SS詳細
追憶
登場人物一覧
アクセル・オーストレーム。
この男は地球――異世界において医療を生業としていた人間だ。しかし彼は故あって正規の医者というよりも”闇医者”と呼ばれる部類の人間だ。
噂を何処からか聞いた幻想の医者達は、アクセルがイレギュラーズである事も相俟(あいま)って奇異の目でその動向を伺っていた。
法を守らぬ闇医者に患者の命を救えるものか。中にはそんな陰口を叩く者も居た事だろう。
だが彼の腕前は本物だった。
イレギュラーズ、あるいは医者として何か一つ成し遂げる度に、幻想の医者のいくらかはそれを好意的に受け入れた。
若い医者達にはアクセルの活躍を一喜一憂する者も居た。同業者の活躍を自分と重ねて、憧憬の様なものを抱いたのかもしれぬ。いつかイレギュラーズ達の様に、そうでなくともこの医者の様に誰かを救える様にはなってみたいものだと。
年配の医者からは「闇医者に憧れるものではない」と苦笑しながら諭されてもいたが、この頃の幻想ではイレギュラーズ自体の評判が良好だっただけにそう強くは咎められなかった。
そして一つの街が疫病に見舞われた際、アクセルとこの医者達は共に治療にあたったのである。
……結果として言えば、イレギュラーズと医者らの尽力によってその疫病の被害を小規模に押し留めた。
「……」
アクセルはその疫病に見舞われた街に、再びやって来た。
疫病が発生した区画はその殆どが焼き払われていて、この地域だけまるで激しい戦火にでも見舞われた様だ。
検疫作業も殆ど完了していたが、万が一の事が起きない様にまだ兵士が区画の警備を続けている。
年長の兵士がアクセルの顔を見るなり敬礼の仕草を取る。治療に当たってくれた医者の一人だと相変わらず覚えていたのだろう。
「先生、またご用事でしょうか?」
「あぁ、今回は墓参りに来た」
兵士は事情を聞くとすぐに頷き、墓への行き先をアクセルに教えてくれた。
その墓は区画の近く、警備兵が見張れる位置にある。それは多数の被害者達を弔った大きな塚で、加えて立派な墓碑が立てられていた。慰霊碑といえば聞こえは良いが……元々が奇病なだけに、死体をこの様に隔離しているのが実態だろう。
「骸だけでも親族に返してやりたいですが、そうもいきませんでな……」
兵士の言葉にアクセルはやり場の無い複雑なものを感じながらも、軽く会釈して墓碑へ向かう。
墓碑に辿り着いた彼は、すぐに目的の人物の名前を探し始めた。一緒に疫病の治療に向かった医療団の若者、レノという名前を探し出す。
『レノ=オーガスタ。疫病の対処にあたった医療団の一人。此処に格別な敬意を表する』
他の市民と分けられ、その様に書かれていた為にすぐに見分けが付いた。
アクセルは薄紫色の花束を墓碑に手向ける。この花については、その名と生薬に使えるという事以外はアクセル自身詳しくない。彼の亡くなった妻が大好きだった花で、彼女の墓参りによく持参していた。彼女が好きな花ならきっと縁起の悪い花ではないだろう、というのもある。
そして花束を手向け黙祷を捧げる最中、レノという若い医者にかけられた言葉を思い返す。
――アクセル? レイノルズの人形遣いを討った? すげぇ、俺はレノって名で。
アクセル・オーストレームは他人目に無愛想な人間だ。闇医者という生業である事も一因かもしれない。
それだけに、同業者が真っ向から好意を表現してくるというのが珍しかった。そしてそれはアクセルにも悪い気はしなかった。もしかしたら、良い医者仲間にでもなれた可能性だってある。
…………だが、その若い医者は疫病の治療に向かう際、アクセルの目の前で犬に腹を食い破られてあっけなく死んだ。
「……俺は目の前の人間すら救えないのか……」
アクセルは、その苦い光景を思い出して歯軋りをする。人一倍、患者の命を救いたいという気持ちもあって、志を共にする若い医者の死は衝撃的だった。
救えるかもしれなかった命を救えないという事は、アクセルにとって一種耐え難いものがあった。もし患者の命を救えるのならば自分の命を捨ても構わないという、強迫観念じみたものである。
それには娘を産んだ直後に体調を崩して亡くなった妻の事が関与しているかもしれない。
……何にしてもこの疫病についてはアクセル含めたイレギュラーズ達の調査した情報によって、人為的なものだという可能性が見えてきた。もしも罪もない一般人達が、そしてレノという若い医者の命が踏み躙られただとすれば、その怒りはどこに向ければ良いというのだろうか。
「アクセル先生ではございませんか」
「貴方は……」
後ろから聞き覚えのある声がした。それは共に疫病の対応にあたった年配の医者、医療団のリーダーだった。彼も墓参りにやってきたのだろう。
彼はアクセルに頭を下げてから、墓碑に置かれた花束を見て少し嬉しそうに微笑んだ。
「シオンですか。この花を捧げてくれる人が居るのは、アイツも報われるでしょう」
アクセルは「ふむ」と不思議そうに口に手を当てる。年配の医者はアクセルの表情に微笑みを強め、花に含まれる意味を口にした。
一つは追憶、もう一つは遠方にある人を思う、もう一つは『あなたを忘れない』。
それを聞いたアクセルは何処か納得した様に頷いた。
「道理で、彼女が好きなはずだ」
首からぶら下げてある銀のロケットを取り出して、中身を開いた。春の陽だまりの様に、暖かな雰囲気の美しい女性の写真がそこにある。
彼女について自分は忘れるはずもないだろうが、それと同時に彼女の死という辛い記憶も消える事は無い。
年配の医者にとっても、今は似た様なものだったのだろう。自分の親しい部下といえる人物や多数の病人が、非業の死を遂げたとあっては。
「アクセル先生……私達はどうすれば死者に報いてやれるんでしょうね」
年配の医者は、思わず言葉を漏らした様に口にした。アクセルやこの医者に限らず、目の前で患者を死なせた経験のある医者は同じ悩みを抱くのかもしれない。
「私は」
アクセルは、しばしの沈黙をした後、まっすぐと年配の医者を見据える様にしてから口を開く。
「俺は、彼らに報いる為にこの事件の黒幕を必ず追い詰めてみせる」
その様に、自らにも言い聞かせる様にハッキリと言った。この瞬間、アクセルの中でドウシヨウモない怒りめいたものが決意による誓いに塗り替わった様な気がした。
「……そして、彼らの事を決して忘れません」
その言葉を聞いていた年配の医者は、墓碑を目の前にしてアクセルに深々と頭を下げた。
――決して忘れるものか。レノの死も。妻の死も。