PandoraPartyProject

サンプルSS詳細

戦闘描写(SF)

『それからもうひとつ――あ、接敵まで10』
「敵影視認」
『もうひとつはまあ、使わなければ問題ないので省略します。5』
「了解。腰部格納扉ロック解除。トリガーロック解除」
『ビームガン左右共に出力安定しています。2、1』
「エンゲージ」
 どう、と波に打たれるような振動があった。静かな声を保っていられたのはそこまでだった。水に押し流されると感じて咄嗟に足を引いたものの、よく見ればそれは海面へと叩きつけられたEBEの腕による風圧でしかない。衝撃によって空中へと巻き上げられた海水が、霧のように降り注いだ。
 ――巨きい。
 見上げて、その事実に腹が立って見下ろさんと水を蹴った。脳裏に思い描くのは先ほど見た第一大隊のアトランティスである。
(泡柁己のものが見下されるなど、矮小に足元に取り縋るなど)
 その怒りとに不遜に呼応するように、足元の海水が波打った。
「踵部スラスター、軌道調整解除。加速モードに移行」
『えっ⁉ あっ、と、ハイ……承認。スラスター、加熱耐久限界までおよそ百秒です』
「十分だ!」
 渾身の力を込めて海水を蹴る。立った飛沫がみずから湧き立つように大波へと転じ、その水流を利用して滑るようにイチルは空中へ躍り出た。スラスターを噴かして加速、EBEの巨腕を蹴りつけてもう一段上へ。胴を踏みつけて更に上へ。弾こうとしたのかこちらへ伸びてきた手へ飛び乗って、ようやっとその巨大な瞳と視線が合った。どうだ、僕にもできるのだ、と睨み返した瞬間、計器がけたたましいアラートを鳴らす。
『熱源感知。9秒後に敵頭部から熱線。右に……向かって左に来ます!』
「どっちだ!?」
『右に跳んで!』
 このやり取りは二度目である。間一髪。『スパークル』の外装を軽く掠めた熱線は、しかし限界まで引き付けたおかげでEBE自身の腕を焼いた。醜い悲鳴がびりびりと鼓膜を震わせる。千切れかけた腕が大きく傾き、それを足場にしていた『スパークル』も体勢を崩す。
「まずは一太刀だが……」
『足場、崩れます。一度降りるか離れるか……あ、え、もうですか?』
「なんだ!」
『綾芽さんが合流し……』
『――熊野御堂、なんだ今の弾道予測はッ!』
 共有回線に割り込んで来た清廉潔白を地で行くような凛と通る怒声は、第四大隊所属の綾芽タケヒトのものである。チョウスケが呼んだのかそれとも自分の意志なのか、ともかく数分前はレーダーのずいぶん端にいたはずの彼女は、ものの数分でここまで駆け付けたようだった。イチルと同じく熊野御堂チョウスケにオペレーションを任せている彼女は矢継ぎ早にチョウスケを叱りながら、イチルが交戦中のEBEの足元へと身軽に滑り込んでくる。
「綾芽、なぜここに……うわっ」
 足場にしがみついていた手のひらがずるりと滑った。かろうじて繋がっていたEBEの腕を、叫び声を上げながらEBE自身がぶちぶちと千切る。『第二射来ます』とチョウスケの声が短く告げた。仕方ない一度降りるかと視線を落とすと、綾芽機がこちらを見上げている。
『泡柁己様、受け止めます! こちらへ!』
 さあ来いとばかりに両腕が広げられる。改造も受けていないタケヒトのアトランティスは、小柄な『スパークル』を受け止めるにはなるほど十分な大きさがあった。
(しかし)
 イチルは逡巡する。タケヒトを心配したわけではない。訓練時に見た彼女の身体能力は情けないことではあるがイチルより上であった。タケヒトを信用していないわけでもない。彼女のしゃんと伸びた背筋と教官の声に聞き入る真剣な面持ちは好ましいものであった。
 つまるところ、ただ癪だったのである。
「彩芽、打ち上げろッ!」
「は――?」
 素直に落ちたならば。小型軽量化された『スパークル』は彩芽機の両腕に子供のようにすっぽりと収まり、安全に着水させてもらえただろう。それが癪だった。この新しい体になってまで他人に守り慈しまれたくはなかった。ただそれだけの些細で矮小な矜持のためにイチルは今まさに崩れ落ちた足場を蹴り、勢いをつけておよそ八百メートル下の海面へと身を躍らせたのだった。



 子供じみたイチルの駄々に対し、タケヒトの行動は迅速である。
「落下地点は!」
『右ななめ前に三十八メートルです!』
 チョウスケの言葉に返事は返さず、片手に持っていた標準搭載の略式ブレードを投げ捨てる。落下してくる『スパークル』を視線で追いながら三歩踏み出し、体の前で伸ばした両手の指を組んで腰を落とした。バレーボールの要領だ。
『上げた瞬間にニ歩以上離れろ!』
「はっ!」
 イチルの声に頷き、タケヒトはぐっと両腕、それから下肢に力を込めた。スラスターの細かな噴射によって空中で体制を整えた『スパークル』がタケヒトのほぼ真上へと勢いよく落下してくるのを真っ直ぐに見据え、足先が振れる直前に渾身の力で腕を跳ね上げる。脳裏で火花が散るようだった。衝撃、硬質な金属同士のぶつかり合う甲高い音、一瞬遅れて鈍い痛み、さらに遅れて腕の痺れ。
『退避!』
 降ってきた鋭い声に跳び退れば、一瞬もしないうちに眼前の水面に水がすさまじい勢いで叩きつけられる。イチルがスラスターを限界稼働させたのだと理解して見上げれば、『スパークル』が遥か上方へ『打ち上げ』られたところだった。
『彩芽さん、数値上は機体に影響なしです……実際動かしておかしな部分はありますか?』
「ない! 泡柁己様を援護する!」
 投げ捨てたブレードは既に海に沈んでしまっていた。追加武装もこの戦闘においては望めない。しかしタケヒトは護国の兵である。ほぼ丸腰の状態で、しかし堂々と、彼女はどす黒い怪物へ向けて歩を進めた。



 逆だ、とチョウスケは思った。まるで逆なのだ。
 長距離を移動してきたにも関わらず、彩芽タケヒトのバイタルは高い水準の数値を保ち続けている。事前に共有されている数値についてもバランスよく近接戦闘むきであり、前線に立つにふさわしい兵士であった。
 対して泡柁己イチルのバイタルは低空飛行を続けている。意気軒昂と張り上げられる声に忘れそうになるが、そもそもの絶対値が圧倒的に低いのだ。適正にしても完全に砲撃手むきで、前線に飛び出してくるような兵では絶対にない。
――本当なら、彩芽さんが近接戦闘を担当して泡柁己様がそのサポートをするのが理想的なんだけどなぁ……。
 モニターには理想と真逆の戦況が映し出されていた。熱源を感知するアラートがヘッドホンからじりじりと鳴り響き、反射的に弾道予測の数値を視線で追う。どんなにままならなくとも時間は過ぎ状況は進行するということをチョウスケは知っていたし、今このとき目を閉じて見ないふりをするほど愚かでもなかった。
「彩芽さん、左ですっ!」
『貴様それ――クロックポジションにしろ、次からッ!』
「はいぃ、申し訳ありませぇん……」
 クロックポジションとは、たとえばパイロットの真正面をアナログ時計でいう『十二時』として、時間を提示することで方位を伝える手法である。基本的にはこの手法を用いたいところではあるのだが焦るとそう上手くもいかない。ましてやこれは初陣である。初めてのオペレートでマニュアルを遵守し、平静を保ったまま完璧にオペレートをこなすことができる第三大隊員など、おそらく数えるほどしかいないだろう。
 それでも。やるしかないのだ。状況は始まってしまったのだから。時は覆らないのだから。チョウスケは一度両手で顔を覆い、絶え間なく数値の更新を続けるモニターを指の隙間から真っ直ぐに見据え、それからふー、と息を吐き出しながら手のひらを上へ動かし、その柔い前髪を後ろへ撫でつけた。
 やるしかない。
「……熱源感知! 泡柁己様、ええと……八時の方角へ退避してください!」



 踵にこびりついたほとんど熱のような痛みに、イチルは僅かに眉を寄せた。限界稼働により冷却時間を置かねば使えなくなったスラスターの熱が装甲を突き抜けてアトランティス本体を灼いているようだったが、ひとまずそれは無視して視線を前に向ける。痛みには強いという自負があった。
 さて、打ち上げてもらったもののここは無防備な空中である。伸びてくる巨大なてのひらにビームガンを何発か叩き込み、使い物にならなくなった踵部スラスターのかわりに背部のバーニアスラスターを起動する。背をぐんと押される感覚と同時に、落下中特有の浮遊感が内臓を揺らした。一度はEBEの頭上まで高度を上げた『スパークル』は、数度の軌道調整を経てなんとかEBEの肩口へ着地する。こちらへ熱線が向くことが少ないのは、海面のタケヒトがその身に敵の意識を引き付けてくれているからだろう。
『綾芽さんは現在丸腰です。早めに援護を……』
「わかっている!」
 なるべくすぐに片付けなくてはならない。滑る足場を這うように駆け、同時に銃のトリガーを引く。連続で発射される光弾がEBEの皮膚を焼き、至近距離での悲鳴と振動が『スパークル』の顔面に叩きつけられる。
『外部集音、三十パーセントまで遮断します』
「ありがとう」
 爆音が鼓膜と頭蓋を揺らすようでくらくらするのを堪えながら礼の言葉を絞り出す。自らを落ち着かせるように細く息を吐いて不気味にぬるつく足場を蹴り更に加速――しようとしたところで、すさまじい衝撃。
「がっ――」
 悲鳴になり損ねた吐息のような無様な声が出る。振り上げられたEBEの手、その小指が『スパークル』の背にぶつかり、衝撃で足場へ叩きつけられたのだと理解するまでに瞬きが二回必要だった。
『背部装甲、耐久値減少! スラスターがニ十パーセント破損しています。泡柁己様、大丈夫ですか!』
「手が掠っただけだろうがッ、いちいち騒ぐな!」
 苛立ちを罵声にしてチョウスケに叩きつけてしまったところで一瞬後悔し、背なの痛みにその感情が浚われていくのを感じた。あくまでこれはアトランティスとの感覚共有で、そのダメージを受けているのはイチルではなく『スパークル』である。自分とアトランティスを切り離して考え痛みを緩和するという手法が有効なのか甚だ疑問ではあったが、ともあれ体は動くのでなんとか立ち上がって、EBEが緩慢な動作でまた手を振り上げるのを見る。EBEの視線は下、おそらくは海面のタケヒトを見ているようだ。丸腰でここまで引き付けてくれるとは思っておらず、感謝の念を感じると同時にEBEへの怒りを感じる。ここまで来て、まだこちらを見ないのか。片手間で済ませようとしているのか。
(まるで羽虫じゃないか、この僕が)
 この僕が。『この僕』とは何だろうか。
 体力測定はいつでも最低クラスだった。寝る間を惜しんで勉強したところで褒められることはあってもその知識を活用する機会はついぞ訪れなかった。何かを成し遂げたことはない。自分が生きる金を自分で稼いだこともない。誰かを悲しませたこともなければ誰かを幸福にしたこともない。愛と優しさに満たされた完璧に美しいガラスハウスの中にイチルはいつも立っていて、人生とも呼べない虚ろな何かだけが真後ろでぽかんと口を開けている。泡柁己イチルには足跡がない。
 それでもだ。イチルは眼前に迫る巨大な手のひらを見つめたまま、ありったけの力を込めて銃のトリガーを引いた。撃つのに力がいらないことが銃の利点であるのに、意味もなく、壊れてしまえというくらい力を入れた。光弾が炸裂し、手を焼かれたEBEが悲鳴を上げる。駆け出したイチルの頭の隅では家族の声がぽつぽつと思い出されていた。愛しているわ、好き、姉さんの愛しい子、大好きよ、兄さんはおまえが大好きだよ、愛してる、母さまはあなたがずうっと大好き――
(そうだ。僕は『これ』だ)
 EBEがついにイチルを見た。イチルはすこし笑って、チョウスケのサポートに従って熱線を回避し、EBEの首元へどうにか駆け寄った。頸椎。大隊長の言葉を思い出しながらそのまるで人間のようなうなじを目視する。
「尾骨パイル射出、姿勢固定! 強度確認頼む!」
『りょ、了解! 打杭深度四十パーセント、強度問題ありません!』
 首に鋭い杭を打ち込まれ、ぎゃあ、とEBEが鳴いた。『スパークル』には杭として打ち込むための尾がある。砲撃手として改造を施されたこのアトランティスには、斜面であろうと形成できる自分用の足場が必要だったのだ。これで多少動かれても振り落とされることはない。今攻撃されたら避けられないということでもある。かっこいいだろ、一か八かって感じで。そう言って兄は笑った。
 僕はこれだ。イチルはその瞳を爛々と光らせたまま、EBEの頸椎をめちゃくちゃに撃つ。泡柁己イチルは愛情でできていた。家族が惜しみなく与えた愛のみがイチルの誇りであった。「ばかにするな」とイチルは呟き、苦しみから振り回されたEBEの手が『スパークル』の肩口を割り砕いたのを歯を食いしばって無視した。チョウスケが何か叫び、タケヒトの声がそれに重なる。よくわからなかった。銃声と叫び声で耳が馬鹿になっているのかもしれなかった。ぼんやりと熱で霞む脳内に誇りにまつわるいくつかのものが流れては消えてゆく。母の笑顔、EBEの絶叫、兄の暖かい手、裂けて露出した桃色の肉、姉のくちづけ、溢れる血潮。ばかにするな。ただ愛だけに支えられたこの誇りを笑うな。

 叫び声が途切れる。

 急な浮遊感と『泡柁己様!』という叩きつけるような叫び声に、イチルは酩酊から醒めた。ばたた、と水音がして視線を下げると操縦席に血が滴り落ちている。手で顔を拭うと鼻から口にかけてぐっしょりと濡れていて、鼻血を出していたのだと気づく。映像通信を切っていてよかった、ずいぶん見苦しいことだろう。
『泡柁己様、聞こえますか!』
「……ああ、大丈夫だ」
『落ちますッ!』
 はた、と瞬きをしてようやっと二度目の覚醒をし、状況を理解した。EBEの体が海面へ落下しようとしているのだ。
「び、尾骨パイル格納!」
『5秒かかります、3、2、1!』
「格納完了、離脱する――」
 落下する途中で倒れゆくEBEの首には、『核』らしきものが肉の奥に見えていた。それを確認して、は、と目を見開く。
「死んでいない! 綾芽、退避しろッ!」
『間に合いません、綾芽さん、防御態勢を!』
 水に叩きつけられる衝撃に呼吸が止まる。つづいて六百メートルの巨体が落水し、波と水飛沫で何も見えなくなった。

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