PandoraPartyProject

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これは愛する妻を失い、彼女のクローンを作った男の話


 ある練達の科学者の男は数年の年月をかけて、やっとのことで一体のクローンを作り出した。
 それは名前も分からないような、練達に牙を剥く過激派組織の一部が男の研究所を襲った際。彼の目の前で殺されてしまった最愛の妻だった。
 しかし彼が作ったクローンは、共に愛し合った記憶を持たない不完全で失敗作。彼は酷く嘆き悲しんだ。
 それでもと、嘆きながら彼はどうにかして彼女を蘇らせようとしていた。
 だが、どれだけ禁忌を侵しても。愛しの妻を復活させるには彼の力では叶わないと分かったのは随分あとになってからだった。

 蘇生は諦めた。
 だからというわけではないが、彼はそれから過去の妻の記憶を持ったクローンをいつか作り上げ、彼女と共にまた愛し合い、幸せな暮らしをしたいと願っていた。
「なぁ、俺が告白した時の事を覚えているかい?」
 ある時、妻として暮らし始めたクローン体の女は男のリクエストした料理を作っていた。
 男はそんな彼女の後ろ姿を見ながら、毎日のように過去のことを問いかける。
「いいえ、貴方の事は全く記憶にないけれど……それでも過去を知らない私を愛してくれてるのでしょう?」
 彼女は手を止め男の方を向いて、微笑みながらそう答える。
 対する男は悲しそうにしながらも作り笑いを浮かべていた。
 記憶がない。思い出が無い。その事実だけが彼の前に置かれていた。

 ふと男が思い出したように、よく妻とでかけた街へと行かないか提案すると、彼女は嬉しそうに頷いた。
 妻となった彼女と男が外へ出るのは、この日が初めてだった。
 過去に訪れた地を巡れば何か思い出すのではないか。
 本当の妻になるのではないか。
 そう思った男は彼女と共に準備をして、かつて巡り歩いた思い出の地でもある様々な街へと繰り出した。
「懐かしいな! 此処で君と出会ったんだっけ……」
 そんな懐かしさを感じる男だったがクローンの妻は特になんの反応もなく、海の景色が見える店で食事を嗜んでいるだけ。
 彼女の様子を伺いながら、男はわざとらしい大袈裟なリアクションをしたり、妻と出かけた過去の話を彼女に話していく。
 そんな事を繰り返す間に彼は何度も涙を流すのだ。
 どうして妻が。どうして自分じゃなかったのか。責めて責めて、嘆くを繰り返す。
 男は、自分が造り上げたクローンである妻に慰められながら歩みを進める。
 どこへ行くのにも足を進めるしかないと分かっているから。なのに、男は自分でも気付かない。ずっと前に愛する妻が死んだ時から彼はその足をぱったり止めてしまっている事に。
 泣きじゃくる彼に眉を下げて困ったような表情を浮かべるだけで、彼女は何も言わない。
 けれど、彼が愛しているのは紛れもなく『今の自分』ではなく『死んだ妻』なのだ。
 何を言っても届かないと、彼女は知っているのだ。

 どれだけの時間を掛けたのだろう。
 男は結局、亡き妻の記憶を呼び起こそうと研究を続けていた。
 それも死者を冒涜するような内容のものばかり。
 勿論、彼は死者が戻って来ない事はわかっているけれど、諦めきれないという彼の気持ちは周りの制止する声を全て無視していた。
 愛する者を失った気持ちに理解できると同情の言葉を掛ける者もいたが、彼が諦める事はなかった。聞こえていなかった。
 研究を続ける彼は毎晩のように妻へ向けた愛の言葉を呟きながら眠りに落ちていった。
 それはとても、孤独に見える後ろ姿で。


「あぁ、とっても可哀想でとっても愛しい。私の夫はとっても可愛いわ」
 女は含み笑いを浮かべ、愛おしそうに深い眠りについた夫である男を見つめていた。
「ごめんなさい、私は貴方に嘘をついているの。覚えていないなんて嘘、全部全部覚えているわ」
 彼女は今の今まで、男にずっと記憶が無いという嘘をついていた。
 彼の頬を触れ、頭を優しく撫でながら彼女は静かに囁く。
「ずっと、貴方の悲しい顔を見て愛おしいと思ったの。ごめんなさい、私はこれからもこの先もずっと……貴方の悲しむ表情を見ていたいの」
 自分の額と男の額を合わせて、そっと唇だけで笑う。
 彼女は愛する夫の頬にキスを落としてから部屋を去って行った。

 明日は自分のためにどんなことをするだろう。
 すこしでも『今の私』をもっとよく見ていたなら、きっと嘘はすぐに見破られたはずだ。
 どんなに愛を語りどんなに『私』を理想に掲げても、見ているのは自分の事だけ。自分のことばかりしか考えない彼を見ているだけで何度も彼女は口が緩みそうになる。
 それを我慢して、彼女は夫である男に過去の記憶が無いという嘘をつき続け、そして最後の最後に本当の事を告げようと思っていた。
 本当の事を告げた時の男の表情が楽しみで楽しみで仕方ない。きっと、とっても素敵な表情を見せてくれると思っていた。


 何年かの時が過ぎ、年老いた男は寝たきりの状態が続いた。
 時間は何も待ってはくれず、彼の寿命が刻一刻と迫って、命の灯火が消えゆく時だけが目の前から近づいて来た。
 そんな折に、老いた男の手を握り締めた女が顔を近づけてくる。
 クローン体であるために年老いなかった彼女は、男がかつて愛した女性そのままの姿で微笑んでいた。

「ずっと言わなかったことがあるの。私、貴方が死ぬまで過去の記憶は無かったことにしてたの」
 彼女は愛おしそうに笑った。
 幾ばくかして、男は言った。
「ああ……そういう人だって知ってたよ。過去の君も今の君も、とっても美しくて俺は幸せだった。まだ君の隣にいたかったけど、もう君の傍にはいられない。これは気付くのが遅かった俺のせいだ……だけど、俺を愛してくれていたのは知ってたよ」
 ありがとう、と男は言った。
 その言葉に、女は笑顔のまま涙を流してしまった。
 彼は気付いていたのかもしれない、彼女が嘘をついていたことを。
 それでも、男は気付かずにいた。つまりそこには夫としての『彼だけが知っている妻』が居たという意味だった。
 涙を流しながら、妻は夫の手をもう一度握り締めた。
 二人は、幸せそうに笑い同時に言った。
「「愛してる」」
 それは男の命が消える、最期だった。

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