PandoraPartyProject

SS詳細

つつ闇の月は咲む

登場人物一覧

エルス・ティーネ(p3p007325)
祝福(グリュック)
エルス・ティーネの関係者
→ イラスト
エルス・ティーネの関係者
→ イラスト

「はい、それではローレットでの登録を変更しておくのです」
 にんまり笑顔の受付嬢は「エルスティーネさん」と呼び掛けてから慌てたように「フルネームで呼んでしまったのです!」と口を押さえた。

 Erstine・Winstein――Ers・tine。

 それは、一人の少女が本来の名を『登録した』日の話である。
 旅人で或る彼女はローレットにて自身のプロフィールについて登録をした。その名と、自身の本来の名が食い違っていると気付いたのはラサにて一つの仕事を熟した時であった。鉄帝国の外交官であると名乗った自身と瓜二つの女性、Elias・Tine・Meissenを見ているだけでどうにも奇妙な気持ちになったものだ。
 エリアスは一目見たときからエルスの事を娘であるとその種故に認識していた。冒険を終え、漸く自身の本来の名前とエリアスの事を思い出したとき、二人はひとつの小さな約束を交していた。

 ――「積もる話はきっと沢山あるの……聞いてくれる、母様?」

「手続きは終わった?」
 ローレットを覗き微笑んだエリアスにエルスティーネ、否、エルスは「ええ」と大きく頷いた。その様子を見ていた受付嬢などは「エルスさんがお二人なのです」とぱちりと大きな眸を瞬かせたものである。
 折角ならば、お茶でもしていきましょうと外交官として所有していた情報網でエルスが好みそうな可愛らしい雑貨類が置かれた喫茶店へとエリアスは誘った。
 喫茶店で頼んだのはココアが二つ。アイスココアの中には雪だるまを模した氷がころりと転がっている。まじまじとその様子を眺めるエルスを見詰めた後、エリアスはくすりと小さく笑みを零した。
「……随分と離れていたけれど、可愛いエルスも生きて混沌世界に来ていたなんて。
 ふふ、ごめんなさいね。何だか、貴方も立派な大人になったはずなのに……今でも『あの頃』のようで――」
 小さく笑みを零したエリアスにエルスは「ううん、マ――母様と会えて私も嬉しいわ。けれど、どうして……私は母様のことも、名前も忘れていたのかしら」と困ったように肩を竦めた。大切で最愛の母だった。其れを忘れていたことが途轍もなく悲しいのだと俯いたエルスにエリアスは首を振る。
「いいえ、忘れていて良かったの。貴女が生きていけるように……。
 それはね、私と、ヴォルフ――貴女のお父様が貴女に掛けたおまじないなのよ」
「おまじない……?」
 頷く。それにエルスとて覚えがあった。あの日――Lillistineが自身の胸に突き刺した刃。彼女の成人の儀の際に、父と母の声を聞いたことを思い出す。始祖種であった自身の弱点の封印、記憶を封じても、自身を生かしたいという両親の愛情。
「それでも、忘れていてごめんなさい。母様」
「いいえ、いいえ、エルス。……それじゃあ、貴女がこんなにも悲しい顔をする理由を教えて?
 貴女は、『私達のこと』をきちんと思い出していた。貴女が『エルスティーネ』という名前であったその理由」
 エリアスとて、彼女の名乗ったその名よりAlpankos・Winsteinが絡んでいることに気付いていた。
 然し、それを自身で口にするのは野暮であり、愛しい娘の事を傷つけてしまうかも知れないとさえ――そう、思えたからだ。
 エルスは緊張したように話し始める。父、ヴォルフガング・ドゥーゼ・マイセンは死去し、自身はアルパガスの養子となったこと。
 そして、アルパガスが王座を頂き、リリスティーネが次期王となるための王太子となったこと。その際にアルパガスが『始祖種』を殺害する方法を娘に教えており、エルスが『父』の記憶を思い出す切っ掛けになったこと。
 悍ましい事ばかりであった。アルパガスは王となり始祖種を完全に世界より抹消するためにエルスさえも殺そうとしていたのだ。自身への守護のまじないを掛けた父の遺灰をも滅し、完全にまじないを消去してから殺害を企てられた。それにより、エルスは『国』を滅ぼした。

 ――殲滅を始めた時には赤かった満月も、今は白銀の新月。
 ――血を求める赤い瞳は、沈黙の白へと変わり、映し出すのはただ命なき灰だけ

 その光景を思い出してエルスはひ、と息を飲んだ。語る唇は震え、その白いかんばせからは更に色彩が喪われていく。
「そう」と小さく小さく呟いたエリアスはエルスの頭をぽん、と撫でた。
「頑張ったわね」
 ただの、その一言。それでもエルスの胸はかあ、と熱くなった。まるで体内の血液が沸騰したように。心の中にぬくもりが広がって止まらない。苦しんだ其れまでを、吐露するように幾度も幾度も重ねた。
 あの日、掌から零れ落ちていった命無き灰たちに。
 あの日、断崖より落ちた先に存在した『混沌』に。
 人殺しであった自分を恥、伏せるだけの日々に差し込んだ光に――
「母様」
「なあに」
「……私は、悪いことをしたの」
「そうね。けれど……母様も悪い人だわ。貴女が生きていてくれた。ただ、それだけで――」
 エリアスはエルスに向き合った。悲しげに細められた深い闇色の瞳。幼い頃から変わらない――愛しい我が子。
「――それだけで、嬉しいのだもの。幸せだもの」
 ココアの中で雪だるまがからりと音を立てて溶けて行く。その様子にくすりと笑ったエルスは「私、寒いのがとても苦手になったの」と小さく笑った。
「……え?」
「だから、雪だるまを見ると新鮮な気持ちになるわ。母様は寒いのは得意なのかしら?」
「……ええ……そうね。寒いのは得意だし、鉄帝で活動して長いもの」
 其処まで口にしてからエリアスはうん、首を傾いだ。
 ふと、エルスの事を見て、エリアスは違和感を感じる。彼女の年齢から考えれば、エルス自体の成長はもう少し進んでいるはずだ。過去の話を話すエルスがどう見てもまだまだ幼い子供のように映ったからだ。
「ねえ、エルス。貴女……リリスティーネと何かあった?」
「え……? え、ええ……まあ」
 今までのこともある。だからこそ、小さく頷いたエルスにエリアスは小さな溜息を吐いた。
 それは呪いで或る。血液嫌悪症による吸血が出来ないと言うこと。氷の力が消滅し寒がりになったこと。
 吸血種であったとしても、余りに幼いエルス。それが『個性』の範囲でないとしたならば。
 それは、リリスティーネがエルスにかけた呪いに起因しているのだろうとエリアスは推測した。
「リリスティーネが、私に?」
「ええ。私にはそうとしか考えられないわ。そんなまじないを使用できるのはリリスティーネだけでしょうから。
 ……けれど、それだって解ける筈よ。貴女が望み、行動したならば……屹度」
 呪いは悍ましく人を雁字搦めにする鎖だ。だが、リリスティーネの呪いであれば『元の世界』を破壊する程の強き力を持ったエルスならば越えることが出来るとエリアスは確信していた。それで娘が傷つくならば――そう思えども、母に出来ることは少ない。ラド・バウでどれ程活躍しようとも、それは当人達の話なのだ。
「私は、貴女の味方よ。エルス」
 ――母は、そう微笑む。
 その言葉がエルスにとってどれ程素晴らしい力となるかを知っているからだ。ふと、窓の外を見遣れば太陽は何時の間に地平線の向こう側へとかくれんぼを始めている。夜の気配が背筋を撫でる頃、「こんな時間になったわね」とエリアスは微笑んだ。
「そろそろ出ましょうか。すっかり長居しちゃったもの」
 立ち上がるエリアスに「ええ」と頷きながらもエルスは僅かな名残惜しさを感じていた。軒より出て、道を辿り始めた爪先は僅かな寂寞を乗せ始める。
「ねえ、最後に聞いても良い?」
「何かしら……?」
 エリアスは悪戯めいて振り仰ぐ。とっぷりと闇に濡れた空の下、細められた深い海色の瞳は悪戯めいていた。
「どうして、エルスはラサを拠点に選んだの?」
「え」と口から滑り出した言葉を塞ぐように慌てたように掌が唇とキスをする。吃逆のように飲み込んで、唇を震わせながらごにょごにょと言葉にならぬ声をひとつ、ふたつと漏らし続けた。
「その――」
「ええ」
「……熱砂の国って素敵じゃないかしら?」
 そうかしら、とエリアスは揶揄うように首を捻る。朝が来ない闇夜の住民である吸血種にとって照りつける太陽ばかりのラサは苦しいではないかとエリアスは言う。混沌で生活して太陽には慣れたが、それでも夜の方が過ごしやすいでしょうと母は笑みを零した。
「あ、えーと……熱砂の恋心って物語に感銘を受けたの」
「物語だけで拠点を選ぶ?」
 うぐ、とエルスは唸った。エリアスは言う。素敵な物語は様々な場所にある。それならローレットが拠点を置いている幻想王国に拠点を位置させ、行動を行った方が物語に触れることは出来るのではないか、と。
「その……」
「ふふ――知っているわ。赤犬と幸せになれるように頑張って?」
「えっ!?」
 心臓が大きく跳ねた。ぐ、と胸を押さえてからエルスは「ど、どうしてそれを」と唇を震わせる。戦慄く声に羞恥の気配が混じり行く。頬が紅潮しこれ以上はどうしようもないとエルスは唇をはくはくと動かした。
「……『ママは何でも知っている』のよ?」
 にんまりと微笑むエリアス。母として、赤犬に恋心を宿す娘に対して複雑な思いがないと言うわけではない。娘が選んだ相手ならば幸せになって欲しい、けれど恋とは苦しい物だと知っているからこそ心配もあるのだ。
 全てを混ぜてからエリアスはぽん、とエルスの頭を撫でた。
「頑張ってね。ママは何時だって鉄帝で貴女を待っているから。辛くなったら何時でもいらっしゃい」
 そう、と抱き寄せて、背を撫でてから母は「それじゃあ」と手を振った。揺らぐ闇色の髪に後ろ姿。子供のようにずっと一緒に居てとは言えないけれど「またね」と手を振った時の声は――僅かに震えていた。

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