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霞がかかった世界に伸びた手は
登場人物一覧
孤児として生きてきた。信じられるのは己の力だけだった。
生きる為に出来る事の多くを行い生きてきた。
明日へ抱いた想いはどう腹で鳴く虫を宥めるかと言う事だけ。
他者など、大人など信ずるに足りない者達ばかり。この世に至る直前とて、己に手を伸ばしてきたのは下卑たらしい悪意の塊。己の身体そのものに価値を付けんとした人売りの畜生共――
「はぁ」
吐息一つ。空を眺めれば憎たらしい程の青空が広がっていた。
人売り共の手に掛かり売り飛ばされそうになった時にこの世に召喚されたのは吉だった、と言えるだろうか。もしもあのままであれば女として一体どこぞへ売られていたのか分かったものではない――
生きる為に多くの事に手を染めたが、守り続けてきた『一線』だけはあったのだ。
かといって……この世に訪れたから幸福であるとも思っていないが。
結局どこでも同じだ。他人なんて大人なんてどこの世界でも一緒。
この世界がどうだのイレギュラーズなどと……興味もやる気もない。
ああ、ただ。
「ちょっとメシが……食べたいかな」
世界を跨いでもやはり空腹は感じるものらしい。
どうやってコレを抑えようかと思案する為に瞼を閉じれ、ば。
「やぁ――どうしたんだい、こんな所で?」
声が掛かった。
「……?」
「君だよ君君。今日はいい天気だけれども、こんな所で寝てたら風邪を引いてしまうよ」
「なに、アンタ?」
まさか自らに話しかけているのか? 路地裏に座り込んでいる己に?
ゆっくりと瞼を開けば、そこに居たのはやはり男であった。茶の髪が目立つ、男。
「ハハハお節介だったかな? うん、でもなんだか酷く意気消沈してる様子だったから、ね。家があるなら帰ったほうが良いよ。女の子がこんな所でじっとしてるのは勿体ないな」
「――家なんてないよ。ついさっきこの世界に来たばかりの私に」
尤も、元の世界でもあったと言えるのかは微妙であるが。
「おっと? と言う事は……君は新しいイレギュラーズかい?」
「あー……そういうモノらしいけど、だったら何?」
「だったらローレットに来ると良いよ。あそこはイレギュラーズが多く集う組織でね――」
ああ煩い。
なぜそう構うのだ同情か? 哀れに見えたのか?
それとも斯様な言葉で誑かして手を引く人売りの類か――?
「――そう怪訝そうな顔をしないでおくれよ。僕はね、君の様な子は中々……放っておけないんだ」
……つい表情に出てしまっていたか。
日々が闘争と言っていい程に精一杯だったのがハリエットだ。他者を鑑みる余裕などなく……かつての世にて自らを一時救った恩人に関しても――恩義は感じても行動を今一つ理解は出来ず。
故に今目の前にいる男の行動も理解出来ない。
なぜ、構う?
「他人を疑い続けるのは疲れるよ。ああいや……君は疑い続ける環境にしかいられなかったのかな。でもね――君よりは年上の、先達としてアドバイスだ。他人を信頼できない、煩わしいからと遠ざけるのは」
息を一つ。
「『煩わしくなければ、心地よいのなら信頼したい』という逆の想いを同時に抱いている者が大半だよ。君は――どっちかな?
「――」
「君は他人を信頼したくないのか、それとも信頼できるなら信頼したいのか」
どち、ら?
信頼できる者などいなかった。恩義を感じた者はいても、信頼できる者は……
毎日が必死だったから。誰も信用できなかったから。
だが――どちらだ?
もし、明確に信頼できる人物が近くにいたのなら。
その時己はどうする?
無条件で信頼できる者が――いたとしたら――?
「よしっ。とりあえず――ああローレットに行こうじゃないか!」
「……はっ?」
「あそこには多くの仲間がいるよ。それに仕事もあるから飯の種にも困らないね!
うーん良い事尽くめだ。もしかしらそこで信頼できる者に会えるかもしれない」
わざとらしい大仰な手振りで誘って来ようとする男。本当に、なんなんだ。
だが分かる事はある。
彼は――今たしかに『自分の為』に言葉をかけてきている。
損得云々ではなく、ただ純粋に自分の為に。
「はぁ……まぁ、いいけどね。メシにありつけるならなんでも」
「んっお腹空いてるのかい? ならまずは先にご飯でもどうかな――折角の縁だ。
ここは僕が奢るよ。実は近くに上手いパン屋もあってね……!」
不思議な感覚を胸に抱きながらハリエットは立ち上がる。
と、ふと。
「そういえば」
アンタの名前をまだ聞いてなかった。
「私はハリエット――アンタは?」
「ああ僕かい? 僕はね……」
なんとなし照れ臭そうに笑う――彼の名はギルオス・ホリス。
ハリエットに、きっと初めて彼女自身の為に言葉を掛けてくれた大人。
あぁきっと。この日を忘れる事はないのだろう。
だって『大人』から貰ったサンドイッチは……なぜかとても美味しかった。
初めて食べた様な――不思議な味が、胸に広がるのを感じる程に。