PandoraPartyProject

SS詳細

忘れられた挿話

登場人物一覧

フェリシア=ベルトゥーロ(p3p000094)
うつろう恵み
フェリシア=ベルトゥーロの関係者
→ イラスト


 鶏肉とハムを入れた袋が一つ、キャベツと玉葱、パプリカを入れた袋が一つ。
 洗剤など生活用品を詰めた袋とは分けて持ち手を腕に通し、割れやすい卵の包みは片手でしっかり抱え込むようにして、少女は買い物からの帰路を歩いている。
「あらあ、フェリシアちゃん、今日はおつかいかしら」
「おばちゃん。ええ、母さんに頼まれて」
 フェリシアと呼ばれた少女は、声をかけてきた金物屋の夫人に苦笑交じりで応えた。
 先日19歳になったばかりの彼女は、その年齢の割に母親と特に仲が良い。
 親に反抗しがちな思春期を過ぎて後、付かず離れずな関係を送りがちな親子に於いて、このような関係は珍しいと思われがちだが、当のフェリシア本人からすれば首をかしげるばかりだった。
「外壁の修理をする大工さん達の為に、お茶の準備をするからって。まあ、父さんも最近は忙しいし、私もイヤってわけじゃ無かったから」
「ああ、確かフェリシアちゃんのお父さんも夜の警邏隊に入ってるんですって?」
「ええ。最近例の事件が多いでしょ? ――いけない。そろそろ帰らなきゃ。これが夕飯に間に合わなくなっちゃう」
 がさ、と食べ物が入った袋を持ち上げた少女に、金物屋の夫人は「引き留めてごめんなさいね」と笑って見送ってくれた。

 商店街が在る街の中心地から多少離れ、住宅街の更に外縁。街の郊外と言うほど遠くではないにしろ、買い物には多少不便が生じる程度の場所に、フェリシアの家は在る。
 少しだけ急ぎ足で帰った彼女は、リビングのドアを開けては其処に居る女主人に声をかけた。
「お母さん、ごめん。遅れちゃった?」
「気にしなくていいわ。他に済ませたい下ごしらえも幾つかあったし」
 台所に向かっていたフェリシアの母――リリアは、振り返りながらふわりと微笑んだ。
 肩口に届く金の髪がぱさっと揺れる。冷たさの無い青い瞳を笑顔と共に向ける母に対して、フェリシアは安堵の中にちょっとだけ悔しい気持ちを隠し切れなかった。
 娘であるフェリシアを産んでから十数年が経過しながら、その美貌には未だ衰えが見られない。フェリリア自身十分人目を惹く顔立ちをしているものの、隣の芝は青いというべきか、幼いころから街の男性陣から人気の高かった母の姿を見れば、自分に対してそう自信は持てないというのが現状だった。
「髪の色もちゃんと継いで生まれてくれば違ったのかな」等、ぼうっと考えながら買ってきた食材を母親に差し出すフェリシアは、そこで我に返って声をかける。
「あれ、お父さんは?」
「それがねえ、今日の巡回員で体調が悪くなった人が居て欠員が出たらしいから、その穴埋めに行っちゃったの」
「ええ? 昨日も街を回ってたでしょ。それじゃお父さんの方が体を悪くしちゃうよ」
 最近組まれた、夜間に於ける街の警邏隊に入っている父の話を聞いて、フェリシアは思わず眉を寄せてしまう。
「そうね。その分あの人が帰ってきたときの為に、今日のご飯は特別腕を振るわないと」
「なら私も手伝うわ。今日こそはお母さんに負けない料理を披露するんだから」
 袖を捲って手を洗うフェリシアに、リリアは堪らず吹き出しながら言う。
「それじゃあ、私も頑張らなくちゃね」
 変わり映えしない日常。優しい平穏と、わずかな退屈と、そうして絶えることない笑い声。
 そこに暗い影が差し込み始めたのは、この時から少しだけ前の事だった。


 その『被害』が確認できたのは、本当に、単純な偶然だった。
 曰く、最初に見つかったのは街の川辺。そこに流されつつあった子犬を拾った男性は、それが首に巻かれていた紐によって絞殺されていたことに気づいて気味悪さを覚えたという。
 その日から、『被害』は徐々に浮き彫りに、かつ分かりやすいものへと変わっていった。
 例えばゴミ捨て場に放置されていた小鳥。例えば街中を行き交う野良猫の一匹。いずれの死体も、先の子犬のように紐を介して、そうでないものも(死体の首の骨が折れていたことから)恐らく手ずから、絞殺によって死亡していた。
『被害』の頻度は徐々に短く、そしてそれに遭う動物は、徐々に大きなものに変化していった。
 日を追うごと、紙面に広がる墨のように、じわじわと「或いは」という不安が拡大していき――そして、それが現実となってしまうまでに、凡そさしたる時間はかからなかった。

 街の郊外で一人暮らしをしていた老人が、首を絞められて死んでいた。
 その事件が街中に伝わると同時、街の住人たちは直ちに夜間に巡回する臨時の警邏隊を組織し、毎晩の見回りを徹底することで被害を未然に減らそうと考えた。
 しかしそれとて、不安を拭う一助とするには余りにも弱すぎた。
 フェリシアが住まう街は、自警の為の警邏隊が二手、三手に分かれて活動したところで、その範囲をカバーしきれない程度には大きな街だったためだ。
 被害の頻度自体は確かに減ったが、完全になくなることはなかった。
 老人や若者、あるいは男女も問わず、日に日に増えていく『被害』に対して、街の住人達も徐々に疑心暗鬼となっていく。
 ――そして。それは、フェリシアにとっても同じことだった。
 

「フェリシア!」
 家の外壁の修理とやらは、存外に長く掛かっていた。
 その日もそれを理由に、母親におつかいを頼まれたフェリシアは、唐突に自分に向けて掛けられた大声に対して体を震わせつつ、声のした方角に視線を向ける。
 視線の先には大柄な、初老の男性が近づいてくる様子が見える。
 先日話した金物屋の夫人、その旦那さんだった。見知った姿が、しかし怖いくらいの形相でこちらを睨みつけていることに、フェリシアは恐怖した。
「……リリアなのか?」
「な、何が? おじさん、いったいどうしたの?」
「お前の母親だ! アイツが『絞殺犯』なのかと聞いてるんだ!」
 意味が分からない。唐突にこんなことを聞いてくる理由も、自身の母親がその犯人であると決めつけられた根拠も。
 蒼白になった面持ちで、フェリシアは首を振る。「そんなわけない」と言うべきか、「知らない」と言うべきかで迷い、言葉を発することができない彼女に食って掛かろうとする男は、その後を追ってきたのだろう数人の男性に身体を押さえられる。
「旦那、落ち着いてください!」
「そうですよ、気持ちは分かりますが、いくら何でも荒唐無稽すぎる!」
 こちらも見覚えのある人たちだった。この男性が営む金物屋の従業員だったか。
 目先の脅威に明確な『拘束』がかかったことで、フェリシアも多少は落ち着きを取り戻した。そうした後で、次に浮かんだのは理不尽な嫌疑に対する怒りであった。
「おじさん、どういうこと? どうして私のお母さんが、そんな……」
「夕べの巡回で、お前の母親の姿を見たからだよ!」
 一瞬、思考が真っ白になった。
 ――母さんが? 何のために。今の時期、夜分はこんなに危ないのに。
 硬直したフェリシアをなだめるように、従業員の男が言葉を続ける。
「あくまで可能性の話です。昨日の巡回には俺もいたんですけど、俺を含めて旦那以外、誰もそんな姿は見ていないっていうんですよ」
「誰が見間違うか! 手提げ灯程度の光でも照り返す金髪も、青い瞳も、あの女以外居ないだろうが!」
 あまりにも暴力的な物言いに、フェリシアは怒りを通り越して呆れさえ覚えた。
 関わるのも馬鹿らしい。この主人が押さえられている間に家に帰ろう。そう思ったフェリシアは、せめてもの良心のつもりで、冷めたもの言いながら忠告した。
「……もう帰ります。おじさんも、店番をいつまでも奥さんに任せているのはよくないと思いますよ」
「……居ない」
「え?」
 聞き違いかと問い返した彼女に、先ほどまでの威勢を忘れたかのように、金物屋の主人は涙を零しながら再度言った。
「もう、居ない」
 ――その言葉の意味を理解した彼女は、表情を凍らせた。
「ごめんなさい」。それを言うのが精いっぱいだった。頭を下げて、走って帰るフェリシアの頭の中は、数分で色んな情報を与えられて混乱してしまっていた。
 見知った人間にかけられた強烈な怒り、親しい人を失った悲しみと喪失感。何よりも、自分の親がその犯人ではないかと言われた言葉。
 耳の奥がわんわんと煩い。いつまで全力で走っていたのか、身体は汗でびっしょりと濡れていた。
 時刻は夕暮れ。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す彼女は、気づけば家の前に着いていた。
 家に入った後も、リビングの扉を開けようとする手が震える。何を恐れているのだろう。あんな、些細な疑い一つが本物かもしれないと、自分は考えているのだろうか。
「……ううん、違う」
 声に出す。それを必死に心に沁み込ませて、フェリシアは一生懸命笑顔の練習をした後、いつもより勢いよくドアを開いた。
「ただいま、お母さん!」
「――あら、フェリシア」
 扉の向こうにいる母の表情は、いつもと変わっていなかった。
 ただ、部屋に差し込む夕日の影となっている部分に伸ばされたリリアの手は、

 苦悶の表情を浮かべる父親の首を、きつくきつく、絞めつけていた。


「随分と早かったのね。走って帰ってきたの?
 こんな所を見られたくないから、いつもより多めにお使いを頼んだのに」
 フェリシアの足に、力が入らなくなった。
 すぐそばの壁に体を預ける。それでも座り込んでしまいそうな身体を、頭の何処かで、駄目だ、という声が響き続けている。
「……そうね。もう、隠せないわね。
 たぶん今、あなたが考えているとおりよ。みんなを今まで殺していたのは、このわたし」
 今も尚、自身の伴侶をその手で絞め続けるリリアの手首は、幾つものひっかき傷ができていた。
 成人男性の必死の抵抗に対して、しかし尋常でない膂力と握力でそれを振りほどかないリリアの細腕をつかむ彼の手は、最早弱弱しい抵抗だけを繰り返すのみだ。
 ――それはつまり、彼の命が、失われる直前であるということも示していて。
「わたしは好きなのよ。こうして誰かが苦しむ姿を見るのが。
 一生懸命生きようと藻掻く姿、それが叶わないと理解して、死ぬ瞬間、全てを諦める表情、その全てが愛おしくて」
 締め付けられる男の手が、フェリシアの父親の手は――そうして、フェリシア自身へと向けられる。
 届かぬ手に込められた意思は、逃げろ、とも、助けてくれ、とも受け取れた。
「けれど、それと同じくらい、貴方たちも大好きだった」
 ぎっ、という音が響く。
 リリアが、手に込める力を強くしたのだと気づいたときと、父親の手が力を失い、ぱたりと落ちるのはほぼ同時。
 抵抗しなくなった身体から手を放し、リリアはフェリシアへと足を向ける。
「今までのわたしと、これから、貴方とあの人を愛し続けるわたしは、一緒には居られないとわかっていたから。
 我慢したわ。し続けたの。そうして過ごしていた今までの日々も、ええ、わたしには大切な宝物だったわ」
 そうして、忘我したままの娘の首にも、母親は手を伸ばす。
 呼吸ができなくなる、喋れなくなる。そう思ったフェリシアは、せめて、心の中で真っ先に浮かんだ思考を口にした。
「ど、どうし、て……ッ!?」
 ぎりぎりという音が、首元を伝って脳に直接響いた。
 視界が濁って明滅する。息を全て吐き出したくなる。唯一まともに機能するのは聴覚だけ。
「我慢してきたつもりだったのよ? 殺すのも小さな動物に抑えて、『終わらせた』あとは川に流したり、燃やして気づかれないようにした。
 けれど、それに気づいた街の人たちの不安の表情を見るたび、あの頃の悦びがふつふつと沸き上がってきたの」
 ヒトが浮かべる表情から、如実に見える感情の爆発をもう一度見たいのだと、リリアは言った。
 フェリシアには、リリアが言うことの意味がまるで分からなかったが――ただ、一つだけ。
 今まで、母としての慈愛をもって自分と父親を包んでくれたこの人も、
 今現在、人殺しとして自分と父親を自ら失おうとしているこの人も、
 その思いに、何ら嘘は存在しないのだと。
「けれど、もう、駄目なのでしょうね。
 あの人は私を疑い始めた。街の人もそうなのでしょう」
 ――そして、私は今度こそ、この衝動を止めることはできないから。
(だか、ら……?)
 死ぬのか。殺されるのか。私は、ここで。
 フェリシアの思考は、既に酸素が供給されないことで混濁状態にあった。浮かぶ言葉は「何故」とか「どうして」ばかりで、その後に続く言葉も、それに対する答えを用意しきれない。
 だから、最期の一瞬。
 フェリシアがその言葉を呟いたのは、本当に偶然であったのだろう。

「……おかあ、さん」


 ――おい、この子意識がないぞ。
 ――医者は? 回復系の呪文が使える奴は居ないのか!

『うつろう恵み』フェリシア=ベルトゥーロ(p3p000094)にとって、記憶の最初に在るのはその言葉であった。
 聞けば、「何らかの原因によって」意識不明の状態で『大規模召喚』を受け、空中庭園に現れた彼女は、治療を受けて意識を取り戻した以降、それまでの記憶を一切失ってしまったらしい。
 以後、一人の特異運命座標として生活する彼女は、余人が知らない以前の彼女とは違った存在となってしまっていた。
 言葉が途切れがちだったり、思考するように沈黙を挟んだりと特徴的な話し方をするようになり、それまでの活動的な少女とは一転して、どこか浮世離れしたような印象を覚える様子となっている。
 召喚直後に彼女を治療した医師は、この様子を見て自身の主観を一言だけ告げた。
 ――あなたは、何処かに心を置き忘れてきてしまった。
 それは、召喚するまでいた場所かもしれない。或いはそれ以前に何らかの問題があったのかもしれない。
 急がなくてもいい。けれど、もしあなたが嘗ての自分を取り戻したいのなら、覚えておきなさいと。
 その言葉を胸の奥に秘めたまま、フェリシアは今日までを過ごし続けている、けれど。

「お母さん! 今日は何のご飯を作るの?」

 ふとした時。
 街中を歩いたり、依頼で赴く人里の声の中に、そうした声を聞けば、フェリシアの歩みは必ず止まるようになっていた。
「……お母さん、かあ」
 記憶にない、自らの母親を、彼女は時々想うことがある。
 失ったとて、命に関わることはないそれを、しかし取り戻したくないということはない。
「いつか、逢えたら、いいな」
 見えないものだからこそ、希望を抱いている。
 優しい人で、あったかい人で。一緒に過ごす日常が、幸せに思えるような人で。
 そんな願いを抱きつつ、彼女は今日も、特異運命座標として、様々な地を巡り続ける。
 成長した自分の姿を、いつか、母親に見つけてほしいと願いながら。





 その度に。
 自らの首元を庇うように、手を添える癖があることを、フェリシア本人は気づいていない。

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