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上手にできません
「歯磨き、やーだ」
部屋の隅で背中を壁にぴったり付けながら主張しても、返ってくるのは困ったような笑顔。その手に握られたものは下ろされないし、しょうがないなぁ、って言葉も飛んでこない。いつもだったらおれの嫌がることなんてしないのに、歯磨きはね、大事なことだからね、ごめんね、なんて言って笑う。
「何が嫌なのかな?やっぱり、痛いところがあるのかな?」
「痛くない。他の犬からがぶってされた時とは、違うもん」
「うーん……じゃあ、もう一回。もう一回やってみたら、また違うかもしれないから」
ね?と首を傾げられたら、むぅ、と音が喉から漏れる。威嚇じゃない。でも納得もしきれなくて、ぐるぐる。結局閉じてた口を開いてりゅーのすけの持ってた歯ブラシを受け入れたけれど、いつもよりも何か気にするように口の中を動き回るそれが気になって、気になって。
口を開いているのが嫌になって閉じがちになる度りゅーのすけが笑いながら開いて、って言ってくる。そうして何度目かのやり取りをしようとした時、犬歯に引っかかってずれたブラシがやわく上あごを擦り上げてきた。腹の下から背中にかけてぞわわ、と這い上がってくるものに驚いてがちん、とブラシの柄に噛み付く。
「わ、と……どうしたの?大丈夫?」
「む」
まだ変な感じが残ってて噛んだままのブラシをがじがじする。りゅーのすけはやっぱり虫歯かなぁ、心配だなぁ、なんて言いながら大きい手で頬を包んでくる。むに、と触れられると口の中でまたブラシが揺れる。身体に変な力が入るのに、抜けちゃうような変な感じ。
「むーー」
早くこの時間を終わらせて溜まった唾液を吐き出したい。でもりゅーのすけはすごく気にしてるから、このまま終わらせてくれるとも思えなくて。
「ね、雪代くん。口開けて。今どういう気持ちなのか教えて」
教えてもらえないと分からないんだ。
ごめんね、なんて続けられると、それがやだなって気持ちがふわりと浮かぶ。りゅーのすけが痛そうにするのが嫌だから噛むのはやめた。笑う顔がさみしそうになるのが嫌だからただ突っぱねるのもしなくなった。じゃあ今は、どうしたらいいんだろう。
小さく、口を開く。それだけでほっとしたように、りゅーのすけの顔が綻ぶ。
「変な感じ、するからやだ」
やっぱりおれは、この顔が好きだなぁ。