PandoraPartyProject

シナリオ詳細

霧の町に響く歌声。或いは、音楽は止まない…。

完了

参加者 : 6 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●新聞記者ルノーの記述
 海洋の静かな港町……名前は何て言ったかな。
 どうにも奇妙なことに、私はその町に1週間近く滞在したはずなんだけど、その町で聞いた全ての“名前”をまったく思い出せないんだ。
 ただ、その町ではずっと静かな音楽と、まるで天使の声ではないかと思うような、甘く蕩ける歌声が響き渡っていたよ。
 音楽と歌声は、町の中央にある大きな劇場……あぁ、劇場の名前が思い出せないけど、本当に豪華絢爛で、建物それ自体が芸術品のような立派な劇場から、聴こえて来ていた。
 その劇場に古くから伝わる逸話って言うか、物語って言うか……まぁ、そう言う類のものがあってね。私はそれを調べに町を訪れたんだ。

 その劇場は、ずっと昔に1人の魔人のために建てられたものだった。
 音楽を深く愛する魔人だ。
 奏でる音にも、紡ぐ歌声にも魔力が宿っていると言われる、恐ろしくも優雅な魔人の噂は海洋全土の音楽家が知っていた。
 ある日、1人の女性歌手……名前は記録に残っていないんだ……が、劇場を訪れた。
 魔人の指導を受ければ、何者をも魅了する演奏技術や歌唱技術が手に入るって話を耳にしたそうだよ。
 彼女は来る日も来る日も劇場を訪れて、姿の見えない魔人を呼んだ。「稽古をつけてくれ」と、誰もいないステージに立って、涙ながらに懇願したとされているよ。
 やがて、彼女の想いに応えた魔人は、少しずつ彼女に指導を付けてやるようになった。
 もっとも、魔人は1度だって彼女の前に姿を現しはしなかったそうだけどね。
 魔人の指導のおかげか、彼女の歌声はやがて【魅了】の魔力を宿すようになったそうだ。
 かくして彼女は、誰もが認める歌手として万雷の拍手と喝采を浴びた。
 めでたし、めでたし。

 ……と、話がそれで終われば良かったんだけどね。
 彼女は狂った。
 歌に狂い、魔人に狂い、そして遂には暴走を始めた。
 彼女は魔人を独占しようと考えたんだ。
 魔人の指導を受け、魔人に歌を聴かせるのは自分1人で良いと考えたんだろうね。
 だから、彼女は夜な夜な町に繰り出しては、歌を歌いながら通りを歩き回った。住人たちを魅了して、その命を奪って行ったんだ。
 だけど、それも長くは続かない。
 ある日の朝、彼女は劇場の前で冷たい遺体となって発見されたんだ。
 死因は不明。
 だけど、町の住人たちは魔人が彼女を殺めたのだと噂した。
 以来、その町では魔人に接触することはすっかり禁忌とされたんだ。魔人の演奏や歌声もまた、多くの人々を魅了する魔性のものであったから。
 名も無き彼女の悲劇を2度と、繰り返してはならないと、誰もがそう思ったから。
 
 さて、私は件の港町を訪れた。
 だけど、結局、魔人についての話を聞くことは出来なかった。
 古い書物に残っていた、さっき語ってみせた伝説を知るだけで精一杯だったんだ。
 あぁ、でも、誰かが言っていたっけな。
 死んだ彼女の魂は、今なお、魔人を探し求めて町を彷徨い歩いているって……。

●音楽は鳴りやまない
 事の発端は1通の手紙。
 差出人はシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団という旅の楽団であった。楽団に所属する1人の女性……現在は療養中のピアニスト、ヴァインカルとは交流がある。
 その縁で、イズマの元に手紙が送り届けられたのであろう。
 手紙の内容は以下の通りだ。
 近々、とある港町で演奏会を開くので、ぜひ聴きに来てほしい。
 手紙を受け取ったイズマ・トーティス(p3p009471)は、誘いに乗って町へ向かうことにした。しかし、奇妙な話だが港町に着く頃になって、イズマは自分がその町の名をまったく知らないことに気付いた。
 否、忘れてしまったのである。
 手紙を読み返してみても、町の名前が書かれていたであろう箇所にはインクの滲んだ染みがあるだけ。
「これはどうにもおかしいが」
 だからと言って、既に町には着いているのだ。
 シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団の誘いもあって、今さら引き返すことも出来ないし、引き返す理由もない。
 手紙に同封されたチケットを、何人かのイレギュラーズにも譲ったが……さて、彼らは無事に町に辿り着けただろうか。
 そんなことを思いながら、イズマは町の通りを歩く。
 静かな町だ。
 濃い霧が辺りに立ち込めていて、昼間だと言うのに薄暗いのが残念と言えば残念だった。
 波と風の音が聴こえる。
 音に混じって、ピアノの旋律と微かな歌声が耳に届いた。
「……どういうことだ?」
 瞬間、イズマは目を見開いて歩みを止めた。
 その旋律は不協和音が目立つ陰鬱なものだった。
 イズマの生家、トーティス家に遺るピアノ楽曲『イライザ』に酷似している。
「なぜ、どうして、イライザが……っ!?」
 イズマは周囲を見回すが、音と歌声の出所はまったく分からない。
 怪しい場所と言えば、町の真ん中にある豪華絢爛な劇場だろうか。
 
 音楽を奏で、歌を歌っているのは名も無き霊だと言う。
 シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターは、困った顔でそう言った。
「ここ数日の間、歌を歌う女の霊が町を彷徨い歩いているんですよ。おかげで団員たちの中にも、様子がおかしくなる者もいて……まぁ、劇場の中にまで歌声は聴こえて来ませんので、演奏会は開けるんですがね」
 症状を聞く限り、件の歌声には【魅了】、【恍惚】、そして【重圧】の魔術的な効果が備わっているのだろう。
 今も聴こえる音に耳を傾けて、イズマは少し思案する。
「なるほど……この歌声は“ずっと”なのか?」
「ずっと……だそうですよ。住人たちはそう言っていました。ただ、こんな風にはっきり聴こえて、聴いた者に異変を生じさせるのは、決まって楽団や音楽家が町を訪れた時ばかりだそうで」
「……ふむ」
 思案する。
 疑問点がいくつかある。
 1つは、女の霊が『イライザ』に酷似した曲を奏で、歌っていること。
 1つは、おそらく女の霊がターゲットとしているのは、音楽家や楽団ばかりであること。
 1つは、何故か劇場の中でのみ、歌声は聴こえてこないこと。
「もしかすると、彼女は劇場に入れないのか? 或いは、劇場の場所を見失っている?」
 どうしてだろうか。
 直観的に、イズマは“そのように”予想した。
 予想出来てしまった。
 ともすると、歌声を通して女の霊の想いの一部がイズマの脳髄に伝わったのかもしれない。なんとなく、自分の思考が誘導されている気配を感じた。
「女の霊を見つけ出して、劇場に連れて行ってやれば事態は解決するんじゃないか?」
「……霊になってまで、ステージに立ちたがっているんですかねぇ? まったく、音楽家って言うのは仕方の無い者ばかりで」
「あぁ、本当に。だが、まぁ……客もいなければ、楽団もいないようなステージは味気ないだろう?」
「でしたら、演奏は我々がやりますよ。何の曲を演るんです? 急いで練習しないと」
 霊のために演奏するのは初めてだ。
 そう呟いて、コンサートマスターは微笑んだ。

GMコメント

●ミッション
名も無き女の霊を劇場へ連れていく

●キーパーソン
・名も無き女の霊
名前も無ければ、姿も見えない女の霊。
霧の中を彷徨い続けているようだ。
彼女を見つけ出して、劇場へと連れていくことが今回の目的となる。
また、彼女の歌声には【魅了】、【恍惚】、【重圧】を付与する効果が備わっている。
※彼女の歌っている曲について、イズマ・トーティス(p3p009471)さんが何かを知っているそうです。

・劇場の魔人
名も無き町の真ん中にある劇場に古くから住み着くと噂されている魔人。
どのような姿をしているかは不明だが、おそらくは男性の模様。
彼の奏でる音楽には魔術的な効果が備わっていると言うが、町の住人は誰も彼について語ろうとはしない。

●NPC
・シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団
海洋を拠点に旅を続ける楽団。
今回の騒動を収めるに際し、演奏などの手伝いを申し出てくれている。
このような異常事態には不慣れであるため、何らかのフォローが必要となるだろう。
現在は曲の練習のために劇場に移動している。
※演奏予定の曲については、まったく何も知らない状態である。

・ヴァインカル・シフォー
※OPに名前だけ出て来た人。
シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のピアニストだが遠くの街で療養中。
https://rev1.reversion.jp/illust/illust/86108

●特殊行動
・様子がおかしい
女の霊の歌声にあてられ、様子がおかしくなっています。
きっと相談中も少し様子がおかしくなることでしょう。
様子がおかしくなった結果、女の霊を発見しやすくなります。ただし、様子がおかしいため女の霊の正確な場所を味方に伝えることが難しくなります。
※様子がおかしくなる予定の人は、プレイングに「様子がおかしい」と書いておいてください。

●フィールド
海洋の静かな港町。
濃い霧に覆われており、視界は不明瞭。
町の中央には豪華絢爛な劇場が存在している。
町は大きく以下4つの区画に分類される。
北区:町の入り口付近。商店や食事所などが並ぶ。
西区:町の西側。住人の居住区や、来訪者向けの宿泊施設が並ぶ。
南東海岸:海岸および港付近。船が停泊している。波は穏やか。
劇場:町の中央。豪華絢爛な劇場。劇場内では、女の霊の声が聴こえないらしい。

●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。

  • 霧の町に響く歌声。或いは、音楽は止まない…。完了
  • GM名病み月
  • 種別リクエスト
  • 難易度-
  • 冒険終了日時2023年11月20日 22時05分
  • 参加人数6/7人
  • 相談8日
  • 参加費150RC

参加者 : 6 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(6人)

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚
寒櫻院・史之(p3p002233)
冬結
ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)
アネモネの花束
モカ・ビアンキーニ(p3p007999)
Pantera Nera
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
※参加確定済み※
柊木 涼花(p3p010038)
絆音、戦場揺らす

リプレイ

●劇場の魔人
 濃い霧の中、響く歌声。甘い声。
 或いはとろりと脳髄を蕩かす悲喜劇の音色。
 彷徨う女に帰る場所は無く。
 劇場の魔人は何も知らずに心地よい音に耳を傾けるばかり。
 音楽の共には、ワインの1杯でさえノイズにしかならない。明かりの1つさえも不要だ。
 だから、暗い場所にいた。
 暗い場所で、ソファーに腰かけ、腹の前で手を組んで、静かに音を楽しむのである。
 なぜなら“音楽”とはそういうものであるからだ。

 さて、今宵、霧の深い町に集った“7人”は1人の女のゴーストと、それから劇場に根付く魔人と出逢うことになる。
 果たして女は、そして魔人は、なにゆえに“今”のような顛末を迎えることになったのか。
 誰も知らない。
 知る由もない、そんな物語が語られるのは、いましばらく先である。

「ここが……随分と霧の深い港だこと」
 町の入り口に1人。
 鞄を抱えた1人の女が立っている。彼女は風に踊る白い髪を押さえて、地図を片手に町の中へと1歩、足を踏み入れた。

「歌声を聞き続けると正気でなくなる……か」
 霧の中から響く声に耳を傾け、『アネモネの花束』ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)が肩を竦める。
「ははは、今更だな。画家もミュージシャンも正常な奴に出来やしない」
 ベルナルドの言はもっともだ。
 およそほとんどの者にとって、音楽とは“聴くもの”であり、絵画とは“観るもの”であり、小説とは“読むもの”である。
 決して“弾くもの”でも無ければ、“描くもの”でも無いし、“書くもの”でも無い。
「それにしても、いい歌声だよなぁ…本当に、脳髄の奥にまで染み渡るいい旋律だ」
 録画の用意を整えて、改めて少し音の方へ耳を澄ましたベルナルドの目がどろりと淀んだ。
 それっきり何も語らない。
 舌に言葉を乗せることも忘却の彼方へ追いやって、ただ霧の中に視線を向けているばかり。そんなベルナルドの肩を『奏でる言の葉』柊木 涼花(p3p010038)が強く揺すった。
「ん? あぁ……なんだ? 歌を聴いてただけだが」
「音楽は誰にとっても楽しいものであってほしいんです」
「そうだな。君たち演奏家は、きっとそうに違いない」
 静かに告げられた声には、しかし強い意思が宿っているのが分かった。
 故にベルナルドは深く首肯し、同意を示す。
 涼花はベルナルドの目を覗き込み、意思の籠った言葉を続ける。まるでベルナルドの脳に、直接語り掛けるかのように、真摯に、そして熱い言葉で。
「だから、霊には満足して成仏してもらいたいですし、この事件で音楽に、歌に恐怖する人が現れないようにはやく解決しないと」
 そんな2人のすぐそばに、黒い影が立っている。
 赤い口腔を三日月のように歪めて嗤って。黒い影は肩を揺らした。
「貴様、正気を失くしたのか?」
 ぐいん、と上体を大きく曲げて黒い影こと『同一奇譚』ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)がベルナルドの顔を覗き込んだ。
 その夜闇のごとき黒い手で、ベルナルドの頭を固定して、目の無い顔を近づけて。
「ロジャーズ、何か……!?!?!?!?」
 “無い”はずの目を覗き込んだ瞬間に、ベルナルドの目が正気の色を失った。
 ロジャーズはNyahahahaと哄笑を上げて、ロジャーズの耳元で囁いた。
「如何だ。何が視える。何が聞こえる。何を認めたのか、吐き散らかせ。素敵な眩暈だと思わないか?」
「……そうだ、俺は歌声の主と通じ合えるはずだ」
 何を知ったのか。或いは、何かを受信したのか。
 ふらふらと定まらぬ歩調で、ベルナルドは霧の中へ、歌の聴こえる方へと歩き去っていく。
「え? 何をしたんです? せっかく、一緒に歌を聴いていたのに! わたしの鳥が、歌を届けてくれていたのに!」
 困惑している涼花もまた、少し様子がおかしいようだ。
 その瞳に狂気の色を見て取ったロジャーズは、より一層に笑みを深くして囁いた。
 諭すように、静かに、優しく。
「何、こう言うのは発狂してる人物に委ねるのが最適解なのだよ」
 ロジャーズの声は、じくじくと涼花の脳裏に染みていく。
 そして、まるで、その言葉こそが真理であるかのように思えてくるのであった。

 霧の中には誰もいない。
 女の歌声だけがどこかから聴こえてきている。
 ところは港の近くの広場。中央に立つ『冬結』寒櫻院・史之(p3p002233)が、全てを迎え入れるみたいに両腕を広げた。
「なるほどイズマさんの家系に関わる謎に触れるかもしれないのか。それは、ちょっとはりきっちゃうよね、俺」
 晴れやかに、嬉しそうに、史之は笑った。
 その言葉は果たして誰に向けたものか。少なくとも、史之の近くには誰もいない。
 霧の中に、ともすると何かが見えているのか。
 何かが傍にいるような気がして仕方が無いのか。
「だってイズマさんはすごい人だし、彼の演奏はいつも楽しみにしてるんだ」
 腕を広げて、満面の笑みで、霧の中で史之はくるくると回り始めた。
 目に見えない無数の何かが、そこら中にいるかのように。
 目に見えない、無数の誰かに語り掛けているかのように。
「そっか! 歌声を探せば良いんだね!」
 ともあれ、正気はともかく、目的だけはまだ忘れてはいないらしい。

 劇場から1歩、外へ出た瞬間、『Pantera Nera』モカ・ビアンキーニ(p3p007999)の耳に女の歌声が響く。
「女の霊よ。あなたの歌は、聴いた人々を幸福にするためのものではなく、魔人に対する自己顕示欲の道具なのか?」
 私の歌を聴いてくれ。
 私の歌に酔ってくれ。
 そんな風な欲望染みた感情を歌声から聴き取って、モカはそう呟いた。
「ならばそのような、心の濁った歌声は私には聴こえない。聴きたくもない」
 だからモカは、女の歌を聴かないことを選んだ。
 歌声の響く霧に背中を向けると、再び劇場内へと戻って行ったのだ。

 シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団。
 『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)がかつて縁を結んだ、海洋を拠点とする旅のオーケストラである。諸事情によりピアニストを欠いた状態にあるが、だからと言って楽団の演奏技術が、音楽にかける想いが損なわれることは無い。
「演奏するのは女の霊が歌ってる曲だ、よろしく頼む。参考にイライザの楽譜を見せよう」
 霧の中に響く女の歌声は、イズマの生家、トーティス家に昔からある1つの曲に類似していた。
 その曲の名は『イライザ』。
 女の霊が歌っているのは『イライザ』の不出来なアレンジのように思えたのである。
 楽譜を渡し、数十分ほど演奏の指導をした後に、イズマは劇場を後にする。
「行くのか?」
 入口にいたモカに声をかけられた。
 イズマはモカの傍に1羽の小鳥を呼び出して、自分の頭に手を置いた。
「どうもこれ以上は声に抗えそうにない。何かあれば教えてくれ」
 劇場の扉を開ければ、視界が白に染め上がる。霧のせいだ。霧の奥から、何かがイズマを呼んでいる。
「大丈夫、必ず戻ってくるよ」
 そう言って、イズマは霧の中へ姿を消した。
 誰もいない静かな町に、女の歌が響いている。否、歌は脳髄に聴こえているのだ。
「音楽を深く愛する魔人に、イライザに似た曲を歌う女の霊……まさか、ここにいるのか?」
 零した声は、誰の耳にも届かない。

●霧中独唱
 ドレスに着替えたモカが歌を口ずさむ。
 霧の中で、女の霊が歌っていた曲だ。
「~♪ ……こうか?」
『そうじゃない。1オクターブ、高くしろ』
 首を傾げたモカの耳元で、低い声で誰かが囁く。重厚なヴァリトン……声を潜めていてなお、それが美声と呼ぶにふさわしいものであることは明白だった。
「……勝手に聴いていたのか? 趣味が悪い」
『この劇場で奏でられる全ての曲を、私は鑑賞する権利を持つ。それよりオクターブだ。そしてリズム。メトロノームを用意しろ』
 歌唱指導のつもりだろうか。
 姿も見えぬ男の声に従って、モカは棚からメトロノームを手に取った。
「貴方が劇場の魔人か?」
『知らぬ。それより歌え。懐かしい歌だ……未完成もいいところだが。貴女よ、ピアノは弾けないのか?』
 やはり、とモカは内心で首肯した。
 この声の主こそが“劇場の魔人”に違いなのであろう。
 歌を歌う女の霊や、劇場の魔人についてを事前に調べはしたのだ。
 だが、誰も口を割らなかった。
 それゆえ、事前に得た情報以外に何も知ることが出来なかった。
 つまり、それが答えである。
 劇場の魔人は実在し、そして住人たちからは尊敬と畏怖の念を向けられている。

 夢遊病というものがある。
 眠っている間に、忘我の内に勝手に身体が動きだすという睡眠障害の1つである。性質の悪いことに、彷徨い歩く当人は、その間のことをまったく覚えていないのだ。
 今のベルナルドの状態は、それに似ていた。
「あぁ、歌声が……だけど俺は、アンタが待っていた人じゃない」
「イライザ……イライザ。イライザ……とても難しそうな曲です、血が騒ぎます」
 様子がおかしいのはベルナルドだけじゃない。
 涼花も同じく、足取りが少し覚束ない。
「……あとで譜面の写しとかいただけないでしょうか」
「俺にはアネモネが、愛しい人が、いて、それで……何の話をしてるんだ? 俺は」
 足取りも、言動もどこかおかしい。
 だが、ベルナルドにせよ涼花にせよ、進む方向は同じであった。その方向に必ず何かが居ていると、確信したかのような歩調だ。
「Nyahahaha!!! 港町と謂えばインスマスどもの面構えが映えるが、さて、此処はオーゼイユと視た。地図にも名を記されていない、幻想的な、妄想的な迷宮の如き沙汰!」
 ふらふらと歩く2人の後をロジャーズが追いかける。
 観ようによっては、ベルナルドと涼花の2人を追い立てている風にも見えた。
「音楽だ。ヴィオラ弾きの混迷が加速していく。兎角――私は常の如くに、混沌を、愉悦を貪食せねば成らない!」
 吐き出す言葉の意味は知れない。
 けれど、しかし、そもそもの話だが……
「つまりは普段通りと謂うワケだ」
 ロジャーズはいつもこんな風なのである。
「そうか、彼女の歌声に感じる執着。こいつは芸術を搔き立てる。今描かなければ全て腐る」
 足を止めて、ベルナルドが空に向かって咆哮をあげた。
 目的地に着いたのだ。
 そして、その視線の先には、ヴァイオリンを手にしたイズマと半透明な女性の姿があったのである。

 歌というのは、別に1人で静かな場所で歌っていても構わないのだ。
 それゆえ、女の霊が霧の中で歌い続けることを、イズマは決して否定しない。だが、それと同時に彼女の“真意”がそこに無いことも理解していた。
「もっとよく聴かせてくれよ。その曲はどこで知ったんだ?」
 歌う女に問いかける。
 返事は無い。
 ただ、歌声だけが聴こえている。
「歌うのは好きか? 楽しいか? その歌は誰に聴かせたいんだ? なぁ、俺も音楽家なんだ。一緒に歌わせてくれ」
 その歌の原型が『イライザ』であることはもはや明らかだ。だが、彼女がその歌をどこで知ったのかが分からない。
 女の歌声に声を重ねた。
 虚ろであった女の瞳に、ほんのひとかけらだけ正気の色が灯った。
「舞台で歌おうよ。俺の音で案内するからさ!」
 イズマの傍には、ベルナルドや涼花、ロジャーズの姿もある。
「あぁ、劇場へ戻るか。彼女の歌がもっと聞けるんだろ?」
 ベルナルドがそう告げた。
 永い永い年月の果てに、彼女はついに観衆を得た。

 海岸沿いを歩いているのは、史之と1人の女性であった。
「海岸ってさあ、やっぱ俺は海洋の女王陛下を崇敬しているからさあ、あたるとしたらここだし、生臭いし、生臭いし、生臭いし、腐った魚の鱗やふやけた藻の香りが立ち込めていてさあ、いいところだよねえ?」
「そうね。霧が磯臭い」
「聞こえるものは波の音だけだし、なにをするんだっけ、ああ、歌声を探さなきゃいけないんだった、えーと、そう、歌声、歌声、そうだね、虹色の黄金で縁取られたアンセムが聞きたいよな、リクエストに答えてくれる人がいたらそっちに行こうか、そっちってどっちってこっちだよこっち、こっちだってば、見て、こんなにキレイ、歌は目で見て楽しむものだろ?」
「違うわ。歌は耳と心で聴くものよ」
「違う? 違うってどういことだよ、何いってんだ、そっちのほうがおかしい、もういい、俺はこの歌を劇場で聞きたいからこっちこっちって、ねえねえ、あなただれ?」
 史之と女は連れだって、劇場の方へ歩いている。
 史之はペラペラと楽しそうに。女の方は、少しだけ不気味そうな顔をして。
「なんでこんなところにいるの? 不機嫌そうだね、どうせならいっしょにぐるぐるしない? イライザってだぁれ? どうして未完の曲を作ったの?」
「完成した曲を聴きたいから。楽曲の全ては、長い年月をかけて多くの人の手を渡り、そして初めて完成されるものよ」
「アハハ、そんなことはどうでもいいんだよね、ねえねえ、あなたに会いに来たんだよイズマさんの話を聞いてあげて?」
「……私と誰かを勘違いしていない?」
 史之と女の会話は微妙に噛み合わない。
 噛み合わないが、けれど不思議と成立していた。
 かくして、これから数十分後。
 役者は……否、オーケストラは舞台に揃うこととなる。

●鳴り止まぬ音よ、世界に響け
 暗いステージに明かりが落ちた。
 観客席へ礼を送ったイズマが、コツコツと足音を立てて指揮者台に昇る。
 暫くの間、静寂に身を浸したイズマが指揮棒を顔の横へ振り上げた。
 瞬間、闇は強い光に塗りつぶされた。
 ステージに並ぶシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団の面々。ピアノを前に戦士の面持ちでいるヴァインカルの姿もあった。
 史之が連れて来てくれたのだ。
 これがシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団の完全体勢。加えて、メインのヴォーカルを務めるのは半透明の女の霊と、そしてモカの2人である。
「うう、演奏したい、歌唱したい……!」
 観客席からその光景を見ていた涼花が、矢も楯もたまらずといった様子で駆け出した。少し様子がおかしいのだ。ギターを手にステージの端へ跳び上がると、さも当然のような顔をしてピックを構えた。
「これでもバンドマンの端くれ、参戦せずにはいられません」
 苦笑を零したイズマは、指揮棒を涼花へ差し向ける。
 ジャラン、と弦が掻き鳴らされた。それが演奏の始まりだった。

 不協和音が目立つ不思議な曲だ。
 陰鬱な雰囲気。けれど、荒れ狂うような情念が渦巻く。
「……」
「……」
 無言のまま、ベルナルドと史之は演奏に耳を傾けていた。ベルナルドなど、手に持った鉛筆を動かすことさえ忘れている。
 観客は4人。
 ベルナルドと史之、ロジャーズ、そして蒼い髪をした痩身の男。
「音楽とは人間にとって不可欠な、度し難きを拭うものだと思惟している。音楽が狂気を孕むので在れば、それは、現実を壊す一撃故と解せる」
 ロジャーズは痩身の男にそう問うた。
 男は何も答えない。ただ、ロジャーズの言葉に顔を顰めた。
「人間の脳髄は柔らかく、脆いものだ」
 演奏は黙って聞け。
 視線でそう訴える。
「――故にこそ尊く、私は虐めたくなるのだよ」
 ロジャーズは、にたりと嗤ってみせた。

 演奏が終わるころ、女性の霊は消えていた。
「良い歌声だ。貴女が生きている間に気づいて欲しかった」
 名も知れぬ女の霊は、きっと満足して逝ったのだろう。
 モカの呟いた声は、誰の耳にも届かない。
「天国で存分に歌ってくれ」
 その想いだけは、せめて届いてくれればいいが。

 演奏後。
 誰もいないステージに、イズマだけが立っている。
「貴方が魔人……いや、ベルリオさん……?」
 客席の真ん中。音が一番よく聴こえる場所に痩身の男が座っている。
 男は何も答えない。
「イライザを見つけた時からずっと、貴方の事を知りたかったんだ。貴方が何を思ってこの曲を書いたのか。何を考え、望むのか」
「…………」
「なぜ反転し、この劇場に留まるのか……。貴方の子孫で同じく音楽を愛する者として、知りたい」
 痩身の男……ベルリオ・トーティスが溜め息を零す。
「彼女の……名さえ失った哀れな歌手のような存在を、無意味に増やすべきではない」
 女の霊のことを言っているのだろう。
 彼女はきっと『イライザ』に魅せられ、ベルリオに出逢い、そして狂った哀れな犠牲者なのだろう。もっとも、音楽に魅せられた者を“犠牲者”と呼ぶのが正しいのなら、だが。
「お前はトーティス家の者か。どうりで。なかなか見事な指揮だった」
 渇いた拍手がほんの数回。
 その声に抑揚は無い。
「まぁ、結局のところ『イライザ』は未だ完成を見ない。完成を見ぬうちは、この世を去ることも出来ないからな」
「……貴方が望むなら、俺がイライザを『演奏』する」
「ほぅ? 君が?」
 弾けるのか?
 短い言葉に、そんな意図が滲んでいる。
「……俺の、魔曲作家への挑戦だ。トーティスの末裔の全身全霊をお聴かせしよう」
 鋼の腕をピアノへ伸ばし、イズマは告げた。
 
 音楽の世界では、本来、あり得ないことだ。
 ここに“過去”と“現在”は、奇妙な邂逅を果たしたのである。

成否

成功

MVP

ロジャーズ=L=ナイア(p3p000569)
同一奇譚

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様です。
名も無き女の霊は無事にこの世を去っていきました。
依頼は成功となります。

この度は、シナリオのリクエスト&ご参加、ありがとうございました。
縁があれば、また別の依頼でお会いしましょう。

シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団は海洋各地で巡業中です。

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