サンプルSS詳細
ステルナと薄紅色の島(サンプルSS)
ステルナが初めてその町を目にしたとき、あまりに美しくて目を奪われた。
鳥の姿で海の上を飛んでいた彼女は、石垣に囲まれた小さな島を通りかかった。
小さな、とは言っても、ひとつの町を形成する程度には面積はあるらしい。色とりどりの屋根と白い壁が太陽の光を反射して眩く輝いている。
しかし、何よりステルナの目を奪ったのは――島を彩る、薄紅色のなにかだった。
遥か上空を飛んでいる彼女には、それが何なのか分からなかった。それが彼女の興味を一層強く惹いた。
ステルナは風を纏って素早く家の陰に降り立ち、人の姿に変化した。
何食わぬ顔で表の路地に出ると、あの薄紅色が町の至るところに花をほころばせていた。
――花、なのか。この薄紅色、全部が?
思わず見とれていると、町の住人らしき女性が声をかけてきた。
「あら、こんにちは。見かけない顔だけど、旅の人かしら?」
「こんにちは。あちこちを旅しています」
「そうなの、若いのにえらいのねえ」
「あの……この木は? こんな美しい植物は初めて見ました」
「よその土地には生えていないのかしら? 島の外に出たことがないから分からないけど……この木はサクラって言うのよ」
「サクラ……」
ステルナは教えてもらった花の名前を呟きながら、木を見上げる。風に吹かれて、花びらが舞い散る様子は、暖かいというのに薄紅色の雪のようだった。
「ふふ、本当にサクラが気に入ったのねえ」
「はい。何日か滞在したいのですが、宿などはありますか?」
「ええ、よかったら案内するわ。なにせ私、旅館の女将ですから」
女性は誇らしそうに胸を張る。その様子が微笑ましくて、ステルナは花がほころぶような笑顔を浮かべた。
「いきなり女将さんに会えるなんて、運がいいわ。早速チェックインさせていただきます」
案内されるまま宿にたどり着くと、その庭園にもサクラは植えられていた。
「この島は、どこでもサクラが咲いているのですね」
チェックインの手続きを済ませながら、ステルナは庭を眺める。
「この島のシンボルみたいなものね。今の時期にしか咲かないから、それ以外の観光資源なんてないようなものだけれど」
女将さんは微苦笑を浮かべる。
「ねえ、よかったら、今夜一緒に花見に出かけない? ステルナさんに見せたいものがあるの」
「花見? ええ、かまいませんが」
時刻は既に夕方である。ステルナは旅館で出された夕食をとったあと、仲居に宿を預けた女将さんと一緒に花見に出かけることにした。
女将さんに連れられてやってきた場所は島の中心であり、町の中心でもある広場だった。樹齢何千年もありそうな、ひときわ大きなサクラの木が、広場のど真ん中に鎮座している。広場にはステルナたちの他にも人々が集まっており、宴会を催しているようだった。
「よぉ、女将。誰だい、その別嬪な嬢ちゃんは?」
「旅の方だよ。酒に酔って粗相をしたら承知しないからね」
「うへぇ、怖い怖い」
既にほろ酔い状態の男は、肩をすくめて宴に戻っていく。
「女将さん、夜になっても子供が外にいるのですね」
「なに、今の時期は特別なのさ。『御魂還り』の祭りの時期だからね」
「みたまがえり?」
ステルナは、聞き慣れない単語に首を傾げる。
「この島ではね、亡くなった人は皆、サクラの木の下に埋葬されるの」
女将さんは舞い散る花びらを手のひらに受けながら、そう言った。
「そして、死者の魂はサクラの花の咲く時期に、現世に戻ってくる――なんて、祭り好きの私らにとっちゃ、宴会をするための口実なんだけどね」
女将さんは一瞬だけ寂しそうな顔をしていたが、ステルナのほうを向いたときにはもう笑顔に戻っていた。
「さ、ステルナさんもよかったら一緒にお花見楽しみましょ? お酒……はまだ早いかな。でもこの島は食べ物も美味しいからどんどん食べちゃって!」
「ええ、ではお言葉に甘えて――」
ステルナが宴の席に向かおうとしたとき、向こうで子供が転びそうになった。
「――!」
ステルナは咄嗟に、風の魔法で子供を宙に浮かべる。ふわりと浮かんだ子供は、ゆっくりと足から地面に着地した。
「……大丈夫? 怪我は?」
「う、うん。ありがとう」
「どういたしまして」
ニッコリと笑ったステルナであったが、内心冷や汗をかいていた。この島で魔法を使って大丈夫なのか、まだ確認できていない。閉鎖的な町では、異端が白い目で見られるのは、哀しいがよくある話ではある。
「ステルナさん、あなた――」
女将さんが驚いた顔でステルナを見て、数秒後。
「――魔法が使えるなら早く言いなさいよ!」
女将さんは目を輝かせていた。
「この島では旅人、特に魔法使いは歓迎しろって昔っから言われてるんだから、言ってくれればもっといい夕食出してたのに!」
「そうだそうだ、とりあえず地酒ならあるぞ」
「だから、お酒はダメだって!」
ワイワイと賑わい始める町人たちを見て、ステルナは安堵のため息と少し照れくさいような笑顔を浮かべるのであった。
――数日後。
「ステルナさん、もう行っちゃうのかい?」
「ええ、とても楽しかったです。お世話になりました」
ステルナはぺこりとお辞儀をする。
「そうねえ、寂しいけど、旅人さんを引き止めるわけにもいかないものねえ。あなたの旅の安全を祈ってるわ」
「ありがとうございます。花見の時期になったら、また来ますね」
「そのときは、今度こそ美味しい夕食を食べてもらうからね」
「ふふっ、楽しみにしてますね。それでは、また」
ステルナは鳥の姿に変化して、再び空へと飛び立つのであった。
〈了〉