シナリオ詳細
ただ、貴方の幸せを願って
オープニング
●
呼吸は荒く、視界は虚ろ。
見えるもの全てがぼやけてしまうセカイの中で、唯一動いた『何か』は、感覚も薄い私の手を握って必死に声を掛ける。
──お母さん、大丈夫。苦しくない?
声の主は……私の、唯一人の息子は、それは心配そうな声音で、私の手を強く握りしめる。
生まれて直ぐ父を亡くし、女手一つで必死に育てたこの子も、しかし、未だ五つを超えない幼い子供だ。
──ぼくは大丈夫だよ。お母さんの分までちゃんと働いて、今日もお駄賃を貰ってきたんだ。
──だからね。そんなに辛そうな顔で、無理しなくて良いんだよ。今日は、もう眠って良いんだよ。
『眠る』と言う言葉に隠された意味は、鼻声混じりの明るい言葉で直ぐに知れた。
そして、実際、それは間違っていない。視界は昏くなり、聞こえる声も徐々に遠くなっていく。
(……嗚呼、でも)
いやだ、だめだ。私は必死に心の中で叫び続けた。
だって、この子はまだ何も知らない。
幻想という国の闇も、騙し騙される人々の心の裡も。私が愛し、慈しみ育てた、無垢な子供のまま。
守らなければならない。育てなければならない。
せめて、この子が正しく善悪を理解するその時までは。
……だから、どうか。
どうか。どうか。どうか。どうか。
朧気なセカイが、溢れる涙で更に歪んだ。
何もかもが足りない。届けられるものは、せめて後一言だけでも。
(……ああ、そうだ)
自分の身体を、正しく動かせたかは疑問だった。
言うことを効かない手を必死に伸ばし、指差した先には藁の紙で作った粗末な手帳。
料理のレシピ、効率的な掃除の仕方、節約の方法。そのような些末なことを書いたものしか、この子に遺せられないことがひどく哀しかった。
「……し、あわ、せに」
だから、その言葉だけを、せめて。
後悔だけを残したまま、私の意識は、そこで終ぞぷつりと途切れた。
●
「或るマジックアイテムを壊してきて欲しいの」
『色彩の魔女』プルー・ビビットカラー(p3n000004)がそう言って、集まった特異運命座標達に詳細な説明を開始する。
夏も凡そ半ばに入ろうとしている現在、配られた氷水を飲む面々の中で、しかし気鬱そうな顔でそれに手を付けることもない情報屋は、その表情に複雑な色を湛えたままだった。
「対象は書物型の魔道具。正確に言うと、魔術と言うよりは怨念が込められた品物だけどね。
これは手にした者に様々な指示を送り、それを受け取る側がこなすことで莫大な幸福を手に入れられる、という代物よ」
……それを、回収じゃなく、破壊。
「ええ」と言葉を返すプルーに、特異運命座標達が首を傾げた。
「与えられる指示が無茶なものばかりだったり?」
「いいえ」
「得られた幸福の反動が後々送られてきたり?」
「いいえ」
──なら、何故?
ますます疑問を表情に浮かべた特異運命座標に、プルーが思わず苦笑する。
「例えば、貴方達に仲の良い友達が居たとするでしょう?
お互いに気心の知れた仲でも、魔道具が『あの人は悪者です。今すぐ縁を切りなさい』って言ってきたら、貴方達はどうする?」
……多くの特異運命座標達はこう考えた。「それは自分で判断する」と。
然りと言った体で、プルーも頷く。
「要は、そう言うことなのよ。
与えられる指示は簡単で、頻度も多くはない。けれどその指示の殆どが、魔道具の主観からなる身勝手な判断で、しかも外界との繋がりを断つものが殆ど。これじゃあ莫大な幸福とやらもたかが知れているわ」
元々、ヒトとはそう言う生き物だ。他者と融和し、或いは競争し合い、その結果得た成果を知らずの内に比較した上で幸福を実感できる。
個人だけの閉じたセカイで幸福とやらを得られても、誰も認めてはくれない。祝ってもくれない。それは恐らく『幸福』ではなく只の『快楽』に過ぎないだろう。
「それ故、今回の魔道具の持ち主も、それに従わないことを望んだわ。
けれど、魔道具の側はそれを許さなかった。ありとあらゆる災厄を降りかからせることで、持ち主を自身に縛り付け、最終的に依存させようとしている」
そして、その災厄は持ち主だけに留まらない。
事故を起こした馬車、突如崩れる傍の家の外壁、無秩序に姿を現した通り魔による連続殺人。
例えその全てを運良く切り抜けたとしても、被害は自分一人に収まるような事にはならない。それはこれからも、だ。
「……魔道具はある主婦のノート。その持ち主である少年は、彼女の息子さんなの。
母親の最後に残した形見を壊すことは、きっとその子にとってとても辛い事よ。……それでも」
少年の未来を想うならば、それは在ってはならないものなのだ。
「シトロングレイは褪せてしまった。尊い母性愛は、死別によって醜い束縛へと形を変えてしまった。
どうか、彼女の心の色を、自らの子供に見せたかった愛の色を、貴方達の手で取り戻してあげて」
●
道を歩けば、家々の壁から煉瓦が崩れてぼくに降った。
避ければ誰かにぶつかる。謝った相手は怖い顔をして、ぼくに殴り掛かってきた。
それを、必死で逃げて。ぼくは胸に抱えたお母さんの形見を、一枚だけ捲った。
──あの商人とは別れなさい。彼は貴方にふさわしくない。
──私が勧める人と付き合いなさい。私が認めない人とは縁を切りなさい。
──貴方のよりよい未来のために、従いなさい。従いなさい。従いなさい。
表紙を閉じて、ぼくはそれを胸に抱えながら、誰も居ない場所へ走り出した。
何となく、解ってはいたんだ。ぼくがこの本に従わなければ、この本はぼくに不幸を使って攻撃すると。
それでも、ぼくは従わなかった。この本の言うことは正しくなんか無いと思ったから。
無口な商人さんは、ぼくがおつかいをすると頭を撫でてくれた。
いつも買い物をするお店のおばちゃんは、家族の居ないぼくとたくさんおしゃべりをして、笑顔にしてくれた。
みんなみんな、大切な人たち。その人たちが本当はぼくを騙す悪い人たちでも、その人たちと一緒にいるべきかはぼくが決めなきゃいけないんだ。
大切なことを、いつも人任せにしたら、ぼくはきっと何も選べなくなる。
だから。例えどんな不幸が起きて、ぼくが死んでしまっても、ぼくは絶対にこの本に負けたりしないって、そう決めたんだ。
「……そうだよね、お母さん」
走り続けるさき、曲がり道の先には、暴れ馬がぼく目掛けて走ってきていた。
掲げられた蹄を目の前にしながら、ぼくはお母さんに言葉を投げる。
「こんなので、しあわせになんて、なれないよね?」
- ただ、貴方の幸せを願って完了
- GM名田辺正彦
- 種別通常
- 難易度EASY
- 冒険終了日時2018年07月30日 22時50分
- 参加人数8/8人
- 相談6日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●
──良く言った。
そう聞こえた気がした。少年には。
掲げられた蹄は正鵠に少年を打ち、そしてその身を拉がせるはずだったのだ。
それを、止めたのは。
「……お兄、さん?」
「ああ。話は、もう少しばかり後にしよう」
『ナンセンス』オーカー・C・ウォーカー(p3p000125)。無骨な傭兵風の鎧に身を包んだ彼は、強かに踏みつけられた身体を気にもせず、未だ暴れる馬を宥めては余所に放る。
「そう、デスねぇ。
今はちょっとばかり、抱えてるものが多そうデスからぁ」
揺らぐ桃瞳を眇めて、『不運な幸運』村昌 美弥妃(p3p005148)もその言葉に同意した。
『偶然』、上の住居から落下してきた煉瓦の鉢植え。これまで数多くの自己から逃げ続け、傷だらけだった少年を癒す美弥妃は、それに気付くと咄嗟に自らの身を挺そうとするが。
「……大丈夫。もう貴方が傷つくことはありません」
「咄嗟に信じるのは難しいかも知れません。それでも、今だけは」
『月影の舞姫』津久見・弥恵(p3p005208)の防御マントが薙がれれば鉢植えは千々に砕け、微かな破片すらも『月下黒牛』黒杣・牛王(p3p001351)が美弥妃に代わって受け止めた。
流美な少女と、精悍な青年。対照的な両者はそれぞれの立ち位置を確保しては、より効率に少年を守らんと行動を緩めない。
「ひとまず、落ち着いて……は難しいでしょうが、周りの被害が出にくい場所でお話がしたいですね」
「……じゃあ、ぼくの家に、来る?」
誰ともなく言った『夢幻泡影』鏡・胡蝶(p3p000010)に、少年がおずおずと話しかけた。
少しだけ困ったような顔で、しかし「ありがとうございます」と言った彼女──その性別は便宜上のものではあるが──は、元より期待していたその申し出に僅かばかりの罪悪感を抱いた。
今現在少年に起きている不幸とは、彼の周囲にある存在やモノを利用して危害を加えると言った傾向のものである。少年が自らの家に赴けば、それに利用されるのは少年の家の私物が主であろう。
成る可く、多くを破損させるようなことはしまい。心の中でそう呟いた胡蝶らに、遠方から声が掛かった。
「取りあえず、人払いは済ませましたよ。
当面の間、周囲の人間が被害には遭わないと思う。物に関しては、何とも言えませんが」
『クーゲルシュライヴァー』DexM001型 7810番機 SpiegelⅡ(p3p001649) がそう言えば、周囲から存在感が朧気な少女達が彼女に近づき、消えていく。
ギフト、『霊子妖精』を介して人手を増やしたSpiegelⅡの努力もつかの間である。この後、少年の家に移動する旨を仲間に伝えられた彼女は、機械で出来た尖り耳を下に向け、この後の苦労に沈む感情をその表情以上に伝えてくれた。
「……解りました。その子の家までの経路を先回りして、人通りが無くなるように努力する、です」
「……ええと、その、ごめんなさい」
流石に無理がある。仲間は勿論のこと、少年もそれを理解したのだろう。
事情は解らずとも頭を下げた少年に、SpiegelⅡはふるふると頭を振って、しかし明確にこう応えた。
「いいのです。お仕事ですから。
寧ろ、そのせいで……そのせい『も含めて』、シュピ達は貴方には酷なことをお願いするのですしね」
「え?」
問い返すよりも早く、何処か遠くから喧噪が少年達に近づいているのが分かった。
それがどういった内容のものかは兎も角、今少年を襲う事象から考えれば、遭遇して有難い類のものではないことは間違いないだろう。
「……行きましょう。道中くれぐれも、私達から離れないよう」
牛王の言葉に、困惑しながらも頷いた少年は、そうして特異運命座標達と共にその場を離れたのである。
●
『幸福の教科書』。
それが、今現在少年を襲う数々の不幸の元凶であり、同時に特異運命座標達が依頼目的として破壊を命じられた魔道具の名前である。
意志を持つこの魔道具は、極めて利己的な幸福論に所持者を従わせようと命令し、それに従わない者に、時として生命に関わるほどの不幸な事象、事故を引き起こす。
その内容を知れば、多くの者はこの魔道具の破壊を選択するだろう。実際、他者には難しくとも、所持者に於いて言えばこの魔道具の破壊は一般人でも容易なほどだ。
「……でも、これを壊さなかったのは、なぜですか?」
一通りの説明を終えて、最初に少年に語りかけたのは『鳥篭の君』シャーロット・ホワイト(p3p006207)だった。
その言葉に、びくりと肩を振るわせる少年。聞き方が悪かった。そう反省して彼女は再度問い直す。
「壊さなくても、この本がもたらす不幸から逃げる方法は在ります。
手放す、誰かに……は難しくても、何処かに一時的に預けることも」
でも、貴方はそれをしなかった。
咎めるような口調ではない。寧ろ、それによって傷を負った少年を労るように、優しい口調で。
「……一人でよく耐えてきましたわねー……いいこでしたのー」
今も、少年の傷に僅かばかり残る傷すらも、『悪辣なる癒し手』マリア(p3p001199)は癒している。
目につくような大きな傷に関しては既にスキルによって治っていても、彼女は細かな傷すらも丹念に、持ち前の道具と技術を以て処置し続けていた。
それこそ──さながら、子を大切に想う母親のように。
「形見を悪しき物と言われるのは良い気分ではないでしょうー。
ですが、私達はそう言わなければいけませんのー。貴方のお母様が遺したものを守るためにー……」
「それは……でも」
話を聞く少年は、決して愚鈍ではなかった。
マリアが告げたそれが何を意味するか、解った上で……けれど、対する彼は、頭を振る。
「……何もないなんて、言うわけないよ」
「………………」
「お料理の手伝いをしたんだ。お掃除や、洗濯も出来るんだよ。
一緒に過ごしたこのお家で、見えるもの全部が、ぼくとお母さんの思い出の籠もった、大切な物なんだ」
でも。少年はそう言って、胸に抱える家事帳──今や魔道具とか下それを大切そうに抱きしめる。
「お母さんが、ぼくに遺せるって思っていたものは、これしかなかったんだ」
「……。それは」
「悪い道具でも、ぼくを傷つけるものでも。
ぼくは……この本を、捨てたくない。壊したく、ない」
胡蝶は少年の言葉に対して、少し頬を掻いて、寂しげに彼を見遣った。
少年の意思は当初考えていたそれと大差ない。問題は──当の少年自身すらも、内心ではそれが難しいと理解していること。
理由など問うまでもないだろう。今もこうして、突如家に入り込んだ野犬を弥恵は振り払い。突風で割れた窓ガラスを受けたオーカーが薄く血に濡れている。
この魔道具を持ち続けることによる被害と、この魔道具を手放したくないという葛藤は、今も少年の中で続いているのだ。
「……なら、難しいことではないでしょう?」
難なく言ったSpiegelⅡの言葉に、少年は勿論、他の面々も視線を彼女に遣る。
「その手帳はこれからも不幸を振り撒き続けるでしょう。何故なら貴方がそれを拒絶するから。
それを止めるにはどうすればいいか? 簡単です、貴方はその手帳に従うべきです」
「……っ!」
SpiegelⅡが言ったことは間違っていない。
寧ろ、極めて自然な帰結だ。事前に胡蝶や牛王が説明したこともあり、『幸福の教科書』に従うことでもたらされる恩恵についても、既に少年は理解している。
「シュピも情報屋を伝ってしか知りませんが、その恩恵が飢えを満たさないほどに出来損ないの代物ではないだろうと予想は出来ます。
貴方は誰とも関わらなければ良いだけ。それだけで、きっと『シアワセ』な日々が待っているのですよ?」
「……そんな、ぼくは」
「それを、拒むというのなら」
一節、言葉を句切ったSpiegelⅡは、今にも手折れそうな少年に対し、僅かばかりの躊躇を覚え──それを押し殺して、問うた。
「貴方の望みは、なんですか?」
●
「……今のあなたほどじゃないかもデスが、ワタシも結構、不幸な毎日を送っていたんデスぅ」
『不幸』を庇い、今なお傷つく庇い手に癒術を唱えつつ、美弥妃は苦笑混じりに自身の不幸体質を語った。
危険な場所での迷子は勿論、通りがかれば変質者に出会い、大通りに出れば事故は日常茶飯事。
「……大丈夫、だったの?」
目を丸くした少年に、美弥妃は笑顔で頷いた。自分には、とびっきりの味方がいたから、と。
「お母さんは、ワタシの不幸のせいで誰かが傷ついても、自分が傷ついても、決して私を責めない人でしたぁ」
言葉を句切った美弥妃は、其処で少年をじっと見た。貴方のお母さんは? 視線だけで、そう問いながら。
「……形あるものは大切デスぅ、でも形ないものも時には、形あるものよりも大切だとワタシは思いマスぅ」
「………………?」
一瞬、その意図を掴みかねた少年が、美弥妃に問い返すよりも、一瞬早く。
「所詮ノートだ、なんて言わないさ。大切な物だってのはわかる、後生大事に持っておきたい事もな。
けれど、その傷だらけの体を見て……或いは、死んでしまったお前を見て、お前が関係を続けたいと思った奴はどう思うだろうな?」
「!!」
「生きてる人間の話だけじゃない。こう言えば解るだろ?」
未だ少年を襲う不幸から守り続けるオーカーは、積み重なった傷を素知らぬ顔で少年に語り続ける。
合間合間で回復手がその傷を治しても、受けた痛みは巻き戻す術を持たない。だのに、それを少年に見せまいと表情一つ変えないオーカーは、至近距離にいる少年の頭を緩く撫でた。
「立ち止まってもいい、後ろを振り返ったっていいさ、大事なのは自分の意思で前を向いて歩き続けることだ。
誰しも大きな選択がある、お前の場合は少し早かっただけだ」
目線を合わせ、真剣な表情で。
ゆえ、その真摯な態度は、少年の胸をさらに強く打つ。
「私にも、手放せないものがあるし、お気持ちはわかります。
でもそれを失っても、あなたとお母さんの絆がなくなるわけではないんです」
追うように、シャーロットも少年の前に立って必死に説得を続け、それゆえに少年の心は強く軋む。
わかっている。わかっている。
お母さんは望んでいない。本のコトバは本物じゃない。
それでも、理屈じゃなくて、何かが失われるこの感覚は、とても、とても辛くて、耐え難くて。
「……迷うことがあったら、お母さんの声に耳を傾けてください」
けれど、シャーロットは、止まらない。
少年が抱きかかえる魔道具。それを優しく片手で避けて、少年の胸元に、指先をとんとあてた。
忘我の表情を浮かべた少年にマリアも然りと頷いて。
「惑わされないでくださいませー……最後に彼女はなんと仰いましたのー?
その言葉が彼女の言葉、お母様の言葉ですのー。どうか、忘れないでくださいませー……!」
説うように、ではなく、祈るように。
少年が、其処で停止する。お母さんが言っていた言葉。それは。
──し、あわ、せに。
……呼吸を置いて。
少年は、抱いていた魔道具の頁を、一枚だけ捲る。
──彼らは、貴方を惑わす悪者たちです。
──感化されてはいけません。彼らから逃げなさい。彼らとの縁を断ちなさい。
──貴方の幸せな未来のために。貴方の不幸を避けるために。
「……ごめんなさい」
少年が告げたのは、魔道具と、特異運命座標。その両者に対して。
「知ってた。わかってた。でもぼくは弱虫で、そのせいで、こんな単純なこともずっと決められなくて。
ごめんなさい。ごめんなさい。お兄さんは、お姉さんは、今までずっと怪我をしてでも、ぼくのことを守ってくれていたのに」
ぽろぽろと、その目から涙が零れた。
それを、指先でそっと拭ったのは、弥恵。
涙で濡らした指先を少年の指に絡め、その手を組んだ弥恵は、目を閉じて語る。
「こうして触れ合った大切な人を幸せにする為に、貴方がこの魔導書と訣別しないと行けません。
……今の貴方に、それを選ばせる重荷を背負わせたことを心苦しく思い、同時に貴方がそれを選択してくれたことを、私達は嬉しく思います」
──さあ、貴方とお母さまの不幸を、取り除きましょう。
言った弥恵に、少年はこくりと頷いて、脆い草造りの手帳を開いては両手で握る。
めり、と言う音が、びりびり、という、聞き知った音へと代わっていく。
或いは、それは魔道書が上げた、最初で最後の悲鳴だったのかも知れない。
……因果は、そうして。あまりにも呆気なく、この世から消滅した。
●
「……ウチの小さいのが、迷惑をおかけしました」
そう言って、深々と礼をしたのは、少年が手伝いに雇われていた商人の男性だった。
特異運命座標らが知らなかった依頼人が彼である。無愛想ながらも訥々と呟く言葉と、その態度は、この男性が如何に少年を大切に思っているかを教えてくれた。
「とんでもない。あの子の方は、どうです?」
「先ほど、あなた方の男性と一緒に何かをしてました。気落ちはしてますが、あの様子なら立ち直るのも遠くないでしょう」
アフターケアは不要らしい。それを理解した胡蝶は、安堵の息をそっとつく。
そうまで少年の心を支えていたのが他ならぬ自分達なのだと気付かなかったのは、或いは胡蝶らしからぬ見落としだったのかも知れない。
「初めての依頼だったので、緊張しましたけど……
知らないものが沢山見られて、あの子が頑張った姿に励まされて。すごく、嬉しかったです」
これからも、一緒に頑張りましょうね。そう言って今は居ない少年を想って、小さく笑みを見せるシャーロットへ、弥恵が言う。
「それなら、お一つ手伝っていただけませんか。
依頼のお祝いと、あの子のこれからの道を祝福するように、ダンスを踊りたいのですけど……」
「ダンス、ですか!」
『外の世界』に疎いシャーロットは、弥恵の言葉に対して喜色を浮かべて、直ぐさま弥恵の衣装や道具の準備を手伝い始める。
「……大切な繋がり、ですか」
SpiegelⅡは独りごちて、損傷の激しい家々の壁にその背を預けた。
自身の半身である『彼』がもし失われたとしたら、自分はどうするのか、或いは、どうなってしまうのか、なんて。
「……おい、サボってるなよ。こっちの怪我は簡単に治っても、この家の方はそうもいかねえんだ」
「簡単に治るからと言って、気安く怪我を受け容れて良いものでもありませんのー……!」
他者に比べて少年を特に積極的に守り続けたオーカーは、未だ僅かとはいえ癒え切れてない負傷が幾つか存在する。
それを気にせず、魔道具の『不幸』によって破損した家屋の修復を手伝う彼に、マリアは常について回って回復の術式を施し続けている。
それは美弥妃も同様だった。傷の重いオーカーはマリアに任せ、残る彼女は傷の少ない面々を癒しては次に移動し続けている。
が、その動きがぴたりと止まって。
暫し、きょろきょろと周囲を見渡した美弥妃は、首を傾げて呟いた。
「……えっと、黒杣さんはどこデスかぁ?」
「……じゃあ、この紙片はこっちに?」
「はい。これで漸く……半分ほどでしょうか」
先ほどまで特異運命座標達が居た場所から少し離れて。
牛王と少年は、二階の子供部屋に移動していた。眼前のテーブルの手前側には、先ほど破った魔道具──その元となった手帳を継ぎ接ぎした頁、奥の方には、破れた手帳の紙片が纏められている。
依頼の解決に当たり、牛王はこの魔道具の内容を書き写せばどうだろうかという提案をしていた。
──母上の形見は、貴方の意志。その気になれば、命を落とさずとも将来子ども達にも伝えられるような形に作り直せるような。
その手帳自体も大切だろうが、少年の母親が真に遺したかったのは、その内に書かれている知識についてだ。
それを察した牛王は、その内容を書き写すことで間接的に母親の形見を無くすことなく、魔道具から決別するという手段を取ろうと考えた。
だが、如何にシンプル且つ実害的な被害が少ないとは言え、戦闘中にそこまで悠長な手段は執れなかったのが実情だ。
結果として、破壊されたあとの手帳を、牛王と少年は協力して修復している。
破られたうち、全ての紙片を回収することは不可能だったため、恐らく完成したとしても穴だらけで継ぎ接ぎの、原型のそれからはひどくかけ離れた代物にはなってしまうだろうが、それでも。
「……どれだけ時間が掛かっても。
貴方にとっての『幸福の教科書』は、やがて、きっと完成しますよ」
少年は、その言葉を告げた牛王に視線を向けて、
「ううん、違うよ」
その日、初めての笑みを浮かべた。
「『幸福の教科書』は、きっと。
お兄さん達が、ぼくを助けたときに教えてくれた色んなことだって、ぼくは信じてるから」
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
説得のターニングポイントを担われましたマリア(p3p001199)様に、MVPを差し上げます。
ご参加、ありがとうございました。
GMコメント
GMの田辺です。
以下、シナリオ詳細。
●成功条件
・『幸福の教科書』の破壊
・『少年』の生存
●場所
首都メフ・メティート外縁。時間帯は昼。
建造物等の周辺環境において都市部としての機能は果たされておりますが、現在は下記の状況によってやや混乱気味です。
シナリオ開始時、下記『幸福の教科書』『少年』との距離は20mです。
●敵
『幸福の教科書』
意思を持つ魔道具。自身の主観によった正しい人間関係を所持者に強制し、それに従うことでこれまた主観的な幸福を授ける能力を持ちます。
元々は『少年』の母親が、自身の家事についての些細な技術を記した粗末な手帳でした。
HPは1。自由意思はあるものの、自律して行動する能力はありません。
が、この魔道具に関して所持者以外が行うあらゆる判定は、ファンブル値が「100-クリティカル」値となります。
また、この魔道具は副、主行動の両方を使用して突発的な不幸を起こし、『少年』に神秘属性の攻撃を行います。
ダメージ自体は「かばう」で請け負えますが、行動によって生じた不幸は『少年』以外の一般人にも副次的な被害を拡大させていくでしょう。
●その他
『少年』
『幸福の教科書』の持ち主です。年齢は5歳の男の子。
両親を既に亡くしており、現在は商人の師匠の元勉強しながら、残された家での一人暮らしを送っています。
自身の人間関係に対して非常に強い意志を持っており、『幸福の教科書』に従わないと決めております。その為、与えられる不幸によって既に身体中は傷だらけ。
非服従の意思は固めておりますが、同時に母親がたった一つ残してくれた『幸福の教科書』を大事にも思っております。
所持者である彼なら『幸福の教科書』の破壊は容易でしょうが、それには難易度の高い説得が必要となります。
それでは、参加をお待ちしております。
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