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あなたの最後の顔
登場人物一覧
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はて、と。
その男女の行動に、ヴェルフェゴアは首を傾げた。
手にしたナイフに目をやる。刃先に至るまで細かい彫りと装飾の為された儀礼短剣は、真新しい鮮血に濡れ、先端の偶像がまるでそれを飲み込んでいるかのだ。
血は、この男女のもの。
もう一度、ヴェルフェゴアは首を傾げた。
けして、己の行動に不可解を感じたのではない。
意識ははっきりしている。間違いなく男女を刺したのは自分である。不本意ではあったが、殺さざるを得なかったのは事実であり、それを判断したのも紛れもなく自身である。勿体無いことだとは思うが、神に捧げられたのであるから、喜ばしいことであるのも間違いない。
そう、勿体無いことをした。
捧げる魂の量は多ければ多いほど良いとはされているが、かといって街中での寸刻み、目につく片端からの虐殺が推奨されているわけでもない。
魂は選別し、秩序と順序を持って捧げるべきである。
芳醇に育ち、より良い魂を選び、その生命を刈り取らねばならない。
つまり、これは予定にない殺人である。
彼らに関して、僭越ながら品評を行うのであれば、平凡の二文字を与えざるを得ない。他の信者らに問尋ねてみたところで、おおよそ同じ答えが帰ってくることだろう。
彼らはその意味でまだ、神に捧げるべきではなかったのだ。
まだ、だ。まだ、である。
そこが勿体無いことであるのだ。彼らはもしかしたら、捧げるに値する素晴らしい魂になるだけの素質があったかもしれない。少なくとも、その環境は用意されていた。作り出したのは、自分だが。
また首を傾げた。
先程から、脳裏にとある情景が浮かんで消えない。
記憶の栞をあれこれと捲っているのだが、一向にそれらしいものとは一致しないのだ。
何だったか。
少し頭痛がする。
冷や汗。
のどが渇いている。
ぐらぁりと、世界が揺れた。
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不気味な出で立ちであるがしかし、ヴェルフェゴアの身に纏うそれの中で信仰とは結びつかないものがひとつある。
目隠しである。
ものを見る行為への忌避をイーゼラー教はうたっていない。
ヴェルフェゴアの目隠しは両親より与えられたものであり、狂信とは違う、彼女のもうひとつの特異性を語るう上で欠かせないものである。
目隠しとは、読んで字の如く目を隠すものであるのは間違いないが、ヴェルフェゴアのそれは役割を真逆としていた。
見えない為に覆い隠しているのではなく、見せない為に包み込んでいるのだ。
目を使わぬためという意味であれば両者は同じものであったが、それはヴェルフェゴアを守るためのものだった。
彼女の家は代々、強力な魔力の持ち主であり、それを是とした地位を誇る家系である。
強い魔力は集落に恵みをもたらし、または純粋な力として里の守りをより堅固にするのだ。全体に貢献するものは敬われるべきである。才能が何を起因とするかはそれぞれだが、ヴェルフェゴアの一族はその要因を血に持っていた。
血。つまりは遺伝子である。
よって生まれた子もまた強い魔力を持ち、更に強い魔力の者と交わることでより強固に。もっと、もっとと。それを至上であるとし、それを至高であるとして。
そうして現在の地位を築き上げ、守り抜いてきたのが彼らである。
だが、血に依る才能もあれば、巡り合わせに依る才能もまた存在している。生まれながら。突然変異。ミュータント。そう呼ばれる異質物は確かに平然とどこかしこに紛れ込んでいる。
それらは往々にして不幸な結末を呼び込みやすいものだが、ヴェルフェゴアが授かったそれも同じものだった。
才能を磨き上げてきた末裔においてなお、莫大であると、膨大であると表現せざるを得ない魔力の貯蓄量。非才天才と謳われた両親でさえ直視できぬ金色の瞳。
産婆が小さく息を飲むのがわかった。彼女が小さく、本当に小さくそれを呟いたのを、両親は聞き逃しはしなかった。
忌み子、と。
隠さなければならない。隠し通さなければならない。
敬われるだけの力は必要だ。だが忌避されるほどの膂力は必要ないのだ。そんなものは小さな集落ではあっさりと異端にされてしまう。
ヴェルフェゴアを迫害させてはならない。ヴェルフェゴアの命を無下にしてはならない。
彼女をひと目見ただけで異質だと悟らせる目隠しはその実、彼女の幸せをこそ願って贈られたものだった。
ヴェルフェゴアは体が弱いのだと、集落の皆にはそう伝えられていた。
実際にはそのようなことはなく、溢れんばかりの魔力は彼女を健全に育てたが、その方が都合が良かったのだ。
目を覆う布。幼子にそのような格好をさせていて違和感をぬぐえようはずもない。いらぬ興味を呼び、あの布は何だ、あの中身はどうなっているんだと好奇心を擽れば、いずれ金色の瞳は衆目の下に晒されてしまうだろう。
それだけは避けなければならない。
そこで、彼女は生まれつき体が強くはないのだということになった。目も光に弱く、敏感であるために隠しているのだと、そう説明されることになった。
滅多に人前に姿を表すことのないお姫様。周囲の彼女への認識は、概ねそんなところだ。
同年代の友達はいない。幼い我が子に可愛そうだとは思ったが、その我が子の命が天秤にかかるとなれば認められるはずもない。
そうして心の休める存在を両親以外に持たぬまま、しかし健全と少女らしく、ヴェルフェゴアは育っていった。
6歳に、なるまでは。
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顔を上げた時、それが何であるのか、ヴェルフェゴアには直ぐにはわからなかった。
熱い。熱い。
何もかも、赤々と燃えている。煌々と燃えている。それはとてもとても、熱くてたまらなかったが、光り輝き猛り狂う様は見ていて酷く美しいものに感じられた。
母を呼ぶ。父を呼ぶ。誰も応えない。もう二度と応えてくれないのではないかという疑念が渦巻き、ふたりを呼びながら、泣きじゃくりながら、転がるように燃え盛る我が家の中を進んでいく。
階段を降りて、広間に立って、そこに居た。
嗚呼、嗚呼、そこに居た。
ふたりは赤いものを流しながら、恐怖に引きつった顔で横たわっていた。
慌てて駆け寄る。こけて、転んで、這って這ってようやっとたどり着いて、泣きじゃくりながらふたりを揺する。かあさま、かあさま。とおさま、とおさま。
ゆすりゆすりと精一杯の力を込めても、動かない。動いてくれない。笑わない。笑いかけてくれない。おそろしい顔に引きつったまま、おそろしいものを見たという顔をしたまま、ふたりはもう二度と動かない。
「これだ」
「これが?」
「これが」
「これか」
気がつけば、嗚咽を漏らす自分を知らない大人たちが取り囲んでいた。
「直視はするな」
「本当に、この瞳で親をも捧げたのか?」
「素晴らしい」
「嗚呼、素晴らしい」
「そうとも」
「そうとも」
大人たちは口々に何かを言っていたが、幼いヴェルフェゴアには理解ができなかった。
いいや。
本当は理解していた。
それを理解したら、理解してしまったら。
認めたなら、認めてしまったなら。
狂うよりも前に壊れることを、賢いヴェルフェゴアは気づいていた。
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揺れた、気がしたのだが。
自分の両足は変わらず床を踏みしめている。
はて、と。またヴェルフェゴアは首を傾げた。
少しだけ、懐かしい記憶のようだったと認識はしていながら。
知らない大人たち――イーゼラー教の信者には、今でも感謝している。
狭い世界で終わるはずだった自分を救い、この世の真実を教えてくれた。
両親を殺したのは彼らではない。紛れもなく自分である。自分の瞳によるものである。今ではそのことを胸を張って言えるだろう。
素晴らしい。嗚呼、素晴らしい。自分は両親の魂を神の御下へと送ることができたのだ。
口では信仰だ信仰だと曰いつつも、肉親となれば途端に躊躇の色を見せる似非信者どものなんと多いことか。
自分は違う。全く違う。喜んで、迷うことなく、差し出すことができる。
一度、両親が生き返るならどうすると、問われたことがある。嫌味な男だった。試すような口ぶりと、人の嫌がる点を選んでつくような行動が目立つ男だった。
当然の様に言ってやったとも。喜んでもう一度捧げると。
自身の信仰の強さを見せることができた気がして、なんとも誇らしかっt――本当は、もう一度でいいから、頭を撫でてほしい――違う。そんなことを思ってはいない。そんなことを思ってはいけない。
蓋をしろ。狂え。猛れ。信心に惑え。
そうしないと、そうじゃないと、わたくしは、私は、嗚呼、嗚呼――――っ。
「――――おかあさん?」
自分を守るように覆いかぶさっている『それ』を押しのけて、中からひとりの少女が現れた。
「おとうさん? どこ?」
今自分が押しのけたそれが、両親だったものだとは気づいていないのだろう。いいや、もしかしたら気づいているが、そうではないふりをしているのかもしれない。自分の心を守るために、わからないふりをしているのかもしれない――私と同じ様に――違う。
「おねえさん、だあれ?」
その腕を取り、瞳を覗き込む。
手にしていたはずのナイフは、いつの間に落としたのだろう。
不安の色を表情いっぱいにした少女に向けて、ヴェルフェゴアはかつて、あの知らない大人たちがそうしたように優しい声音で語りかけた。
こうすることが正しいと、そう思えたのだ。
「世界の、真実を教えましょう」
それが何を意味するのか、本当は理解していながら。