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鯉幟のお伽話

 昔々、とある商家の幼い息子が流行病で寝込んでしまったのだそうな。
 人見知りをしない元気で愛らしい子だったものだから、奉公に来ていた下々の者を含めた家中の人間、果ては取引先や客として出入りする者までが暗くなってしまい、とてもではないが商売どころではなくなってしまった。
 とくに父親などは長らく待ち望んだ子供だったこともあって、その落ち込みようは葬式の参列者と見紛うばかり。
 縁起でもないと母親に家を叩き出され、とぼとぼと歩いていくうちに辿り着いた河原。
 これ以上何処に行く当てもなく、誘われるように覗き込めば数匹の鯉幟が泳いでいる。
 看病やらなにやらにてんてこ舞いですっかり忘れていたが、数日後に端午の節句が控えていた。
 このまま祝いの日も待たずにも可愛い我が子を失ってしまうのか、と涙のひと雫が川に落ちた時、誰かが呼ぶ声がした。
「もうし、もうし、そこの方」
 声の主を探せば、なんとまあ大きな大きな鯉幟がこちらを見上げているではないか。
 驚いて尻餅をついた父親を気にすることなく鯉幟は話しかける。
「川まで上がって塩辛いのはもう沢山。落とすなら甘露にしてくだされ」
 甘いものと言われても、と父親が懐を漁ると八つ時に食べようと思っていた鯛焼きがひとつ。
 これで良ければと千切って差し出されたそれを食べ、今度は鯉幟が驚いて跳ねた。
「甘い鯛がいるとは知らなんだ。このお礼に、私で叶えられることなら聞こうじゃないか。先の涙の訳を教えて欲しい」
 駄目元で父親は息子のことをすっかり話して聞かせることにした。
 最後まで黙って相槌も打たなかった鯉幟はこう言った。
「私を持ち帰って庭へ飾りなさい」
 曰く、大きな鯉幟はいつか龍になる日を夢見て力を蓄えてきたが、最早滝を登れない程に老いてしまった。
 このまま朽ちるのを待つならば、最期に甘味を教えてくれた恩人の息子のために、龍になり損ねたこの身この力を捧げたいのだと。
 必ずや病魔から救ってみせると訴える鯉幟に負けて、父親は背負って帰路に着いた。
 道中にお互いのことをぽつりぽつりと話し、家に着く頃にはもう鯉幟は何も答えなくなっていた。
 大きな大きな土産を携えた父親は家中の人間が困惑するのを他所に、息子の寝室からよく見える中庭へ立派な棹を立てて鯉幟を吊るした。
 初めは重く垂れ下がっていたそれは、次第に乾燥して風にそよぐようになった。
 息子は寝たきりだったが、父親は祈るように毎日鯉幟と息子の寝顔を交互に見ながら過ごした。
 それから数日、端午の節句の当日のこと。
 正午の鐘がなったかと思えば、朝から晴れていた空は俄かに曇り出し、突然の雷、突風と大雨に見舞われた。
 鯉幟が飛ばされやしないかと心配になった父親が庭先へ飛び出すと、風に煽られた鯉幟はまるで滝のように激しい雨の中を懸命に泳いでいた。
 そして一際大きく跳ねた次の瞬間、棹と繋いでいた縄を断ち切って空へと舞い上がったのだ。
 黒い雨雲に向かって泳いでいくその影は稲光に照らされて立派な竜の姿をしていた。
 父親はそれを雨に打たれながら茫然と見送るしかなかった。
 暫くして、あの豪雨が嘘のように晴れ渡り、大きな大きな虹が出る。
 すると家の中から悲鳴が響き、我に返った父親はびしょ濡れのまま駆け付けた。
 転がるようにして入った息子の寝室には家の者が大勢集まり、泣き喚いている。
まさかと掻き分け、見開いた目に映った のはあんなに青白く苦しげだったものを満面の笑みに変えた息子の顔だった。
 せがむ息子を抱き上げて、父親は何度も何度も呟いた。ありがとう、ありがとう、と。
 活気が戻ったその商家はとても繁盛したそうな。めでたし、めでたし。

 以来、端午の節句には庭の鯉幟へ鯛焼きをお供えするようになったし、鯉幟は鯛焼きでよく釣れるようになったんだとか。

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