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夢の終わり(サンプルSS)
和風住宅の縁側で、老いた獣人が寝息を立てている。
その老人の近くに忍び寄り、木刀を振りかざす者がいた。
昔々――とは言っても、せいぜい30~40年前のことなのだが――獣人の暮らす世界に、『百獣剣聖』と言われる伝説の剣客がおったそうな。
『百獣剣聖』とは、その名の通りすべての獣人剣士の頂点に立つものに与えられる称号。
本来はお上に仕えて、その武勇を振るうべき――なのだが、その剣士は修行バカで、いつも剣のことばかり考え、野山に入っては修行に明け暮れる、少し変わった剣聖なのであった。
そんな男だったから、ある日突然『神隠し』にあっても、だぁれも気づかなかったそうな。
『神隠し』から帰ってきた剣聖は言った。
「混沌世界という摩訶不思議な異世界に召喚され、自分の体は子供のように縮み、剣聖であった自分の力は赤子のごとくに弱くなり、そこで修行をやり直していた」……と。
百獣剣聖の話を聞いた者は、この男は気が狂ってしまったのではないかと訝しんだ。
しかし、その不思議な世界の話以外は、いつもと変わらぬマトモな男であったので、周りは余計に困惑した。
結局、その話は修行に明け暮れているうちに頭をぶつけたか何かしたのでは、という感じで有耶無耶になった。
剣聖も、周囲が信じてくれないのは当然と思っていたのか、自分からその世界について強く主張することもなかったのである。
和風住宅の縁側で、老いた獅子の獣人が寝息を立てている。
その老人の近くに忍び寄り、木刀を振りかざす者がいた。
ビュッと音を立てて、木刀が振り下ろされる――。
だがしかし、それは老獅子の額に命中することはなかった。
いつの間に起きていたのか、それとも寝たふりをしていたのか。
木刀は、老人の片手の人差し指と中指に挟まれ、防がれていたのである。
「呵呵、吾の寝込みを襲うなど10年早いのである」
「チェッ、じっちゃを倒すにはまだまだだな」
木刀を握ったままの子獅子からそれを奪い取ると、老獅子――獅子若丸は、庭に棒のように突き立てた。
獅子若丸は、混沌世界から戻ったあと、何事もなかったかのように百獣剣聖の仕事を続け、結婚し、こうして孫までできた。
彼は今も孫にあの異世界の話をおとぎ話のように語って聞かせている。
「あはは、海で釣りをして寿司が釣れるわけねえだろ! じっちゃ、俺を騙そうったって、そうはいかないぞ!」
「そうであるなあ。長いような短いような、夢を見ていたのかもしれぬなあ」
それでも、獅子若丸は目を細めて思い出す。
あの冒険の日々を。異世界に残してきた友人を。
それは、きっと良い夢だった。