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約束(日常系?サンプル)

 山の気候は変わりやすい。今朝は雲一つない晴天であったというのに、今は打ち付けるような強い雨が降っていた。
 雨のせいで道はぬかるみ、ただでさえ歩きづらい山道がいっそう険しさをます。正直諦めて帰るべきとも考えたが、約束は果たさなくてはいけないという思いが、気づけば足を前に出させていた。

 男は木の陰に入ると地図を広げる。子供が書いたそれは地図というにはあまりにお粗末で必要最低限のことしか書かれていない。分岐の目印に至っては、何色の花が咲いていたと言った全く宛にならない代物だった。
 だが、そんな手書きの地図を男は大事そうに服の内ポケットにしまうと、地図の意図を何とか汲み取りながら道を進んで行った。子供の冒険心というものは時に大人にできないことをやってのける。今となっては何が楽しかったのか思い出せないが、昔は男もよくこの山を登っていた。
 それどころか自分の友達は全員一度はこの山に登っていただろう。それくらいこの山は子供にとって格好の遊び場で、大人たちに隠れてのびのびと過ごせる秘密基地だったのだ。
 そういった子供のころの眩しい思い出は今も色あせず、大人になった自分に道を示してくれていた。不思議なものだった。何十年も前のことのはずなのに、昨日のことのように一歩進むごとに記憶が掘り起こされる。
 友達が迷子になってるのを見つけた藪、みんなで食べた果実、かくれんぼで境界線代わりに使っていたお花畑。そんなありふれた思い出が、まるで自分を若返らせたかのように力をくれる。

「ここか」
 男は地図と景色を見比べて一人頷いた。目の前に広がるのは小さな川だった。静かなせせらぎと、ほのかに聞こえる虫の音が優しく鼓膜を震わせる。
 いつの間にか雨は止んでおり、月光が川を照らした。男はそっと川に手を入れる。その水はひんやりと冷たく、そして心地よかった。
 男はおもむろに周囲に目を配る。そして不自然に土に突き立てられた木の板を見つけた。ほとんど腐ってギリギリで形を保ち続けたそれは、どれほど長い間自分を待ってくれていたのだろうか。
 木の板を丁寧に取り出し、男はその周辺を掘り進める。不思議と今まで経験したことないほどに心臓が強く鳴っていた。
 しばらく掘り進めると何か固いものが指先に触れた。それは小さな木箱だった。土にまみれた木箱の表面に軽く水をかける。中のものが濡れないように慎重に汚れを取っていくと、木箱の表面に子供っぽく大きく書かれた名前が浮かび上がった。
 その名前は地図を書いてくれたかつての友達のもの。これが約束の物であることは間違いないはずだった。
 男は大きく深呼吸すると木箱の箱を開ける。
 中に入っていたのはプラスチックの指輪、そして精一杯丁寧に書いたと思われる文字で綴られた一通の手紙だった。
『もどってこられたらずっといっしょだよ』
 男は指輪を取り出すとその手に付けようとする。しかし、その指輪は大人になった自分にはあまりにも小さすぎて指に入らなかった。
「ちょっとばかし、来るのが遅れたな」
 男は数十年前のことを思い出す。親の都合で村を出ることが決まった日、友達に絶対に見てと圧しつけられた一枚の地図。そして、別れるのが嫌で意地になって地図を見ようとしなかった過去の自分。
「ここに来てよかった」
 それは本心からの言葉だった。久しぶりの故郷はいろんなものが変わっていた。新しい設備や人が増えて、自分が覚えているものはほとんど残っていない。あの頃の友達も、全員村を出てしまっていた。だが、この山があの頃のことをはっきりと思い出させてくれる。
「戦う理由が、生きる理由ができたな」
 もうすぐ戦争が始る。ただの兵士である自分が生き残れる保証はない。だが、この山を守るため、どこにいるかも今となってはわからない一人の少女を守るためなら全力で勝とうと思えた。

 ずるずると引きずってしまった約束は新たな誓いに生まれ変わる。男は幸福感に包まれながら川の音に耳を澄ました。

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