PandoraPartyProject

サンプルSS詳細

サンプル1

 来る日も、来る日も。
 男はただただ鍛えた。技を練り上げた。心を磨いた。
 何の意味も、感慨も無く。
 物心ついた時には……いや、その以前から闘う術を学んでいた。余人の踏み入らぬ山奥で偶然男を拾い上げ、育てた翁には、それ以外に授けられるものがなかったのだ。だが、それでも何か……何か、価値あるモノを自分に与えようと思ったのだろう。
 翁は男が十かそこらの頃に没したが、鍛錬をやめようとは思わなかった。結局流派の名前すら聞こうとはしなかったが、それは男の性に合っていた。やめる理由が見つからなかった。
 そしてやはり、何の意味も無かった。
 変わらぬ日々を、変わらず過ごす。男は生きるため、生活のための営みを除く全てを、使うあても無い武に捧げた。
 その分、力は身についたのだろう。だが比べる相手が居ない以上、どれほどのものかは知る由もない。そんな発想すら沸き起こらない。
 それが他者から見てどれほど虚しいものかも……世俗を知らない男には、理解し得なかった。
 だが、ある時。


「……面妖な。さて、知らぬ間に狐にでも化かされたか」


 ——目に移る全てが、男の知らないものだった。
 古びた石造りの建造物。まるで見覚えの無い植物。辺り一面、遮るものの無い遥かな蒼天。先程まで視界を覆っていた樹々も、土も、川も、跡形も無く消え去っていた。
 着の身着のまま、あるのは愛刀である無銘の大太刀ただ一本。見知らぬ土地に一人きりだ。
 もっとも、男は別段困りもしないのだが。
 元より一人きり、何処とも知れない山奥で生を終えるつもりであった男からすれば、さしたる違いも感じられなかった。むしろ、この変わった出来事に興味をそそられ、面白いとすら思っているほどだ。
 ともあれ、いつまでも惚けてばかりではいられない。見当などつくはずもないが……進まねばならない。
 男は、何処へともなく歩き始めた。


「……旅人さんっすか。お一人みたいっすね」


 そこに居たのは、黒衣の人。男にとっては翁以外に人生で初めて目にした人間だ。黒衣の人物は女性であったが、それも男には判別がつかない。ただ、造形として……そして、纏う空気の美しさは感じ取ることが出来た。
 そんな美しき人に興味が湧かなかったと言えば嘘になる。しかし、男にとってそれ以上に目を引き付けたのは、彼女の隣に立つもう一人の人物。


「旅人……新たな『特異点座標』か。ようこそ混沌へ、とでも言えばいいのかね」


 金髪碧眼。男が静かな水面を覗き込んだ時に写る、真っ黒なそれとは違う鮮やかな色合いだ。よく鍛えられている。ある種の雰囲気がある。
 一目で分かった。目の前のこの人物は、間違いなく強い。
 男の中の何かが変わる瞬間であった。澄み切った清流のようであった男の心中に、焔が舞い上がったのだ。
 半ば、本能に任せたかのような行動であった。
 何の前触れもなく。何の遠慮もなく。唐突に。——男は、美しき人に斬りかかった。


「……一応聞いてやる。何のつもりだ?」


 その凶刃は、強き人によって当然のように弾き返された。


「何故、無抵抗の、非武装の、この無愛想な女に刃を向けた? 返答次第じゃこっちにも考えがある」
「ほう、その美しき者は女人であったか。初めて見たが……かように雅なものとは思わなんだ」
「答えろ」


 強き人は美しき人を背中へ隠し、男へ向けて切っ先を突きつけた。その整った相貌に、微かな怒りの色を浮かべながら。


「儂にも分からぬ。……が、どうやら目論見は上手くいったようだ。そこの女人に刀を向けたなら、お主は黙ってはいない……そう思ったのだ」


 単なる直感でしか無い。しかし、男は斬りかかった。もし勘違いであっても、美しき人を斬り殺しても構わないと思ったのだ。
 故にその太刀筋には、まごうこと無き殺意が籠っていた。


「なるほど、な。そういう類の馬鹿野郎か。だったら俺に直接来ればいいだろうが……」
「こちらの方が、お主は本気になる……そう思ったのだ。許しは請わぬぞ」
「ああ。ああ、構わねえさ。——お灸はこっちで勝手に据えてやる」


 気づけば、強き人の剣が目前へと迫っていた。
 反応することすらままならない一撃。躱しきれず、剣は男の頬を浅く斬り裂いた。
 何とか体勢を整え、一旦距離を置こうと後退するも、やはり間に合わない。思考と動作に決定的な差が生まれる。
 二の太刀へ対し、大太刀を盾のように構えて対処するが、それもまた下策であった。


「っ!?」


 防御などまるで意味を成さず、男は衝撃で吹き飛ばされた。ごろごろと、無様に地面を転がりながら何とか身体を起こすが、ダメージは甚大であった。
 脳が酷く揺すられており、視界が安定しない。倒れないように堪えるのが限界で、とても反撃に出られそうにはなかった。


「不思議か?」
「……何をした、強き者?」


 身体が重い。技が鈍い。酷く非力で、酷く打たれ弱い。
 男の記憶の中の自身とは、明らかに異なる弱さ……まるで未熟な幼少期に戻ったかのようだ。


「元は大した剣豪だったんだろうが、旅人は全てこの混沌世界の法則……『混沌肯定』によって力を『レベル1』に再設定される。一概には言えないが、お前の場合は弱くなったってことだ」


 よく理解できない……が、確かに男は弱くなったようだ。これでは強き人との闘いは成立しないだろう。


「よく分かった。どうやら出直した方が良さそうだ」
「させると思ってんのか?」
「くくくっ……なに、今日は儂に“つき”があるようだからな。何事もやってみねば分かるまいよ!」


 男は駆け出した。一目散に。脇目も振らず。
 まともに逃げたところで今の鈍い身体では追いつかれるのが関の山。機先は制したが、捕まるのは時間の問題だろう。
 だが、男には確信があった。言葉通り……今日は、男に運がある。
 強き人には隙がない。しかし美しき人を徒らに狙われ、内心腹に据え兼ねていたのだろう。ミスを犯した。
 逃げると言った男の後ろへと、ほんの一瞬だけ視線を飛ばしたのだ。
 それに、一縷の望みをかけた。


「——あれか!」


 後ろから斬り捨てられかねない状況で、男は振り返ることもせずそこへ飛び込んだ。


「ちぃっ……!!」


 舌打ちが後ろから聞こえたような気がした。しかし油断は出来ない。男は脚を止めなかった。
 そこから先の記憶は曖昧だ。まだ死ぬわけにはいかないという一心で走り、逃げ出すことに全力を注いでいた。それも理由の一つだが、男の胸中を支配していたのは、生まれて初めて感じる狂気的なほどの喜びであった。
 喜ばずにはいられなかった。
 今日この時、ただ朽ち果てるだけだったはずの男の人生に——確かな意味が生まれたのだから。

PAGETOPPAGEBOTTOM