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シナリオ詳細

真夏の怪談。或いは、明かりの消えたオフィスビル…。

完了

参加者 : 5 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング

●今はもう誰もいない
「ふぅむ? ここがそうなのかい?」
 深夜遅く。
 練達のとあるオフィス街。その片隅にある10階建てのビルを見上げて古木・文(p3p001262)は首を傾げた。
 明かりは付いていない。入口には「立ち入り禁止」の看板が設置されている。
 それ以外は、建築されてそう長い年数も経っていないオフィスビルのようにしか見えない。
「怪奇現象が頻発して、ものの数カ月で空き物件? とても、そんな風には見えないけどね」
「そう見えようが、見えなかろうが“怪奇現象が頻発した”って言うのが変えようのない現実だ。だからアタシに依頼が回って来たんだよ」
 そう言ったのはタンクトップ姿の長身女性。
 名を夜鳴夜子という彼女は、再現性東京を拠点とする霊媒師だ。
 吸い終えた煙草を携帯灰皿へと戻し、視線を文からビルへと移す。
「“飛び降り自殺を繰り返す人影”。“廊下に響くすすり泣きの声”。“明かりの消えない10階オフィス”。“開かずのサーバールーム”。“クライアントの飛んだ開発案件”。“消えた仕様書”。“行方不明の顧客情報”……それから、ある新人なんかは昼休憩に出て行って、そのまま帰って来なかったらしい」
「……それは、怖いな」
 ふぅ、と文は呆れた顔でため息を零す。
 いつの時代にも“ブラック企業”というのはあるらしい。だが、火のないところに煙は立たないという話もある。
 とくに夜子の語った1つ目の階段。
 “飛び降り自殺を繰り返す人影”は、どうも他の階段とは幾らか趣が違っている様に思える。
「それで、僕は何をすればいい? いや……君のことだ。他にも何人か声をかけているのかな?」
「だな。声をかけてはいるが、来るか来ないかはそいつらの勝手だ。で、何をすればいいか……だが」
 新しい煙草に火を着けて、夜子は紫煙を吐き出した。
 ゆらゆらと夜空に立ち昇っていく紫煙を目で追い、夜子は呟く。
「とりあえず一晩、過ごしてみてくれるか? 適当な部屋で休むもよし、ビル内を散策するのもよし。とはいえ、10階のオフィス以外は空っぽだけどな」
 本当に怪異が存在するのか、しないのか。
 それさえ定かではないのだから、夜子がうんざりした顔をするのも当然だ。
 怪異が確かに存在するなら、排除する手を考えるのも可能だろう。だが、存在さえ不確かというなら、それはもう“存在することを願って”現場に踏み込む他に術は無いのだから。
「じゃあ、頼むわ」
「? 一緒に来ないのか?」
「あぁ、ちょっと妙な案件だからな。別口から、このオフィスで何があったか調べて来るよ」
 そう言い残し、夜子は立ち去って行った。
「……歩き煙草は禁止されているが」
 なんて。
 文の言葉が聞こえたのだろう。夜子は煙草の火を消した。

GMコメント

こちらのシナリオは「ヘイ・タクシー。或いは、432番道路の怪談…。」のアフターアクションシナリオです。
https://rev1.reversion.jp/scenario/detail/9717

●ミッション
オフィスビルで一晩を過ごす

●フィールド
練達。
築数年ほどの新しいオフィスビル。10階建て。
現在、テナントは1件も入っていない。数ヵ月の間に、全部の企業が撤退したのだ。
10階オフィス跡にだけは、PCなどの設備が残されている。
他の階は空っぽ。

●怪談
夜子が事前に聞きだしたオフィスビルの怪談は以下の通り。
1番目の怪談以外は、企業の撤退には無関係だと夜子は考えているようだ。

“飛び降り自殺を繰り返す人影”
“廊下に響くすすり泣きの声”
“明かりの消えない10階オフィス”
“開かずのサーバールーム”
“クライアントの飛んだ開発案件”
“消えた仕様書”
“行方不明の顧客情報”


動機
 当シナリオにおけるキャラクターの動機や意気込みを、以下のうち近いものからお選び下さい。

【1】夜子に依頼されて来た
夜鳴夜子の依頼を受けて、オフィスビルを訪れました。

【2】夏の夜長を楽しんでいた
夏を満喫していました。その途中でオフィスビルの前を通りかかったようです。

【3】一夜の宿を求めて忍び込んだ
ホテルやネカフェはどこも満室です。一晩、過ごせる場所を探してオフィスビルに目を付けました。


真夏の夜に
オフィスビルでどのように過ごすかです。

【1】オフィスビルを散策する
とにかく歩き回ります。捜査の基本は足だと昔の偉い人が言っていました。とくに屋上なんかが怪しい気がします。

【2】拠点を決めて待機する
適当な場所に拠点を設けて待機します。必要に応じて移動することもありますが、基本的には一ヶ所で過ごします。

【3】人のいない場所を行く
何らかの事情により単独で行動しています。人の気配が少ない方に向かいます。

  • 真夏の怪談。或いは、明かりの消えたオフィスビル…。完了
  • GM名病み月
  • 種別 通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年08月24日 22時05分
  • 参加人数5/7人
  • 相談0日
  • 参加費100RC

参加者 : 5 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(5人)

ラダ・ジグリ(p3p000271)
灼けつく太陽
古木・文(p3p001262)
文具屋
ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
変わる切欠
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
紲 冥穣(p3p010472)
紲の魔女

リプレイ

●黒い噂
 歩くたびに埃が舞った。
 非常灯の明かりさえ消えた暗い廊下だ。光源と言えば、窓から差し込む月の光だけ。廊下にはコツコツという幾つかの足音だけが響いた。
「さてさて。鬼が出るか、蛇が出るか」
 比較的新しいオフィスビルだ。だというのに、今は誰も使っていない。曰く、奇怪な現象が多発したことで、入居していたテナントの全てが退去したという。だが、『結切』古木・文(p3p001262)がいくら視線を左右へやっても“奇怪な現象”とやらは起こらない。
「うう……怖い話ってあんまり得意じゃないのよね」
『紲の魔女』紲 冥穣(p3p010472)は2メートルほどある大きな身体を縮こめて、不安そうに空になったオフィスを覗き込む。
 オフィスの中には何も無い。机と椅子が設置されていた痕跡はあるが、それだけだ。
「ここにも何か怪談があるのよね?」
 足を止めて冥穣が言った。
 文はポケットからメモ帳を取り出し、視線を落とす。仕事の依頼者である夜鳴夜子から聞いた話では、オフィスビル全体で奇怪な現象が多発していたらしい。

“飛び降り自殺を繰り返す人影”
“廊下に響くすすり泣きの声”
“明かりの消えない10階オフィス”
“開かずのサーバールーム”
“クライアントの飛んだ開発案件”
“消えた仕様書”
“行方不明の顧客情報”
 
「聞いたのは以上だね。まぁ……大半は、ね」
「妙にリアリティを感じる……厄介そうな怪談だな。ブラック企業というやつか?」
『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)は肩を竦める。
 夏と言えば怪談話は定番だが、どうにも今回は少し赴きが異なるようだ。
 今回の怪談の大半は“人間が原因”で引き起こされたもののように思われる。だが、なるほど確かに恐ろしい。現場に取り込まれていた従業員たちは、きっと背筋が凍えるような思いで働いていたことだろう。
 或いは、背筋が凍えるような思いさえ、出来ないほどに精神が摩耗していたかもしれないが。どちらにせよ、既に過去の話だ。
 ここで何かが起きて、オフィスビルが空になった。
 その結果は変わらない。
 そう考えれば、涼をとるには十分と言える。
「となると1番目が怪しいな。それ以外は……そう言う商会を見たことがあるよ」
 もっとも、『灼けつく太陽』ラダ・ジグリ(p3p000271)の知る商会で、負担を押し付けられていたのは安く買われた奴隷たちであったが。
 限界まで働かせ、壊れたら捨てて新しいのに買い替える。そんな風な仕事の仕方はあまり好きではないけれど、件の商会が相応以上に儲けを出していたことは事実。
 業腹ではあるが“悪いこと”をすると、常識の範疇を超えて儲かるものなのだ。
「過ぎた話だし、私がとやかく言うことでもないが」
 空になったオフィスに視線を向けて、ラダは小さな溜め息を零した。

 再現性東京のオフィスビルとはいえ、そこに怪異が伴うのならある意味でそれはダンジョンと言える。
 つまり、イレギュラーズはダンジョンの調査隊だ。
 そして、円滑に調査を進めるのであれば、拠点が必要となる。
「よいしょ……っと」
今回、拠点準備の役割を任せられたのは『繋げた優しさ』ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)である。
 調査隊に先行して6階へ向かったジョシュアは、背負っていたリュックサックを床に降ろす。リュックサックから取り出したのはビニールシートと簡易コンロ、紅茶のパックとジャムの小瓶、コンビニで買い漁った食パンである。
 夜通しの探索となるだろう。
 だが、夜食の準備は完璧だ。ジョシュアは家庭的なのである。
「これでよ……し?」
 ふと、ジョシュアは何かを感じた。
 それは何かの気配だったかもしれないし、空気の揺らぎだったかもしれない。或いは、幽かな物音だったかもしれない。
 ふと、視線を窓の方へと向けたジョシュアの視界の中で、黒い何かが上から下へと通貨した。
「……え」

グシャ

●労働は悪
 人、では無かっただろうか。
 オフィスの窓のすぐ外を、人が落ちていったのではないか。
「……飛び降り自殺を繰り返す人影が出るのでしたっけ」
 ジョシュアが思い出したのは、事前に聞いたオフィスビルの怪奇現象。その1番目だ。
 当たり前に考えれば、きっと誰かがオフィスビルの屋上から投身自殺を図ったのだろう。その事実に尾ひれや胸びれが付いて、立派な1つの怪談へと昇華した。
 飛び降り自殺を繰り返す霊など、本当は存在していないのかもしれない。誰も、そんな霊など見たことが無いかもしれない。
 見たことが無くとも構わないのだ。
 元となる由来があって、実しやかに噂できるだけのトークスキルさえあれば、事実はどうあれ“怪談”は生まれ、広まっていく。
「前の事もありますから窓際にはあまり近付きたくないです……が」
 “怪談”には“噂であるもの”と“真実であるもの”の2種類が存在している。そのことをジョシュア走っている。
 以前にも“事実である”方の怪談にジョシュアは遭遇しているのだから。その時も、ビルの屋上から飛び降りる類の怪異であった。
 つくづく投身自殺者と縁がある。
「……うぅ」
 悩む。
 悩んで、そしてジョシュアは窓へ近づいた。足音を殺して、そろりそろりと慎重に。不測の事態が起きたとしても対応できるよう、腰のホルスターから拳銃を抜いた。
 そして、窓まで1メートルの位置まで近づいた。
 瞬間。
「ぴっ!?」
 窓の外を、再び何かが通過する。
 ほんの一瞬。けれど、ジョシュアの瞳は、落下する何かを……人の姿を正しく視認した。身に纏った黒いスーツも、ぼさぼさに乱れた黒い髪も、血走った虚ろな眼球も。

 同時刻、3階。
「死者は死の瞬間を繰り返すとも聞くが……」
 ラダはライフルを構えると、窓の方へ近づいていく。
 つい数秒ほど前のことだ。窓の外を上から下へ通過する人影を見た。
 きっと、件の怪異であろう。
「仕事を頼まれたからには結果を出して帰りたいところだけど……会話する余地があると思うかい?」
「どうかな? もし説得なりするにも、普通の人と話すのとは異なる才能が要るかね?」
 窓の方へと向かうのは、ラダと文の2人だ。
 冥穣とイズマは、万が一の事態に備えてオフィスの入り口付近で待機している。
 誰かが、ごくりと喉を鳴らした。
「……いないな」
 窓から、地面を見下ろしてラダは呟く。
 最悪の場合は、窓に近づいた瞬間、怪異に襲われるという事態も想定していた。そうはならなかったことに、まずは安堵の吐息を零す。
 決して、油断していたわけでは無い。
 ただ、怪異の方が1枚上手だっただけだ。
「っ……!?」
 ラダの肩を文が掴んだ。
「下がって!」
 力いっぱい、肩を引いてラダを後ろへ下がらせる。
 直後、窓の外を何かが横切った。人の影だ。
 黒いスーツ。ぼさぼさの髪。血走った瞳は、どこか遠くを見つめるように虚ろであった。
 ほんの一瞬の邂逅だ。それが、生者か死者かさえも判然としない。
 そして、次の瞬間……。

「うわぁぁぁっ!?」
 
 上の階で、ジョシュアの悲鳴が木霊した。

「行きましょう! きっと、1人で怖い想いをしているわ!」
 そう言ったのは冥穣だ。
 暗くて分かりづらいが、冥穣の顔色は青ざめており、脚も震えているように見える。
「怖い想いをしているのは……」
「あ“? なに?」
「何でもないよ」
 イズマは慌てて口を閉じた。
 冥穣と違って、イズマの方は平常心を保てている。先の一件、一部始終をイズマもしっかり見ていたが、今のところ体調や精神に異常は出ていない。
 加えて、ジョシュアの悲鳴が気になるのも事実。
「やっぱり屋上が怪しいかな。とりあえず、ジョシュアさんと合流しよう」
「えぇ、そうしましょう」
 行動しなければ、事態は何も変わらない。
 それを正しく理解している冥穣は、イズマの手を引き階段へ向かって駆け出した。

「あら? いい香り」
 6階廊下に辿り着いた冥穣が、形の良い鼻を鳴らして目を丸くした。
 香りの発生源は、空になったオフィスのようだ。
「ジョシュア君かしら?」
 そっと、オフィスを覗き込む。
 なるほど、そこにはジョシュアがいた。真っ暗なオフィスの真ん中、ビニールシートの上に座って、カセットコンロでお湯を沸かしているようだ。
「ふぅ……ぅぅ」
 ジョシュアの手には淹れたての紅茶。
 ジャムを掬う手が細かく震えているのが分かる。
「アールグレイ?」
「あ、冥穣さん……どうです、一緒に。ジャムを入れると甘くて美味しいですよ」
 先の悲鳴なんて勘違いであるように、ジョシュアは儚く微笑んだ。
 アールグレイにはストレスを緩和させ、気持ちを落ち着かせる効果がある。
「いただくわ」
「……ピアノの1つでもあれば、俺も何か聴かせてあげられたんだけど」
 ジョシュアはきっと、怖い想いをしたのだろう。
 そう思うと、儚い笑みさえ不憫に思えて仕方が無かった。

 6階を後にする一行を、ジョシュアは手を振り見送った。
 幾らか気分も落ち着いたのか、多少強張ってはいるものの、ちゃんとした笑顔を浮かべられていた。
 真夜中のティータイムを終え、意気揚々と再出発した一行だが、7階の調査が済む頃になると冥穣は再び顔色を悪くしていた。
「ぅ、ぅぅ?」
 外で風が吹いただけでも、冥穣は肩を跳ねさせる。
「“廊下に響くすすり泣きの声”は、案外、こういうことなのかもしれないな」
 呻くような声を零す冥穣を見て、文は言う。
 顎に手を触れ、視線を天井へと向けた文は、歩きながら何かを思案しているようだ。
「……何か見えてるんじゃないでしょうね?」
「そんな犬か猫みたいに……そうじゃなくてね」
 冥穣に問われた文は、くっくと肩を揺らして笑った。
「大の大人が泣きたくなるような職場って言うのは、どんなものかと思ってね」

 オフィスビルに最後まで残っていたのは、10階にあるITオフィスであったという。
 よほどに慌てて逃げ出したのか、10階のオフィスだけは未だにPCやサーバールームなどの設備がそのまま残っていた。
 きっと、二度と誰かに使われることは無いだろう。
 PCの1つに近づくと、イズマは電源ボタンを押した。
 当然、何の反応もない。電気が通っていないのだから当然だ。
「まぁ、付くはずは無いか」
 それから、イズマはサーバールームの方を見た。
 扉には厳重に鍵がかけられている。張り紙には「立ち入り禁止」の文字がある。
「聞いたことがあるわ。ここじゃないどこか別のオフィスの話だけれど……清掃員の女性が、サーバーの電源を抜いて掃除機を繋いだって話を」
 そう言ったのは冥穣である。
「なぜ、そんなことを……?」
「サーバールームの掃除をしようとしたのよ。自分の職務通りにね。でも、問題はその後……抜いた電源コードを繋ぎ忘れて帰ってしまったんだって」
 結果、長時間にわたりサーバーが停止することになった。
 損害額は……あぁ、考えたくも無い。
「きっと、このオフィスでも似たようなことがあったのでしょうね」
「それは……悲しい話だな」
 憂いを含んだ眼差しで、イズマと冥穣はサーバールームの扉を見つめる。

 屋上の扉を前にして、文とラダは歩を止める。
「いると思うかい?」
 そう問うたのは文だった。
「いるんじゃないか。ここまで何も出なかったんだ……怪しいのは、後はここしか残っていない」
 そう言ってラダはライフルを構えた。
「説得がどうとか言ってなかったっけ?」
「知らないのか? 砂漠の国じゃ、話の通じない相手の説得は、こういう方法でやるんだよ」
 ラダは顎でドアノブを示した。
 一拍の間を置き、文はドアノブに手を伸ばす。
 鍵はかかっていない。
 ドアノブを回し、扉を開ける。
 熱を孕んだ夏の空気が流れ込み、積もった埃を巻き上げた。
 そして……。
「いた」
 屋上の端。
 月明かりを背に佇んでいる、男の影がそこにあった。

●もう働かなくていい
 何度目だろうか。
 窓の外を人が飛び降りていったのは。
 何度も何度も、同じ人が、同じ位置を飛び降りていく。なるほど、夜中にこんな光景を目にすれば、このビルで仕事を続けることは出来ないだろう。
 ジョシュアも最初は怖かった。
 思わず悲鳴を上げたほどだ。
 けれど、何度も見ているうちに、虚ろな瞳を見ているうちに、次第に“彼”に対する憐憫の情を抱き始めたのであった。
「逃げたくて、飛んだんでしょうか。何度飛んでも、逃げられないでいるのでしょうか」
 せめて、安らかであれと。
 そんな願いを込めながら、新しく出した空のカップに紅茶を注いだ。
 なお、当然ながら窓からは十数メートルほど離れた位置にジョシュアはいる。

「下がって無くていいのかい?」
 前を歩く冥穣へ向けてイズマは問う。
 屋上に吹く風に髪を躍らせながら、冥穣は少し悲しそうな笑みを浮かべた。
「依頼されたんだもの、一生懸命頑張るわ」
 それに、と。
 そう呟いて、視線を屋上の端へと向ける。
 イレギュラーズが現れたことにも気が付かないで、じぃっと地上を見下ろし続ける哀れな男の霊を、見て見ぬふりなど冥穣にはできない。
「なるほど。とはいえ、どうしたものかな。鎮魂歌でも奏でてあげれば消えるって言うなら、幾らでも演奏するんだが」
 イズマはじぃっと、男の姿を観察している。
 こちらには何の反応も示さず、ただ地上を眺めるだけの萎びた背中を。
 それから、男は屋上の縁に足をかけると……。
「また、飛ぶのか……」
「見てられないわ!」
 男の身体が傾いた。
 重力に引かれて、地上に落ちる。
 その寸前……。
 駆け出した冥穣が、男に向かって手を伸ばす。
 霊を掴めるかも定かではないが、それでも冥穣は飛び降りを止めようとした。
 今更……と、言う気がしないでもない。
 彼がここから跳び下りて、自ら命を絶ったのはきっと随分と前のことなのだろうから。失った命は取り戻せない。
 人は死んだら、それまでだ。
 それまでのはずなのに……男は未だ、死ねずにいるから。
 死にきれないでいるから。
 それを見るのが、辛かったから。
「引きあげろ!」
 冥穣だけじゃない。
 ラダもまた、男の手を掴んだ。

 ラダと冥穣の2人がかりで引き戻されて、初めて男は4人の存在に気が付いたらしい。
 驚いたように目を丸くして、冥穣を、ラダを、イズマを、文を順番に見やる。
『止めないでくれよ』
 絞り出すような声で、男は言った。
『もう疲れた。楽になりたいんだよ』
 掠れた声で、ポツリと小さな言葉を零す。
 そんな風な男の前に、文がしゃがんだ。
 それから、男の肩に手を置き、諭すようにこう言った。
「だったら楽になるといい」
 男がゆっくりと顔を上げる。
 文は微笑み、言葉を続ける。
「もう飛ばなくていい。君はもう、どこにでも行ける」
 その言葉が、男にとってどういう意味を持ったのか。
 男は、自分の手を見やる。
 指先から、その手が溶けるように消えていく。
『……そうか。もう、いいんだっけ』
 と、言って。
 それだけの言葉を残して、男は消えた。
 まるで最初から、そこに誰もいなかったみたいに。夢か幻のように、男はどこかに消えていた。

 少しだけ、後日談を語ろう。
 男の霊が消えて暫く、件のオフィスビルに入っていたとある企業の名前が、再現性東京の全土に広まった。
良いニュースではなく、悪いニュースで。
きっかけは、夜子の調べた労働基準法違反やパワハラに次ぐパワハラ、人権を無視した罵詈雑言の証拠である。
 匿名により公開された情報が“正義の味方”の目に留まったのだ。
 そうして、徹底的に調べ上げられ、石を投げられ、吊るされて、結果として件の企業は倒産するに至る。
 そして、これは単なる噂に過ぎないが……。
 元社長は、その後、自ら命を絶ったそうである。
 マンションの屋上からの投身……奇しくも、かつて追い詰めて自死に至らせたとある社員と同じ末路を辿ったと。
「まったく、恐ろしい話だ」
 新聞を閉じて、文はそう呟いたのだった。

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

お疲れ様です。

この度はご参加いただきありがとうございました。
本当に悪いのは労働か、それとも人か……そんなお話です。

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