PandoraPartyProject

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黒猫と女神のとっておきの屍

 世界中の本を綴じ込めた図書館があった。
そこは知恵の女神の居城で、彼女の眷属たる黒猫の巣。
大概の場合は荘厳に静かで、聞こえてくるのはページをめくる音ばかりなのだが、今日は少し趣が違った。
部屋の中央に置かれている、人の秘密を覗き込む不思議な魔道具。
それを見ながら、図書館の主はなにやら考え事だった。
当人が漏らすため息と、此処ではない場所の叫び声、泣き声。鋼と鋼が打ち付けあう物騒な音。
そして――、微かに聞こえる、誰かに只管に詫びる声。
女に男が手を触れる。泣き腫らした女が男の手を包む。……男から、低く、低く聞こえるのは呪文の詠唱。
一体何をする気だろう、と私が首をかしげていると、フッと主人が手を振ってしまった。
今の今まで男女の恋と名状したいような気がする、なにかを映し出していた水鏡が光を喪う。
聞こえていた音が掻き消え、部屋は奇妙な静寂に包まれた。
毛が逆立つような、そんな感じだ。

「……そうですか、貴方は、その道を選びましたか」
「片付けと、支度なさい、ノア。神は恐らく、この後一仕事あるので」

それを気怠そうに眺めていた女神が、灰がかった金の髪を憂鬱そうにかきあげる。最後に小さなため息を一つ。
普段着を脱ぎ捨て、彼女が一番気怠いと感じる時の服――それは動きやすそうな綿の分厚い服で、簡素なデザインのものだ――を羽織れば自室へと閉じこもってしまった。
恐らく儀礼の服に着替えてくるのだろう。一回着替え直したのは多分気分だ。
『ノア』と呼ばれている黒猫はにゃぁ、と一声鳴きながら彼女の膝から飛び降りた。もとい、追い出されてしまった。

 ノアは私のことだ。齢は40。
ニンゲンでは若輩も良いところだが、吾輩は猫である。
知恵の女神が昔、ニンゲンだった頃から付き従う歴戦の、現存する神様の使いとしてもわりと長生きの方だ。
……若年層ばかりなのは世代交代が影響しているのもあるけれど、まあ、それはいい。
だから、恐らくご主人はこれから死んでしまうだろう男の弔いをするつもりなのだろうということが予想できた。
そもそも埋葬というのは神官の仕事だ。魂が彷徨わぬように、肉体が再び生ける屍となって苦しまぬように。浄化の呪文をかけ、土に埋める。
墓を立てたらそれぞれの信仰する神へと願いを立てる。どうか死人の魂が健やかな死出の旅を過ごせますように、と。
普通は神がやらないことだ。しかし、神でも出来ることだ。
そして、男に対しては彼女しか出来ないことなのだ。

 仕事はこなさなければならない。
私は水鏡の水を捨てながら思い返す。男が女にかけた魔法、あれは人の脳に働きかけて、物事を忘却させる魔法だった。
「君に笑顔が似合う」と、最期に男は言った。つまり、そういう事なのだろう。
不器用な死に方だなぁと思う。それがなければきっと男の弔い手は女になったのだろうし。
そもそも、男は女以外の誰にもほんとうを晒したことがなかったのだ。
だから、忘却の魔法のせいで、男は誰にも知られていない人になってしまった。正真正銘の無縁仏だ。神と猫は、きっと誰でもないので、彼のことを知っている。
つまり、今回は特例の特例ということだ。知ってしまったものの義務というものだ……と、主人は言うと思う。
私も、それについては同意見だ。
それから、あまり使われない倉庫をひっくり返し、目的のブツを探した。
必要なのはシャベルと、庭で汲んだ聖水。イトスギの枝と弔いの花。
後半2つについては新しいほうがいいので地母神の元へと出向く。此処の庭には知恵の女神の本がそうであるのように、この世にあるありったけの植物が生えており、どこかで必ず花が咲いている。
神殿はこじんまりとしていて、それでいて美しい。華麗という言葉は似合わないが、神聖なら似合いそうだ。神の住まいし場所なのだから当然だろうけど。
そんな楽園のような光景に目を細めつつ、前足でドアベルを鳴らすと取次のトナカイが出てきた。
あいつも私と同じく古参の召使いで、気のいいやつだ。地母神にも信頼されているらしく庭の管理全般を任されているし、冬になると赤い服を着込んだ地母神と一緒に子供にプレゼントを贈りに行くらしい。
やぁ、と挨拶もそこそこに私は本題を切り出した。

「イトスギの枝と、ユリの花。あとカーネーションとか、適当に見繕って欲しいんだけど」

「構いはしませんが……。何、同僚でも死んだんです?」

「ジョークも程々にしないとその自慢の鼻を引っ掻くぞ。まあ間違ってはないんだけどさ」

「ああんやめて。うっかり蹴り殺しちゃうと僕が怒られてしまうから。ほうほう……。何か特殊な事情のようで。」

トナカイは興味深そうに目を細めた。神の使いの類はそういった特別なことには敏感だ。何せ普段刺激がないし、退屈している者が多い。
……自由を司る神とかはそんなことはなさそうだが、私共の主人はどちらも平穏と、保たれた一定の空間を好む。

「……まあ、ね。うちの主人がこれからお葬式するんだって。……あー、あんまり多言したくないんだけど」

「やだなぁ黒猫さん、そんな勿体つけないで下さいよ。どうせ其処まで話したんなら、最後まで聞かせて下さい」

「しょうがないにゃぁ……」

「口角上がってますよ」

「うるさいやい」

そりゃぁ、こんな奇妙な事態だ。秩序を司る女神に聞かれたらたまったものじゃないが、一人、もとい一猫の胸の奥に仕舞っておくにはあまりにも。
面白い土産話を持ってこれたことに少し誇らしく感じながら、軽く纏めて事情を話す。
男と女のことがメインになるだろうか。こうして話していると、悲劇か喜劇かよく分からない。

「……ふぅん……。確かに、あんまり他言できる内容じゃないですね」
トナカイの顔はこれを悲劇と見たようだった。深刻そうな表情は無論、額面通りの意も含まれているのだろうが。

「だろう、傍から見たらただの依怙贔屓だからね……。というわけなんだ。」
内密にね、というイントネーションの私の言葉にトナカイは小さく頷いて。

「分かりましたよ、地母神様には適当にはぐらかしておきます。お花も準備しましょう。……種類は僕が決めても?」

「構わないよ、あんまりナンセンスだと良くないけど」

「まあま、其処は信頼して下さい。最高の花束を御用意致しましょう」

実のところ私は其処のところはあんまり心配していなかった。彼のセンスに対しては、私は一定ぐらいには信頼をおいている。
少なくとも、主人の洋服のセンスよりは。


「お疲れ様でした。では、さっそく仕事に入りましょう」

「分かりました。……どうしました、顔色が余りよくありませんよ」

「別に。上機嫌になれる出来事でもありませんし」

戻ってきた私を出迎えたのは、わが愛しき主人の女神と、船の形をした大きな木の棺。
棺には真っ黒な布がかけられ、イニシャルが刻まれた質素な盾が載せられていた。

「……ワシントンかな」

「それはD.Cですよお馬鹿。……こう記していいのか、悩んだのですが。まあ。……構わないでしょう」

嘆息。今日はいつにもましてため息が多い。いつもと全然違う。
お気に入りだった人が死のうが、知り合いの冒険者が消えてしまおうが、常に無表情を崩さない神だったのに。
そんなにも、この棺の中身には意味があるのだろうか……。と、私は不思議でならない。
持ってきた荷物を分け、支度をしながら首を傾げる。

「中を覗いても良いでしょうか?」

「駄目です。せっかく支度が終わったばかりなのですから。」

「別に、あとで私が戻しておきますから」

「時間の無駄です」

にべもなく。ひと目でも、その男の顔を水鏡越しじゃなくて、直接覗いてみたかったのに。どうにも変な気がしてならない、いつもだったらお使いに行かせたように、私にやらせるのに。
ちょっとムッとしたから、やっぱりそれが土に埋まってしまう前に一度覗いてみることにした。
……の、だが。
知恵の女神は一時も、棺から目を離さない。見たくもないような顔をして、それでも目が離せないようで。どこか見張らなければ、見守らなければならないという強迫観念を感じる。
まるで呪いにかかったかのようだった。
それはシャベルで穴を掘る時も、聖水で周囲を清めるときも。目を閉じ、祈りを捧げる時でさえそのような気迫を感じた。
これではどうしようもない。私は、死出の舟がゆっくりと、土に埋まっていくのを眺めることしかできなかった。
少し残念な気持ちを抱きつつも、イトスギを切り出した十字架を、最後に差し込む。トナカイに貰った花を冠にして墓標にかけた。
青く、鈴のようになる小さな花が白い木と、青い空によく映えた。

「ネモフィラですか」

「私にはよく分かりません、地母神とこのトナカイが選んだのです」

「……そう。皮肉でいて、ぴったりと嵌まり込むものです」

「……? そのこころは」

「この花は贖罪の花なのですよ、ノア。……許されていれば、こんなことにはならなかったのにね」

風が舞い上がる。それにつられて私達は顔を上げる。

「そして、これは私の罪でもあるのです。……寒村の小さな本屋の娘。それで、満足しておけばよかったの。私が居なくなったから、あなたはおかしくなってしまったんだわ」

どこか遠く、遠くへと呟く声。顔を覗き込もうとしたが、髪が邪魔でよく見えなかった、

「それは、どういう……?」

「……いえ。終わってしまったことですから。貴方にも、誰にも言えることではない」

帰りましょうか。と何事もなかったかのように言う彼女の、目元が赤いような気がしたのは。
私の見間違いだっただろうか。

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