SS詳細
絶望は密室にすら潜んでいる。
登場人物一覧
●おいしいものは残さず食べなさいだとかそういう風習に倣って
人畜無害は今日もまた放屁を我慢していた。
しかしながら、その我慢は一瞬の気のゆるみから、我慢であることをやめてしまった。
時はさかのぼり。
練達の高層ビル、摩天楼のその一つ。
そのビルは下から上に上がることでコース料理を振る舞うらしい。
食事好きでありおいしい食べ物、それをビルまるまるで振る舞ってもらえるなんて夢のようである。もちろん向かわないはずもなく、ロビーで受け付け手続きを済ませて早速食事を楽しむ。
十階から十五階は所謂前菜の階層だった。おいしそうなサラダや野菜料理がずらりと並ぶ。ここはバイキング形式らしく、自分の好きなものを食べ、取り、楽しむことができるらしい。秋ということもありさつまいも料理が多いようだった。
さつまいもサラダはさつまいもの甘みが出ていてなかなかの絶品だった。今日はさつまいも巡りにするのもありかもしれないと思う人畜無害だったが、のちに起こる悲劇は脳内勘定には含まれていなかった。
続いて十六階から二十階、スープの階層である。
魚介出しから鳥ガラ、はたまたとんこつ、みそ汁、中華風とさまざまな種類のスープが並んでいる。中でも目を引かれたのは魚介のスープだ。最近熱をあげて繰り広げていた海洋での戦いの後食べられることが判明した狂王種の骨からとったというだしは海の香を漂わせながらもじんわりと身体に染みる優しい味。調味料を入れすぎることもなくカバーされた味わいに思わず目を細めた。おいしい。
そして二十一階から二十五階、ポワソン――魚料理の階層である。まだお腹は一分目。余裕で食べられる。先ほどだしをとられていた狂王種の身はこれに使われていたのかと、ミンチにしてこねてつくね風に仕上げられていたものがあったり、刺身やホイル焼き、贅沢にしゃぶしゃぶまで用意されていた。もちろん全部食べ、ても足りない。
足は止まらない。消化を促すためだと言われた階段を上がって、そうして辿りついた二十六階から三十階、口直しのソルベの階。幾多のフルーツからうまれた色とりどりのソルベはまさに宝石のようだ。あれもこれもと食べていたら少しお腹が痛くなった。冷やしたのだろうか。でもまだ食べたいのだから、と、人畜無害は上層へ進む。
そして辿りついたメインディッシュ、アントレの三十一階から三十五階。此処には肉料理が並んでいた。じゅうじゅうと溢れる肉の音、肉汁、そして香り。あつあつのハンバーグのなかにはチーズが入っていて舌の上でとろけてしまう。高級な牛の肉、それも貴重な部位だと高らかに語られていたステーキも成程絶品ではないか。濃すぎずさっぱりとしていて、けれど忘れられない味だ。きゃあきゃあ声をあげる女性たちもいた。きっと女性にも人気があるのだろう。
けばけばした化粧は先日の女性たちを思わせる。できるだけ見つからないようにと、でもしかし食べたいものはあるのだからとできるだけ接触しないように肉を選び味わい、そうして次の階へと進んだ。
そしてラスト、三十六階から四十階のデザート――デセールの階へと辿り着く、チョコフォンデュ、ケーキ、焼き菓子に生菓子、カムイカグラから伝わった和菓子も揃い、そして季節のデザートも並び、まさにお菓子の国というのがふさわしい場所になっていた。
もちろんここでもさつまいものスイーツを食べる。甘い。農家さんには感謝の想いしかわかない。
「ふぅ……」
腹も満たされたことだし帰ろう。ここからは階段で降りるのではなくエレベーターでいいらしい。四十階から下まで降りるのは大変だから、と人畜無害はエレベーターに乗り込む。
肉の階で見かけた女性たちと、清潔感ある可愛らしい女性達も乗り込んで、エレベーター内は七人になった。皿の上に乗せたお菓子を食べ終えたのだろうか、楽しかったねと談笑して。
自分も楽しめたと心の中で同意をしていると、先ほどの腹痛かよみがえってくる。
(どうしてこんなときにっ……!!)
しかしこのビルは最近できたものだ、故障の心配もないだろう。あとは我慢して一階でトイレを借りれば終了だ。
しかし、人生はそう甘くない。
ウィーン……ガガガ
突如照明は落ち、動きを止めてしまうエレベーター。
人畜無害はパニックだ。
(どうして……?!!!!)
女性たちがスマートフォンでライトを照らし、アナウンスを待つ。人畜無害はあまりのお腹の痛みに耐えられず、エレベーターの隅へと動いた。
エレベーターの上につけられているであろうスピーカーから声がしたのは、お腹の痛みがおならへと変わると理解したその時だった。
「近くで大規模な停電が起こったようです。お客様に置かれましてはその場を動かず、スタッフの指示に従ってくださいませ。
しばらくしたら予備電源でエレベーター等を動かすつもりですので、エレベーター内のお客様につきましてはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解と子ご協力をお願いいたします――」
そんなことがあってたまるか。
運が悪いとはおもったが、幸いにしてここは暗闇だ。同上した人にはわるいがおならをさせてもらうとしよう。
(まぁ、ばれないでしょ。たくさん人もいるから……)
そうと決まれば行動は早い方がいい。ホットパンツのベルトを解き、ぱんつをゆっくりと下げ、尻を恐る恐る開く。
見られないように屈めた姿勢も、スマホのライトが当たらない隅ならば安心だろう。
女性たちの瞳はその明かりとスマートフォンに釘付けで、こちらに気づく様子もない。
これならば大丈夫。ほっと息を吐いて、安心して。
そうやって、改めてお腹に力をこめたその時だった。
ガタンッ
突如大きく動き出したエレベーター。ちかちかと照明は点滅し、そして常に戻る。ゆるやかに落ちていくこの感覚が今は憎い。
おならが、とまらない。
ぶううううっ
「?!!!」
「ただいま電源が復活したとの報告がありました。引き続きお楽しみください――」
突然動き出し、復活した照明に驚いて、人畜無害はすかそうとしたおならを見事に盛大に、大きな音と醜悪な臭いを放ち、そして視線を集めた。
けばけばしい化粧をした女性たちはあろうことか、先日居合わせたあの女性達だった。
「あ、あんたまた会ったね?! そういうおならプレイ好きなの? キモッ」
「えっ待ってこれさあ密室じゃん?!!! 死ぬんだけど~~~~~」
「最悪、ってかなんでアンタ下脱いでるわけ? やばいよ?」
違うのだと首を横に振っても、罵倒は止まらず人畜無害を攻撃する。
「ってかさ~~~~まじでキモイんだけど。なんで脱ぐの? ありえないんだけど」
「早く着て、マジで」
隣に立つおとなしそうな女性たちはこちらを軽蔑したように見る。目が合えば逸らされ、そして手は鼻を覆って。
なぜこんなにもおならがでるのだろう。
その理由は簡単、さつまいもだ。さつまいもに含まれる食物繊維は、腸内活動を活発にする。だから出たのだ。もちろんごぼうなど、他にも活発にしてくれるものはあるし、今宵の人畜無害はそれらをすべて口にしている。
食べ盛りかつ食べるのが好きで、胃に入る量も多いとこういう悲劇はよく起こるのだろうか。
見られている。ああ、恥ずかしい。ああ、ああ。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……まだ出ますぅ……」
ホットパンツを下におろし、尻を開き、ぶうっ、ぶうっっと音を立てておならは続く。
女性たちは離れようと対角側の隅へと集う。悲鳴と涙混じりのエレベーターボックス。こんなことならば我慢していた方が良かったのだろうか。いや、どのみち我慢していたとしてもこの運命は避けられなかっただろう。
ならば、開き直るしかないではないか。
真っ赤に赤面しながら放屁を続ける人畜無害に対して並べられる罵倒の言葉。ごめんなさい、とつぶやきながらも背徳的な興奮を覚えるころには、一階についていて。
エレベーターが開くと、女性たちは走ってエレベーターから立ち去って行った。
服のにおいを気にして、なるべく人から距離をとるように去る後ろ姿。
立ち尽くしていた人畜無害は足の力が抜け、ぺたんとその場に座り込む。下半身の衣がないことから、警備員に心配されるも、直後広がった醜悪な臭いに顔をゆがめ、そうしてその理由をなんとなく察する。
彼女はこのビルでエレベーターを使用不可になったのだった。