PandoraPartyProject
マリアベル・スノウ
(聖夜、か)
十二月二十四日のその夜は混沌の定義する特別な時間である。
人も、人ならざるものも争いを鎮め一時ばかりの平穏に浸る静かな夜。
古の聖女なる存在が終わらぬ闘争を憂い、我が身を『悪魔』に捧げた夜である。
(馬鹿ね。いえ、馬鹿みたい)
これより暫くの後に混沌にその名を鳴り響かせる事になる『黒聖女(マリアベル)』は細く、幽かな溜息を白く弾ませずにはいられなかった。
(こんな女を有難がって、あまつさえ。今となっては『恋人同士の日』だなんて。
……特に後ろ半分は、皮肉が利き過ぎていて憂鬱になるでしょう?)
自分自身、何らそんな心算は無かったけれど『特別』は概ね誰をも捨て置かないものだ。
曰く人より魔力が秀でているだとか。曰く誰それの生まれ変わりだ、天の御使いだ――
そういう言葉や評価の悉くを完全に証明して否定する事は出来ないけれど、同時にそんな誰かの言が正しく肯定される筈も無い。
求められ続けた悪魔の証明はまさにマリアベルの人生を象徴する全てであり、彼女は『良い子』だったから求められる配役を拒否する理由は持たなかった。
その『始まり』は決して聖夜を裏切らない。唯、圧倒的な善性だけがそこにあった筈だ。
「……」
マリアベルは浮かれた街を一人歩いて、人の営みに目を細める。
人々も王国も、その王すらも一目を置き、同時に彼女からは距離を置いていた。
気安い日常等なくていい。
畏怖され続け、孤独でも構わなかった。何と言われようと構わなかった。
困った時にだけ他人に祈るような人間に利用されても良かった。
持てる能力以上に一方的に期待され、叶わず罵られても良かった。
(そんな事は構わない……そう。何の恨みも辛みも無かったわ)
繰り返すが、残酷なる聖なるかなはマリアベル・スノウの退屈な人生全てを埋め尽くす『白』である。
『聖女マリアベル』は常に求められ、『マリアベル・スノウ』は蚊帳の外でしか無かった。
役割を背負った『聖女』は公共の為に存在する善良な装置のようなものに違いない。
誰かの心を助け、また誰かの悪心を踏みとどまらせる装置でしかなかったに違いない。
嗚呼。それでも、何も出来ないよりは余程良かったのだ。
マリアベルは人より傑出した力で誰かの助けになれる事が嬉しかっただけなのだから。
マリアベルは神ならぬこの身でより多くを救う事を許されたのだから――あの神託の少女のように!
ただ、それでも。
永らくの眠りを終えた彼女は考える。
『起きている時間等、たかだか二十年にさえ満たない彼女は少女の心持で考える』。
『始まりの先』はどうだったのだろうと今更ながらに自問する。
(恨みなど、無かった筈なのだけれど――)
人生のハイライトは、真に自分を表に出せたのは、楽しかったのは。
どれもこれも世間が『悪魔』と罵り憎む『彼』との時間以外に有り得ない。
(口先ばかりね。私はきっと不満ばかりだったんだわ)
……そうでなければどうして『悪魔』と交わる道を選んだだろう?
『悪魔』の一挙手一投足があんなに愛おしく思えただろうか?
――君はまるで『雪』みたいな子なんだね。
真っ白で汚れ無く、美しい。
(馬鹿ね)
こんな季節だから、歯の浮くような台詞を思い出さずにいられない。
「またそれか」と酷く失望して、続いた彼の言葉に驚いたのを昨日のように覚えている。
――だから、掬い取ったらまるきり消えてなくなってしまいそうだね?
嘘吐きと言われる筋合いはないけれど強情な強がりと言われれば否定は出来ない。
『悪魔』が初対面で『聖女』に投げかけた言葉は、彼女が知らぬ内に欲しかった答えそのものだった。
何の事は無い。マリアベルはそう扱われたかったのだ。『お前なんて別に特別でも何でもない』と。
尤も、説得力を考えるなら『もっと特別な彼』でなければ救いにはならなかったのかも知れないけれど。
(……ああ、もう!)
マリアベルは知らぬ内に綻んだ口元を自覚して、その表情を引き締め直した。
『短すぎる青春時代』の思い出は傷んだ聖女には余りに眩しい。
眩し過ぎて――仄暗く世界を覗き込む今のマリアベルには毒にしかなりはしない。
(私はね、怒っているのよ。イノリ)
『私の』願いが叶ったら、貴方が私を――
遠い、遠い日の話。
聖夜(シャイネン・ナハト)がまだそうでなかったあの日に『約束』したのに。
誰よりも信じていた、誰よりも頼りにしていた、世界で一番人間らしく、世界で一番嫌われる私だけの『悪魔』はきっと誓ってくれたのに。
(……どうして、私を起こしてしまったの?)
マリアベルの問いは自分自身さえ騙せない酷い出来栄えの嘘だった。
問いながら彼女は分かっていたからだ。自分が『そう』であるのと同じように彼も『そう』だったからなのだろうと。
そして今、彼を責める気持ちが沸く以上は、まさに彼も苦しんだ結果に違いないのだと。
……問題は分かっていても許せる事と許せない事があるというだけの話である。
浮気をしなかった事は評価に値するが、それとこれとは別問題なのだ。
――君はまるで『雪』みたいな子なんだね。
真っ白で汚れ無く、美しい。
頭の中でもう一度リフレインした優しいバリトンにマリアベルの表情はもっともっと渋くなった。
あんなに褒めてくれたのに。好きな人に素敵と言われて喜ばない女の子なんていやしないのに。
ゆるせない。
ゆるせない。ゆるせない。絶対にゆるしてなんてやらない!
「どうして……」
どうして、貴方は起こしてしまったの?
私を慈しんでくれた貴方に、どうしてこんな酷い姿を晒させたりしたの?
無様で、醜悪で、零落した――貴方が愛してくれたマリアベル・スノウとまるで違う、こんな女の顔を。姿を!
「乙女かよ」
何処かで聞いたようなフレーズを奇しくも吐いて、マリアベルは苦笑した。
その結果が『連れ子を苛める継母』だったとて、そんなものは男の甲斐性の問題なのだ!
――――♪
遠く歌が聞こえてくる。
街は全く、耳を澄ませずとも分かる位に華やいでいた。
聖夜は特別な時間。或いは皆が知らなかっただけで、昔も今も恋人達の時間なのだ。
だから今日だけは。せめて今日だけは。きっと最後になるに違いないから――自分もこの夜を見送るのだ。
雪のような女はもうとっくに死んだから。
(『輝かんばかりのこの夜に』)
これより到る終焉への手向けに、遠い恋の墓標に彼女は祈り、懺悔を捧げるだけだった。