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シナリオ詳細

『イライザ』。或いは、この世界に音を鳴らせ…。

完了

参加者 : 5 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●最愛の人に捧ぐ
 『イライザ』という楽曲があった。
 不協和音が目立つ陰鬱な曲だ。
 流麗でありつつも、まるで慟哭するかのような感情の揺らぎを喚起する旋律からは、作曲者の思考が汲み取れる。
 ある種の魔性を秘めた楽曲であり、例えばイズマ・トーティス (p3p009471)などが偶然にその楽譜を手にした瞬間、それに魅了されてしまった。
 作曲者の名は【魔曲作家】ベルリオ・トーティス。
 その姓が示す通り、イズマ・トーティスの遠い先祖に当たる男だ。

 イライザ。
 曲名にも冠されたその名は、ベルリオの妻の名前である。
 生まれつき目の見えない彼女に、自身の見た世界の景色を伝えるべく『イライザ』には魔術的な効果が組み込まれていた。
 だが、結局のところイライザは、ベルリオの見た景色を共有することは出来なかったのだろう。楽曲の完成を前に、彼女は亡くなってしまったからだ。
 イライザのために作られた曲だ。
 当のイライザが儚くなってしまった以上、それが完成することは決してない。
 それでもなお……彼は、イズマは『イライザ』の完成を目指し続けているのであった。
 あぁ、きっと。
 イズマはすっかり『イライザ』に魅了されているのだ。
 どうしようもなく、彼は“音楽家”であるのだ。

●音楽家の墓場
 音楽が鳴りやむことは無い。
 この世界に最初の音が鳴って以来、絶えず“音楽”は奏で続けられている。昔も、今も、そしてこれから何百、何千、何万年も先の時代も。
 けれど、しかし……。
 その場所は、果てしなく静かで、暗かった。
「なんだ、ここは?」
 周囲を見回しても、無限に広がる暗闇ばかり。イズマの発した声さえも“音”では無く“意思”として、脳に直接響く始末だ。
 異様な空間である。
 静寂が耳に痛いということを、この日、イズマは初めて知った。
「地獄のような場所だわ」
 足元を靴の先で叩きながら、そう言ったのは白い女だ。名をヴァインカル・シフォ―。イズマの友人であるピアニストである。
 あぁ、そうであった。
 2人はこの日、ウィルインという街の別荘で『イライザ』の完成を目指して議論と練習を重ねていたのであった。
 朝から夜まで、ピアノの前で音と言葉を交わし続けた。そして、すっかり疲れた頃になってふと目を閉じた瞬間に、2人は気づけば此処にいた。
 暗闇しかない、音の無い世界。
 死後に音楽家が送られる地獄があるというなら、きっとこのような場所だろう。
「どう思う?」
 イズマは問うた。
「主語」
 ヴァインカルは、至極端的な言葉を返した。
「……原因だよ。こんな場所に俺たちがいる原因は何だと思うのか、と聞いている」
「じゃあ初めからそう言えばいいじゃない。そして、その答えについても言葉にする必要はあるかしら?」
 音は無くとも、意思は伝わる。
 不思議な感覚だが、今はその仕組みについて思案している暇はない。
「一応、聞かせてくれるか。状況を整理するには、他者の意見も重要だ」
「じゃあ、言わせてもらうけれど……『イライザ』以外に心当たりはあるのかしら?」
 白い髪を指で掻き上げ、ヴァインカルはため息を零した。
 『イライザ』の持つ魔術的な効果とやらが、2人を……或いは、2人の意識をこの場所へと転移させたのだろう。
 『イライザ』は、ベルリオが見た世界の光景をイライザという女性に伝えるための楽曲である。その魔術が発動したというのなら、きっと『イライザ』は完成に近づいているのだろう。
 だが、しかし……。
「……音が無い。色も無い」
「ベルリオの心象風景がこれだというのなら……まさしく地獄に違いないわね」
 音もなく、色も無い。
 そんな世界を見回して、イズマは鋼の拳を握る。
 ここが地獄だというのなら……ベルリオがこんな“地獄”に捕らわれているというのなら。
「俺が地獄を終わらせる。俺が『イライザ』を完成させる」
 この世界のどこかにベルリオがいるはずだ。
 彼の前で『イライザ』を演奏してみせると、イズマはそう決意を固めた。
「ところで……あれ」
 深刻な顔をしているイズマを横目に見ながら、ヴァインカルは暗闇の中を指差した。
 闇の中に、幾つかの人影が見える。
 どうやらそれは、イレギュラーズのようである。
「あれ、貴方の“御同輩”じゃないかしら?」
 

GMコメント

●ミッション
『イライザ』の完成

●ターゲット
・ベルリオ・トーティス
【魔曲作家】の異名を持つ作曲家。嫉妬の魔種。
伝統的なクラシックや、不協和音を多用した難解な楽曲の作曲を得意とする。
トーティス家の一人であり、イズマの血縁(先祖)にあたる。
現在、イズマたちが居る黒く無音な世界はベルリオの心象風景である。この世界のあらゆる出来事を、ベルリオは無意識のうちに観測している。
https://rev1.reversion.jp/illust/illust/84351

●同行者
・ヴァインカル・シフォ―
シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団に所属するピアニスト。
年齢は20代の半ばほど。
彼女の本質は孤独な蛮族……ピアニストである。
無口で剣呑でとっつきづらいが、ピアノの腕は非常に良い。
https://rev1.reversion.jp/illust/illust/86108


●『イライザ』について
ベルリオの作品。未完成の名曲。曲名は彼の妻の名前である。
不協和音が目立つ陰鬱なピアノ曲で、それゆえに難解。
更に魔術的な力を帯びており、弾ききるにはピアノの技術だけでなく魔術的な素養も求められる。

ベルリオが見た世界の光景を、目の見えない妻に伝えるために、魔術的な効果を組み込んだ楽曲である。
しかし完成する前に妻が亡くなり、聴く者のいない未完成の楽曲になってしまった。

●フィールド
音楽家の地獄。
音も、色もない、ただ暗闇だけが無限に続く奇妙な空間。
どうやら『イライザ』の持つ魔術的な効果によって、その音を聞いた者の精神がこの場所に飛ばされているようだ。実際に『イライザ』を演奏したイズマやヴァインカルだけでなく、その音を聞いたらしいイレギュラーズ数名も巻き込まれている。
音は聞こえないが、声であれば“意思”として脳裏に直接響く。
ベルリオ・トーティスの心象風景の具現であるらしい。つまり、ベルリオ・トーティスに意識させることが出来れば、この暗い世界には“何であれ存在し得る”こととなる。
※要するに、欲しいものがあればベルリオさんに「それはここにある」と思い込ませましょうということです。

●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。

  • 『イライザ』。或いは、この世界に音を鳴らせ…。完了
  • 音楽の無い世界はなんとつまらない
  • GM名病み月
  • 種別リクエスト
  • 難易度-
  • 冒険終了日時2024年03月17日 22時10分
  • 参加人数5/5人
  • 相談8日
  • 参加費150RC

参加者 : 5 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(5人)

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚
ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)
アネモネの花束
ヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)
人間賛歌
ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
月夜の魔法使い
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
※参加確定済み※

リプレイ

●何も無い
 世界に初めて鳴った音は何だろう。
 それはきっと、誰もいない暗闇の中に孤独に響いたはずである。誰の耳にも届かぬ、まだ“音”という名前さえも与えられていなかった音だ。
「Nyahahahahahahahaha!!」
 少なくとも、こんな音では無かったと思う。暗闇の中、哄笑を上げたのは『同一奇譚』ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)であった。暗闇そのものと溶け合うように、どこまでも黒い。その気配も、存在感も、笑い声さえも黒かった。
「昔の夢かと思えばそうではないようですね。何もないただ暗い場所に長く居ると精神が擦り減るのですよ……」
「心地良い――懐かしい闇黒だ! 私が自我を得る前の、数多の、文字が混沌として詰め込まれているが如く、この静謐の中で無い脳髄を休ませる事が可能なら、望外、私は熟睡出来る筈よ」
「……そうでない方もいますが」
 『月へと贈る草の音』ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)が、暗闇の中に目を凝らす。だが、ジョシュアの目に見えるのは数人の人影ばかりであった。どこまでも広がる暗闇である。それ以外には何もない。
 何も無いのだ。
「音も、色も無い世界。それなら匂いはどうだ。ベルリオが愛した誰かを抱きしめた時の香り。微かでも共に歩んだ世界の香り――」
「いいや。この地獄に必要なのは、音楽だ。幸い芸術家がそろってるんだ、全てを完成させて外に出る鍵はいかようにもできるさ」
 絵筆を取ったのは『アネモネの花束』ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)。対して『最強のダチ』ヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)は愛用のギターをつま弾いた。
 ツインネックのギターである。あんな弾き辛いものを、自分の手足の延長のように操る辺り流石であった。だが、音は鳴らない。この世界に音は無いからだ。
 声さえも、脳に伝わる意思として存在するだけの、まったく無音の世界であった。
「夢にも見た、この地獄……もし俺が囚われたなら、生きる理由を失う場所だと思う」
 『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)の意思が、暗闇の中を伝播した。
「では、どうするの? このまま、ここで死んでいく?」
 淡々とした意志が、イズマに問いを投げかけた。ヴァインカル・シフォ―の意思である。
 イズマは、首を横に振る。
「だが同時に、音の無い世界で死ぬなんて御免だとも思う。死ぬなら音楽を奏でながら、或いは作りながらと決まってる!」
 この黒い世界は、ベルリオ・トーティス……イズマの遥か先祖の心象風景だ。この音も光も無い、地獄のように退屈な世界が今のベルリオにとっての全てであるのだろう。
 イズマはそれを否定した。
「では、決まりね」
「あぁ、ベルリオさんもそうだろう? だから俺は、地獄を終わらせに来たぞ」
 暗闇に光を灯そう。
 音のない世界に、音を鳴らそう。
 これは、誰も知ることのないある音楽家の終わりの話。

●何でもある
 海洋の辺境。名も無き街の劇場で、ベルリオ・トーティスは誰かの声を聞いた気がした。
 暗い部屋の中で、目を開く。そこには闇だけが広がっていた。
 耳に痛いほどの静寂があった。防音室である。かつては色と音に溢れたこの部屋に、今はただ闇と無音だけがある。
「気のせいか……」
 そう呟いて、目を閉じた。
 夢が見たい。夢の中に浸っていたい。もう、戻ることのない幸福な在りし日の夢を……そう願い続け、どれだけの時間が流れただろう。
 夢が見たい。そんな細やかなベルリオの願いが叶った試しは1度も無かった。

 色の無い世界などつまらない。
 黒一色の世界など、まったく生きる価値が無い。
「俺の芸術家としてのプライドに賭けて、アンタの世界を色彩で満たそう」
 絵筆を手に、ベルナルドはそう告げた。
 彼なりの宣戦布告であった。筆の先には、白い絵具が付いていた。ベルナルドは絵筆を虚空に走らせる。
 この黒い世界がベルリオの心象風景であるというのなら、ベルナルドの心象で上描きすることも可能なはずと、そう思ってのことである。
 幸いなことに、色を塗るのには慣れている。描くことは、大の得意とするところである。
 かくして、虚空に“白”が奔った。
 けれど、すぐに虚空の白はじわじわと黒に飲み込まれる。白い線が黒に飲まれると同時に、ベルナルドの胸中に……否、その存在を彼たらしめる精神が多大な負荷に襲われた。
 気を抜けば、自我が崩壊してしまうほどの不快感と虚無感だ。一瞬、ベルナルドの意識が遠のいた。鑢で心を削られるかのような不快な衝撃に、脳が警鐘を鳴らした結果だ。
「どうした怪盗! 想像力が足りていないのではないか! 脳髄を働かせろ! 心の底より、“そこに無い景色”を渇望せよ!」
 倒れかけたベルナルドの背を支えたのはロジャーズだった。ロジャーズはベルナルドの手首を掴むと、無理矢理にそれを持ち上げる。
 虚空に1つ、白い絵具が飛び散った。
 夜空に瞬く星のようだと、ジョシュアは思わず感嘆の吐息を零した。
「豪勢な舞台を、陰鬱な舞台を、魔術的にも音楽的にも相応しい舞台を! たとえば、魔王の前で演奏するのは如何に。たとえば、眠り続けるスーシャーイが為に!」
「よく分からねぇが……黒けりゃ何もかも塗り潰せると思うなよ!」
 世界は色に満ちている。
 そんなことさえ忘れている、哀れな男に“色彩”を取り戻してやろう。
 かつて見た鮮やかな光景を、色を、記憶の底から呼び起こすのがベルナルドの……否、画家の役割である。
 だから彼は、ベルナルドは……己の誇りと矜持に賭けて、世界を描かねばならない。

 自分に何が出来るのだろう。
 そんな想いを抱くジョシュアの肩に手を置き、ヤツェクは静かにこう語る。
「どっかの神様は光あれ、で世界に光を生んだんだ」
 ジョシュアの瞳がヤツェクを見上げた。
 どこか遠い目をしたヤツェクは、その頬に薄く笑みを浮かべていた。
「言葉には力がある。こんな場所ならば、光をともすことも出来るだろう。ちがわんか?」
 ジョシュアの背中を、ヤツェクが押した。
 1歩、ジョシュアは暗闇の中に踏み出した。右も左も、上も下も分からないような真っ暗闇だ。少し離れたところにいる仲間の姿も曖昧になる。
 世界が闇に包まれていた。
 この世は闇だと、この場にいないベルリオがそう言っているかのようだった。
 だから、ジョシュアは言いたかった。
 必ず、ベルリオをここから助け出してあげたかった。この世は美しいのだと、ただそれだけを伝えたかった。
 
 心を削って、ベルナルドは絵を描きあげた。
 1度は倒れ、また立ち上がり、絵を完成させたのだ。
 何もない世界に、黒一色の世界に1台のピアノ……“シュタインウェイ&サンライズ”と、夜空の広がる舞台を描いた。代償として、ベルナルドは意識を失う。
 その顔は満足そうだった。
 やり切った男の顔だった。意地と矜持が、闇の中に1つの光を灯した瞬間だった。
 見ろ、世界はかくも美しい。
 世界に光が灯ったのだ。ベルリオが無くしたものはきっと多いのだろう。それを取り戻すことは出来ないのだろう。けれど、闇を拭い去ることは出来た。
「上出来だ。そして……人間、体があれば、口笛。手拍子、足拍子で演奏出来る」
 ヤツェクが、手拍子を打った。
「この世界に音を鳴らそう」
 イズマがそう呟いた。
 世界に小さな音が鳴る。小さな音が鳴り響く。
「演奏が出来りゃこっちのもんだ。ピアノがあるなら、怖いものなんて何もない」
 手拍子が、その数を増していく。
 まるで拍手のようだった。
「演奏が出来りゃこっちのもんだ。奏でてやろう。光を呼ぶ歌を。スポットライトが、舞台の演者に当たるような、まぶしい曲を」
 ヤツェクの言葉を受けて、1人の女がステージに上がる。暗闇の中、まるでそこに道でもあるかのように真っすぐ、彼女はピアノに近づいていく。
 観客のいないステージだ。だが、彼女にとってそんなものはどうでもよかった。
 鍵盤に指を乗せた。
 音が鳴る。
 不協和音が、暗闇の中に鳴り響く。
「何が見える? 何が聴こえる? 私は何を想像すべきか? 決まっている。混沌世界の常識であり、誰の目にも耳にも明らかである! つまり……舞台だ!」
 ロジャーズの歓声。
 ピアノの前で、白い女が瞳を閉じた。
 孤独な蛮族……ヴァインカル・シフォ―がステージに立った。
 
 世界とは、音の海である。
 ベルリオがそのことを思い出したのは、暗闇の中に草笛の音を聞いたからだ。それは幻聴であったのかもしれない。だが、その音は確かに存在していた。
 遥かな昔に、耳にした。
 愛しき彼女に聴かせるために、草笛を吹いてみせたのはほかならぬベルリオ自身であった。
「孤独な夜でも、見上げるとそこには僕達を照らす月があるのです」
そうだ。世界に闇しかなくなったのはいつからだろう。
「昔からずっとあるのです。ベルリオ様もきっと見た事がおありでしょう? 銀色に輝く月の下で、人々は遠回しに想いを伝えたりもするのだとか」
 忘れていたのだ。
 否、捨ててしまったのだ。
 ほかならぬベルリオ自身が、辛い思い出と一緒に、幸福であった日々の記憶も、音も、景色も、何もかもを捨ててしまった。
 捨ててしまったつもりだった。
 本当は、忘れていなかった。
「植物というのは多種多様ですけど、月光に咲く花もあって。月下美人の花言葉は『儚い美』『ただ一度会いたくて』『優しい感情を呼び起こす』……そんな思い出はありませんか?」
 ベルリオの手が、暗闇の中を彷徨った。
 指先にピアノの鍵盤が触れる。掠れた小さな音が鳴る。
 ベルリオの傍で、背後で、誰かがくすりと笑った気がした。
 あぁ、そうであった。
 彼女に笑ってほしかった。それだけで十分、幸せだった。
 
 音楽であれば、きっと彼に届くと思った。
 彼は、そしてイズマ自身も心の底から“音楽家”であるからだ。そこに音が鳴っていて、興味や関心を抱かないということは無いのだ。
「本当に陰鬱な思い出しかなかったのかい、ベルリオさんよ」
 手拍子を叩きながら、ヤツェクは言った。
 『イライザ』。
 陰鬱な曲だ。
 だが、陰鬱なだけではない。少しだけ音を増やしてやれば、手拍子と口笛を増やしてやれば、一転して陽気な曲になるではないか。
 陽気な歌が、世界を回す。
 そのことを、ベルリオは忘れていなかった。
「じゃぁ、まぁ……大丈夫だろう」
 『イライザ』はきっと完成する。
 その瞬間を見届けられないことだけが、心残りではあるが……。精神を削られた疲労がピークに達したのだろう。どこか満足そうな顔をして、ヤツェクは意識を失った。

●彼女はもう、どこにもいない
 どうやら、息はありそうだ。
 倒れた2人……ベルナルドとヤツェクの安否を確認したジョシュアは、額に滲んだ汗を拭った。
 演奏は今も続いている。一心不乱に、ヴァインカルがピアノを弾いている。
 そのすぐ傍で、イズマが手拍子を刻んでいた。それだけのことで、陰鬱な『イライザ』と言う曲は、格段に陽気さを増した。
 世界の美しさを。
 世界に満ちた幸福を。
 この世が闇ではないことを、全力で訴えかけるような曲である。
 演奏をしているヴァインカルのすぐ隣に、誰かが立っているのに気付いた。ジョシュアにはその男の顔や佇まいが、イズマに似ているように思えた。
 その男の名はベルリオ・トーティスである。彼は、ヴァインカルの姿も、イズマの姿も、何も見えないかのように、闇の中に立っている。
「……あれ?」
 ただそこに居るだけのベルリオを見ているうちに、ジョシュアの目から涙が零れた。悲しいわけでは無い。ただ、涙が溢れて止まらなかった。
 ジョシュアは、何かを言おうとした。
 だが、何も言えなかった。
 ベルリオのすぐ近くに、1人の女性の姿を見つけたからだ。

 美しい女性だった。
 その瞳は白濁しており、きっと色を写さない。
「あぁ、貴女が……貴女がそうか」
 イズマはその女性を知らない。だが、彼女が誰であるかは分かった。知っていた。
 イライザ。
 ベルリオの愛した女性である。
「イライザさんは……」
 声が零れた。
 イライザの白濁した瞳が、イズマの方を向いた。
「イライザさんは、ベルリオさんが貴女のための曲を作ってたのを知っているか?」
 イライザは、その言葉に微笑みを返した。
 死者である。それも、遥か昔にこの世を去った人物である。
 しかしイズマには、この暗い世界にいるイライザが死者であるとは思えなかった。
「それが漸く完成するから、ぜひ聴いてほしい」
 その言葉は、イライザの耳に届いただろうか。

 イライザが、視線をベルリオへと向けた。
 ベルリオは、一瞬だけ目を見開いた。その場にいない誰かの姿を探すように、母とはぐれた幼子のように、しきりに周囲を見回した。
 ベルリオの目に、イライザの姿は映っていないのだろう。
 だが、彼もイライザが“そこに居る”ことに気付いたのだろう。
 だから、ベルリオは笑ったのだろう。

 ベルリオの前に、1台のピアノがあった。
 ベルリオは、ピアノの前に座った。
 鍵盤を叩く。優しく、撫でるような手つきで鍵盤を叩いて音を鳴らした。
 はじまりの音が、それだったのだろう。ベルリオが、初めて鳴らしたピアノの音が、それだったのだろう。
 やがて、ベルリオは『イライザ』を演奏し始めた。
 楽譜はいらない。ベルリオの弾く音色こそが、真なる『イライザ』であるからだ。
「借りるよ」
 そう言ってイズマは、眠るヤツェクからギターを借りた。
 弦をつま弾く。
 『イライザ』の音色に、陽気なギターの音が重なる。
「……1つだけ、謝らねばならないことがある」
 イズマの方を向くこともなく、ベルリオは言った。
「以前、『イライザ』が完成することは無いと言った。だが……」
「そんな言葉は、いらない」
 イズマがギターの音を鳴らした。
 ベルリオの言葉を遮って、ただ“告げるべきこと”だけをその舌に乗せた。
「彼女はもう居ないって? いいや、貴方の心の中にだけは居る。思い出を想起し振り返ればそこに居る」
 それっきり、言葉は不要であった。
 音と、音と、音が重なるだけであった。
 音楽家たちにとって、それだけが世界の全てであった。
 だから、闇はどこかに消えた。
 青々とした、春風の吹く草原があった。
 見渡す限りに青い青い空があった。空には白くて大きな雲が浮かんでいた。
 色とりどりの花が咲いていた。
 世界はとても、美しかった。
 
 イライザは、きっとこの美しい世界を見ただろう。
「おお、悦ばしき奉仕どもの笛の音と乱打、我が身、我が心、虚無めいて蠢動する……嗚呼、貴様、執着とは人の性だ」
 演奏が終わる。
 演奏が終われば、音楽家たちはステージを降りる。
 音楽家たちがステージを立ち去り、演奏が終わっても、この世界から音は消えない。人が誕生するよりもはるか昔から、人が滅び去った後まで、音は世界に響き続けるのだから。
 音とは、そう言うものなのだ。
 音楽とは、そう言うものなのだ。
「故に……私もきっと人間なのだよ」
 ポツリと。
 小さな言葉を零して。
 最後の客が……ロジャーズが、その世界から消え去った。
 最後に数度、拍手を鳴らして。
 カーテンコールは無い。

成否

成功

MVP

ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)
アネモネの花束

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様です。
シナリオのリクエスト&ご参加、ありがとうございました。
長く関わってきた『イライザ』のお話も、これで区切りがついた事かと思います。

縁があれば、また別のシナリオでお会いしましょう。

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