PandoraPartyProject

PandoraPartyProject

共に過ごした日々

 しんと静まった冬の空気に、障子の外から降り注ぐ光彩が畳を照らす。
 天香・遮那は艶やかな黒翼で、そっと傍らに座る鹿ノ子を包み込んだ。
 昨年の年明けに鹿ノ子が持って来た『アルバム』は何も書かれていない真っ白な状態だった。
 けれど、今は随分と分厚くなっている。
 背表紙は柔らかく丸みを帯びて、新品の頃のような堅さはもう無い。

「見せて、見せて」
「ふふ、望よ。そう焦るでない」
 膝の上に開いたアルバムを覗き込む使い魔の望を一撫でして、遮那は背表紙の角を触った。
 鹿ノ子と紡いだ思い出を詰め込んだもの。遮那にとって大切な宝物。
 慣れない執務で挫けそうになったとき、このアルバムを開いては心を落ち着かせた。
 甘い一時を思い起こさせるだけではない。遮那が辛い時の支えでもあったのだ。
「では最初からな」
 遮那の指が頁を一つ一つ捲っていく。


『――睦月・松に鶴』
 白き雪原に足跡二つ。
 松の植わる丘へやってきた遮那と鹿ノ子は寄り添い暖を取る。
「この辺りに居るって聞いたッスけど」
 辺りを見渡せば一面の雪化粧。お目当てのものは見つからぬ。
「あっ! 遮那さん見てください!」
 鹿ノ子が指差す方向へ顔を上げれば、羽ばたきだした『鶴』の姿が見えた。
 豊穣に住まう人々にとって鶴は吉兆の印と聞いたから、鹿ノ子はそれを遮那に見せたかったのだ。
「遮那さんにとって、良い年でありますようにッス!」
「ふふ、鹿ノ子にとっても、な」
 飛んで行く鶴を見上げお互いの息災を願う。




『――如月・梅に鶯』
 梅の花が溢れる庭先に、陽光が優しく降り注ぐ。
 遠く鶯の鳴く声が聞こえた。
「今日は随分と温かいのう」
「そうッスね」
 隣で並んで梅を見ていた二人。
 何時しか舟を漕ぐ遮那の頭を鹿ノ子が撫でた。
「お疲れッスね……少しだけならうたた寝しても良いと思うッス」
「……ん。そうだの」
 普段張り詰めている遮那からは想像も付かないような……否、出会った頃の様な人懐っこさで。
 鹿ノ子の膝の上に頭を置いた遮那。
 この一時だけでも安らかな夢を見られますようにと鹿ノ子は微笑んだ。




『――弥生・桜に幕』
 恋ヶ樹門に咲き乱れる桜の合間を縫って、引かれた幕が風に翻る。
 ふわりと浮いた身体は、余計に遮那の体温が近くに感じられるようで胸が躍った。
 時折こちらに落ちてくる琥珀の視線が優しくて、風に舞って間を通り抜けて行く桜の花弁が憎らしい。
 一秒でも多くその瞳に映るのが自分であれば良いなんて思ってしまうから。
「鹿ノ子?」
「何でも無いッス! 桜綺麗ッスね」
 桜香る蒼穹の空に二人浮かぶは春の日の思いひとひら風に揺れ。




『――卯月・藤に不如帰』
 爽やかな風と共に薄紫の藤が揺れる。藤棚に溢れる満開の彩りは心洗われる様に思えた。
「美しいだろう。この季節はこうして此処でのんびりと過ごすのが好きなのだ」
「はい。遮那さんのお気に入りの場所って事ッスよね」
「そうだぞ。鹿ノ子と共に来る事が出来て嬉しいのだ」
 執務に追われて外に遊びに行く機会も減ってしまったけれど。
 藤棚の美しさは鹿ノ子に見て欲しかったから。
「我儘に付合わせてすまぬな」
「そんな事無いッスよ。僕も楽しいです」
「そうか」
「はい」
 不如帰が鳴く声が聞こえるけれど、もう少しだけこのままで居たいと想うのだ。




『――皐月・杜若に八橋』
「これは、水の中に花が咲いてるッスか?」
「ああ。それは杜若だ。湿地に咲く花でな。美しいが間違って足を踏み入れると沈み込んで危ないのだ」
 危ないという言葉に八橋の縁から一歩後退る鹿ノ子。
 間違って落ちてしまっても難なく抜け出せるだろうけれど、折角遮那が見立ててくれた袴と着物を汚したくは無かったから。
「まあ、落ちる前に私が掬い上げるから大丈夫だぞ」
 手をそっと握った遮那に鹿ノ子は目を瞠り。




『――水無月・牡丹に蝶』
 開け放たれた障子から爽やかな風が舞い込んでくる。
 ひらひらと泳ぐように飛んで来た蝶が鹿ノ子の角に止まった。
「白はどうだ?」
「はい……」
 遮那は三面鏡の前に座らせた鹿ノ子の髪に白い牡丹を飾る。
 編み込んだ髪は遮那が結ったもの。
 他人に髪を触れられるのは、少しだけ緊張する。
 けれど、気遣うように寄せられる遮那の指先は心地よくて。
 鏡越しに真剣な眼差しを盗み見れば、はにかむ笑顔が映っていた。




『――文月・萩に猪』
 手を繋ぎ萩の小さな花が覆うトンネルを潜っていく。
 赤紫色の花房に目を奪われていた鹿ノ子の元へ走って来たのは猪の子供。
「わっ!? どうしたッスか!?」
「親とはぐれてしまったのかのう?」
 足下を自由気ままに走り回るうり坊達を踏まぬように身体を揺らす鹿ノ子。
 しばらくはしゃいでいたうり坊は、着た時と同じように何処かへ走り去っていった。
 遮那と鹿ノ子は嵐の様に去って行った小さな命に、くすりと微笑み合った。




『――葉月・芒に月』
 望月の夜。一面の芒を見遣れば。
 背を吹き抜ける風は肌寒く感じた。
「鹿ノ子、どうだ? 芒が月に反射して黄金の海の様だろう」
「凄いッスね!」
 小高い丘は強い風が吹く。鹿ノ子の肩をそっと抱いて彼女が飛んで行かぬよう支える。
 この小さな少女が芒の中に潜り込めば、忽ち見えなくなってしまうだろう。
 そんな焦燥感を拭うように、遮那は強く強く鹿ノ子の肩を抱いていた。
 芒を見つめて居ると命の儚さを思い出すから。




『――長月・菊に盃』
 菊花が覆う庭園を二人でゆっくりと歩いて行く。
 大戦の騒乱から一年。賑わいを取り戻した京の菊花市は見事に咲き誇っていた。
「どれも職人が丹精込めて作ったものだ。美しいな」
「わぁーい!」
 遮那の前を盃に乗った望が駆け抜けて行く。
「望の奴、はしゃいでおるな」
「ふふ、楽しそうッスね」
「まあ気持ちは分かるがのう」
 お祭りの陽気に街が活気づくのを感じ取り、嬉しくなるのは望だけでは無いのだ。




『――神無月・紅葉に鹿』
 頬に触れた温かな吐息。視界に広がる紅葉の鮮やかさ。
 誰も知らない秋の山で、風と共にやってきた鹿ノ子の温もりに心臓が跳ねた。
 鹿ノ子の獣姿を見るのも初めてだった。
 白くて立派な角を持った愛らしい姿に視線を合わせるように座り込んだのだ。
 この紅葉の風景は本当に鮮烈で、忘れる事が出来ぬ思い出の一つだろう。
 ついでに抱きしめると凄く触り心地が良く温かい。
 望と一緒に抱えたら冬はさぞ温かいだろうと遮那は思った。




『――霜月・柳に燕』
 冬の風が肌を突き刺して、背中から凍えるような冷えが上がってくる。
 されど、お互いに繋いだ手は離さずにいた。
 其処から伝わる熱を逃がさぬようにと、強く握った手。
 塀を越えて垂れる柳の合間を縫って燕が低く飛んでいた。
 何をするでも無く、屋敷の周りを歩いていく。
 それが安らぎを与えてくれるのだと伝えば、鹿ノ子が朗らかに笑った。
 遮那はその笑顔に愛おしさを感じるのだ。いつも笑顔で居て欲しいと願う程には。




『――師走・桐に鳳凰』
 聞こえるのは鈴鳴りと衣擦れの音。
 鳳凰の間で行われる祭事に誰しもが固唾を呑んで見守る。
 鹿ノ子が黄金の扇子を開けば、それを受けるように遮那の剣尖が走った。
 二人の間に見える桐襖に反射する灯火。
 一切の言葉を介さず、流れるように行き交う舞だ。
 自分と相手の境界があやふやになり、一体となる高揚感は魂に刻まれる。
 瞳にはお互いしか映らず。
 終わりを告げる鈴が名残惜しいとさえ思ったのだ。




PAGETOPPAGEBOTTOM