PandoraPartyProject

SS詳細

Abyssus abyssum invocat.

登場人物一覧

ランデルブルク・クルーガー(p3p008748)
遍歴の
ランデルブルク・クルーガーの関係者
→ イラスト
ランデルブルク・クルーガーの関係者
→ イラスト

●praeteritum
 視界いっぱいに咲き誇ったのは名も知らぬ花だった。
 歩み進めば爪先に綻ぶ花弁がキスを一つ、晴天の天蓋より降注いだ麗らかなる日差しは少年達の上背に驚いたように昏い影を作り出す。
「ランディ」と名を呼んだ親友に「走るな、転ぶぞ」とジョーク交えて揶揄えば、背後でくすりと小さな笑みがこぼれた。幼い頃に母に学んだ花冠を作るのだと張り切った三歳下の妹、アンネマリ-は陽に焼けると行けないからとランデルブルクは木陰での待機を命じていた。尻の下に敷きなさいと広げたハンケチーフの上にちょこりと座って「わたしだって一緒に行けますよ」と困った顔をするアンネマリーに「鳥渡待っていなさい」とランデルブルクは口を酸っぱくしてそう言った。
 幻想王国レガドイルシオンはたったの一本の道を違えたならば簡単に転がり落ちる。煌びやかなる王城を望んだ都の華やぎに、寓話の舞台たる空中庭園――空中神殿には時折ふらりとを持ち得た英雄が姿を現す。果ての迷宮の攻略を目指した建国王の教えに躍起になる貴族達は暖かな沼の中でワルツを踊り、他人を蹴落とすのに必死だった。
 そんな――そんな下らない街で三人は育った。
 ランデルブルクとアンネマリーの父は元々は隣国の砂漠の出身であったそうだ。幼い頃は砂漠に座す美しいオアシスの話をよく聞かせてくれた。傭兵稼業を営み、冒険譚には事欠かなく絵本よりも面白い父の話に心も高揚したものだった。砂漠より流れ、幻想の片田舎へと療養へと遣ってきた元傭兵の父と町娘であった母が出会い結婚するまではそう時間が掛らなかった。父曰く。アンネマリーはと云えば「いつか、おとうさんとおかあさんみたいなこいをするの!」と言葉も碌に理解しないままに堂々と宣言していた事だった。
 ささやかで、慎ましやかで、それでいて、一握りの幸せは呆気なく掌から零れ落ちる。
 ある流行り病が集落を襲ったのは寒々しい冬のことだった。領主たる貴族は自身らの為にと薬を貯蔵し、領民へと備蓄を与える事無く――先に命を落としたのは母だった。次に、体力のある父は自身の体が病に抵抗し苦しんで死んだ。それはランデルブルクが10になった頃であった。
 それでも、彼等がすくすくと育ったのは村の人々のお陰であったのだろう。親友、エルンストを始めとした温かな人々に迎え入れられ、日々を健やかに過ごし続ける。――領主が薬を貯蔵していたという真実を知らずに。

 穏やかなる春の日に、エルンストがランデルブルクとアンネマリーを花畑に誘ったのは二人を元気づけるためであったのかもしれない。親友の優しさに胸がいっぱいになる。アンネマリーが「じゃあ待ってるから直ぐに戻ってきてね」と拗ねたように唇を尖らせる様子を見てから「綺麗な花を摘んでくるよ」とランデルブルクはエルンストを追いかけた。

「ランディ、見てよ。凄い綺麗な花だろ?」
「……ホントだな。マリーが気に入りそうだ」
「綺麗って云わないんだな。はは、やっぱりランディは素直じゃないよ」
 からからと笑ったエルンストにふい、とランデルブルクは視線を逸らした。傭兵の子らしく若干スレた振る舞いをする彼をエルンストは優しいのに素直じゃないヤツとして認識していたのだろう。
「あのさ、ランディはは読んだ?」
「読んだ。エルンストが読めって言ったからだろ。それにマリーも読みたがってたし……」
「そっか」
 にい、と唇に三日月を作ってからエルンストは喜色を表情に滲ませた。鮮やかな朱色の眸は楽しげに細められている。
、確かに苦しいことはあったけど……それでも、幸せになれる!
 ランディ、決めたよ。僕、このお話みたいな、みんなを守れる騎士になる! それで、皆を幸せにしたいんだ!」
 あの高潔なる騎士。憂い、苦しみながらも自己犠牲を厭わず民を護る強く優しい彼のように。
「騎士か……しょうがねーな、俺も付き合ってやるよ! にしし、お前だけじゃ危なっかしいしな?」
 揶揄って、誓うように。木で作った模造刀を掲げたエルンストは騎士を真似る様に「誓おう!」と叫んだ。
「二人で騎士になるために!」
 ランデルブルクはエルンストに憧れた。強き光、正義を形にした眩しい幼馴染み。
 エルンストは気付いていなかった。民よりも、正義よりも、二人の幼馴染みを何よりも護りたかったことに――

●mutatio
 ランデルブルクとエルンストが騎士になるまで時間はそう掛らなかった。アンネマリーは街の人々に家事や手仕事を学び、日々を過ごしている。彼女が編んだ小さなお守りを手に二人は躍起になって鍛錬を積んだ。
 人当たりが良く、礼節を嗜み、剣の腕に優れたエルンストは騎士見習い達の中でも有望株であった。
 相棒たるランデルブルクは雷属性の魔法剣士であり、元傭兵の父ラサのいちぞくである事を武器に幻想では余り見られぬ剣術を扱った。
 騎士として認められてから三人は幸福に包まれていた。幼い頃からエルンストに恋心を抱いていたアンネマリーを応援したランデルブルクは「お前だから妹をやるんだぞ!」と口を酸っぱくして何度も何度もエルンストに言い聞かせた。
「分かってるって。でも、さ、マリーも僕でいいの?」
「……エルだから……」
 ね、と恥ずかしそうに目を伏せたアンネマリーがランデルブルクを見遣る。照れの混じったその表情をさせたのが自分の認めた親友で良かったか、それとも何となく大切な妹を取られることが悔しくなったか。ランデルブルクは「殴らせろ」とエルンストを掴んだ。
「どうしてだよ! マリーと僕の事を認めたんじゃなかったのか!?」
「僕でいいの、とか聞くからだろ」
「ちょ――っ」
 くい、とランデルブルクの服の裾を掴んだアンネマリーは幼いあの日のように唇を尖らせた。
「兄さんたち二人で盛り上がってずるいです……」
 アンネマリーのその言葉にランデルブルクとエルンストは顔を見合わせて笑った。拗ねて笑みを零して、戸惑って。そんな可愛い可愛い妹がこの世界の誰よりも愛おしくて堪らなかったからだ。

 幸せとは長く続くものではない。人間は常に幸福を求め続けるが故に嫉妬を抱くのだ。
 剣の腕に優れ一目置かれた新米騎士。愛しい恋人と相棒にも恵まれた――
 エルンストはそうして貴族達の目に映っただろう。
 輝き、民を、仲間を惹きつける彼は危うい存在である。何時の日か、その正義が正すべき悪を見た時に彼は間違いなく剣を引き抜くことだろう。
 故に、彼が剣を握れぬように絶望へと叩き落とさねばならなかった。

「――……遠征、ですか」
 騎士として日々の鍛錬を行っていたランデルブルクに下された命令は隣国ラサのネフェルストへの遠征であった。
 サンドバザールにおいて騎士団が使用する武器の調達を数名で行って欲しい。父がラサの出身であるランデルブルクには隣国とのパイプ役となる素質がある、と。その時のランデルブルクはエルンストと共に騎士になることに躍起であり、自身を任命してくれる領主と騎士団長に感謝ばかりを抱いていた。
「と言うことだ。暫く家を留守にするんだが……大丈夫か?」
「ええ、大丈夫ですよ。それにエルンストも様子を見に来てくれますから。
 ……気をつけていって来て下さいね。兄さんは強いけれど、無茶をするから」
「肝に銘じる。マリーにも土産を買ってくることにするさ。
 ……まあ、父さんの故郷だって思えば、感じる事も違うかも知れないしな?」
「帰るのは四日後、なんですよね? なら、その時に合わせてごちそうを用意していますね」
 鴨肉のローストやじっくりと煮込んだシチューを準備しているからとパーティーの用意でもするかのように張り切ったアンネマリーに「お前も無理するなよ」とランデルブルクは乱雑に頭を撫でた。

 ――その時、もしも遠征を断っていたならば。
 ――その時、もしもエルンストを取り巻く状況に気付いていたならば。

●”Abyssus abyssum invocat.”

 騎士達が出払っているそんな夜に、領主邸に賊が侵入したのだという。
 中隊レベルでの訓練。遠征隊も出ている。そんな手薄な状況が何処かに漏れたのだろうか。
「エルンスト、俺と一緒に来てくれ」
 騎士団長の言葉にエルンストは大きく頷いた。手に馴染んだ剣を握りしめ馬を駆る。今晩はアンネマリーの元へと向かおうとして居たのに、と約束を反故にした埋め合わせの事ばかりを考えた。
 到着した領主邸は静まり返っていて、賊の侵入が行われた形跡など何処にも存在しない。静寂の中を歩むエルンストは「賊は何処に」と振り返り――刹那、その腹に痛みを感じた。
 見下ろせば短剣が横腹に刺さっている。大凡人体には必要の無いオブジェクトがその体から生えていたこととなる。
「――え?」
 唇から滑り出したのはそれだけだった。そっと脇腹に手を遣れば掌が紅色に濡れていく。赤い、奇妙な色をして居るようにと感じられた。冷たいと次に感じたときにエルンストの膝が絨毯を叩く。
「……エルンスト、悪いな」
 賊の姿なんてない。罠が発動した形跡すらない。此れを刺したのは――刺すことが出来たのは。
 背の高い窓から差し込んだ月の光がエルンストの影をくっきりと映し出す。自身を見下ろしているのっぺりと黒い影は共に領主邸へと馳せ参じた騎士団長その人ではないか。
「ど、どういう……?」
「領主様が、お前を殺せって仰せでな。……お前は優秀すぎたんだよ。
 お前が領主様のに甘えている間は良いがにケチを付ける可能性がある。
 そうなった時にどうするよ? お前は挙兵し、誑かした騎士達を連れて領主様を襲う可能性だってある」
「そ、それ……は……けど、団長も、正義を――……」
 震える唇で音を紡いだ。エルンストを見下ろす騎士団長の背後で領主が楽しげに目を細めて笑っていた。
 その、悍ましささえ感じさせる笑顔は破顔して居るわけではないと感じた.そうで在るように作っているのだ。
 今まで、慈しみ騎士の生存を優先していた優しい領主などそこに存在して居ない。悪魔が立っているとさえエルンストは感じた。
「領内には愛らしい女子供が多いでしょう。実はね、今回ラサに遠征隊を派遣したのは二つの理由があるのです。
 君には聞かせてあげても良いでしょう。もあるでしょうしねえ……?」
 騎士団長に護られながらも領主はそう笑った。仕立ての良いスーツに包まれた痩身を大げさに揺らした彼の後ろから大仰な宝石飾りを付けた夫人が見守っている。扇で隠した口元はエルンストを嘲笑うように釣り上がっていることが容易に想像できた。
「ラサのサンドバザールで武器を仕入れて欲しい、これは目的の一つですよ。
 もう一つの目的は、人身売買。領内の親の居ない子供達をへと売り渡す! そのルートを増やすために二分隊に別けて遠征して貰ったのです」
「人身――……!?」
 それは禁忌ではないかと身を引き摺り起こそうとしたエルンストの肩口へと騎士団長の剣が突き立てられた。
 呻き、叫声。
 ぼとぼとと血溜まりを作り続ける赤。黒く絨毯に染み作り続けるそれを見詰めながらエルンストは悔しげに唇を噛みしめた。今まで感じていたのは仮初めの幸せであったか。
 領主を睨め付けた正義の眸に映り込んだのは絵に描いたような地獄。絶望というネームラベルを付けるならば其れに付けるだろうという悍ましい事象。

「さて、それで――」
 領主が布袋を蹴り飛ばす。どすり、と音を立てたそれから人間のパーツが見えた。頭だ。
 淡く揺らいだ焔の色の髪。見慣れた愛しい色彩がもぞりと動く。散らばった髪は所々に燃やされた後や切り取られた部分さえ存在する。素肌が見えた頭皮にも痛々しい傷が刻まれていた。
「この少女もにしようかと思ったのですけれどね」
 領主が足先で布袋を突いた。白い腕がぬうと外へと伸びてきて藻掻き懸命に身を起こそうとする。獣染みたその仕草が人間の生存本能であることをエルンストは気付いていた。
 絨毯を掴み布袋からずるりと抜け出してくる人の形。それは紛れもなく――

「――マ、リー……?」

 ――それは、アンネマリー。愛しい愛しいその人だった。
 焼け爛れた肌に、息をしているのも奇跡であるかのような傷ましい暴行の後。
 苦しげに呻きながら顔を上げた少女の顔面は苦しげに歪んでいた。
「エ、ル」
 絞り出された声は嗄れている。まるで、此処に至るまで叫び続けて喉を潰されたかのような。
「に、げ――」
 言葉を紡ぐ女の頭を騎士団長が蹴り飛ばした。「ぐ」と喉奥から漏れた声が絨毯へと吸い込まれる。藻掻く少女の姿にエルンストは「ど、どうして、マリーが……」と混乱する頭で絞り出した。
「おや、君は頭が良いと聞いていましたが……理解できませんか?
 彼女を売り払おうとしたのですよ。エルンスト、君のだったのでしょう?
 ……彼女の平穏の為にと努力されても困りますしねえ。折角、過保護な兄をラサくんだりまで出張させたというのに」
 か、と熱が上がった気がした。血液が沸騰し、苛立ちが喉の奥から沸き立ってくる。エルンストの手が落ちた剣を握りしめる。
「貴様――」
 絞り出した声は、震えていた。エルンストという青年が生きてきた中で人に向ける事のなかった声である。
「貴様――良くも……!」
 跳ね上がるように脚に力を込めた。手負いの身では領主にまでは届かない。壁となった騎士団長がエルンストの体を弾き倒す。抉られた傷口が痛む。臓器にまで達した刃が身の内側を抉るかのようだった。
「そんなに怒らないで下さい。どうせよ。
 抵抗が激しくてねぇ……『助けて、兄さん』『助けて、エル』と泣き叫び喧しいことこの上ない。
 黙らすために手を上げたら……こうも無残になられては、売り手も付かないでしょうからね」
 美しい少女のかんばせは腫れ上がった。息も絶え絶えに、もうすぐ彼女が死んでしまうで有ろう事は誰が見ても明らかであった。
 腕をつかまれぶらりと身を揺らしたアンネマリーを見詰め「マリーに触るな」とエルンストは絞り出した。
「どの口がそんなことを言うんだよ」
 蹴り飛ばされる。絨毯を汚した罪だと頭を踏みつけられたままエルンストは藻掻いた。
 もしも、ランデブルクが居たら。

 ランデブルク――……ランディ、ごめん。僕は、マリーを……マリーを。

 護れなかった、と。唇が震えたときに、誰かの声が聞こえた。それは絶望を包み、悲哀と激情を拾い上げる。
 身の内側から作り替えられるという恐怖、其れをも越えた高揚が青年の体を包み込む。

「あゝ、」

 男は――エルンストは領主の館に存在した総ての命を絶った。
 純粋で、真っ直ぐで。誰よりも彼は、総てに於いて絶望した。
 私腹を肥やした腐敗した貴族達を恨み、滅ぼすことこそが彼の正義で、彼女アンネマリーの為なのだと。
「死ね」
 唇から奏でたその言葉は――

●all done
 領主邸が何者かに襲われたという報告を受けて騎士団は翌朝急行した。
 惨殺された騎士団長と領主の背後で酷く怯えた調子で夫人が「恐ろしい事があった」と譫言のように語る。
 この際に、急行していたのは騎士団長とエルンストの二名であった。エルンストの遺体が見つからなかった事から、彼は賊に拐かされて騎士団長と領主と同じように殺されたのだろうと騎士団には報告が上がっている。
 邸内を隈無く調査した応援要員達は金品は手を付けられて居らず、領主への怨恨の可能性があるとした。

 自宅に戻ったランデルブルクは妹が亡くなったことを知った。
 荒らされた室内にはランデルブルクの帰還を待つように準備された皿や食材が乱雑に転がっている。
「マリー……」
 名を呼べど、返事はない。雑木林で見つかった彼女の遺体は何者かに惨めったらしく暴行されていた。
 何者かがアンネマリーを暴行し雑木林に捨てたのだろう。
 一度に妹と親友を喪ったランデルブルクは失意の中で何も出来なかったという無力感に苛まれた。

 総て終わっていた――あの日、共に騎士になろうと誓ったというのに。

「ランディはお人好しで、人一倍優しいから。騎士になったら沢山迷うかも知れないね。
 でも、その時は僕が導くよ。なんたって、僕は高潔なる騎士になるんだから! だから、一緒に頑張ろう?」
 そう言った親友はもう居らず。

「……騎士かあ。兄さんとエルが楽しそうで、わたしもとても嬉しいです。
 わたしは騎士にはなれないけど、せめて兄さん達が帰ってくる暖かい場所でありたいな」
 そう言った妹はもう居らず。

 残ったのは――

●Holy fell
 ――ランディ、決めたよ。僕、このお話みたいな、みんなを守れる騎士になる! それで、皆を幸せにしたいんだ!
 ――あの高潔なる騎士。憂い、苦しみながらも自己犠牲を厭わず民を護る強く優しい彼のように。

 ――騎士か……しょうがねーな、俺も付き合ってやるよ! にしし、お前だけじゃ危なっかしいしな?

 その時の事を覚えている。
 のエルンストは行く。魔種に身を転じても決して闇に染まらぬ剣は彼の高潔なる魂を顕わすように鈍く煌めいて。

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