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Little Lamb
登場人物一覧
その場所に羊や山羊、牛といった家畜を飼い、季節により住む場所を移る流浪の民がいた。
牧畜や毛織物、刺繍細工で生計を立てる数家族で構成された小さな小さな部族、その一家族の末の娘として生まれたのがメイメイであった。
「メイメイ、何描いてるんだ?」
「にいさま、ねえさま」
二人の兄と四人の姉。牧畜と毛織物の為に働きに出ていく彼等は末の娘の手元を覗き込んだ。クレヨンで描かれているのは美しい草原である。メイメイは「くさ、おはな、ひつじ、うし」と一つ一つ、確かめるように指さした。まだ三歳になったばかりの末の娘、話せる言葉はそれ程多くないのだろうが――村のことを、生活を、一生懸命覚え様としていることはわかる。季節が巡れば別の場所――それ故に、過酷な自然と共に生抜くことができなければならない。ソレを覚えようとしているのだろうと二人の兄は感心し、四人の姉は喜んだ。
「にいさまとねえさまはお仕事にいくんだよ。かわいいメイメイはおおばばさまとお留守番をしようねえ」
ぎゅう、と後ろから抱き締めてくれた曽祖母にメイメイはこくんと頷いた、両親――とうさまとかあさま――はもう早くから出かけている。毛織物を売りに行くと街に降りていった祖父母――じじさまとばばさま――は今日は素敵なお土産を用意しようね、とメイメイの頭を撫でてくれた。羊の小さなぬいぐるみが欲しいと少し前にねだった事を覚えていてくれていたのだろう。
「いってらっしゃい」
たどたどしく、そう告げて手を振った。曽祖母はクッションを背もたれに腰掛け「こっちへいらっしゃい」と微笑んだ。その脚の間にすぽりと埋まれば暖かな感触で胸がすうと落ち着いた気がする。幼い末娘は曽祖母の腕にぎゅうぎゅうと抱き締められているのが好きだった。
「おおばばさま、いつものおはなしききたいな」
「そうだねえ、それじゃあ、お話ししようか」
それは、メイメイがいつも聞いていた物語だった。教訓めいた子供向けの物語、それを曽祖母は心を込めて語り聞かせてくれるのだ。
とある森を飢えた狼さんが一匹歩いていました。
すると、草むらで家族とはぐれた子羊がえーんえーんと泣き声をあげています。
狼さんはとてもとてもお腹が空いていたので、すぐにでも子羊を食べてしまおうと考えました。
けれど、泣いていては子羊が逃げて言ってしまうかも知れない。
狼さんはうーんうーんと悩んでから子羊が逃げないように優しく優しく声を掛けたのです。
「やあ、お嬢さん。どうして泣いているの?」
「とうさまとかあさまとはぐれてしまったのよ」
「そうかい、そうかい。もう泣くのはお止し。ほら、お花を上げよう」
子羊が逃げないように、狼さんは野に咲いていたお花をプレゼントしました。
可愛い可愛い小さなお花に子羊は喜んで「ありがとう!」と微笑みました。
それでも少し時間が経てば家族が恋しいと子羊は泣き出します。
狼さんは困ったなあとうーんうーんと悩んでから子羊が逃げないように優しく優しく笑いかけます。
「お嬢さん。もう泣くのはお止し。ほら、狼さんが歌ってあげよう」
子羊が逃げないように、狼さんはお歌を歌いました。
子羊も聞いたことのあるお星様の歌です。きらきらと輝くお星様を数えるその歌に釣られて子羊も歌い出します。
けれども少し時間が立てば家族が恋しいと子羊は泣き出してしまいました。
狼さんは困ったなあとうーんうーんと悩んでから子羊が逃げないように優しく優しく笑いかけます。
「お嬢さん。もう泣くのはお止し。ほら、狼さんが踊ってあげよう」
子羊が逃げないように、狼さんは踊りを踊りました。
ぴょんぴょんと跳ね回り楽しそうな妖精のダンスに子羊は釣られて一緒に踊り出します。
手には可愛いお花を一輪。歌を歌って、妖精のダンスを踊って。子羊は楽しい楽しいとにんまりと笑います。
「狼さんはとっても優しいのね」
「そうさ、狼さんはとってもとっても優しいのさ。さあ、一緒にとうさまとかあさまを探してあげよう。
お嬢さん、立って。どこから来たのか分かるかい? 狼さんに教えてごらん」
笑顔になった子羊は笑顔の狼さんに背を向けて「ええとええと」と来た道を探すように指さしました。
その背中に狼さんはゆっくりと忍び寄ります。
お腹の空いた狼さんは大きな口を開けて、ぱくり! と子羊を食べてしまおうとしたのです。
そろそろと忍び寄った狼さんは子羊の背中に向けてがばり! と襲いかかります。
「狼さん、あっちから来たの」
振り向いた子羊を食べようとした狼さんを見て、通りかかった狩人は「危ない!」と叫びました。
矢が飛んできて、狼さんは慌てて逃げ出しました。
そして、子羊は食べられずに済んだのです。
おしまい、と曽祖母は微笑んだ。メイメイはその物語が好きだった。
狼が花を渡したり歌ったり踊ったり、そんな不思議な様子が好ましくて心が踊ったのだ。
しかし、この昔話は唐突に終わりが来てしまう。笑顔をくれたはらぺこの狼が狩人の矢に驚いて逃げて言ってしまう――そんな唐突な終わりがメイメイは何時も気がかりだった。
メイメイは後ろからぎゅうぎゅうと抱き締めてくれる曽祖母を見上げ、「おおばばさま」と首を傾いだ。
「おはなしはこれでおしまい?」
「そうよ」
「狼さんが逃げてから、子羊さんはどうなったの?」
「さあ……どうなったんだろうねえ」
曽祖母はそれ以上は語ることはしない。メイメイならどうなったと思う? と揶揄うような声音でいつだってそう問い掛ける。
「どうして、狼さんと子羊さんは仲良くなれないの?」
「さあ……どうしてだろうねえ」
心優しいメイメイに曽祖母は「優しい子」と幸福そうに笑みを零した。
きっと、その狼さんならば子羊とも仲良くなれたのに、と小さく零したメイメイは曽祖母の笑い声に首を傾げる。
「どうして笑ってるの?」
「メイメイが可愛いからよ」
そういって曽祖母はメイメイの頭を優しく優しく撫でた。気付けばそのぬくもりで眠ってしまっていて――
――それは遠い遠い、昔のお話。