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その麒麟、少年につき
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路上で喧嘩を売られるのには慣れていた。目付きや態度、そこにほんの少しの偶然が重なるだけで直ぐに目を付けられるのだ。正直静かに過ごしたい。そう願う彼――トキノエの希望は未だ果たされずにいる。うっかり出してしまう手を止める事が出来たのならば、恐らく足元に転がるチンピラの山を作る事もなかっただろう。しかしながら現在怒りの沸点は最高潮を迎えており、既に相手が気絶しているかどうかすらも確認していなかった。
「おい、黙ってんじゃねェよ。先ずは『ゴメンナサイ』だろうが、ああ!?」
胸倉を掴んだ男は完全に伸びてしまっているのだが、既にスイッチオンになったこの男を止めるのは中々に難しい。普段であれば何かしら間に挟まる事によって止まる事も多いのだが、そう人の多い路上でもない。何より爆発したのもついさっきだ。余計な喧嘩さえ売られなければ、こうして誰かを殴る事もないというのに。不満が怒りに変換されたまま、更にもう一発加えてやろうかと拳を握った時だった。
「そこな血の気の多そうな!そなた!」
背後から高めの声がする。声質からして少年か。とはいえ矢張り簡単に収まる事もないどころか、この状況下で"血の気の多い"などと称されてしまえば、逆に声は抑えられるよりも怒りと共に荒くなる。否、この状況下で落ち着いたまま返答をしろという方が無理がある話だ。
「あ!?」
何の用だこのクソガキと威圧交じりで振り返ったトキノエ。冷却期間に至る前に追加でキレそうになっている彼の目に入ってきたのはおかっぱ頭の見知らぬ少年だった。それも何処か良い所の出に見えなくもないほど身なりは整っている。怒りのスイッチはオンのまま切り返したトキノエに対して、少年は怒声にも近いその声に物怖じする事もなく笑顔で口を開いた。
「もしやそなた、オレの王なのではないか!?」
「……は?」
いや王って。
心なしか少年の目は輝いているようにも見えるのだが、トキノエは絶賛乱闘中。この状況でこの男を"王"と言う少年は一体どこを見て言っているのか、そして何を示して"王"だと言っているのかさっぱりわからない。少年の言葉の意味を把握しようにもあまりに突飛すぎて考えの纏まりようがない。トキノエは思わず動きが止まり、先程まで沸騰しきっていた頭も共に冷却されていった。幾分冷静になった所で、一先ず期待は持たせないに越した事はないと思い至った。面倒事に巻き込まれるより先にばっさり断ってしまった方が為になる事もある。
「いや違うが」
「えっ」
「心外みたいな声上げてんじゃねぇ」
「その覇気!その圧!そして今悪を滅ぼしているその姿勢!まさしく王に相応し」
「くねぇだろ!?」
「なぜじゃ!?」
なぜじゃではないが。
すっかり冷静になった頭と頓珍漢な言葉を投げてくる少年に自然とやる気も失せ、漸く意識を失ったままだったチンピラは開放されて地に落ちる。その様子を全て見ていながら、少年の顔には信じられないと書いてあった。実に分かりやすく、そして隠す気もないほど顔に出ている。困惑に眉を下げる少年は更に納得いかないと更に身振り手振りを交えていく。
「いや、いや……そんなはずは……そなた、世を平らかにしたいと思ったことはないか…?」
「いや、ねぇけど。そもそも平らかって何だ」
「こう、この世界を幸せにせねばならぬ!だとか…」
「ねぇ」
「思わぬのか!?」
「この状態で思ってる奴が居たらやべえだろうが」
「で、では、人の上に立つ才覚を持ち合わせいたり…するのでは!?」
「俺に才覚とかあるように見えんのかお前」
「…………すまぬ」
「おいコラ」
突っ込みが追い付かない。
この少年には自分が人格者にでも見えているのだろうか。いや、見えているならせめてそこは嘘でも才覚がありそう見えると言えと口に出しそうになる言葉を思い切り飲み込む。トキノエからすれば一体こいつには何が見えているんだといった状態である。王だの平らかだの、特に彼からすれば無縁な言葉でしかなかったからだ。沸点は低く、うっかり手を上げ、そしてその行為に後悔する。そんな自分の何処をどう見たら"王"になど見えるのだろうか。
しかし少年とて諦めた訳ではない。この世界には必ず、オレの王がいる。そう信じてこの土地までやってきていた。彼は何時か出会う王かもしれない。そして、それはオレがずっと探している"王"かもしれないのだ。まだまだ聞く事は沢山あった。
「将来王になる予定はあるか?」
「んな将来考える奴が此処にいると思うのかお前」
「麒麟が来てほしいと思ったことは?」
「麒麟ってのは何だ」
「実はオレがその麒麟なのだがー……何か質問ある?」
「いや全く」
「そんなー」
――何の話をしてるのかから聞くべきなのか?
王になる予定などある訳もなく、麒麟というものを聞いた事もなければ来てほしいなどと思った事もない。挙句あっさり自分の正体を晒しているようだがそれに対する質問も何も、そもそも全体的によく分からない。というか此方の話を聞く気が無さそうにすら見える少年に対してマジで何だこいつと若干ながらふつふつと苛立ちが出て来ていた。先程鎮火したばかりの怒りの熱が少しずつ上がってきそうになる中、少年は漸くトキノエが自分の探す人物ではない事に気が付いたらしい。
少年はそれはもうあからさまに落ち込み始めた。頭を垂れ、眉は更に下がり、腕はだらんとしている。残念という言葉を表情から体制からオーラから、あらゆるものから表現していた。方や少年からすれば、ようやく出会った王たる器を持ち得るかもしれない人物、と思っていただけに落胆も比ではない。……いやほんのちょっと求める人物像とは違うような気がしていなくもなかったのだが。何だかこの世界には自分の王たる人物が居るような気がしていて、それがこの者ならば……と期待していたのも事実である。弱弱しい声色と共にやっと続きの言葉を吐き出した。
「ちがうのか……そなたはオレの王ではないのか……」
「だからさっきからそう言ってただろうが」
「まあちょっとガラが悪すぎるやもしれんとはおもうとったが……」
「それは思っても言うな」
「むぅ……ちがうか……そうか……」
「分かったらさっさと帰れ」
「ぬぅ……ところで一晩ほど泊めていただけぬか?」
「は?」
「えっ」
「えっじゃねえわ」
「その、言いにくいのだが、オレは宿どころか住む所もなくてだな……」
「いやその前に言う事あんだろ色々」
この近辺――練達では中々見ない服装。突拍子もない"王"とやらに関する質問。自らを"麒麟"というものを自称する辺りから既に様子が可笑しい事は分かっていたが、その言動から察するに最近混沌へ召喚されたのだろう。彼が口にする言葉の数々も、ウォーカーであると考えれば納得がいく。突然の申し出に定住先を持たないトキノエとはいえ、なんやかんやと関わってしまった少年をこのまま放っていけるほど非情ではなかった。これでもかと言わんばかりの大きな溜息が口から出てくる。
「……はー。しょうがねえな…」
「!泊めてくれるのか!?」
「……ついてくるのは構わんが、俺も住む家なんざねえ。基本的に野宿だ」
「えっ」
「今すぐ置いてってもいいんだぞこっちは」
頼むからそのなんで?みたいな顔をやめろ。
その日暮らしをしているトキノエからすれば野宿など日常茶飯事だ。少年といえば家ならばどこかしらにあるであろ……?と言わんばかりの顔をしている。しかし行く宛もないからか、少年は付いてくる気でいるらしい。だが、物凄い渋々顔。肩は落としたままな辺りが大変正直……いや正直すぎるかもしれない。妙な質問攻めに始まり突如決まった同行といい、完全にペースを乱されてしまっていたトキノエと少年は大事な事を忘れていた。
「取り合えず……お前、名前は」
「黄野という、のだが……おぬし、野宿とは本気か?本気なのか……?」
「トキノエだ。家が無い以上野宿は仕方ないだろうが。諦めるかまた今晩彷徨うか好きに選べ」
「そうか……仕方がない。こうしてトキノエ殿の世話になるのだ、この際宿は諦めよう……」
「別に無理に来いとは言ってねぇからな!?今すぐ置いてっても」
「あーっ!それだけは!それだけはー!」
ああもう埒があかない。
全体的にとても解せない事だらけなのだが、どうやらこの少年――黄野を放っていくという選択肢を選べなくなってしまったようだった。恐らく勝手にさせてもついて来そうな気がする。トキノエはどうにも腑に落ちない若干のモヤを抱えたまま、色んな意味で運命的な出会いとなった黄野を連れて何時もの生活へ帰っていくのであった。