シナリオ詳細
鈴を狙う紅の熊
オープニング
●追われる鈴
緑の濃い山の中に澄んだ鈴の音が響く。
それを掻き消すのは木々が裂け岩が砕ける異音だ。
熊が吼える。
毛は鋼糸のように強靱で、皮膚を押し上げる筋肉は真性の魔性じみている。
そんな怪物が獲物も捕まえられずに自然破壊を行っているのには理由があった。
「ひゃっ」
小さな鈴を岩塊じみた爪が掠めた。
雨森・鈴音は目が回りそうだ。
旅立つと決めたときよりずっと頑丈にはなった。
けれどあんな爪が当たれば、八百万としての本体ともいえる小さな鈴など一瞬で砕け散ってしまう。
「鈴音を食べても美味しくないのですっ」
直感に従い真横へ跳ぶ。
軽装の着物からすらりと伸びた足が、熊の食欲を刺激してますます興奮させる。
「はぅ」
ぽっくり下駄が、濡れた下草で滑った。
鈴音は器用に平衡を保ち、直後に鼻先の数ミリ上先を通過した爪と巨腕に気づいて口元を引き攣らせる。
見下ろす2つの瞳が、怒気と食欲で爛々と輝いていた。
これはもう駄目ですと理性が諦める。
迷子を家に帰せてよかったと倫理観が慰める。
足は小さな切り傷だらけ、着物の下も打撲の痕がいくつもある。
見た目より頑丈な八百万である鈴音にとっても、泣きたくなるほど痛い。
「私は佐代と約束したのです。元気な身体で色々な所を旅するって」
けれど鈴音の奥底は、八百万と目覚めた切っ掛けである思いは、この窮地でも赤々と燃えさかる。
元気な身体で色々な所を旅したかった。
目覚める前の所有者であり、鈴音がその姓を名乗るほど大好きなあの子の思いを否定などさせない。
ベアハッグ。
この山に入った直後の鈴音なら近くすら出来ない一撃を倒れるようにして躱し、濡れた草の上を氷上のように滑って熊の真後ろへ回り込んだ。
「こわっ、わっ」
怖かった。
心臓が凄い勢いで動いているし、小さな鈴も心なしか生気が抜けている。
「ここまでおいでですっ」
この期に及んでも鈴音は仕事を忘れない。
熊の棲む山に迷い込んだ子供を助けるため、子供のお駄賃のような報酬でうけた依頼を誠実に遂行する。
赤い毛の熊はじろりと鈴音を睨んで、前傾姿勢からの爆発的な加速で彼女を狙った。
鈴音は走る。
とにかく走る。
鈴音の数倍は太い木々があっさり押し倒されていく。
熊の足音はもう崖崩れじみていて、一瞬でも気を抜くと追いつかれる前に心が負けを認めてしまいそうだ。
「こんな事で泣いちゃだめです。佐代はもっと辛かったはずだから」
滲む視界でも足を踏み出す場所を間違えず、速度を維持したまま子供達とは別方向の山裾を目指す。
山を下りても危険なことには変わらない。
鈴音は、最期の瞬間まで諦めずに生き抜くつもりだった。
●麓の村
「おがあぢゃーんっ」
「ねえちゃんが、おねぇぢゃんがっー!!」
村の入り口で子供達を出迎えた親達は、全ての事情を察した。
あのお人好しの八百万は、まだ死んでいないだけで己の命と引き替えに子供を救ってくれたのだ。
「かあちゃん?」
「ねえ、なんでおうちに帰るの? おねえちゃん、まだ」
大人達は子供の腕を強く握って離さない。
奥歯を噛みしめ、ろくな死に方が出来ないと覚悟して子供を家まで連れて行く。
生きなければならないのだ。
少なくとも、子供が独り立ち出来るまでは。
「かあちゃん……」
子供は事情を察せられない。
それでも、親が苦しんでいるのは肌で感じられる。
涙が溢れて視界が歪み、押し殺した泣き声が麓の村から山へと響いた。
「ここにいたか!」
村長が走って来る。
熊が来れば刺し違え覚悟で突き出すための槍を抱え、先程会ったときとは別人のように明るい顔だ。
「神使様じゃ! 神使様が来て下さったぞー!!」
もう、熊に気づかれても問題ない。
親達は状況を説明し鈴音の救出を依頼するため、イレギュラーズの元へ走るのだった。
- 鈴を狙う紅の熊完了
- GM名馬車猪
- 種別通常
- 難易度NORMAL
- 冒険終了日時2020年07月23日 22時05分
- 参加人数8/8人
- 相談7日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
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参加者一覧(8人)
リプレイ
●到達
山野は広大だ。
全高3メートルの熊も遠くから見れば小石未満の存在感しかない。
「見つかりましたね」
カメレオンの獣種、イスナーン(p3p008498)は舌打ちの代わりに目を細める。
赤毛の熊を見つけた直後に、振り返った赤毛の熊と眼が合っていた
「女の子は無事かい?」
『Dainsleif』ライセル(p3p002845)はまだ見つけられていない。
イスナーンのような専門家か熊のように一時的に足を止めているならともかく、全力で走りながら見つけられる距離ではない。
「ええ、熊が警戒を解いていない」
スーツを着込んでいるのにイスナーンの足は速い。地面の凹みや小さな丘はバーニアを噴かして近道をする。
「ありがとう、僕にも見えた。……強い子だ」
生身でイスナーンと同程度に速いライセルが、目元だけを優しくする。
「危ないですっ。熊が……逃げてっ」
若い八百万は、逃げるためでなくライセル達を助けるつもりでこちらに走っていた。
「前途有望だ」
イスナーンが苦笑を浮かべる。
見た目の幼さからは想像出来ないほど根性がすわっている。
途中で死ななければ数多の試練に挑んで力をつけるタイプだ。
実に、助け甲斐がある。
「イレギュラーズのイスナーンがお相手します。か弱い女の子の相手をするよりは楽しませてあげましょう」
カメレオンとしての性質も、傭兵団時代に身につけた技術も使わず、雨森・鈴音を追いかけて来る熊に名乗り口上をぶつける。
まだ100メートル近く離れているが今このときに限っては問題ない。
逃げるだけで精一杯だった鈴音とイスナーンは全く違う。
熊は脅威から挑発を受けたと判断して、大重量の体で疾駆しカメレオンの紳士に迫る。
イスナーンは後退しつつ鉄爪で迎撃する。
爪は鋭利で相当な威力があるはずなのに、赤い剛毛が邪魔で皮膚を貫けた感触がない。
「なるほど」
鈴音の評価を上方修正する。
まだ生きているというだけで十分凄い。
「どうしたんですか? 私はまだピンピンしてますよ?」
今度はスキルとしての名乗り口上で大熊の意識を己に引きつけ、イスナーンは全力で味方主力の元へ走り誘き寄せるのだった。
●出会い
「えっ、R18Gじゃなくヒロイックな展開? ちょっと待って」
野生のイチジクを囓っていたラグラ=V=ブルーデン(p3p008604)が、食べかけを無造作に捨てハンカチで口元を拭った。
「草と木が邪魔で……うん、薙ぎ倒しましょう」
ラグラの体から膨大な力が溢れる。
短杖の先に一部が集まり碧玉の形をとり、それは陽光を浴びているのに光を反射せず黒々としている。
「幼女の安全確保をしねーと……ま、ここはしっかりやってやろうじゃん!」
大気が揺れる。
霊的に酷く重いものを伴い碧の石が動き出す。
まばらに生えた木々も密集する草むらも全て粉砕しても威力は衰えず、ここまで誘き寄せられた熊へ光を放つ尾を引いて直撃する。
「えぇ、凹んだだけぇ?」
腹の剛毛が焦げ、皮膚が凹んでいる。
ほとんど化生といってよい熊にとっては、数年ぶりに負った大きな傷であった。
「これは」
動物と意思疎通能な『協調の白薔薇』ラクリマ・イース(p3p004247)は、一目で熊を人食い熊と見抜いた。
この体格になるまで生き抜ける知恵の持ち主だ。逃がせば大量の犠牲者が発生する。
「確実に仕留めます」
声は祈りの歌となり、生贄を慰撫するかのように赤熊の周囲を巡る。
歌を形作る音は蒼い魔力へ変わり、熊の頭上を覆う形で多数の剣に変化した。
「ここがあなたの終わりです」
蒼き剣が降り注ぎ赤い毛皮を貫く。
威力も素晴らしいがそれ以上に特徴的なのはその発射頻度で、ラクリマにより補給された魔力が新たな剣となって熊への攻撃を継続させる。
「皆さん防御を。既に尋常の生き物ではないようです」
高度かつ強力な攻撃術3回分を浴びた赤熊が、ラクリマに血走った目を向けた。
「一緒に戦うのです!」
鈴音が小刀を両手で構え、一歩進もうとしたときに限界が訪れた。
体が心について来てくれない。
足の指から太股近くまでが熱くて痛くて、悲鳴を上げることも出来ずに視界が傾く。
「もう大丈夫だよ」
逞しい腕がそっと鈴音を支えた。
「俺達は君を助けに来たんだ」
総合すれば鈴音と同水準の運動をした直後なのに、ライセルの息は乱れていない。
圧倒的な頼り甲斐に、鈴音は感謝とそれ以上の負けん気を発揮する。
「守られるだけじゃないです」
今度こそ戦い向かおうとする。
しかしライセルの気遣いと筋肉の厚みが心地良すぎて、これまで考えもしなかったことが頭に浮かぶ。
(睫毛長い。絵物語の皇子様みたい)
佐代は本が大好きで、当然のように鈴音も絶大な影響を受けている。
こういうシチュエーションは大好物だ。そんな自分の感情を意識してしまうほどに安堵し、無意識に緊張の糸を切ってしまった。
「ふぇっ」
涙が止まらない。
激しい運動の直後で熱いはずの体が凍えるように寒く感じて、小さな手でライセルにしがみつく。
「よく頑張ったね。偉いよ」
ライセルは鈴飾りの位置を直してやり、白と青の対比が美しい花を手品のように取り出した。
「ネモフィラの花。可憐で可愛い君みたいな花だ」
心身共にイケメンでしか格好のつかない言動に、鈴音の顔がそれまでとは別の理由で赤くなる。
震えは、いつの間にか止まっていた。
「名前なんて言うんだい? 俺はライセルだよ」
「鈴音。雨森・鈴音です」
彼女はライセルの手を借り、ゆっくりと立ち上がった。
●混戦
「さぁ……ここからは私達の仕事さ」
甘酸っぱい青春の気配を背中で感じながら、ピンク髪の『こむ☆すめ』リアナル・マギサ・メーヴィン(p3p002906)が凜々しい表情で宣言する。
「ここは天才クェーサーに任せとけって。あ、あっちの二人の方ね」
「窮地だからこそ余裕と諧謔が重要。頼もしいですね」
機械の猫耳とコンセント状の尻尾を持つ『ステンレス缶』ヨハン=レーム(p3p001117)が、鉄を断ち岩を砕く熊爪を両腕で受けて地面に流す。
練達製の戦闘スーツとバリアを併用しているとはいえ、鉄騎種の中でも上位に位置する頑丈さと防御技術だ。
「なかなか骨の折れるお仕事ですがレイザータクトの名にかけてやり遂げてみせましょう。人を襲う熊や猿など生かしてはおけない!」
腕と頬にうっすらついた傷が、可愛いとすらいえる美貌に迫力を与えている。
「さぁ役者は揃った、お前の凶行に幕を下ろしてやる! 武器を構えろっ! オールハンデッド!!」
巧みに場を整えても、生じる効果は命中率が少し向上する程度。
だが敵味方双方が拮抗した戦いでは、その少しの差が影響大だ。
「あらあら、激しい熊さんね」
『優愛の吸血種』ユーリエ・シュトラール(p3p001160)が腰から生えた吸血鬼の羽で距離をとる。
赤熊の攻撃は体格と戦闘経験を活かした激しいもので、不用意に近づくとヨハンが盾になっている状況でも巻き込まれて重傷を負いかねない。
「皆が笑顔で溢れる世界になりますように、ってね。遠慮無く受け取って頂戴!」
濃厚なバターの香りがするマドレーヌを両手に出現させる。
香りだけでなく味も良いが、本質は高性能の術負担軽減だ。
最初はヨハン。
高度な戦術能力を持つ2人が息を合わせて熊の一瞬の隙をつき、ヨハンの口に投げ渡す。
「皆、もう少し散開を。熊が仕掛ける気です」
ヨハンは警戒を促しつつ自らに付与術を行使する。
「決して砕けぬ信念の防壁……ホーリーシールド!!」
普段より半減した負担で聖なる盾のオーラを纏う。
耐えることが可能なダメージの上限が増えるのはオマケだ。
ヨハンは増えたオーラを操作して、決して少なくない回避不能な反撃を熊へと浴びせる。
足に力を溜めていた赤熊が、苛立たしげに地面を蹴りつけた。
「2人ともやるね。鈴音殿、今は守られるのが仕事だよ」
リアナルは広範囲に癒やしの力を広げ、熊のみを仲間はずれにして皆の治療を行っている。
「余力があるのは……内緒だぞ?」
口の動きとウィンクだけで鈴音に伝え、リアナルはわざと疲れた風を装い熊の警戒から外れていた。
「化け物熊に執拗に付け狙われるとは災難だな。死んだフリをしてやり過ごす……なんてのが実際に有効なら楽なんだけど」
『貧乏籤』回言 世界(p3p007315)が気だるげな顔でぼやく。
「嫌な雰囲気だ。早めに片付けるぞ。暁と黄昏の境界線よ。おお、刹那の栄光よ、ってな」
イレギュラーズ対熊の決戦場に新たな力が加わる。
熊に対する防御が全員少しずつ洗練の度合いを増す。
現時点ではヨハンに集中しているので効果は限定的だが、前衛の役割を交代する際には素晴らしい効果を発揮するだろう。
近くに洞窟もないのに蝙蝠が舞っている。
余程の近くにいないと気付かない草むらの揺れに気付いて、主にだけ理解出来る動きでくるくる回る。
「漁夫の利を狙いがいるわね」
イレギュラーズとは比較にならないほど弱い鈴音を狙っている。
おそらくは猿だ。
人食い熊より優先度が下と判断して赤い吸血鬼の目で牽制すると、逃げるどころか姿を現した。半分だけ。
「ごめん。不用な挑発をしちゃったかも」
伏兵がいることはハンドサインで伝える。
「いいえ、ああ反応するならもとより危険な集団です。ユーリエさんは熊に集中して下さい」
あれほど攻撃しているのに赤熊の勢いは衰えない。
対熊戦から多くの戦力を引き抜けば、劣勢になってしまう確率大だ。
「ってことはラクリマさんと俺で?」
「儂も付き合おう。なあに、躾は得意じゃからの?」
若若しい美女が年月を重ねた魔性に見えてしまい、回言は肩をすくめて同意を表明した。
●調教
リアナルが不規則な咳をする。
広範囲の治癒術で敵からのダメージは治っている。
しかし狐尻尾が力を失い、肩が激しく上下して、長時間走り続けた鈴音よりずっと疲労しているように見える。
「これほどとはな」
赤い熊を睨み付ける。
額の汗が流れ、それぞれに美しい瞳に届く。
リアナルが苛立たしげ首を振る。
熊への注意は怠らないが、それ以外への警戒は皆無に見えた。
「……さ、餌は巻いたぞ……?」
作戦は、次の段階へ移行した。
老猿が密やかに近づく。それを十分待ってから、回言は熊から離れて猿に向きなおった。
猿の引っかきが回言を狙う。
野生動物としては飛び抜けて強力だが熊と比べれば雑魚でしかなく、回言が軽々躱し、死角から伏兵2体に襲われても防ぐことが出来る。
「毒と業火で漬け込んでやろう」
回言は何の装備も使わず、虚空に白蛇の陣を描く。
多くも少なくもない生命を与えられた白蛇が活動を開始。
鋭い牙で噛みついても、長大な胴体に巻き付いても、猿4体には物理的な傷はひとつも刻まれない。
「こんなものか」
猿の体のなかで毒と炎が暴れる。
目や鼻から血が流れ出して止まらない。
回言に対する不用意な接近が、猿にとっての致命的な事態を招いていた。
ラクリマが微笑む。
恋人関係にあるライセルが鈴音相手に青春を展開しているからかもしれないが、主な理由は絶対にそれではない。
1つだけの蒼い瞳に、理性で以て存在を否定する、凶悪なまでの殺意が浮かんでいる。
「近くで確認出来たのは僥倖でした」
嗅覚ではない感覚で人肉の気配を感じた。
白薔薇の眼帯を起点に魔力で鞭を編む。
殺意に気付いて逃げようとした老猿を容赦なく背後から撃ち、魂の力を啜って己の力に変える。
反動で強い痛みがあるはずなのに、ラクリマの微笑みは濃くなるばかりだ。
「抑止力を高めようと思います」
「よかろう」
リアナルは演技を止め本気を出した。
より正確に表現するなら、猿に対しても本気を出した。
「ふふ、ヒトは怖いぞ?」
まずは冷気だ。
氷像とまではいかないが、全身の芯まで冷やして動きを鈍らせ、100パーセントに限りなく近い確率で先手をとれるようにする。
「死ぬだけでは済むとは、思わぬことじゃ」
2体だけをぎりぎり死なない程度に治療する。
毒と業火により磨り減る命と治癒が均衡し、いつ死ぬかも分からないという恐怖に猿の精神が痛めつけられる。
「おい猿ども」
荒荒しい言葉を使ってもラクリマの声は美しく響く。
「今度人間に悪い事したら次にここにいるのは貴方達です」
癒やされなかった2体の猿は、回言が与えた毒と炎によって苦しみ顔を掻きむしった状態で死んでいた。
「悪い事はだめだよ、仲間にもそう伝えて人間と仲良くしてね」
ライセルからは絶対に見えない角度と聞こえない音量で囁く。
猿達に死んでも消えない教訓が刻まれ、山2つ離れた場所にいる群れに向かって尻尾を巻いて逃げ出した。
●2つの依頼完了
ヨハンの隙ともいえぬ微かな乱れを野生の勘で捉え、赤い巨体がヨハンへ飛びついた。
回避するには時間が少しだけ足りない。
だからヨハンは、左右から包み込むように迫るベアハッグに己の両手で対抗する。
「どんな状況だろうと戦術で優位に変えてみせる。これが作戦参謀だ!」
知恵と知識が力であるように、腕力と体力も力である。
熊が全力を込めても赤い巨腕は閉じず、ふてぶてしい熊の顔に焦りが浮かんだ。
「これでぇ!!」
ヨハンのオーラが獰猛さを増す。
赤熊は、これまで受け続けていた反撃を嫌い、ヨハンを仕留めるのを諦め後ろへ下がってしまった。
「ふふっ」
体の痛みに耐えながらヨハンが笑う。
熊が堂々とした態度に怯むのは予想通り。つまり戦術だ。
舐められたと判断した熊が反撃を仕掛けようとする。
だがヨハンは既にそこにはいない。
「俺はお前を殺す。守るべき幼い命の為に!」
鈴音の安全を確保したライセルが真正面から熊を食い止める。
ヨハンに比べれば脆いがそれはヨハンが飛び抜けているだけだ。
熊が文字通りの全力を振り絞り体重をかけ強靱な顎で引きちぎろうとしても、30秒程度なら確実に耐えられる。
「しつっこい!!」
ラグラの眠たげな瞳が見開かれ、不穏な光が灯る。
魔力が碧玉を形作る。イレギュラーズ相手の短い戦闘で鈴音を追いかけ回したときの数倍は疲れた赤熊に、真横から碧玉を当てた。
熊の体勢が崩れライセルが押し勝つ。
これまでのラグラの碧玉に散々痛めつけられた内臓が限界を迎え、内側から激しく出血して両眼と鼻から流れ剛毛を赤黒く染める。
「うーん、この世界は防いでもダメージが残るタイプかー」
熊を見て、味方の前衛を見て、ラグラは納得したようにうなずき攻撃を継続する。
魔力充填能力に優れたラグラでも空に近い。
だが今は攻撃優先だ。ここで逃がせば折角の苦労も価値が半減する。
「水分が多いものほど当たったとき痛いらしいですよ」
道中拾った野生の果実を齧って投げたりしながら、ラグラは一切手を緩めず攻撃し続けた。
「血の薫りで咽せそうね」
ユーリエが楽しげだ。
魔力の効率的運用に長けた彼女の消耗は軽微だ。
だからこんなことが出来る。
「光の力で撃ち落とす」
本来なら消耗が激しい投影魔術を疲労なしで実行。
吸血種とは縁遠いはずの神聖な弓を、ユーリエ自身のものとして具現化させる。
「ガーンデーヴァ!!」
激しく強靱な意志を光の矢と変えて、聖なる弓の力を借り分厚い赤い毛皮を貫かせる。
熊の右胸の前後から血が噴き出す。ユーリエの別の可能性の象徴である弓が、世界の理により崩れて消えた。
「リピート!!」
スイーツタイムは継続中。後30秒はノーコストで打ち放題。
ユーリエはコストが重い技を再度重ねて使い、物理的にも霊的にも頑丈な赤熊を大威力と圧倒手数で蹂躙する。
「私以外なら倒せると思った?」
熊の牙がつけたライセルの傷を癒やして出血を止める。
回復したのはライセルだけでなく、回復したのも傷だけではない。
魔力まで全員回復する、広範囲治癒術だ。
熊が、怯えた。
ユーリエを絶対に勝てぬ存在と認識し、誇りも闘志も投げ捨て山へ逃げ込もうと4つ足で駆ける。
「天才クェーサーを甘く見ておるの」
リアナルが魔力を消費しエネルギーの運用効率を引き上げる。
彼女もまた魔力の効率的運用に長けた凄腕クェーサーだ。
これで一定時間コスト負担無しで広範囲治癒術も攻撃術も使える。
だから治癒術を使う。
範囲回復に何度も巻き込まれたヨハンが十分に回復。ヨハンは素早く移動し熊の退路を断った。
「今度は全行程ありで」
ユーリエは聖なる弓に光の矢をつがえる。
「うむ、凍ったな」
リアナルがもたらした絶対的冷気が、分厚い筋肉がもたらす熱を上回り赤熊の反応速度を激減させる。
「ガーンデーヴァ!!」
剛毛を退け皮膚に穴を開け筋肉を削る威力はあっても一撃必殺には遠い。
だがそれで十分なのだ。
多数の被弾で血と体力を失った大熊にとっての最後の一藁となり、限界を超えた骨が砕けて内臓に突き刺さり、熊の最期を激烈な痛みで彩った。
●戦い終わって
「お腹すきましたね。皆でご飯にしませんか?」
自身の止血を終えたイスナーンが、鈴音が助けた子の母が無理矢理に持たせた握り飯を持ち上げた。
くう、と可愛らしい音が鳴る。
赤面した鈴音が何かを言う前に、ライセルが礼を言って受け取り2つ受け取り1つを齧った。
「今日は特に腹が減るね。……うん、心が籠もった味だ。鈴音ちゃんもどうだい?」
齧らなかったもう1つを鈴音に渡すと、ありがとう、と蚊の泣くような声が聞こえた。
「鈴音ちゃんおつかれー。だいじょぶ? 帰れる?」
ラグラは戦闘を終えいつもの調子に戻っている。
鈴音は、戦闘力もそうだが心の鍛え方が全く足りないと思い、落ち込んだ。
回言がイスナーンの手当を終え立ち上がる。
ライセルと鈴音の距離を見て、少しだけお節介をすることにした。
「雨森さんはどうやら疲労困憊してるみたいだし誰かにおぶってもらって近くの村まで送った方がいいかもな。ここにとどまってるとまた他の敵に遭遇する可能性もあるし」
誰か、と言ってはいるがライセルがおぶるのが当然という態度だ。
鈴音は真っ赤になって、固まっていた。
村人の出迎えは熱烈で、鈴音は子供達にもみくちゃにされたらしい。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
久しぶりにコーヒーが飲みたくなりました。
GMコメント
頑張り屋の八百万と赤い熊の命をかけた追いかけっこに乱入する依頼です。
近くにある村では、子供達が八百万の無事を祈っています。
●成功条件
熊の討伐。
●ロケーション
山の麓にある平地です。
近くの村まで徒歩10分程度かかり、村人や行商人等の通行人は近くにいません。
20メートル北から傾斜のきつい斜面があり、木々がかなり密で山中移動時は機動力にペナルティがあります。
●エネミー
『赤毛の熊』
非常に良く育った、全高3メートルを超える熊です。
遠方からやって来た個体で、どうやら人の肉の味を覚えてしまっているようです。
縄張りに迷い込んだ子供達を襲おうとして、『雨森・鈴音』に散々邪魔された結果頭に血が上りきっています。
イレギュラーズに余程強烈に挑発されるか大きなダメージを与えられない限り、『雨森・鈴音』を執拗に狙おうとするでしょう。
重い、速い、頑丈と素質は非常に高いものの、経験は浅く特別な技や術は使えません。
<スキル>
・爪で殴る :物近範
・噛みつく :物至単【失血】【必殺】
・抱きつく :物至単【防無】
『飢えた猿』×4
漁夫の利を狙う、弱い妖怪か老練な猿か判別し辛い猿達。
直立すると1.5~2メートルになります。
4体が力をあわせても『赤毛の熊』に対抗できませんが、弱ったものを攫い、嬲り、食らう、特に村人達にとっては危険な存在です。
イレギュラーズが現地に到着した時点では、熊から北方向に50メートル前後の地点に4体全て潜んでいます。
『赤毛の熊』が死亡すると山の奥へ逃亡します。
<スキル>
・掻き毟る :物至単【体勢不利】
・体当たり :物近単【移】
●他
『雨森・鈴音』
発展途上の八百万(精霊種)です。
新たな景色を求めて旅をしながら、ときに依頼をうける生活をしていました。
ピンチです。
イレギュラーズの要請には従おうとはします。が、疲労困憊なので体がついてこないかもしれません。
●情報精度
このシナリオの情報精度はAです。
想定外の事態は絶対に起こりません。
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