。そうじゃないだろシエル。
「ごごごごごめんなさい!!」
「ああ、いえお気になさらず。言ってなかった私が悪いんですから」
「あ……そういえばさっきの方々は?」
「シエルさんを運んでくれた後、仕事に戻りました。……とっても優しい人達で、ここセキエイで働いてくれているんです。」
「そうだったんですか……僕、酷い事を」
「いえいえ! 彼らも謝っておいてくださいと言ってましたから」
まさかリアさんのお知り合いだったなんて。あまりにも恥ずかしくて申し訳なくて消えてしまいたかった。嫌われたって仕方ない。
「……あの、シエルさん」
「はい!!」
ベンチの上で正座をしてしゃんと背筋が伸びる。もう来ないでくださいと言われたら受け入れるけどたぶんしばらく立ち上がれない。まずい、すでに泣きそうだ。
「以前に、私に手紙を届けてくれたこと覚えてますか」
「……はい」
別の意味でぎゅっと心臓を握られたような感覚だった。忘れもしない。
差出人の名前を見た時のリアさんの目の輝きも。
緊張して震えながらそうっと封を切った指先も。
――頬を染めた恋をする女性の
――とっても綺麗だったからよく、覚えている。
「あの時、シエルさんとっても辛そうだったからどうしても気になって。私、伝えなきゃって」
「……は、い」
ああ、やっぱり気づかれていたんだ。
リアさんはとっても優しくて周囲に気を配ることが出来る素敵な人なのだから。
あんなに判りやすくその場を去った僕に気づかない筈がなかった。
ぎゅうっと、作った拳で縋る様にズボンの生地を掴む。
そうしていないとリアさんの言葉を受け止められそうになかったから。
「私は、シエルさんの事を。子供達も大好きなあなたを、大切な――友人として愛しています。とっても大切な人です」
どこまでも優しくて、どこまでも誠意に満ちた
体温が急速に失われていく感覚、ああそうだ今度こそ僕は失恋したんだ。
リアさんはそれ以上何も言わずに僕の言葉を待っている。待ってくれている。
「――ぼ、くは」
リアさんが好きです――とは言えなかった。
言えば、きっと困らせてしまうから。
「リアさんに、幸せになってほしいです」
その代わりに嘘偽りのないありふれた言葉を綴る。
「……想いが、届くといいですね」
目から零れた温かい雫と。ぼたり、とズボンにできたシミは見ないフリをした。