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再現性世界
登場人物一覧
とある昼下がり。現代的な街並みの中にある長い階段に、一人の男が座っていた。
日差しを避けて木陰の中へと潜り込み、溶けかけた棒アイスを頬張っている。
数日続いた雨が止み──尤も、ここ再現性東京に降る雨は管理された天候再現のひとつに過ぎないのだが──透き通るドームに覆われた空には雲ひとつ存在しない。数週間前と比べ幾分か寂しく響く蝉の声は秋の始まりを指し示していた。
一つ先の道から足音が響く。人通りのない裏路地にいてもなお、遠くに聞こえる人の気配は纏わりつくように鬱陶しい。
今日は不定期に発行される指名依頼の集合日。8人の
とはいえ依頼会場である白亜工業のビルへ向かうには些か気が早い。余裕を持ち過ぎた時間を持て余し、ふと思い至って地球の日本を再現したという街に足を向けたのだ。
暑さと人混みは
再現性東京へと足を向けたのはただの気紛れだった。ふと……比較してみたくなったのだ。過去四度ほど参加してきた
言い換えるなら、己の肉体のみを
そして、立場を同じくする者がまた一人。
男の軌跡をなぞるよう、人通りを避けるように、少女が単身裏路地へとやってきた。階段に座り込む男を認め、呆れに共感を乗せて目を眇める。
「何やってるのさ、キミ」
「いやぁ、なんとなく……あ、アイス食べる?」
「…………いや、いい」
差し出されたのは溶けかけたアイス。断ったのは小さく振られた首。「そう」と気にせず呟いて、残りを丸ごと口の中へと放り込んだ。
「あぁ、なくなっちゃった」
「美味しかった? それ」
「うーん、普通かな」
セーラー服のプリーツが階段の影に歪む。ランドウェラからやや距離をとり、少女──ジェックが木陰に腰掛けた。
長いようで短い沈黙。蝉の音が、人の気配と同じだけ遠く響く。
口火を切ったのはどちらだったのか。或いはどちらともなく漏れ出た蒸し暑さへの嘆息か。
「地球って呼ばれる世界は山のようにあるらしいよ。今まで行ったとこはどこもこんな感じじゃなかったけど」
「あんないっぱい、元の世界と……チキュウか、変わらないように暮らしてるって言うのにね」
それとも、もしかしたらこれから巡る仮想世界の中には、
もしあったなら……
小さな空想を巡らせて、言葉に漏らさず苦笑を溢した。見れば斜め前に座った少女も同様に、どこか斜に構えたような息を吐く。
「もしかして、ここもあのイデアの棺の使って作られたんじゃないか?」
口から出たのはまた別の空想だった。イデアの棺で集めた地球・東京のデータを現実世界に再現したものなのではないか、と。軽い言葉は笑みを含み、冗談だと示している。だが、第一回目の実験で訪れた邪摩都で覚えた感覚は……否、考えても仕方がない。
「それなら、夜妖もバグ?」
打ち切られた思考に合わせるよう、面白がった声音で少女が応えた。イデアの棺には、確かにバグが発生していた筈だ。
「さぁ……分からないけど、データが多くなればそれだけバグも増えるんじゃないか? 僕達の実験ですらそうなんだし」
肩を竦めた男に、「あぁ、確かに」と実感のこもった苦い声が返る。どうしようもできない何かに追い回されるような体験は、そう何度も経験したいものではない。
行ったことのない筈の場所。見たことのない筈のもの。知らない筈の情報。覚えのない記憶。肉体の持つ情報だけで再現するのには限界があるのだろうか。
「学校、怖かったね」
「一日20時間だもんなぁ」
「あんな勉強したの初めて」
「最初は楽しかったのに」
「アタシはもう勘弁」
「希望ヶ浜のも?」
「そっちは……まぁ、別でしょ」
「部活って楽しそうだよね」
「テニス部ってやつやってみたけど、意外と面白いよ」
「へぇ……僕も何か入ろうかな」
取り留めもなく転がる話。己の世界の裏側へ潜り込んだ男も、懐かしさを覚える世界を旅した少女も。この実験に違和感では収まらない何かを覚えながらも、当たり障りのない話で混ぜ返す。
視線は合わず、向き合いもせず、けれど確かに同じものを見ていた。
「そろそろかな」
「もうそんな時間か」
遠く響いていた蝉の声は気が付けば鳴り止んでいた。スカートの皺は伸ばされ、アイスの棒は捨てられて。どちらともなく立ち上がっては歩き出す。
「金平糖売ってる」
「クレープって甘いのかな」
「ゲームセンターだって、賑やかで楽しそうだ」
足に迷いはないけれど、視線はあっちへこっちへと目移りが止まらない。見知らぬもの、未知のものへの好奇心は尽きることがなく。そしてそれは、これから行く仮想世界に対しても同じなのだろう。
得体の知れない何かを畏れるような、自身の根底を暴き立てんとする何かが腹立たしいような、それでいてどこか──わくわくするような。刺激される好奇心は猫を殺すだろうか。突かれた藪は蛇を出すだろうか。
棒に当たるからと歩かないなんて勿体ない。落ちないよう選ばれた木なんてつまらない!
だから彼らは、次の
次の舞台はきっと、少女の暮らした世界。
生きとし生けるもの全てが死に向かい、そう遠くない内に滅びを迎える灰色の世界だった。