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BLUE MOONに照らされて
登場人物一覧
気まぐれのように、ローレットに届いた、ダンスパーティの招待状。アニー・メルヴィル (p3p002602)はその文字を見た途端、目を輝かせ、同時にダンスの相手を思い浮かべる。
(素敵なドレス着てみたい……! ダンスの経験はないけど周囲の人の見よう見まねでなんとかなるかな~?)
アニーは楽観的にそう考えながら、胸をときめかせる。生演奏の中、眩い光がダンスホールに降り注ぎ、着飾った人々が、さざ波のように踊る。とても、美しい光景に思える。ホストである貴族はダンスパーティを愛し、アクセサリーや靴、衣装の貸出、メイクルームを解放するとのこと。そして、それは貴族だけではなく、イレギュラーズをも招き、有意義な時間を過ごしたい、そう記されていた。アニーは息を漏らす。招待状を見た瞬間から、アニーの夢は始まっている。
「素敵ね。そして、事前申し込みじゃなく、当日に向かえばいいんだね。十五時からっと!」
アニーはしっかりと時刻を確認し、ローレットを後にする。今、会いたい人がいる。
風が夏の香りを運ぶ。蝉が鳴いている。晴天。雲がゆっくりと流れていく。とても、気持ちがいい季節。
「一緒に来てほしくて……お願いっ」
アニーは上谷・零 (p3p000277)の瞳が大きく見開かれるのを見た。
「お、俺でいいのか……? ……あぁわかった、一緒に行こうか」
零の声は興奮と動揺に掠れている。澄んだ日差しに、零の額から汗が流れていく。
「やったね! 一人じゃ寂しかったから、本当に良かったよ!」
はしゃぎ、アニーはその場で跳び跳ね、白色の髪を揺らす。
「ちょ、危ないな!? ダンスパーティに行けなくなったら、どうすんだよ!?」
零は叫ぶ。だが、誘われたのが嬉しくて、零もまた、頬が緩んでしまう。
「えー? 大丈夫、大丈夫よ? だって、嬉しいんだもん! 当日、どんなドレスを着ようかな?」
アニーはおおらかに笑い、零が目を細めた。勿論、ダンスの経験は無い。それでも、楽しい時間になることだけは解っている。
カレンダーが、ダンスパーティを告げる。早起きをしたアニーはそわそわと会場を見渡す。
「沢山、人がいます」
様々な香りがする。香水だろうか。上品に香る。会場には楽しげな声が響き、笑顔ばかりが浮かぶ。
「皆さま、とても綺麗です!」
アニーは笑う。アクセサリーやパーティードレス、燕尾服、ラテンシャツにベスト。皆、ボーイから、ドリンクを渡され、会話を楽しんでいる。至極、煌びやかで、皆、今日を心待ちしていたのだと解る。
「此処で踊れるなんて……何だか、現実じゃないみたいです……」
アニーはぼーっとなりながらも、「私もとびっきりのドレスを選びます!」と笑い、「わ! 色合いが綺麗です!」と紫色の瞳を丸くさせる。視界にはルビー色のドリンク。ロンググラスには黒色のストロー、透き通った氷にチェリーとパイナップルが乗っている。にこりとボーイが微笑む。その仕草も、ドリンクも、着飾った衣装も、この空間も、村で育ったアニーにとって、新鮮だった。
「ノンアルコールカクテルの、チェリーパイナップルレモネードでございます。良ければお飲みください」
「はい、ありがとうございます。んっ! 甘酸っぱくて美味しいです!」
目を輝かせる。
「良かったです。今日をお楽しみくださいね」
「はい!」
アニーは返事をし、チェリーパイナップルレモネードで喉を潤し、ドレス選びに向かう。高鳴る心臓、何もかも素敵なことに思えた。アニーは唸る。
「うーん、みんな、綺麗で可愛くて迷っちゃいます……」
アニーは何度もドレスを試着し、ようやく、一着のドレスに決めたのだ。
(ふふ、零くん、びっくりしちゃうかもね!)
チョーカーを付け、薄化粧をしたアニーは姿見の前で微笑む。ドレスが柔らかく揺れる。そして、アニーは会場の入り口で零を待つ。
(此処なら零くん、見付けられるかも)
わくわくしながら、アニーは待つ。
(……そろそろかな? 零くん、来てるのかな。待ち合わせ場所をちゃんと決めれば良かったかな……?)
アニーは時計を見上げる。気が付けば、二十分は過ぎていた。ダンスパーティーが始まる十五分前。アニーはキョロキョロと零を探す。会場に向かう人々が徐々に少なくなっていく。
(今、着替えてるところかも……うん! ダンスパーティは長いんだもん! だから、遅れたってね、平気だよ……)
アニーはそう、思いながらもどこか不安げに、瞳を細める。
「零くん……」
呟く声は風に飲み込まれる。入り口にはアニーしかいない。ダンスホールの、重厚な扉は既に閉まっていた。
(実はイヤだったのかな……強引に誘ってしまったし……私、嫌われることしちゃったかな……それとも何かに巻き込まれているのかな……)
様々な感情に支配されていくアニー。
「あっ……」
生演奏が聴こえ、アニーは振り返る。
「始まっちゃった……」
アニーは寂しげに呟く。だが、その声は零には届かない。
(零くん……何処にいるのかな……)
ぎゅっとドレスの裾をアニーは掴み、視線を落とす。綺麗な靴が見えた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
吠え、駆けるのは零である。顔は青ざめ、冷たい汗が止まらない。どうして、こんなことになったのだろう。誘われたのが嬉しくて、幸せだったんだ。それなのに──
「どうして、大切な時にハプニングだらけなんだ!!!」
零は怒鳴る。余裕を持って、何時間も前に家を出た。それなのに──
「くそっ!」
舌打ちをする。思えば、今日はハプニングと人助けの日だった。まず、昨日まで普通に通っていたはずの道が工事中で通れなっていた。
「ん、あれ? おかしいな。でも、まぁ、時間はあるからまだ、平気だな」
零は首を捻りながら、道を引き返し、別の道に向かう。上機嫌で歩く零に、少年が駆けてくる。
「んん?」
気が付いた瞬間、少年はわっと泣き出した。
「なっ、どうしたんだ!?」
「あのね……僕の猫がね……木からね、おりられなくなっちゃったの!」
少年は指を指し、泣きわめく。見れば、白猫が細い枝にしがみついている。白猫は目を丸くし、ぶるぶると震えているように見える。零は頷き、木に登り始める。
(大丈夫だ、まだ、時間はたっぷりあるんだ)
零は、白猫を慎重に抱き締め、ゆっくりと慎重に木から下りていく。白猫の心臓は驚くほどに脈打っている。
「恐かったな。もう、大丈夫だ」
零は呟き、白猫を少年へと託した。その瞬間、少年は嬉しそうに笑う。そして、零は少年達と別れ、会場へと向かう。
「一時間前には着けるな」
零は安堵する。あと、少しで会場に辿り着く。
(アニーはどんなドレスを選ぶんだろうな……)
零はうきうきしている。
「あてててて」
「え?」
無意識に零は声のする方を見る。そこには、顔を歪ませ、歯を食い縛る老婆の姿があった。
「だ、大丈夫で、ございますか!?」
零は駆け寄る。聞けば、石に躓き、立てなくなってしまったようだ。
「俺が送り届けてあげますです」
零は息を吸い、老婆を背負い、そっと歩き出す。向かうは老婆の家。そして、老婆を送り届けた零は、全速力で駆ける。
「おおおおおおおお! 走ればまだ、間に合う! いや、間に合わせるんだ!」
浮かぶアニーの顔。きっと、不安になっているかもしれない。心臓が苦しくなる。
「しゃあっ!!」
加速し、零は息を呑む。
「なんだよ、おい!」
目の前に巨躯の男達。男達は何故だか、道を塞いでいる。
「あ? うるせぇぞ、おい! 通行止めだぜ、此処はよ?」
「金をくれりゃあ、退いてやってもいいんだぜぇ?」
男達は、ゲラゲラと笑う。零は震える。
「お? 怖くてどうしようもないってか?」
下品な笑い声が響く。
「……俺が会いたいのは………」
零が声を震わせる。
「あ? 何だよ、聞こえねぇな? もう、びびっちまったのか?」
「黙れよ! 俺が会いたいのは……お前らじゃねぇんだ……っ、其処をどけ―――ッ!!!」
零は吠え、男達を見据え、走り出す。
「馬鹿野郎が! 誰が通っていいと言った!」
男達は唸り、飛び掛かる。零は腕を振るう男達を知る。下品な声と、大きなモーションが不快に視界に映りこむ。零は身体を反らし、男の拳を流し、一気に踏み込む。
「──ッア!?」
見開く男の双眸。零が腕を突き出す。
「フランスパンでも食ってろッ!!」
左回転で、零は男達の口にフランスパンを捩じ込み、吹き飛ばす。零は振り返ることなく、会場に駆ける。
「アニー! えあっ──!?」
零はいきなり、落とし穴に落ちたのだ。
ダンスパーティーは、熱を帯びていく。そう、アニーだけを残して──
ダンスホールの端に移動し、ぼんやりと人々のワルツを見つめている。
「あの、大丈夫ですか?」
聞こえる男の声。アニーの前に、精悍な男が立っている。ダンスパーティーが始まって、四時間、そろそろ、夜になる。
「え?」
声を掛けられても、アニーは上の空。
「あ、何だか寂しそうにしていたので、とても、気になってしまって……あの、良ければ私と踊りませんか?」
男は微笑む。だが、アニーは踊る気さえおきない。困ったような曖昧な笑みを浮かべていると──
「ありがとう」
男はにこりを笑い、アニーから立ち去る。アニーはふぅと息を吐き、誰もいないテラスに歩き出す。
声が聞こえる。
「おーい……おーい、大丈夫かー?」
薄目を開けた零が頭を振る。
「んあ……なんだ……?」
声は擦れている。視線にはカンテラを持つ男の姿。零はぱっと目を開ける。綺麗な星が見える。
「は? う、嘘だ……よな……? アニー!!!」
零はぱっと上体を起こし、落ちた穴から這い出す。男は突然、意識を取り戻した零の様子に驚き、立ちすくむ。
(おいおい、あれから何時間経ったんだ!?)
零は全速力で薄暗い夜道を駆ける。穴に落ちてからの記憶がまるでない。チンピラに絡まれて、切り抜けたと思った瞬間、宙に浮いたのだ。
「あ……あと、少し……少しで着く……んだ! 動けよ、この足!」
息を切らし、零は喘ぐ。
「ん、なんだ?」
騒音に振り返り、零はぎょっとする。
「……は? 何、このひよこ!!!」
後方から巨大なひよこが殺人級の速度で走る。
「なんだよ!? ぬおおおおおおおおおおっ!!」
零は速度を上げ、道を左に曲がる。足音がぱっと消える。安堵する零。
「なっ!!」
ぱっと巨大なひよこが飛び出してきたのだ。舞う、ふわふわとした毛。可愛い。
「うおっ!?」
弾き飛ばされるが優しい感触。
「え!? めっちゃ、もふもふなんだけど!」
叫び転がる。巨大ひよこは高音で鳴きながら、転がっている零をぎゅっと抱きしめる。
「──!?」
ひよこの身体にすっぽりと埋まる零。もがもが言いながら、零は抵抗するも動けない。
演奏がぴたりと止む。それから、目を輝かせた人々がダンスホールから出ていく。アニーはその様子をぼんやりと見つめている。
「気分でも悪いのでしょうか?」
声に振り向けば、先程のボーイがカンテラを持ち、心配そうにアニーを見つめている。
「……」
アニーは左右に頭を振る。
「そうですか……こちらは開放しておきますので」
ボーイはカンテラを残し、消えていく。また、静寂が生まれる。青い月が冷たい光を放ち、星が光る。アニーは寂しげに眼を細めた。
「~~~っ!!!」
夜道に唸り声が聞こえる。零は手足をばたつかせ、全身に羽毛をはりつかせながらどうにか、ひよこから逃れる。息を荒げ、よたよたと会場へ向かう。
「アニー……」
約束は守るべきなのに、これじゃ嫌われたって仕方ない。そもそも、アニーは居ないかもしれない。そう思いつつ辿り着いた場所。零は息を呑む。会場の明かりは既に消えていた。
「だよな……」
呆然とする零。汗がぽとりと落ち、ハッとする。
「明かり……?」
カンテラに導かれ、零は歩き出す。
「あぁ……」
無意識に漏れる声。見開いた瞳から、思わず、涙が溢れだしそうになる。闇を払うような光の先に、アニー。身体が震える。
「ごめ……ん……すげぇ……遅れ、た……」
届かないほど、小さな声。だが、アニーは振り返る。
「零、くん……?」
アニーは驚く。零の姿はぼろぼろだった。どうしたの、そう、尋ねる事さえ出来ずにアニーは目を潤ませる。パーティーなんてどうでもいい、零くんがいてくれたらもうそれでいい。
「……来てくれたんだ……」
ようやく、言葉が生まれた。待っていて良かった。来てくれて、此処で零くんに会えて良かった。零れていく感情。
「零くん!」
アニーは叫び、零に駆け寄る。もう、言葉など要らない。零の温かな香り。
「ああ……」
零は頷き、向かい合う。零はアニーを見つめる。見とれて、声を忘れてしまいそうになる。零は息を吐く。アニーから、良い香りがする。化粧をしているからだろうか。
「……折角……君も綺麗な……ドレス、着てるわけだし……よ、……良かったら、踊る……か?」
そっと頷くアニーの片手を零はぎこちなく、取った。アニーの手は少しだけ冷たかった。ずっと待っていてくれた、その事実が零の心を震わせ、気が付かせる。
「……」
零は自らの服を見つめる。破れ、擦れてしまった普段着。アニーはこんなにも、着飾っているというのに。顔が熱くなっていく。一方、アニーは、零の手が熱いことを知ったのだ。こんなにも、熱い手をアニーは知らない。何があったかは、分からない。ただ、心が熱くなっていく。見つめあったまま、動かないアニーと零の間を、夏の風が通り抜ける。
「……零くん、踊ろう?」
アニーが言った。道標の役目を終えたかのように、ふっと消える、カンテラ。温かな光は青白い光の中に溶け、深海のような静寂を生む。
「ああ」
零は目を細める。そうだ、服なんて今は──
「アニー」
「零くん」
不器用に触れられる背中、アニーは肩下に手を添える。ゆっくりと動き出す。パッと揺らめく、ドレス。
二人きりのダンスパーティー。此処には、ダンスホールの華やかさも、音楽も、美しいステップもない。あるのは、BLUE MOONと、散らばった星と風。流れ落ちていく、月光。それは淡いスポットライトのように、アニーと零を照らす。瞬く間に弾む息。慣れない靴にドレス、曖昧なステップに、ターン。朧気な記憶をそっとなぞり、踊る。
「──!! アニー、わりぃ!」
ハッとし、零は叫ぶ。足を踏んでしまった。
「ううん! 私も踏んじゃってるから大丈夫よ!」
にこにこと、アニーは笑い、息を呑む。
「わわっ!?」
突然、視界に広がる蛍の群れ。深海を泳ぐ魚のようにアニーと零の周りを、ゆったりと照らす。アニーと零は目を細める。
「綺麗だな……」
「ね……」
笑いあう。誰もいない。誰にも邪魔されることのない、ダンスパーティー。アニーと零は、穏やかな波のように踊り出す。