PandoraPartyProject
青薔薇の憂鬱
幻想王国の暗部を司るとも称されるアーベントロート侯爵家は元々ウォーカーの出身である。
血統主義が根強く、殆どの場合において『譜代』であり『人間種』でない人物が政治的に力を持つ事が殆ど無い幻想における唯一に近い例外。
元々は『初代』であった魔術師が勇者王アイオンと親しく、彼の活動に力を貸したという理由からこの国の中枢に食い込んだとされている。
幻想の血統主義を正当化するのはあくまでアイオンの神格化であったから、ささやかなこの例外は今代に到るまで脈々と受け継がれてきたという訳だ。
「……はぁ……」
しかし、アーベントロート侯爵家が幻想において如何に特別な立場を誇ろうと。
如何に多大なる権益と政治力を有しようとも。
深い溜息を吐き出した深窓の令嬢にとってそれは余り大きな意味を持たない事実でしかなかった。
生まれてこの方、そういう立場だったのだから今更有難味は無く。彼女は自分の立ち位置について他に比較対象を持っていない。
しかし、箱入りの貴族令嬢の身の上でも――同派の同じ年頃の子供を見れば分かる事もあった。
子供達には大抵の場合、優しい親が居た。厳格な親が居た。
接し方は人それぞれなれど、直系を寄せ付けぬような親は多いとは言えなかった。
一方でリーゼロッテはと言えば、父親であるアーベントロート侯爵と碌に口を利いた記憶も無い。
『少なくとも彼女の方は顔も知らぬ母は兎も角として。当主である父にはそれ相応の思慕を持ち、それを望んで居たにも関わらずだ』。
「……私って、そんなに可愛くないのかな」
部屋の姿見が映すのは『人並み外れて可憐な少女の姿』。
家の繋がりで数度出席したパーティでは『至高の青薔薇』と称された妖精のような少女の姿である。
リーゼロッテにとってアーベントロートの悪名は自分に他人を寄せ付けぬ茨の棘のようであった。
まだしも『家族』なるものが万全に機能していたならば――彼女の孤独癖が強まる事はなかっただろうが。残念ながら彼女の世界には自身の命令に唯々諾々と従う使用人達と、侯爵家を蛇蝎のように嫌い敵対姿勢を取る対抗勢力、敵味方問わずそれを畏れて腫れ物のように接する遠巻きの他人位しか存在していなかったのだから如何ともし難い。
「……………クリスチアンの嘘吐き」
真顔でそれを問うた時、クリスチアン・バダンデールは大笑いしてそれを否定したものだった。
信じたいからそれを信じて、新しく可愛い衣装を仕立てて。父の執務室をノックして――戻ってきた回答は門前払いだ。
例えば一緒にご飯を食べるとか、そこまでは望まないでも。「大きくなったな」とでも言って貰えれば彼女は十分に満足だったのに――
「……嗚呼、また袖にされましたか」
「……………あなた、嫌い」
鏡を目の前にして百面相をするリーゼロッテの背後から声を掛けたのは家令の一人であるパウルだった。
「どうもご当主様はお優しくありませんねぇ。
まぁ、お嬢様もアーベントロートの人間ですから?
帝王学の一つでも学べという深慮、これも『親心』に違いないでしょうが!」
視線も向けず吐き捨てたリーゼロッテが唇を噛んでいるその顔はパウルの正面にある姿見が教えている。
クスクスと笑う彼は悪びれなく、拗ねた顔をする少女にこう続けた。
「しかし、嫌い――ですか。お嬢様にとっては気安く気の置けない人間は貴重だと思いますがねェ」
自身然り、クリスチアン然りだ。
アーベントロートの直系に対する世界は敵愾心と阿る意志に満ちている。
そんな中で『口の減らない嫌な奴』の持つ価値は、少なくともこの頃のリーゼロッテにとっては確かな救いだったに違いない。
「……………みんな、だいっきらい」
永久凍土のように凍り付いた彼女の心がゆっくりと溶けていくにはまだ随分と長い時間が掛かるのだ。
あの運命の日までは、まだ十数年もの時間が残されているのだから――