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幻のアンジェ
登場人物一覧
●むかしのおはなし
白の聖地、清浄の都フォン・ルーベルグ。
大通りには塵一つ無く、見事に調和の取れた街並みは何時も白亜の都の特別な意味と価値を告げていた。
一体何時からそうであったのかは分からない。
同時にそれは問題ですらない。
しかし、聖都がどれ程に完璧だったとしても――人々がどれ程に信仰に敬虔だったとしても。多数が集まり社会を形成する以上は、人が人の営みを行う以上は、そこに人間が居る以上は――多くの悩みは付きまとうものだった。
大人はそうあれかしと教えられたものだ。
酒に逃げる代わりに信仰に逃げ、弱い己を律する為に神を『使う』。
されど、幼い子供はそんな方便を知らない事もある。
「声が――声が聞こえないのです」
……その日、若い神父が出会った一人の少年は金髪に青い目をしていた。年の頃は六歳から八歳といった所だろうか。年齢よりも華奢に見える体つきと少女に見紛うばかりの美貌は彫刻家の望む天使像のようでさえあった。
「……声が?」
穏やかで優しい声色で問い返した神父に少年はコクコクと頷き、泣きそうな顔を向けていた。
「詳しく聞かせて貰えますか?」
彼を落ち着かせんと微笑み、言葉を向ける神父はフォン・ルーベルグの或る教会に仕える男だった。
街に出た時、明らかに塞ぎ込み、落ち込んでいるような少年を見て、自身の教会まで誘った。
少年は中々口を開こうとしなかったが、根気良く自身に付き合う神父と、彼の淹れたミルクたっぷりのコーヒーに少しずつ重い口を開き始めた所であった。
「私はこのネメシスの騎士の家に産まれました。
幼い頃より、聖騎士になるものと信じ、修練に励んで参りました。
そうあれかし、と常に神の導きを近くに感じて生きて参りました」
そう語る少年の口ぶりは歳不相応に立派であった。
ひとかどの大人でもこれ程までに堂々と――そして臆面もなく信仰を口に出来るものは居ない、と神父は思った。
「……神の声が聞こえた訳だね?」
「はい。私はそれをそうと信じております。
故に私はどれ程辛い修練も欠かした事はありません。
神父は少年の声色に滲んだ揺らぎに少し胸を痛めた。
彼が恐ろしく聡く、強く、大人びている事は僅かなやり取りで分かっていたが――彼はあくまで子供だった。
恐らくはこの有り得ない程に『出来上がった』少年は仲間の内では浮く存在になっただろう。或いはどれ程その素行を褒め称える一族がいたとしても、子供らしからぬ彼を持て余したのは想像するに難くない。甘えたい盛りといってもいい子供が多少滲ませはしたものの、それに恨み節さえ発しないのは神父にとって驚くべき事という他ない。
少年の――恐らくは彼にとっては非常に珍しい――泣き言は続く。
「なのに、この頃、お導きを近くに感じないのです。
『どうして私はこんなに辛いのだろう。こんな事をして何になるのだろう』。
お導きに従って生きてきたのに、そのお声が聞こえなくなってしまったのです。
その癖、悪魔のように『嘘』が響いて聞こえるのです。
街を行く時、誰かと話す時、『嘘』が私を苛みます。誰も本当の事を言わないのです。
これは私が不敬だからでしょうか? 私が神に見放されてしまったからなのでしょうか――?」
神父を見上げる少年の青い目は潤んでいた。
大人ならば割り切って付き合う『事実』さえ、この少年には飲み込めていないのだ。
人間が人間である以上、惑いも迷いもするというのに――天使はその意味を未だ知ってはいない。
しかし、それより何より神父には気になった言葉があった。それは――
「――嘘?」
「……はい。信じては貰えないかも知れませんが、私には嘘が見えるのです。
その人物の話す内容に嘘があるかどうかを、間違いなく知る事が出来るのです。
……ごめんなさい、神父様。私がここにやって来たのは、その――神父様に嘘が無かったからなのです」
混沌世界の住人は『ギフト』と呼ばれる異能を持つ。
神父の知る限りでは少年が話したそれは著しく通常のそれを逸した『強力』であるように思われた。
しかし、他ならぬこの少年が嘘を吐く事等ないとも思う。
これだけの特別性を帯びた少年なのだ。神が特別な何かを与えたとしてもそう不思議ではない――
「いいですか、君」
「はい」と泣き濡れた瞳を向けた少年は頷く。
「嘘でもいいのです」
「……え?」
「この世界はフォン・ルーベルグのように綺麗な白に染まっていない。
この世界は、人の営みは実際の所がほとんど灰色です。
唾棄すべき邪悪ばかりでもなければ、清浄なる白をたもてる場所ばかりでもない。
君は『嘘』を知ってしまうから――きっと苦しくなってしまったのでしょう。
でも、多くの人は『嘘』がそこにあると知りながら、それを幾らか許容しながら生きている」
「……神は、嘘を邪悪としませんか?」
「人を傷つけるような嘘はね」
『教義はどうあれ』。神父はこのネメシスにおいては圧倒的に穏健な人物だった。
「ですが、考えて御覧なさい。
君の友人は嘘を吐くかも知れませんが、いつも君の事を嫌っていますか?
周りの大人は嘘を吐くかも知れません。しかしご両親の愛に嘘はありますか?
見てきたように言いますが――君はこれだけ真っ直ぐに育っているのです。
君が君として――今日、ここにあるには沢山の愛が必要だったのは間違いない。
君は神に愛され、同時に人にも愛されている。
「――――」
少年は神父の言葉に聞き入っていた。
「だから、胸を張りなさい。君の悩みは本当はもっと大きくなってから――そう例えば私のような歳になってから感じるべきものだ。君はあまりに一生懸命だから、神様が少し早く試練を与え過ぎただけです。
胸を張りなさい。君は私なんかより余程神に近いから」
冗句めかしてウィンクをした神父は少年を勇気づけるように肩を抱いた。
神父自身、この神職が迷い子を導く為のものならば――今日程素晴らしい日は無いとさえ思っていた。
言葉は少年を言いくるめる程度のものだったかも知れないが、そこに『嘘』は微塵も無かった。
「私はまた――神の声を聞けますか?」
「間違いなく」
「私の信仰は汚れていないのでしょうか」
「どんな大人よりね」
少年から小さな笑みが零れ落ちた。
「……ありがとうございます」
「ええ。困ったら何時でもいらっしゃい」
泣き止み、礼儀正しく頭を下げた少年に神父は淡く微笑む。
素晴らしき邂逅は祝福であり、加護となる。
その言葉は力強く、少年は二度と惑わなかった。
少年の名前はレオパルといい、神父の名はアラン・スミシーといった。
- 幻のアンジェ完了
- GM名YAMIDEITEI
- 種別SS
- 納品日2020年12月07日
- ・グドルフ・ボイデル(p3p000694)
・レオパル・ド・ティゲール(p3n000048)