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The sacred monster within me.

登場人物一覧

ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791)
懐中時計は動き出す

 其の女性ひとは、人の尺度に当て嵌めて形容するなれば。屹度『美美しい』と云うのが正しいのでのであろう。『美しい』だけでは足りなくて、華やかで煌びやか。艶やかで、だけれども嫌味が無く婉容さすらある――眸と同じ色をした大粒の甘そうなルビーを、スクエア・シェイプできりりと引き締めた左手薬指の指輪が良く似合うそんな人。
 第一印象は、こうであった。何れもが、あくまでであり、少なくとも――ヴィクトールの感性にしてみれば――其れ以上でも其れ以下でも無く、特段眼を奪われる様な事も無ければ況してや到底心など揺り動かない。是許りは相手が悪かったと云わざるを得ないが然して、『アリー』と名乗った彼女は『今日から此処にお世話になる事になりましたの』『荷物を運び入れる迄、ご不便をお掛けしてしまい申し訳有りませんわ』と甘く黄金の聲で笑みかたむけるのだった。
「ねえ貴方、処で、私の貌に覚えは無いかしら?」
「……え? あの、すいません。何処かでお逢いしましたでしょうか?」
「――いいえ、私、女優を演っているの。
 此の辺では結構識られてる気で居たけれど、如何やら未だ未だみたい」
「いえ……ボクは少し、そう云うのに、疎くて。……申し訳ありません。
 もし、手伝える事や男手が必要であれば仰って戴ければ力添え出来るかと思いますのです」
「あら、では此処ら辺で煙草屋が在りましたら教えて下さらないこと?」
 『切らしてしまったのよ』と困った様に見せた其の一挿しの薔薇と甘く燻るチョコレイトの残り香には随分と馴染みあるもので、偶然に微かに眼を見開いてから『奇遇ですね』と相好を崩し、胸ポケットに無造作に入れて居たソフト・パッケージから数本程取り出して分けてやって。
「あら、何だか御免なさいね」
「いえ、良いのです。ボクも吸いはするのですが……
 長く睡っている時など、湿気さしてしまいますから」
「其れ程に? 随分なお寝坊さんなのね、可笑しなお人」
 やっと在り付けたと許りに、火を点けて豪く美味しそうに風で乱れる紫煙を白い肌に纏わせ肺を満たし、溜息の様に細く吐き出す朱脣で濡れたチップ・ペーパーは色濃く跡を型取り。煙越しに笑い覗かせる白い歯も、幼さを感じさせる笑窪も、楚々で親しみ易くもあり――其れで居て、燃え尽きる迄の凡そ七分間は彼女の世界には誰も居らず、烟る空気で出来たシェルターに籠もって居る様でもあった。
「……此れでしたら、彼の十五区添いの坂を降って左に。
 二百六十五番通りを抜けて、突き当たり三十二番街直ぐで買えます。
 燐寸も付けてくれる良いお店ですよ」
「其れは嬉しいわ、でも、此処は入り組んでいて解りにくいのよ」
「地図をお書きしましょうか?」
「……――野暮なお人ね。こんな美女からのデートのお誘いを反故にするお心算?」

 ――
 ―――

 柔かき拒絶は意味を為さず、ヴィクトールは居心地悪そうに彼女の部屋の窓から外を臨んでいた。キッチンから漂う酷く懐かしさを憶える芳醇な紅茶の香りが鼻を擽り、軈て一眼で上質だと判る白い茶器を差し出されれば、二百糎より少し背が低く見える要因たる猫背を余計に丸めて――『御礼』の其れに口を付けた。
 荷物を運び入れる男達が引っ切り無しに出入りを繰り返す中では優雅なティータイムには程遠く、角砂糖を一つ、二つ、三つと落とし入れ、此れ亦小洒落たスプーンで凪いだ水面を乱す事で平静を装うのに必死だ。
「嗚呼、其れで最後よ。ベッドルームに運んで頂戴」
 其の様な事を意にも介さないアリーが『大切なものですから、丁重に、丁重に』と云うのを聴き乍ら酸っぱいレッドベリーとコク深いバニラ、隠し味の香ばしいカラメルの匂い立つ其れを温くなる迄只管に掻き混ぜて、程なくして荷馬車の去って行く音を耳にすれば漸く赦された気分で、顔を上げる事が叶ったのである。
「……柩、ですか……?」
 彼女の強引さからして、如何なる者も平等に愛する博愛主義者にして、お人好したる男でさえ、『深く関わり合いを持ちたく無い』と云うのが本音であり――然して、更に想定の斜め上を行く品に思わず口を突いて出たのは懐疑以外の何物でも無い。
 ――其れは、日の差し込む寝室の窓辺にあるには余りに異質過ぎて。
 ――其れは、常識に当て嵌めるならば『死者』が寝るに相応しい。
 ――其れは、土の中に在ればこそのものである事位、理解る。故に、理解が及ばない。
「ええ、私の寝台ベッドよ」
 眸を瞬かせる彼に、如何した事か、先程迄とは打って変わって鰾膠も無く、冷たくピシャリと――そう応えた彼女は棺の蓋を開ければ今度は恍惚と、そして愛おし気な表情で舟型の嚴めしい木棺の縁を指で擦って、蓋を開けると『こうするの』と白い寝布シーツの上、敷き詰められた羽根蒲団クッションに深く、深く腰を降ろした。
お母さんMummyが入って居た棺桶。
 此れでないと睡れなくて、其れこそ旅行にだって持って行くわ。
 男に抱かれる時だって、そう。此処じゃなきゃ、ちっとも良い気分になれイケないの」
 うっそりと笑い乍ら華奢でほっそりとした足を投げ出して乾燥花と金貨に埋めたアリーが、鳥が囀る様な悲しい程美しい聲で謳うものだから、止せば良いのについヴィクトールも言葉を次ぐ。
「……そう、ですか。お母様が、いえ……――失礼ですが、他に御家族は?」
「いいえ、識らない、識らない。何にも識らないの。気付いた時にはひとり。
 其れ処か、ねえ、信じられるかしら?
 私ったらなんですって!
 だから――産まれた時から、屹度死ぬ迄、死んだ後も。私の寝床は此処なのよ。
 御飯事も、お人形遊びも此の中でして――……
 嗚呼、嗚呼! そうね、初めては屍体愛好家擬きの鴉の様な男と、十二の時に。
 物好き変態には評判が良くって、そう云う【男/女ひと】程、金払いも良いの!
 でも、そうは云っても金目当てで善がるだけじゃあ無くて、私『愛』していたわ、皆、皆。
 だから、私。卑しくなんてないし。可哀想なんかじゃない。
 そうだわ! ――ねえ、貴方も私を抱いてみない事?」
 矢継早に、捲し立てられた言葉は狂気を孕み――悲喜交交を情感たっぷりに、流暢に紡いで見せたのを鑑みるに『女優』だと名乗った事に嘘偽りは無いい事が窺い識れる。そして、そんな建前身分を抜きにして、彼女の切実な本心でもあった様に思えた。
 紅茶に垂らされた一匙の蒸留酒ラムだけでは、人はこうも酔わされた気分には為らないであろう。滴る甘美な蜜毒クリミナル・オファーに黄金の外郭は瞬時に弾け、解毒剤と成す。
「ごめんなさい、其れは出来ないのです。
 けれど、お話の相手をする位なら、亦、出来ると思いますから。
 ――……ええと、御馳走様でした」

 ――
 ―――

 独りになった部屋で、彼女はコルクボードに貼られた古い男女の写真――母が柩の中で抱いて居たと云う、自分が産まれる前の父と母が唯一、一緒に写って居た物へ是迄何回もした様に。男の頭の部分を目掛けて、鋲を打つ。
 そして其の男――ヴィクトールはアパルトメントの鉄扉が己と彼女を遮断する前に投げ掛けられた言葉にも気付かずに、じくりと刺す頭痛に眉を顰め足早に去り行った。

「嗚呼、嗚呼。ねえ、本当に、本当に何も憶えて居ないのね――……p3p007791Daddy

  • The sacred monster within me.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2020年11月17日
  • ・ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791

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