PandoraPartyProject

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26 Years Ago...

 頬を撫でる初夏の風。
 青いキャンバスにもくもくと入道雲。
 空中神殿の一幕を見下ろしていたのは、晴れ過ぎる程に澄み渡った空だけだった筈だ。
「オマエは何時もそうだよなー」
 弾む足取りで朽ちかけた石畳の上を歩く。
「そう、とは何でごぜーますか」
「面白くもなさそうでさ。でも、暇でもなさそうでさ。
 暇だろ、こんな所。面白い事もねーし、俺しかいねーし」
 俺の言葉に小首を傾げた女は「……考えた事も無かったでごぜーますよ」何て言う。
 混沌世界にまことしやかに語られる『御伽噺』が唯の冗談でない事は知っていた。
 地上(した)には稀人――異世界から呼びつけられたという『特異運命座標(イレギュラーズ)』が確かに居たからだ。練達なんて国がある以上そこは疑う余地も無い。この世界には御伽噺が実在し、空には神託の少女(みずさきあんないにん)が居る――それは誰もの、俺を含めた共通認識だった。
 ……でも。
「どんな聖女様が出て来るかと思ったらよ。変な女、オマエみたいなのが一人で居るんだもん」
 物語に聞いた『それ』がイメージと同じだったとはとても言えない。
 女は酷く無表情で、酷く無感動で、無味乾燥としていて、それから――とても綺麗だった。
「私は変でごぜーます?」
「ああ、変だね。断然変だ! だって、こんな所に一人で居るなんておかしいだろ!
 笑わねーし。意地悪しても泣かねーし。オマエって本当に変な女!」
 吹き付けた風になびく髪を抑え、女は俺の言葉を静かに受け止めていた。
「……変って言えば」
 意趣返しですらないのだろう。女は何も変わらない表情で俺を指差した。
「――こそ、変でごぜーますよ。こんなの、初めてで――
 第一、――こそ暇でごぜーます。『つまらない所』にしょっちゅう来るでごぜーますからね」
 ……そんな切返しに酷く焦った事を覚えている。
 酷く胡乱に、朧気に。朽ちてノイズ掛かった映写機のように、そんなシーンを覚えている。
「俺は特別だからな。そういう事もあるんだよ!」
「……何だかそっちばっかりずるい気がするでごぜーます」
 特異運命座標はこの世界に必要とされ、愛された存在だ。やがて滅びに向かうという混沌の結末を唯一変え得る――空中神殿はそんな選ばれし者に行く末を与える特別な場所だ。
 唯一つの手違い、即ち女の言ったこの俺を除いては。
 ……そう、俺は特異運命座標足り得ない。
 俺は特別じゃない。俺は親を亡くした唯のクソガキでしかなかった。
「俺は頼んでねーし。オマエ達の手違い(バグ)だろ、つまり俺は悪くない」
 この時の俺はそれを何とも思わなかったけれど――俺は確かにバグだった。バグだからこの場所に到れても、バグだから――何十年経ったって絶対に俺に運命(パンドラ)は微笑まないのだ。
 どれだけ願っても間違い(バグ)。どれだけ呪っても――それは手違い(バグ)。
「だから、オマエは大人しくいじめられてろ!」
「……………」
「不満そうじゃん」
「……何だかすっごく理不尽でごぜーますよ?」
「へへへ、そうやって別の顔もしろよな、少しはさ!」
 能面のように動かない少女の美貌が、少女の眉が僅かに顰められたのが何より嬉しかった。
 そんなささやかが見たくて。良く見なければ見落としてしまいそうな変化が見たくて――
 ――我ながら馬鹿だ。繰り返した詮無いやり取りは一回二回の話じゃなかった筈だ。
「――は、本当に変な『子』でごぜーますね」
 俺は「オマエほどじゃねーよ」と憎まれ口を叩いて、陽だまりの中で伸びをした。
 遠い夏の日、俺は確かにあの女に出会った。
 何者でもなかった俺は――そんな些細な出来事で余りに鮮やかな特別を知った。
「そろそろ散歩も飽きてきたからな。今日はどうするか。
 なあ、どうしたい――今日は何しよっか、ざんげ!」


 ……今日は? 馬鹿言え。何も出来ないまま――二十六年も経っちまったよ。
 あの日、手を伸ばせば届きそうだった空と同じように、世界は確かに何処までも広がっていた筈だ。
 なのに、あの時オマエが何て答えたかも――俺は、もう明瞭に思い出す事も出来ないんだ。

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