シナリオ詳細
<グラオ・クローネ2021>香織SOS。或いは、乙女のピンチ…。
オープニング
●私は失敗した
後悔していた。
とても、とても後悔していた。
彼女の名前は真庭香織。
練達、再現性東京に住まう女子高生にして、資産家である真庭家の若き当主でもあった。
資産家であった両親が他界したのは昨年のことだ。
ある日、突然に何の覚悟もないままに彼女は真庭の家を仕切る身となった。
責任のある立場だ。
そのためか、日頃から舐められないよう凜とした振る舞いを心がけている。
世間知らずの若き資産家。
ともなれば、甘い汁を吸うために近づく輩もそれなりに多い。
そういった手合いと相対するには、自信とそして強い決意が必要だ。
そんな彼女の覚悟と想いは、きっちりと整えられた容姿にも現れている。
涼しげな美貌を備えた彼女。
隙が無いと評判のその容貌も、けれどしかし、今現在に限っては大幅に損なわれていた。
艶やかな黒髪も、滲んだ汗で頬にぺたりと張り付いている。
その表情には隠しきれない濃い疲労と焦りの感情。
それもそのはず。
彼女はすでに、3時間ほどカカオ豆を一心不乱に磨り潰しているのだ。
疲れない方がどうかしている。
ことの起こりは数日前。
手間をかければ、その分気持ちも籠もるもの。
完成品を購入するより、手作りの方が喜ばれる。
グラオ・クローネを目前にして、クラスメイトがそんな話をしていたから。
だから彼女はカカオ豆を購入したのだ。
どうせ手作りするのなら、カカオ豆からチョコを作ろう。
その方が彼……神崎匠も喜ぶだろうと、そんな風に考えたのだ。
彼女が家を継いだ頃、疲れ切っていた彼女を支えてくれたのが神崎匠という少年だ。
恋仲ではないものの、親しい友人かそれ以上の存在である。
日頃の感謝をこの機会に形にしよう。
それがすべての始まりだった。
浅はかだったと、今になって悔いていた。
カカオ豆からチョコを作るという工程が、これほど苦行染みているとは思いもしなかったのである。
「お、終わらない……終わらないわ」
まずはじめの、カカオ豆を洗う作業。
これがなかなか大変だった。
ボウルに水を張り、カカオ豆を放り込む。
洗っても洗っても、ひたすら水は濁り続けた。
一体何度、水を張り替えただろうか。
次に行う、豆をローストする工程は簡単だった。
120℃のオーブンに30分ほど入れて焼くだけ。
香ばしくも食欲をそそる甘い香りを嗅いだ時には「勝った!」とさえ思ったものだ。
殻を剝く作業も、時間こそかかったがそう難しい物ではなかった。
パリッ、と小気味良い音を鳴らし、殻が割れる瞬間にはある種の気持ち良ささえ感じた。
さて、問題はここからだ。
「美味しくなれと願いを込めてチョコを混ぜると、あの子は言っていたけれど」
すり鉢に入れてカカオ豆を丁寧に砕く。
この作業に時間がかかった。
少女の細腕で行うには、些か重労働に過ぎるのだ。
数時間かけてカカオ豆をペースト状にしたけれど、それでもまだまだざらつきは残っているのである。
香りは普段食べている、甘いチョコレートのそれだ。
試しにペロリと舐めて見れば、強烈な苦みが口内に広がり思わず虹を吐きそうになった。
「砂糖を追加しなければ、甘くないのも当然よね。バニラも甘いのは香りだけだものね」
カカオといいバニラといいシナモンといい、甘い香りのする物でも、舐めてみれば案外苦い。
世の中そんなものである。
ちなみに砂糖は結構大量に入れなければ、チョコレートは甘くならない。
それほどまでにカカオの苦みは強いのだ。
湯煎にかけながら、砂糖とカカオペーストを混ぜ合わせ、型に入れて冷やせばこれでチョコレートの完成。
やった、と思わずガッツポーズを決めたものだが、残念なことに香織の苦難はまだ終わっていないのだ。
冷やし固めたチョコレート。
1つ試しに口に放り込んでみれば、じゃりじゃりとした不快な食感と、口内に纏わり付くかのような苦みがあった。
嚥下しようと咀嚼して、耐えきれずに香織は思わず虹を吐く。
お手洗いに籠もること十数分。
キッチンに戻って来た香織はぐったりとした顔をしていた。
「ま、まずいわ。不味いし、マズいわ」
体調は最悪。
時間も無い。
モチベーションもだだ下がっている。
だが、1度カカオからチョコを作ると決めたのだ。
そう簡単に妥協したくないという、意地だけが胸には残り続けた。
「私は、もう戦えない。でも、えぇ……材料はまた頼めばいい。キッチンの設備は十全。最後の一混ぜだけ私が行えばそれはもう私の手作りチョコといっても過言ではないはず。となれば、後はチョコを作る人さえいればいいのだから……」
彼らに依頼してみましょう。
方針が決まれば、後は行動に移すだけ。
かつて知り合った情報屋、『新米情報屋』ユリーカ・ユリカ(p3n000003)へと連絡を取るべく、香織は執事を呼び出した。
カカオ豆から自分の手でチョコレートを完成させる。
そんな初期コンセプトさえ、彼女は既に忘れていた。
●チョコを作れ、匠を止めろ
「皆さん、チョコレートを作るのです」
顎の下で手を組んで、青い髪の少女、ユリーカはそう告げた。
きつく引き結んだ口元には、チョコレートが付いている。
香織からの差し入れだろうか。
失敗作のじゃりじゃりしていて、ひどく苦いチョコを食べさせられたとするなら、苦い顔をするのも当然だろう。
「これを贈られる匠くんが、かわいそうでならないです」
ほろり、とつぶらな瞳の端から一筋、透明な涙が頬を伝って机に落ちた。
泣くほどに、香織の作ったチョコレートの出来は酷いものであったのだろう。
「今も、口の中が苦いのです。ミルクを飲んでも、拭えないのです」
組んだ指が震えていた。
ユリーカは今もカカオの苦みに耐え続けているのだ。
「場所は香織ちゃんのお屋敷。当日の朝には追加のカカオ豆が届くです。届いて、しまうのです……」
血を吐くような顔をして、ユリーカは言葉を紡いだ。
真庭香織とチョコレート。
その組み合わせはユリーカにとってある種のトラウマとなってしまっているのだろう。
「チョコレートを完成させて、匠くんに渡すこと。それが今回の任務なのです」
当の匠は、香織からチョコをもらえると踏んで、当日は屋敷近くを歩き回っているらしい。
神崎匠は好人物だ。
一心に香織へ想いを寄せており、また優しく、思いやりのある性格をしている。
少々思い込みが激しい面もあり、若干ストーカー気質ではあるようだが、犯罪行為に手を染めるほどではない。
事実、香織は彼にチョコレートを渡そうと考えている。
しかし、肝心のチョコレートは未完成。
そして、痺れを切らした匠がいつ屋敷を訪ねて来るかも知れない、とユリーカはそれを懸念していた。
いわゆる「来ちゃった」というやつである。
「屋敷の周辺は住宅街。近くに大きな公園やショッピングセンター、商店街などがあるです。匠くんはその辺りを歩き回っているはずですから、準備が出来るまで誰か行って足止めするです」
香織の乙女心と、匠の舌を守るため。
「乙女のピンチを救うのです」
- <グラオ・クローネ2021>香織SOS。或いは、乙女のピンチ…。完了
- GM名病み月
- 種別通常
- 難易度EASY
- 冒険終了日時2021年02月28日 22時30分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(8人)
リプレイ
●乙女のピンチ
再現性東京、真庭邸。
そのキッチンに運び込まれた幾つかのカカオ豆を前に『ミルキィマジック』ミルキィ・クレム・シフォン(p3p006098)は、実にビターな笑みを浮かべる。
「まずはこのカカオをチョコレートにするところからかなー……うん、本格志向なのはいいけど、料理初心者が手を出すべきじゃないね!」
「とはいえ、乙女のピンチとなれば放ってはおけないのですよ! と、行ってもメイの得意なお料理はスパイスドバァーなので……」
チラ、と調味料の収まる棚に視線を向けて『シティガール』メイ=ルゥ(p3p007582)はそう告げる。メイの視線が向いた先には数種類の砂糖があった。料理の内容に合わせて、使う砂糖も変えるのだろう。
「えぇ、流石に初心者がカカオからチョコレートを作るのは無茶と言うモノ」
『殺戮の愛(物理)天使』アナト・アスタルト(p3p009626)がカカオを手に取る。ちら、と視線を背後に向ければ困った顔の依頼主、真庭香織が立っていた。
彼女に手を貸しチョコレートを完成、そして彼女の友人である神崎匠にそれを渡すのが今回の依頼の目的となる。
「えぇ、無茶だと言うのは承知しているわ。でも、ほら……この仕入れたカカオ豆をどうするのかっていうと、こう。もう、後に退けないというか」
「でしたらまずは作戦会議からですかね? その間に僕は必要な食材の準備、こまめな皿洗いに後片付け、型やラッピングの用意とあとついでにキッチンの掃除とかしましょう」
『ここに称号を記入』鈴木 太郎(p3p009482)がキッチンを回り、調理器具をピックする。彼が調理の準備をしている間に、香織をはじめとした女子一行は作戦会議を開始した。
一方、そのころ。
真庭邸の前庭。
4人のイレギュラーズが、肩を並べ街へ向かって歩を進める。
チョコが貰えるはず、と当てこんで付近をうろつく神崎匠を、チョコの完成まで足止めするのが彼らの役目だ。
「それじゃあ私は公園の方に向かうわね」
aphoneに匠の番号を打ち込みながら『神は許さなくても私が許そう』白夜 希(p3p009099)がそう呟く。その指先には、シャーレに乗せられた白く細い線蟲……正確には、線蟲型の機械である……アニーちゃんが乗っていた。アニーちゃんは、宿主の脳に寄生し幸せな夢を見させる機械だ。見た目は完全に寄生虫のそれである。
「おっと待ちな。その蟲、一体どうるすつもりだ? そんなもん使わなくても、俺がきっちり匠を止めてみせるぜ? そりゃもう紙おむつも真っ青なブロック性能さ」
アニーちゃんに視線を向けて『Heavy arms』耀 英司(p3p009524)が希を止める。神崎匠は一般人だ。その脳に虫を寄生させるような真似を彼は到底許容できない。
じろり、とどこか不機嫌そうな瞳で希が英司へ視線を向ける。
マスクを被った英司が今、どんな表情をしているのかは分からない。わざとらしく肩を竦めてみせるが、その眼差しは希の手元を捉えたままだ。
「まぁ、出来るだけ迷惑はかけたくないが場合によっては多少強引な手も止むを得ないな。さて、チョコは調理する班に任せて、俺たちは足止めと行こう」
「我慢が効かない男の子の足止めですね。あぁ、既に屋敷の前通りにまで来ているようですね」
言葉を交わす『特異運命座標』レべリオ(p3p009385)と『真庭の諜報部員』イスナーン(p3p008498)。希の鳴らしたaphoneの音が、真庭邸の門の先から聞こえていた。
迅速かつ強引、そして無駄に行動力の高い男だと感心せずにいられない。まさか、チョコを貰うために相手の家に速攻で押しかけるとは予想外であった。
まずは屋敷から遠ざける。
その為にもイスナーンは、仲間たちに先行し門の向こうへと足早に進んで行ったのだった。
●乙女の戦い、少年の本葬
門の向こう、植木の影に身を潜め屋敷を窺う神崎匠。
傍から見ればその様は、明らかに不審者のそれである。
そんな匠の前に姿を晒したイスナーンは、ふと視線に気が付いた、とでも言った様子を装って匠の方へ視線を向けた。
「おや、匠君?」
見知った顔に逢ってうれしい。
そんな素振りで、軽く手を挙げ彼はゆっくり匠の方へと歩み寄る。
木の陰に隠れた匠の不審さには気づいていない……とでも言うような態度は崩さない。
以前は情報収集や暗殺ををメインにしていたといこともあり、こういった「怪しまれないための演技」や「警戒心を解く話術」は彼のイスナーンの得手とするところである。
「あ、っと……たしか、イスナーン、さん?」
「えぇ。お久しぶりですハロウィンの時以来ですね。今日はどうしたのですか」
匠のパーソナルスペースの1歩外。
ギリギリ警戒されない距離に立ったイスナーンは、身体を壁に真庭邸の門を匠の視界から隠してみせた。
匠とイスナーンが会話を交わすその間に、仲間たちが街へと散っていく。
「あー、何ていうか」
「ははっ。いや、皆まで言わずとも構わないですよ。私も男ですからね、匠君の気持ちは分かっていますとも」
そう言って彼は、ポケットの中から一枚の紙きれを取り出した。
チョコの香りが染み付いたそれは、匠を屋敷から遠ざけるために事前に用意したものだ。
それを匠へと手渡し、イスナーンは言う。
「とはいえお嬢様もあの通りの正確ですからね。素直じゃないんですよ」
「これは?」
「詳しく言うなときつく言い含められているもので、そこまでは。なに、悪い結果にはなりませんので」
その通りに進んでください、と。
メモを見下ろす匠を街へと向かわせながら、イスナーンはaphoneを操作。
仲間たちへ作戦開始の通達を飛ばした。
真庭邸、キッチン。
「さて、香織ちゃん今から馬鹿正直にカカオ豆を使って1から作るってなると時間が足りないのもわかるよね?」
「えぇ、それは、まぁ……」
ミルキィの言葉を受け、香織は顔を曇らせる。
香織とて、1度カカオ豆からチョコを手作りしようとした経験から、その難易度は正しく理解しているのである。
「少しでもいいものを気持ちを込めて作って送りたい気持ちはわかるけど、送るチョコ自体がなかったり、できても美味しくなかったりだと意味がないのもわかるよね?」
「分かるわ。分かるけど、カカオ豆を使いたいのよ。ほら、もう既にこれは私とカカオ豆との闘いでもあるわけだし?」
「香織ちゃん?」
何を言っているの。
冷静になって。
そんな想いを込めたミルキィの視線を受け、香織は思わず言葉に詰まった。
「カカオ豆はアクセントに使う程度におさめて、市販の板チョコからチョコレートを作りましょう! 大事なのは自分のこだわりより相手に喜んでもらえる事だよ!」
「うぅん……」
どこか釈然のしない様子の香織であった。
と、そこでアナトが待ったをかける。
「要するに、カカオ豆を粉にしてしまえば良いのでしょう? でしたら私が出来ますよ……フン!」
バキ、とカカオ豆を素手で握り砕きつつアナトは告げる。
クラス【クロウタイラント】。そして、スキル【フリークス】を備えた彼女はまさしく破壊と暴力の化身であった。
しかし、本人は自分を愛の伝道師と呼んでいた。
愛の道にはいつだって強大な障害が立ちはだかる。
それを突破するためには、それ相応に力が必要なのだろう。恋のライバルを地に沈め、意中の相手を逃がさないために、時として人は暴力に頼ることもある。
それを是とするか否とするかは、個々人によるだろうが、とはいえただ1つだけ、この1つだけは忘れないでもらいたいのだが、人といえど所詮は生物。「強い者が勝ち、弱い者が負ける」という弱肉強食の理からは決して逃れられないのである。
「ええ…これこそ愛の力。やはり愛(暴力)はいい……愛(暴力)は全てを解決してくれます」
力技と料理スキルの併用により、アナトは速やかにカカオ豆をペースト状へとすりつぶしていく。
「うぅん? 幻聴かな? 妙な副音声が聞こえるけど……」
「でも、ミルキィさん。これならカカオ豆からでも、チョコが作れないかしら?」
商店街の入り口に立つ、マスク姿の大男。
「ローレット宛に、香織からアンタについてるよう依頼が出てる」
匠が姿を現すなり、英司はどこか軽い口調でそう告げた。
マスクを被ったその異様に、どこか警戒心を顕わにする匠。当の英司は努めて軽薄な雰囲気を醸すと、次のメモを彼に渡し、ついでとばかりにその胸に拳を押し当てた。
「とまぁ、仕事のことは置いといてもよ、俺はお前のこと応援してんだぜ? いいじゃねーの青春。ガキどもが平和に浮かれられりゃ、今晩の酒もうめぇってなもんよ」
だから、と。
マスクの下で、英司はきっと笑んだのだろう。
メモに記されている次の目的地は公園だ。そこを目指すべく、英司は通りの先を指で示して、こう告げる。
「走れよ、若造。俺に美味い酒を飲ませてくれ」
その言葉を受け、匠は一路、公園へ向け駆け出した。
匠の後を追いながら、英司は思う。
匠は単純であり、そして青い。
だが、だからこそ、まっすぐなその気質が心地よかった。
辿り着いた公園で待っていたのは希であった。
「や、匠君。この一年は大変だったね」
この一年の間、香織は人攫いに襲われ、粗野な警察官に職質を受け、暗殺者に命を狙われた。その場面に、必ずと言ってよいほど匠もいた。
両親を失い、家を継ぎ、悲しみと責任とに押しつぶされそうになる香織を支えたのは、何ら変哲もない高校生である匠であった。
そんな思い出の一端に、希も偶然居合わせた。
それは運命だったのか、はたまた数奇な巡りあわせか。
「俺、チョコを貰えるぐらいには仲良くなれたかな、と思うんですよね」
希たちの関与しない日常の中でも、匠と香織は友誼を深めたことだろう。
特別な日に、チョコを贈られる。
匠の認識は正しい。それは自惚れでもなく、単なる事実の積み重ねより導き出された、至極当然の答えであった。
「うん。匠君は頑張ってたよ……だから、これ」
そう言って希は、匠へと紙袋を差し出した。
中身は彼女の用意した義理チョコだ。
「誤解されても何だから、ここで食べちゃって」
「あ、うん。その、ありがとう」
希に促されるまま、匠はチョコの箱を開けた。
その中に“アニーちゃん”が仕込まれているとも知らず……。
アニーちゃんが、箱の中から跳び出した。
匠の頭部へ向けて跳ぶ、極々小さな線蟲機械を、しかし英司は素早く指でつまんで止めた。
マスクに覆われた顔が希の方を向く。
希は視線を背けつつ、小さな舌打ちを零すのだった。
匠と希、英司が公園で言葉を交わしている間、レベリオは1人、ショッピングセンターへやって来ていた。
まずはキッズスペースのボールプールに、メモの収まる青いボールを投げ入れる。
次いで、彼は「従業員です」と言った風な顔をして、自然とスタッフ用のバックスペースへと入る。
従業員用の更衣室に入った彼は、そこに用意されていた誰かの制服を手に取ると素早くそれを身に付ける。
「ふむ、ついでに売られているチョコを購入するのも悪くないかな。こういうチョコが流行っていると、香織さんに写真でも送ろうか」
すっかり従業員に扮したレベリオは『故障中の為、他の入り口からお入りください』と、そこらにあった紙に文字を書き込んだ。
匠の到着に合わせ、入り口にこれを張っておけば多少なりとも時間を稼ぐことができるだろう。
「匠君の到着まで、あと数分……さて、仕事の時間だ」
なんて、言って。
レベリオは、帽子を深く被りながらフロアへと向かった。
同時刻、真庭邸キッチン。
「ヘラ」
「はい」
「砂糖とミルクを追加して」
「えぇ、任せてください」
「チョコを混ぜるのって大変ね」
「でも、大事です。ほら、想いを込めましょう。想いは込めれば込めただけあとで自分で作った感が増すので!」
太郎による献身的なサポートを受けつつ、香織は着実にチョコを完成へ近づけていく。
「ねぇ、これって後どれぐらい混ぜれば良いのかしら?」
「少し待つのですよ。ネットに住まう、都会の偉大な先人の皆さんの知恵をお借りしてこのピンチを脱するのですよ」
aphoneの画面をタップしながらメイは言う。
シティガールを自称するメイではあるが、チョコレート作りなど経験ないのだ。シティガールは確かに最新かつ流行の甘味に敏感だ。トレンドだって抑えている。
けれど、その製法まで興味を持つ者は非常に少ない。
メイもまたその1人だ。
太郎、メイ、アナト、ミルキィの補助を受けながら、少しずつチョコレートは完成へと近づいているのだ。
実のところ、後の行程は型に入れて冷蔵庫へと放り込むだけ。
そっとテーブルの上にハートの型を置きながら、アナトは用意された包装紙やリボンの束へと視線を向けた。
包装など、ほんの一時で外されてしまうものである。
けれど、気持ちの籠った贈り物を“分かりやすい”状態に持っていくためには、それはひどく効果的だ。
「メイにも選ばせてほしいのですよ。最新のトレンドも、aphoneでシュシュっと検索なのですよ!」
好奇の視線を送るメイへ、アナトは包装紙を渡す。シティガール流のおしゃれなチョイスを期待しているのだ。
その間にも、太郎は使い終えた器具を次々と洗浄。
「くっついたチョコってこれが結構落とすのに時間かかりますよね! 水仕事は辛いぜ!」
などと言いながら、彼の手付きは迅速だ。
香織のチョコ作りを手伝いながらも、自分用の義理チョコまでも用意しているのだから。
「えっと、それは?」
太郎の用意したチョコを見やって、ミルキィは問うた。
「あ、足止め役の皆さん渡す、片手間に作ったチョコですよ! 嬉しいですかね? 嬉しいって言ってくれるといいですね! っていうか、嬉しいって言ってください!」
何とはなしに、太郎のテンションは高かった。
●グラオ・クローネ
苦難の果てに完成したのは、ココアパウダーを塗された生チョコであった。
きれいに包装されたそれを手に、香織はきっちんを後にする。
「貴方は彼にチョコをあげる時に本心を包み隠さずに伝えなさい。そうする事で彼に貴方の想い……愛は伝わるでしょう」
すれ違う香織へ向けてアナトは告げる。
どこか弾んだ足取りで、照れくさそうな笑みを浮かべてキッチンを出ていく香織の姿を、太郎とメイ、そしてミルキィは晴れやかな笑みで見送った。
真庭邸の塀の上から、イスナーンは通りを見ていた。
駆け足で屋敷へと向かって来る匠と、並走する英司と希。
レベリオからの連絡を受け、時間稼ぎが上手くいったことは既に知っている。
と、ちょうど時を同じくして屋敷から香織が庭へと出てきた。
ついにチョコを渡す時が来たのだ。
「っと、俺らはここらで退散するか。後は若い奴らの時間だ」
そう言って英司は、希の肩を掴んで止める。
真庭邸の門の前で、香織と匠が顔を合わせる。
呼吸を乱す匠。その表情には強い緊張が滲んでいる。
一方、香織の顔も赤かった。これからチョコを渡すにあたって照れを隠せていないのだ。
「匠くんは今日ずっと待ってた。期待を膨らませ続けて……。ねえ? 彼がいつまでも貴方のものとは限らないよ」
誰にも聞こえないように、希は小さくそう囁いた。
それは香織へ向けた助言であっただろうか。
裏口から出てきたメイや太郎、アナト、ミルキィと合流し、一行は真庭邸を立ち去っていく。
香織はなんと言って、匠にチョコを渡したのか。
匠はなんと言って、香織のチョコを受け取ったのか。
その答えを知る者は、当事者である2人だけで十分だろう。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
お疲れさまでした。
チョコレートは無事に完成。
香織は、匠へチョコを渡せた模様です。
若い2人の甘酸っぱい青春の一ページに、皆さんの活躍はほんのひとつまみのスパイスを加えたことでしょう。
この度はご参加ありがとうございました。
また、縁があれば別の依頼でお会いしましょう。
GMコメント
●ミッション
カカオ豆からチョコレートを完成させる。
●ターゲット
・真庭 香織
黒く艶やかな長髪を持つ美しい少女。
資産家であった両親が死去。遺産を継いだ。
大きな屋敷に使用人と共に暮らしている。
恩人であり、友人でもある神崎匠にチョコレートを渡すべく、カカオ豆を輸入した。
さほど料理は得意でないようだ。
・神崎 匠
17歳の高校二年生。
陸上部に所属している。
174センチ。割と顔はいい方と評判。
少々思い込みが激しい傾向にある。
香織とは現状、友人同士。
時期柄、チョコレートを貰えることを期待して当日は香織の屋敷近くに待機しているらしい。
・カカオ豆
チョコレートやココアの原料として栽培されている。
40~50%の脂肪分を含んでおり、また香りが豊かな品種のようだ。
苦みが強く、酸味は少ない。
カカオ豆単体では甘みは一切無いに等しい。
●フィールド
乙女の戦場はキッチン。
真庭邸の厨房。およそ思いつく設備はだいたいある。
※とはいえ、流石にピザ窯などは無い。
屋敷の周辺は住宅街。
住宅街を抜けた先には、大きめの公園やショッピングセンター、商店街がある。
神崎匠は、当日屋敷近辺を徘徊している模様。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
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