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供物の男と紳士猫の話
無辜なる混沌に召喚された男を出迎えたのは、修道女のような恰好をした女だった。
ざんげ、と名乗った女の案内を受け、男は混沌の大地に降り立つ。
右も左も分からなかった男に、まず最初に手を差し伸べてくれたのは、猫の獣種の男だった。
男の世界には存在しない種族だったので、最初は着ぐるみにしか見えなかったものだ。
「なんだね君は、街のど真ん中で突っ立って」
「おおっ、口が動くなんてすごいな! ちゃんと口の動きに合わせて声も出てる、凄ぇギミック!」
「……私を着ぐるみと一緒にしないでくれないか」
「へ?」
男の胸元あたりまでの背丈、片眼鏡に蝶ネクタイ、紳士然とした格好の渋い声の猫は、男の呆けた顔を見て事情を察してくれた。
この世界では召喚者は珍しい存在ではなく、彼らが大体最初に訪れることになるこの街では、男のように不審者になってしまう
「君がイレギュラーズであるなら都合がいいな」
「なんで?」
「私もギフトを持っているのでね。同じイレギュラーズなら遠慮なくギフトを掛けて構わんだろう?」
「いや遠慮は持った方が良いんじゃないか常識的に」
「ここじゃあ非常識が常識だよ君」
「非常識を気にして『同じイレギュラーズなら構わんだろう』っつってた奴が言う事じゃねーな? 別に変なギフトじゃなきゃ良いんだけどさ、お前のギフトってなんだよ」
スケッチブックを取り出した紳士猫を怪訝な目で見やると、猫は興奮気味にペンを走らせながら応えた。
「私は対象者の魂の形が見えるのだ。君の魂は非常にインスピレーションを擽られる! 申し訳ないがダメと言われても描くぞ」
「往来でやる事じゃねぇだろ……移動しねぇ?」
「ダメだ! 動くな!」
「ええ……?」
不審者が多いというのは本当らしく、通行人は道の真ん中で立ち尽くす彼らをちらりと見ても特に反応せず素通りしていった。
有難いような悲しいような、相反する気持ちに苛まれながらも、空中庭園から降りて初めて声をかけてくれた獣種の男を無下に出来ず、男は彼を待ち続けた。
しかし急に「むぐぅぅぅ」と獣ばりの唸り声をあげると、折角スケッチした紙を破り捨ててしまう。
「ダメだ! 此処では雑音が多い!」
「だから移動した方が良いんじゃねぇかって言ったじゃん」
「何だと!? もっと早く言いたまえ! 私のアトリエに移動するぞ!」
「アトリエ?」
彼が描く「魂の形」はそれなりに評価があり、個展を開いたこともあるという。
彼もイレギュラーズ。ローレットの要請に応じて戦闘に出る事もあるが、その主な目的は戦場で魂の形を見、インスピレーションを得る事。
小さなアトリエで作品を作りつづける事が、彼なりの闘いだという。
「依頼も様々だからな。私は私に出来る事をするだけだ」
「はあ。まあ、立派だとは思うぜ。今の俺は何にもないからな」
「そういえば君にはまだローレットの案内もしていなかったな」
「うん、まずはそこに案内して欲しかったな」
男は異世界から召喚された身だ。置かれた状況に対して簡単な説明を受けてはいるが、身の振り方を決める為にも情報が欲しいところだ。
紳士猫は反省するように髭を下げた。
「申し訳ない。久々の大作の予感がしてね、つい先走ってしまった」
「大作?」
「一晩では君の魂の形を描き写すことは難しい! 是非とも継続的にモデルになってもらいたい! 報酬は出す! 当面の間の衣食住の提供をしようじゃないか!」
「それ四六時中モデルになれって言ってねぇか?」
「頼む! この通り!」
「迷いのない土下座はやめろよ! ……ああ、もう、わかった、分かった! ちゃんと報酬はもらうからな!」
「勿論だとも!」
飛び上がって喜ぶ姿を見ていると、どうにも気が抜けてしまう。
これも何かの縁だろうと、男は受け入れる事にした。もともと男は猫好きだ。
「ところで猫紳士、名前は?」
「グレゴリーだ。君の名前は?」
「俺は――」
素直に名乗ろうとして脳裏をかすめたのは、空中庭園に招かれる寸前の景色。
彼を愛してくれた女性が居た。
彼を愛し守ってくれた家族や仲間がいた。
彼らが生きていく為に男の命ひとつでどうにかなると言うのなら、迷わず差し出してしまえるほどには、男も彼らを愛していた。
だから、男は自分の命を差し出した。
召喚されたのは、その直後だ。
正直に言えば、召喚前後の記憶はハッキリとしない。自分の命が無事、世界存続のための供物の役割を果たせたのか、分かっていない。
――だが、そうでなければならない。
(かつての『俺』は、あいつらのものだ)
今ここに居るのは死者であり、新しい自分だ。
「……保留しとく」
「ホリュウ・シトク? また不思議な名前だな」
「ちげーよ! 保留だっつってんだよ!」
「はあ、訳ありかね」
「そうだ、あんたも一緒に考えてくれよ、俺の新しい名前」
「ほほう? 良いだろう」