ランタンの街の貴婦人

オープニング

●帳の宿・天娑楼

　遠くで汽笛が鳴るのを聞いた。
　二人を誘った蒸気機関車がまた旅人を乗せて駆け出して行ったのだろう。
　『金獅子』ベルフラウ・ヴァン・ローゼンイスタフ（p3p007867）と『星の救済』小金井・正純（p3p008000）が駅前の広場に辿り着くと、迎えたのは薄い硫黄の匂いとそこかしこから溢れている湯気だった。
　屋根の上にもうもうと立ち上がる白い煙はいっそ火事のようでもあったが町人の様子は落ち着いる。
「流石、温泉の街ですね。あの下に全部温泉があるんでしょうか」
「そうらしい。少し地面を掘れば温泉が噴き出す、という謳い文句も嘘では無い様だ」
　足を止めて眺めているのは旅人ばかりだ。
　特異運命座標にとって旅とは常のものであるが、純粋に観光というのは珍しく正純はもとより、ベルフラウの声色も心なしか弾んでいる。
　街並みを見渡せば年季の入った看板の土産物屋や、食べ歩きできる菓子を売っている店がそこかしこにあり、まばらな観光客達は其々に買い物を楽しんでいるようであった。
　丁度いい寂れ加減である。
　例え人混みが出迎えようとベルフラウは正純に十全のエスコートをする心算であったが、気を揉みながら移動するよりも気ままに歩き回れる方が互いにずっとよい。
　出発前は行先にアレコレと悩んだが、休暇に相応しくのんびりとした時間を楽しめそうな手ごたえを感じていた。

　『湯煙旅情す々゛め荘』その世界を示す号にもなった神々の愛する温泉宿――ではなく、二人は地方の温泉宿を選んだ。
　世界で一番のおもてなしに興味が無かったと言えば嘘になってしまうが、どうしてもその様な場所と言うのは賑わっている。風光明媚な景色を見ようとしても人を見るようになってしまうのは明白だった。
　なので無数の温泉宿がある世界の中でも穴場、一番よりも格が下がってもブラブラ歩いて楽しめる場所を探し求めたのである。
　しかし、消極的な理由ばかりで今日の宿を選んだわけではない。
　ここ、と選んだ一番の決め手は夜景にどうしようもなく心惹かれたからだ。
　そうこの町は夜になればあちこちで真っ赤な提灯が灯され、寂れた印象の町並みは艶やかに姿を変える。
　中でも美しいのは奥に控える町で一番大きな宿だ。
　豊穣における城のような印象を与える宿で、赤く塗られた壁や金色の装飾など絢爛な建物ではあるのだが夜の姿は筆舌に尽くしがたいものがある。
　大広間から漏れだす光が建物全体のシルエットをぼうっと浮かび上がらせて、外側の通路に括られた提灯がうっすらと外壁の色を示すのだ。
　昼に見れば目に刺さる様な赤や金も、夜の姿は何とも淑やかで温かい。
　夜に咲く貴婦人の号は『天娑楼』（あめさろう）。空に影が揺らめく様子が由来である。

「特に何も決めずに来てしまいましたけど、どこか気になる場所はありますか？」
「温泉、という事しか頭になかったが、確か植物園や水族館もあるのだったな」
「この辺は温泉のおかげで熱帯の動植物が育てやすいそうですねぇ。同じ理由なのかサウナの看板もたくさんあります」
「足湯も至る所にある。さっき通り過ぎたので4つ目だ」
「数えてたんですか。
　うーん、一休みするなら少し早いですがお昼にしてもいいかもしれませんね。温泉の蒸気で蒸した料理が名物らしいですよ」
　荷物を抱えながら二人は石畳の町並みを歩いていく。
　時間は正午少し前。
　夜になるまで予定は何もない。贅沢な余白の時間が過ぎれば、宿での一時が待っている……。

参加者 : 2 人

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参加者一覧（2人）

リプレイ

●宵

　夏の宵は長い。
　沈み切った太陽の残滓が橙から青へと移り変わり、やがて青も闇へと溶けるように消えていく。
　その頃になれば軒に吊るされた真ん丸な赤い提灯にぽつぽつと灯りが点され街は艶やかに佇まいを変えた。
　趣があっていいですね、と『星の救済』小金井・正純（p3p008000）が囁くと、隣を歩く『金獅子』ベルフラウ・ヴァン・ローゼンイスタフ（p3p007867）は唇を吊り上げた。
　元来、ベルフラウにとって旅とは快いものであった。
　ベルフラウは騎士である。国を愛し、土地を愛し、そしてより深く花――民、否、人を愛している。
　しかしながら、彼女の感性は愛するもの達の内側だけで留まるものではなかった。
　見知らぬ土地に出向き、見知らぬ人々の横顔を眺め、風すらも注ぐ陽の光すら心地が違うのに驚く。
　それは愛する者の別の側面を見つけた様な喜びであり、現に隣を歩く同行者だってそうだ。
「今日は珍しく洋服か、髪の色とも相まって可愛らしいね」
　そういえば、と前置いて告げれば、常からの和装とは違うワンピース姿の正純は微笑んだ。
　ランタン灯りに照らされた笑みは、やはりベルフラウにとって既知でありながら未知のものであり、改めて旅の醍醐味を知る次第であった。

　二人揃って宿に帰れば、飯時の慌ただしい気配がした。
　仲居達は丁寧にあれこれと世話を焼いてくれるが、裏で忙しなく働いている者達の様子は隠しきれるものではない。
　とはいえ居室に戻ればその気配も遠くなる。
　大広間で夕食を取るのもまた旅館での食事の醍醐味に違いはないが、窓からランタン灯りを見下ろしながら気心の知れたもの同士でゆっくりと味わうのもまた醍醐味であろう。
　豊穣風の小さな膳に並べられた料理を見渡してベルフラウは小さく頷いた。
　配膳が始まる前に向かい合わせになっていた席を正純の隣へと移動させていたが、仲居達は何も言わずに順応していた。
「ふむ、お昼も少しいただきましたが蒸し料理が主体みたいですね」
　家事が得意な正純は並べられた料理を注意深く観察していた。
　料理好きであれば旅先の美味しいものの味は盗んで帰りたいのが心情というものである。
　しかし、これはどうだ。
　旬を迎えて旨味が増した鹿肉の柔らかい事。きっと蒸しあげた肉と野菜にソースを絡めているのだろう。
　箸を添えれば殆ど力を入れないままにとろりと割れて、脂肪の部分と言えば胃がもたれるような脂を感じさせない。
　ジビエ特有の嫌なエグみをすっかり落として、春の新芽をたっぷり食べた鹿のさっぱりとした風味ばかり口に残る。
「美味しい！　この料理、自宅でも作れますかね？」
　思わず、といった調子で正純が配膳に来た仲居に尋ねたのは当然だろう。
　彼女が居を構える豊穣風でありながら中々ない味付けであったし、美味しい食事というものは人の心を弾ませる。
　普段から世話になっている人に、世話をしたい人に分け与えられるとしたらどれ程幸福だろう。
「少し難しいかもしれませんね」
「まぁ、何故です？」
「地獄で料理しているのです。　地獄と言っても死後にいく所ではなくて地熱、温泉をぐらぐら沸かしている源なんですけどね」
　地面から噴き出す蒸気で調理しているので、蓋をして密閉すると大変な圧がかかって肉が柔らかくなるのだ。と説明する仲居に正純は拳を口元に当てた。これは圧力鍋で何とかなるかもしれない。
　後にソースの作り方だけでも教えて欲しいと頼めば快く教えてもらえたのでホクホク顔だ。
「とと、ベルフラウさん、お酒注ぎますね？」
「ああ、此処の酒は飲みやすくてよい」
　甲斐甲斐しくベルフラウの杯に正純が酒を注げば、ベルフラウもまた正純の杯に酒を注ぐ。
　それじゃあ、少しだけ、と小さく喉が動き、ほどなくして頬にほんのり紅が差す。
　互いに少女という時分は越えているが、この様な仕草は殊更幼く見えてベルフラウの庇護欲をかき乱す。
「ほら正純。　一口食べてごらん」
　好物の茶わん蒸しを匙で掬って差し出せば、正純は一度は自分の分がありますから、と辞したが「私のを食べて欲しいのだが……嫌か？」と迫られれば大人しく従った。
　大人になって人に食べさせてもらう、という行為は正純の羞恥心を煽ったがいつぞやに膝の上に乗せられた事を思えば、というものだ。
「ふふ、狡い言い方をしてしまったかな」
　本当に、と淡白な返しをしながら正純は二口目の酒に口を付けた。白い肌が耳まで赤く染まる。


●夜

　空を見上げれば星があり、辺りを見回せばランタンの明かりが放射状に広がっていた。
　天娑楼は町の中心にある。ランタンの街の貴婦人という通り名はドレスの裾めいて広がる灯りにもちなんでいるのだろう。
　そう考えながら正純は白濁した湯を肩に寄せた。
　水音をさせて暗がりの中、小さな波は正純の肩を覆うがそれでも鎖状の痣を隠すには至らない。
　ベルフラウにもまた同じように傷跡があった。肩まで湯につけても新しく肉が作られた痕は白く滑らかな皮膚の上ではどうしても異質に目立つ。
　二人の視線は傷と痣と、後は誤魔化す様に風景を往ったり来たりしている。
　どちらが口火を切るべきか、もしくは尋ねても良いものか。迷った末の沈黙が居心地悪そうに居座っていた。
　きっと通常であればベルフラウがするりと距離を詰めてしまうに違いないのに、今日はそうではなかった。
「……まあ、ベルフラウさんになら見られても構いませんか」
　最初に踏み出したのは正純であった。
　おもむろに立ち上がって見せれば、ほっそりとしていながらも女性的な曲線を描く肢体が露になる。
　白く美しい肌は艶めいて雫を滴らせ……しかして不穏に目立つのは右肩の義手と肉の歪な連なり。そしてそこを起点にするように体中にまとわりつく鎖状の痣。
「これは私のギフト。　星が与えてくれた祝福」
　黒鉄の指先が撫でる痣は夜になれば体を縛り付けるように痛みつけるが、正純の声音に嫌悪の色はない。
「私自身は特に何とも思わないのですが、少しばかり見苦しくてすいません」
「見苦しいとは思わんよ、むしろ妬いてしまうな」
　きっとその言葉は真実なのだろう。ベルフラウは頭を下げる正純に否と首を横に振った。
「その痣は星が正純を愛するが故だろう……だから縛るのだ。
　そこまで君を縛る事の出来る星を私は羨ましく思ってしまうよ」
　正純の信仰心を知ればこそ、ベルフラウは自身の知らざる星を羨ましく思うと素直に告白していた。
　ベルフラウの知る星は夏の黄昏時の空に瞬く一番星。
　金色に輝く瞳の正純自身なのだから。
「ところで、ベルフラウさん。身体に傷が……」
　今度はそちらの番、とばかりに正純が尋ねた。
　ベルフラウが、これか、と利き腕を上げて見せれば肩にはびこる傷跡がよく見えた。
　彼女の豪奢な美貌に反して悍ましい痕跡。しかし、普段の豪放磊落なベルフラウであればさらりと答えてしまいかねないという期待が僅かにあった。
「これは……私に対しての罰なのだ。きっとな」
　それなのに、壊れ物のような声音で答えられてしまったから。
「そうですか。　残念ですがその話はまたの機会にしましょうか」
　正純もそう答えるしかない。
　後は互いの体の事に触れるのは止めにして、温泉の泉質の事だとか周囲の風景の事だとか取り留めもない事を風呂から上がるまで話し続けた。
　足湯とここの泉質は同じなのかとか、土産は何を買おうかとか、そういうくだらない話の方が存外に話が弾んだが、後になってはあまり覚えていない。
　ただお互いの傷について触れた事だけ覚えている。


●朝

　きつく締めたカーテンの隙間から朝日が漏れると正純はすぐに目を覚ました。
　元々朝は弱くないし、昨日は星鎖痕による苦痛が弱かったのでぐっすりと眠れて気分が良いくらいだ。
　隣のベルフラウは陽の光に介さず寝ていたので、カーテンを全開にしてやったが身じろぎするばかりで目覚める気配はない。
「ベルフラウさん！ 朝ですよ！」
　呼びかれば返事のようなものをするのだが瞼はピクリとも動かない。
　そういえば朝に弱いと言っていたような気がするが、このままでは朝食の時間に身支度が間に合わないのは明白だ。
「仕方ありませんね。　最終手段です。　こほん」
　咳ばらいをすると正純はそうっとベルフラウの耳元に口元を寄せて……。
「起きて、ベル。　寝坊しちゃうよ？」

「母上……？」
　ぼんやりとベルフラウの意識が浮上した。
　眠りの中でとても懐かしい呼び名を聞いた気がするが、それが夢が現実か判別がつかない。
「はい、起きましたかね？」
　ぼうっとする頭を動かして声のする方を見上げれば、すっかり身支度を終えた正純が腰に手を当てて自らを見下ろしている。
　どうやら自分は寝坊する寸前だったらしい。
「ううむ、ダメだ。
　寝起きの数分はどうしてもぼうっとしてしまうな」
　苦笑しながら、まだまだ重い頭を無理やり持ち上げる。
「おはよう、正純」
「おはようございます、ベルフラウさん。
　さ、朝御飯食べて今日も頑張りましょう！」

成否

成功

状態異常

なし