サンプルSS詳細
明鏡のホーネスト
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ㅤあるところに嘘が嫌いな女の子がいました。
ㅤ名前はネメシア。とあるちっちゃな農村で産まれたネメシアは、ほかの子がするように、毎日遠くの湖まで水汲みに励んでいました。
ㅤそれはとても辛い作業でしたが、水がないと人は生きていけません。だから、とても大切なことでした。
ㅤある日、一人の男の子がいいました。
「はぁーあ、水汲みなんてめんどくさいからサボっちゃおうぜ」
ㅤもちろん、そんなことをしたら怒られてしまうし、何より水が無ければ村人は暮らしていけません。
ㅤだから、ネメシアは注意しました。
ㅤすると、男の子は怒りました。
「うるせぇな……一日くらいサボっても大丈夫だろ!ㅤ途中でこぼしちゃったことにすればいいんだよ!」
「うそはダメだよ」
ㅤ男の子の言葉は、ネメシアにとって聞き過ごせないものでした。
「なんでだよ」
「うそをつくと幸せになれないからだよ」
「なんで幸せになれないんだよ」
ㅤネメシアは当然のように言います。
「それはうそをついたからだよ」
ㅤ男の子はため息をつきました。
「意味わかんねぇ」
ㅤ話は平行線でした。
ㅤネメシアは嘘が嫌いでした。だから、男の子の嘘を、ネメシアは許せませんでした。
ㅤだから、これは報いでした。
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「えと、その、人攫いがやってきたんだ!」
「違うよ。私が突き飛ばしたの。だってうそつきは悪いことだから。むくいを受けないといけないの」
ㅤ男の子は泣いていました。足を捻挫したからです。
ㅤネメシアじゃない子が必死に弁明しますが、ネメシアは嘘を吐きませんでした。
ㅤ男の子が嘘を吐いたから、報いとして突き飛ばした。
ㅤ当然のようにそんなことを言うネメシアを、母は強く叱りました。
ㅤネメシアには意味が分かりませんでした。
ㅤ嘘はいけないことなのに。嘘をつくと人は幸せになれないのに。
ㅤ母はネメシアに言い聞かせます。
ㅤ嘘はいけないことだけど、それで人を傷つけていい訳では無いと。
ㅤですが、ネメシアが聞き入れることはありませんでした。
ㅤどころか、母の方が言い負かされる程でした。
ㅤネメシアは嘘がいけないことだと初めから知っていました。
ㅤ──でも、母はそんなことを言い聞かせた覚えはありませんでした。
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ㅤ数年が経ちました。ネメシアはずっと嘘が嫌いでした。
ㅤネメシアが聖女候補であると分かったのは、そんな折です。
ㅤ母は安堵しました。ネメシアの異常なまでの嘘嫌いは、聖女候補であるが故のものだったのであると。
ㅤそれと同時に、自分を説き伏せる程の綺麗さ、潔白さを持つ、恐怖の対象であったネメシアが自分の手から離れることを、酷く安堵しました。
ㅤ出発の直前、ネメシアは母に尋ねました。
「お母さんは、私のこと好き?」
「……ええ、もちろんよ」
ㅤ母は冷や汗が流れるのを感じました。
ㅤもちろん、母はネメシアのことを恐怖こそすれど、愛していたはずです。
ㅤなにせ、自分のお腹を痛めて産んだ子供であり、手塩をかけて育てて来たのだから。
ㅤでも、もしそれを否定されたら……そう思うと、胸の鼓動は大きくなりました。
「そう……」
ㅤネメシアはくるりと後ろに向き直り、背中越しに母に答えます。
「お母さんも嘘つきなのね」
ㅤその言葉は、母を生涯縛り付けました。
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ㅤそして、程なくして、ネメシアは誘拐されました。聖女候補を狙っての犯行です。
ㅤ実行したのはイレギュラーズ。
ㅤネメシア達を聖街まで連れていってくれた、音楽を聞かせてくれた、美味しいものを食べさせてくれた、楽しいことをいっぱい見せてくれた、いろんなことを教えてくれた、あのイレギュラーズでした。
ㅤでも、当たり前です。
ㅤ世界には良い人と悪い人……嘘を吐くひとと吐かない人がいることを、ネメシアは知っていました。
ㅤイレギュラーズにもそれは適応される。それだけのことでした。
ㅤイレギュラーズは、ネメシアを人攫いに手渡します。
ㅤ抵抗はしませんでした。抵抗に意味があるとも、思えませんでした。
ㅤそうして、ネメシアは人攫いの馬車に放り込まれてしまいます。
「私をどうするつもりなの?ㅤどこに連れてくの?」
ㅤネメシアが訪ねます。
ㅤイレギュラーズの一人から教えられていたこともあり、どうせ高く売っぱらうんだろうという思いはありましたが、ネメシアは気丈に振る舞いました。
「あぁ?ㅤ……そうだなぁ、お前が一番輝ける場所だよ」
「……ぷっ、そりゃねぇよお前!」
ㅤ笑い合う人攫い達。
ㅤしかし、それはネメシアに対する回答として最悪のものでした。
「嘘ね」
ㅤ聖女候補として聖街クラリネットで学んだネメシアは、それとはまったく別の成長をしていました。
ㅤもっと歪んだ、いや、真っ直ぐな正義の心をもって、嘘を吐く者に報い以外の何かを与える術を手に入れました。
「嘘はいけないの。いけないし逝けないし、生けないの」
「ちっ、うるせぇぞ!」
ㅤネメシアを黙らせようと、脅すように恫喝し胸ぐらを掴む人攫い。
ㅤそんな人攫いに構うことはなく、ネメシアは運命を弄りました。
「だから、私が嘘じゃなくしてあげるの」
ㅤその言葉をきっかけに、人攫いの手が一瞬止まります。
ㅤしばらく時が止まり、唐突に人攫いがネメシアを放りました。
「行くぞ!」
ㅤ人攫い達は馬に鞭打つと、急に進行方向を変える馬に構うことなく馬車を進めて行きました。
●有言実行
ㅤいつしか、馬車は古ぼけた教会へとたどり着いていました。
ㅤ教会には欠けた十字架のシンボルと、キラキラと光るクリスタルが飾られていました。
「ここが、私が一番輝ける場所……」
ㅤそんな事を呟きながらネメシアはひとり、教会の中に歩を進めます。
ㅤその光景を、人攫い達は黙って見つめていました。ひとつの疑問を抱くことも無く。
「やぁ、待っていたよネメシア」
ㅤ礼拝堂に入ると、すぐに声が掛かりました。
「貴方は……?」
ㅤ声の主は男。純白の布に身を包み、閉じた瞼を糸で縫い付けた、とても歪で綺麗な男の人でした。
「私は……いや、それよりも、君はちゃんとここへ辿り着いた。それが誇らしいのさ」
ㅤ男は名乗ることなくネメシアを称えます。
ㅤその言葉にネメシアは少し嬉しくなりました。
ㅤ人に褒められることなんて、滅多にありませんでした。
ㅤ自分はこんなにも正しいのに。
ㅤ嘘なんてひとつも吐いてないのに。
ㅤだから、その言葉は、ネメシアの一番欲しい言葉でした。
ㅤなのに、こんなにも
ㅤ男は手を差し出します。
ㅤとても唐突でした。
ㅤ世界を救う。なんとも現実味のない言葉で、しかし男が嘘を吐いてないことはすぐにわかりました。
ㅤだから、ネメシアは迷いません。
「……ひとつ聞かせて」
「なんだい?」
「貴方は、いい人?」
ㅤひとつだけ、どうしても聞きたいことを聞きます。
ㅤ男は、ネメシアの言葉に間髪入れずに答えます。
「いや、私は悪い人だ。それも、世界一ね」
「そう……」
ㅤネメシアが思案げに床を見つめ、少しして男を見据えました。
「でも、嘘つきじゃないわ」
ㅤネメシアは、男の手を取りました。
ㅤ──罪状:過度な幸福。