PandoraPartyProject

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1人称サンプル

 昨日と同じ青空が頭の上に広がり、昨日とは違う雲が流れ、昨日と同じく太陽が輝いている。空を眺めると、心に清流が流れ洗われている感覚になる。
 いつもの一日。
 これから始めるのは自分にとって昨日ともさほど変わらない平凡な日常だ。

 軒に足をつけた鳥のさえずりと陽射しで意識が覚醒する。最初に、こうして目覚めてから最初に考えることはいつもと変わらない。
 剣を振る。

 布団の中でゆっくりと体を伸ばしてから起き上がり、刀と干しておいた手ぬぐいを一枚とってから砂利の敷き詰められた庭へ出る。
 高い生垣で囲まれた庭の中を屋敷を中心にぐるりと回る。生垣の向こうでは、別世界のような風景が広がっている。買い出しの度に珍しがる者は今でも絶えない。大召喚とやらの日からその数はまた増えたように思える。貴族たちは、自分の姿を見かけると今でも鼻で笑う。気にはしないが、気に障る事に違いはない。
 生垣から目を離し、裏庭へ出る。土がむき出しのままにしてあるのはここに小さな畑を作っているからだ。

 寝ている間小雨でも降ったのだろうか、実った野菜の肌に水滴が残っているのが遠目で分かる。早朝日の当たらない角度にあるから地面も乾ききっていないようだ。刀を角帯に提げ、水気を含んだ土の感触を足裏で確かめつつ裏庭の真ん中にある井戸へ向かう。
 以前までは釣瓶を落として水を汲んでいたが、厚意で機械式の手押しポンプをつけてもらった。最初はどうかとも思ったが、ハンドルを上下させるだけで水が出るというのは大変便利だった。
 手拭い越しに出る冷水で顔を洗う。布団の中から体に纏わり続けていた気怠さも流れていくようで頭から体の芯まですっきりとしていくのがわかる。今日を始めるために欠かせないことの一つだ、顔を洗わないとどうも意識がはっきりしない。剣を振る事と同じく、これはもう体に染みついているのだろう。
 持って来ていた手拭いで顔を拭き、もう一度ハンドルを操作して手を濡らし水気を残したまま表へ戻る。
 そうした頃には手から滴る水滴もなくなって、ひんやりとした感覚だけが残る。

 手拭いを腰に差し、そうしてから刀の柄を握る。
 冷たく、しっとりとしたままの手は神経がむき出しになっているような錯覚を覚える。
 この時ふと、頭をよぎることがある。

 この感覚を何度繰り返しただろうか、と。

 しかしそれはどうでもいいことだ。
 いつもと変わらない。そんな平凡でつまらない思考は鯉口を切ると同時に捨て去るのがいつもの自分だ。
 日頃の素振りで擦れた握りが水で冷えた神経に触れ、やがて温められ、手のひらと剣の感覚が溶けあっていく。
 刀を、抜く。

 空の下で剣を振ると剣に反射した陽射しが向かって左側に立つ壁に時折走る。普段なら光を追ってはしゃぐ猫もこの朝だけはそれをしない。鳥も虫も、気づけば辺りに姿は無くなり音を潜ませる。太陽も生垣から顔を出してはおらず、身を焼くことはない。
 目の前には誰もいない。
 当然だ。
 いま自分は、誰かを想定して刀を振っているわけではない。無心に、ただ振っている。型を。技を。己の体を最適化させるためだけの動作だ。
 師匠に言わせてみれば、そんなものは木刀でやれと叱られそうなものだがここには既に自分を叱咤する者は
 ならば自由にやるのがいいだろう。そんな開き直りをしたのも大分前の事だ。
 あの頃より随分と周囲の景色は低くなった。全てが高く見えた昔。自分には到底手の届かない位置に見えた物にも、いつの間にか手が届くようになっていた。
 その憧れを斬ってしまった今では、いっそ憧れは憧れのままでよかったのかもしれないと、そう思った。目的を見失うというのは酷く恐ろしいことだと、そう思った。

 憧れを斬ったあの時から、この刀の切先は相手を見失ったように揺らいでいる。いくら風を斬ろうと、いくら光を弾こうと。

 こんな思考がいつもの日常になってしまったのはいつからだっただろう。もう一度思い返してみても、やはりあの時なんだと自覚している。
 この刃は誰に向けるものなのか。この毎日は何のために繰り返しているのか。こうしてぼんやりと刀を振っていると、
「抜け作でももう少しマシな剣を振るだろうな」

 決まって、五月蠅い男が出てくる。

「今日は早いですね師匠、早起きは良いですが傷に障りますよ」
「間抜けな刃鳴りが耳障りでな、痴呆が刀で遊んでいるのかと思えばお前だったとは」
「厳しいなあ」

 どれくらい時間が経っていたのだろうか。日は大分進んでいるようで、すっかり顔を出していた。
「飯にする。汗を流してから来い」
「はい」

 変わらない朝。
 しかし以前とは違う朝に愛着も寂しさもある。そんな中で、新しい憧れを、うつろう切先の行方を早く見つけなければと自分は焦っていた。
 外には、手の届かないものが沢山あるだろうか。

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