PandoraPartyProject

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Refrain Blue III

 もし、この願いが叶うならば。
 もし、この願いを叶えてくれると言うのならば。
 その夢さえ見せてくれるなら――神に祈ろう。悪魔の手を取ろう。
 海賊らしく此の世全ての悪徳を飲み尽くし、善良も正義も嘲笑してたった一つの果実さえ己が為にもぎ取ろう。
 吾輩は海賊。海賊ドレイク。混沌の海に響きし、悪の華。
 神に背き、悪魔を殺した――大海賊。音に聞こえよ、誰もその名を忘るるな。
 吾輩こそが――ドレイクなり!


 奇跡という言葉で物事を片付けるのは簡単だ。
 書き記すにほんの僅かな時間があれば良い伝承歌が、叙事詩が。
 ほんの一瞬、唯の数行で説明する『ささやかな出来事』は、考えてみれば当然だ。
『運命の女神に愛されなかった幾多の屍の上に立つ蜃気楼のようなもの』である。
 故に、彼は我が航海の数々をその一言で称されるのが嫌いだった。
 分かってはいる。衆目傍目より見れば幾つもの『奇跡』を成し遂げた事は。
 分かってはいるのだ。悪意無き評価が勇者への称賛である事は。唯、『彼』はあくまで冒険者だっただけの話である。
「――奇跡だ! まさか、お戻りになられるとは!」
 ……そんなドレイクの目の前で、一人の男がそんな嫌いな言葉を吐いた。
「海賊ドレイク。帰港の報を聞いた時にはまさかと驚きましたよ!
 誰も戻らぬ『絶望の青』。そんな場所に旅立ってまで――こうしてお戻りになられたのだ。
 尻尾を巻いて逃げ帰ってきたのでないのなら。『近場で時間を潰していただけでないのなら』。
 これを奇跡と呼ばず何と呼べばいいのか。私は寡聞にしてそれを知らない!
 ……ああ、そういえば。不躾な事を聞くのだが、ドレイク?
 君の左手は何処へ行った? 何処かへ落としてきてしまったのか?」
「大袈裟な。相変わらず冗談がお上手ですなぁ、ミーロット卿は!
 海路の無事は祈って頂けませんでしたかな? 女王陛下の御為に、吾輩はこうして地獄より舞い戻った訳ですがね。
 それとも戻らないほうが宜しかったか? 尻尾を巻いて逃げ出して……そうすれば左手を落とす事もありますまいなあ!」
 仰々しくやり返したドレイクに男の笑みが引きつった。
 シプリアノ・オダリス・ミーロット子爵は海洋王国貴族の有力者であり、王宮で絶大な権勢を振るう人物だった。
 血統主義の強い彼は出自の怪しい者、取り分けドレイクのような流れ者の犯罪者――まぁ、間違ってはいない――を目の敵にしてきた経緯がある。彼を含めた差別と忌避の目より海賊を守り、励ましたのが当代の女王であるのは言うまでもない。
「……逃げ帰ってきたのでないのなら、何らかの成果はあるのだろうね?
 大言壮語を吐き、我が王国の財をもってかの海へ漕ぎ出して。艦隊は全滅、残されたのは君の一艦のみなのだ。
 誰もが認めるだけの希望を。女王様の助けを。相応しいその成果を」
「……成果、ね」
 声を落としたシプリアノの問いにドレイクは一瞬、答えを逡巡した。
 傍らのクリストロフと目配せをする。
 口には出していないから正確な所は定かではないが、「どうする?」「微妙な所です」「だが、言わねば明日も取り次がぬかも知れん」「そうでしょうね。それ位はやりかねない」「自身を軽んじよって! といった所か?」「彼も中々嫉妬深い」。
 ……正確でない割に仔細に渡ったが、まぁ大きく間違ってはいまい。
 シプリアノは見ての通りドレイクの味方では無い。言ってしまえば敵のようなもので、今までも散々邪魔もされたし、苛められたし、言いたい事は山程ある。されど艦が帰還したこの真夜中に――取るものも取らずに王宮に駆けつけたドレイクに彼が応対しているのは『間違いでは無い』。彼と兵士達に囲まれての詰問めいた時間は嬉しくはないが、想定していたイベントだ。出来れば、女王に――エリザベスに会えないのならせめて揺れないベッドの上で休みたかったのだが。
(だが、本当に時間はない)
 何故ドレイクがいてもたってもいられなかったか等、言うまでもないだろう。
『彼は一秒でも早くエリザベス・レニ・アイスの無事を確認したかった。現状を知りたかっただけだ』。
 問えば彼女の病状はいよいよもって悪いと言う。
 その手にどんな希望を抱いていても。この宝箱(パンドラ)は開けて貰えねば正体さえ認めては貰えまい。
 王宮を泳ぐのは正しいだけでは上手くいかないというのはこの何年かで嫌という程思い知った事実である。
(直接エリザベスとのやり取りが出来れば最上だったが――)
 大号令を海賊風情が成功させた、等という話になれば貴族派は間違いなく良い顔をしない。
 エリザベスが自分に目をかけてくれている事は間違いなく、彼女ばかりは自分を信じてくれようが――『貴族派に何の華も持たせぬでは、この先にどんな妨害を受けないとも限らない』。
 どうやらクリストロフも同意見のようで――そこまで考えたドレイクは「仕方ない」と溜息を吐いた。
「勿論、成果は挙げましたとも。王国にとって喜ばしい。それもミーロット卿にとっては尚更に素晴らしい成果をね」
「……私にとって?」
「如何にも。女王の快復こそ『我々にとっての』望みだったと言えましょうや」
「まさか――」
「――まさか、です。必ずとは言えない。だが、お助け出来るやも知れん。
 艦隊には悪い事をした。吾輩は地獄に落ちても構わない。だが、成果はそれで十分ではありませんか」
「……………」
「ミーロット卿の忠勇は知れておりますからなぁ」
 ドレイクは惚けた調子で言ったが、その言葉は決して相手を揶揄するものではなかった。
(辛くない者等いようものか)
 エリザベスは王国の太陽だ。
 誰にも分け隔てなく、気さくで、冒険心に溢れ、心優しい。
 彼女の病を気にしなかった者が居ただろうか。日々衰えていくその身体を、萎んでいく笑顔に胸を痛めなかった者が居たか。
 シプリアノ・オダリス・ミーロットは確かに貴族主義の過ぎた嫌な男だ。しかし、彼は海洋王国に対しての悪ではない。女王エリザベスに対しての悪ではない。ドレイクは自分がどれだけ嫌われていようとも、或る意味で彼の事を買っていた。政治家として女王の為に尽力する彼の事がそんなに嫌いでは無かった。『同じ女を愛した一人の男の事を信じていたのだ』。
 或いはシプリアノがシプリアノでなかったならば『他の事』を言っていたかも知れない。
「……陛下は、助かる?」
「そう、信じております。少なくとも『奇跡を背負った』吾輩はね」
「……そうか。そうか!」
 シプリアノの言葉に、表情に強い力が漲った時、ドレイクはこの日初めて安堵した。
 全てはこの時の為だった。
 彼がドレイクに耳を傾けてくれるのならば、助けになる。
 恩讐はさて置いて、これはどんなにか――
「――ッ!?」
 ――異変が起きたのはその瞬間だった。
 近くで上がったくぐもった声に弾かれたようにドレイクが視線を向ければそこには。
 抜刀した兵と血の線を引いて倒れゆくクリストロフの姿があった。
「……クリストロフ!? 馬鹿な、何を――」
 油断だったのだろう。
 大海賊にあるまじき。ドレイクにあるまじき。
 彼という意志力の塊の見せた最初で最後の、最後の最後で詰めを誤った――最悪の。
『絶望の青』にて冷徹の塊だった彼ならばこの先を食い止める事も出来たやも知れぬ。
 誰もを切り捨て、唯一つの目的の為だけに後半の海だけを目指した彼ならばクリストロフを気にかけたりはしなかっただろう。
 だが、彼は『太陽に近付き過ぎた』。
 懐かしい王国へ戻り、一瞬だけ、ほんの少しだけ。
 その鋭利さを鈍らせてしまった。この時、本当にこの時、一瞬だけ――
「ぐっ、が……! ッ……!」
 鋭く短い銃声が複数響き、ドレイクの身体に文字通り突き抜けるような激痛が突き刺さった。
 手を伸ばそうとしてもそれは遮った兵達に阻まれた。
「何故、何故だ! シプリアノ!」
 血と共に怨嗟の声を吐き出せば、彼は唇を震わせて声を張った。
「何故? 馬鹿な事を聞くな、海賊(ドレイク)よ。
 何故、我々は陛下を奪われねばならぬ。王家を長らく支えた我々の何者でもなく。
 民を殺し、その財を奪い、我が国の名誉を怪我した海賊に!
 何故、王国の太陽を奪われねばならぬ? 永遠に奪われなければならぬのだ!?  奇跡を――奇跡等を。安売りのように何度も何度も。
 要らぬ奇跡ばかりを起こしよって! お前がもう少し、もう少しだけでも」

 ――遠慮を知る男だったなら。凡庸であったなら――

 狂気じみた目とその声はよろめくドレイクを叩きのめした。
 強烈な嫉妬が、もうどうにもならない程に破滅的な――厭な臭いが鼻を突いた。
「……殺せ!」
 シプリアノの声と共に兵達が動き出す直前に、ドレイクの本能は絶望する意識よりも先にその身体の方を突き動かしていた。
 体当たりで窓が割れる。ゴロリと中庭を転がり、前へ前へと足を出そうとする。
 縺れ、転び起き上がる。背後から銃声が響き、何度も背中を撃ち抜いた。
「――――、――」
 明滅する意識と共にドレイクの身体がぐらりと揺れた。
 堀に落ちた彼は暗い水面に尚仄暗い赤を漂わせ、水底に堕ちてゆく。
「……」
 兵と共にその姿を見下ろしたシプリアノは無言だった。
「……………」
 されど、無言のまま――心底から、嫌という程に慟哭した。
 全ては失われた。希望は一つも残らない。それを消し去ったのは己自身だと彼は誰より知っていた。

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