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三人称サンプル(近未来ファンタジー)
人気のない夜の街。23時を過ぎた頃。
不揃いな石畳が続く長い路地を、一人の男が息を切らしながら走っていた。
何者かに追われているようだ。
「はぁ、はぁ……っ」
その男は、数時間前までは至福の時間を過ごしていた。
金と名誉こそがすべて――。
そういう人物像だったようだ。きちんとした妻がいるが、その他に美女を何人も侍らせ、札束をばらまいていた。
その下で働く労働者には僅かな金しか与えず、自分たちだけが裕福な暮らしを満喫する。そんな事を続けていれば、当然に恨まれる。
「……逃げても、無駄なのに」
必死で逃げ続ける男の後ろ――数メートルほど離れた場所に、一人の少女が立っていた。
切りそろえられた長い黒髪と、猫のような金の瞳と、下着かと見まごう形状の膝上までしかないキャミソールドレスを身にまとい、小さくそう呟く。
「ひ、ヒィ……っ、くるな……!」
少女が一歩を進める度に、男は逃げていた男が怯えて叫びをあげる。
どうやら、この少女が男を追い詰めているらしい。
冷たい石畳の上なのだが、少女は裸足のままであった。そして、顔色一つ変えずに、目的である男へと近づいていく。
「やめろ……私が何をしたっ!!」
男はそう言いながら、疲れてしまったのかその場で尻もちをつく形でへたりこんだ。
恰幅の良い体が、小刻みに震えている。
「――神に祈る時間をあげる」
「こ、こんな……小娘に……ッ」
感情のない声音で告げられた言葉に、男は手元に感じた小石を手にして、少女へと投げつけた。
すると、その石は少女に当たることなく、『何もない場所で』不気味に弾け飛ぶ。
「ごめんなさい、あなたは死ぬの」
「ヒィィ……、く、くるなっ、来るなァ……ッ!!」
「…………」
少女の右手に、いつの間にか大鎌が収まっていた。そして彼女は、やはり表情を何も動かさずに、その右腕を大きく振るう。
――目の前にいた男は、悲鳴すら上げられずに事切れた。
「…………」
静まり返った路地に寒風が吹き、それが足元に舞い込んだ少女は、ドレスの裾をつかんで僅かに足を内側へとくねらせる。
「……お疲れ様です、アイリ」
「うん……」
突然、若い男の声がした。
どこからともなく現れたその青年は、執事風の服を着た風貌であった。だが髪色は青く、瞳は紫で、耳が少々尖っている。限りなく人間に近い姿ではあるが、人間ではないのかもしれない。
「冷えますよ。こちらを履きなさい」
「だって、窮屈なんだもの」
「……履いてください、我が主」
青年は少女の背後に立っていたが、優美な仕草で膝を折り、少女用のサブリナシューズを差し出してきた。実は数分前に、少女自身が履いていて、移動にしにくいからと脱ぎ捨てていったものであった。
この少女は、その小さな体の全体を包み込むものが苦手であるようだ。
だがしかし、ここは外で、今は深夜だ。
靴の締め付け感が嫌だとは言っても、やはり寒いことには変わりない。
「履かせて、サイラス」
「いいですよ。ほら、ここに座りなさい」
「……うん」
サイラスと呼ばれた青年は、少女の要求に嫌な顔すら見せずに笑顔でそう言って、彼女を自分の膝へと招き寄せた。
少女はそれに素直に従い、彼の肩口に手をかけて、膝の上へと腰を下ろす。
少女の足先は、当たり前だが薄汚れていた。
それを自分の手のひらで確かめたサイラスは、無言のまま生成り色のハンカチを取り出して、優しく彼女の指先へと持っていく。
「――見事な手さばきでした」
「あぁ……さっきの……。でも、サイラスがいてくれなくちゃ、わたしは命を終わらせられない」
「その為の『私』ですからね」
少女――アイリに靴を履かせている間の、些細な会話であった。
彼らのすぐそばには、物言わぬ姿となった逃げていた男が転がったままだ。
傍から見れば、それは異様な光景だ。