PandoraPartyProject

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リュミエ・フル・フォーレ

 深緑(アルティオ=エルム)の世界は外界より隔絶されている。
 見渡す限り森に変化は少なく、大樹ファルカウの恩恵を受けた私達は日々を穏やかに過ごしている。
 いや、正確には『過ごしていた』と言うべきか。

 ――迷宮森林で行き倒れた旅人が居る――

 そんな私達の日常にちょっとした事件が起きたのは実に唐突な出来事だった。
 それ自体は珍しいが、決してなくはない事なのだ。
 大樹ファルカウを守護する迷宮森林は、ファルカウが認めぬ者を惑わす深緑最大の守護者である。
 緑の要塞とも呼ぶべきその領域は余所者が簡単に侵せる場所ではないのだから。
 ただ、唯――今回の事件が何時もと少しだけ違う意味を持っていたのは。
「またお得意の回想シーンかい?」
 その主役の旅人が、背後から話しかけてきた彼が『クラウス・エッフェンベルグだった事』なのだろう。
 何時もの自信家の顔をして不敵に笑う彼は迷い込んだ事を悪びれず、私達に保護されてからも全く彼らしい調子の侭だった。
 何時もの昼下がり、決められた場所で逢い、『意味が無く意味がある言葉達をかわすだけ』。
 日課のようになった時間に私は、クラウスは今日も遅れずにやって来た。
「回想シーンではありません。ただ、貴方が迷い込んできた時の事を少し思い出して」
「その節はご迷惑をば。噂ってのはアテにならねぇな? 案外アンタ達が親切で助かったぜ」
 ……私達は外界と積極的な接触を持たないが、外の世界と敵対している訳ではない。
 悪意や害意が無い人間が迷宮森林で困っていたなら手を差し伸べるのは当たり前なのだけれど……
「ああ、でも――美人揃いって噂は本当だったな。右を見ても、左を見ても。ここは何かね? 楽園かね?」
「不誠実な誰かには――きっと楽園ならぬ煉獄にもなりえましょうね」
「ほう?」
「誰かさんに自覚があるかどうかはこの際問題にしない事にしましょうか」
 ……最初は息を吐くように繰り出されるこの軽口には閉口した。
 いい加減に慣れてやり返せるようになったのも、不本意ながら鍛えられたからである。
 何せ、一事が万事この調子なのだ。口は上手いし、話は面白い――それは認めざるを得ない。
「カノンも随分と困っていましたよ」
「アイツは何時でも怒ってるじゃねーか」
「怒っている……とは違うんです。説明が難しいけれど、あれは――」
 あの子は兎も角、若い子達は大ピンチだ。
 クラウスの軽薄な台詞は警戒対象だ。周りの子に注意するのは大変だった。
 ……大変だったのは確かなのだけれど。
「――兎に角、アンタはそう怒るなよ。その中でもとびきりの一番は目の前だ」
「怒ってません」
「拗ねるなよ」
「拗ねてもいませんから」
 ……ミイラ取りがミイラになるというのはきっとこの事なのだろう。
 大凡、産まれ落ちてから唯の一度も経験した事が無い。有り得ない。
 私自身に訪れた確かで強い『変化』は気のせいで済ますには余りに鮮烈過ぎた。
 大樹ファルカウの巫女として相応厳粛に生きてきた私に彼の自由は眩し過ぎたのかも知れない。
 傭兵で冒険者と名乗った『招かれざる客』は私に――私達に実に色々な話をしてくれたものだった。
 迷宮森林の外の事、遥か東方で起きた戦いの事、勇者王の伝承――
 興味を持ってしまったのは私の不徳で、恐らくは必然とも呼べる結末だった。
 繰り返すけれど、最大の誤算は『旅人がクラウス・エッフェンベルグだった事』だ。
 ……でも、私も多少は責められるべきかも知れなかった。
 私は、その。彼と過ごした短くて長く感じる時間の中で、ええ。全く不覚にも――
 まるで経験の無い私が言うのも何だけど、きっと彼は私を好いてくれていたと思っていた。

 ――まるで、伝承にある物語の中の出来事みたいではないか――

 それでも、私には――あの日、あの時、あの瞬間まで、きっと楔があったのだと思う。
 私は不意に――我慢が出来ずに切り出してしまう。
「ここに来て随分と長い時間が経ちました」
「あん?」
「……貴方は旅人だといいます」
「そりゃあね」
「だから……何れは、何時かはここも出て行くのでしょう?」
 ……問い掛けて、しまった。
 私はファルカウの巫女だ。大樹を離れる事等有り得ない。
 だが、自由な気風の彼にそれを問うのは恐らく愚問だった。
 彼は獰猛で、自分勝手で、私の世界に穴さえ開ける存在だった。
 だからこそ、やはり――私と彼とは交わらない。
 どうあれそうなる訳もない『理由』が明確に存在していた。
 素直に頷いてくれれば何の問題も無い。今日は変わらず、明日もきっと同じだろう。
 近い将来、時間の先――別れは訪れ、この少しの思い出は森に積もるだけ。
 そう思っていた――のに。
「何だ、やっぱり出て行って欲しいのかい」
「そんな事は言っていません。しかし……」
「アンタが望むならずっとここに居るさ」
「……え?」
「単純な取捨選択の問題さ。外の世界はそれなりに愉快だが、アンタは居ない。
 要するに巫女ってぇのは、ここを離れられないんだろう?」
 珍しく少し罰が悪そうに頭を掻いたクラウスの言葉は私の中の問題を全く壊してしまうものだった。
 口の上手い彼の事。本当かどうかは分からない。
 いい加減な彼の事。明日には気が変わっているかも知れない。
 外の世界の人間は幻想種とは違う、心変わりをするものだと――知識では分かっていた筈なのに。
 実に、我ながら、酷く、この上なく、愚かしい事に、そんな――彼の一言が嬉しくてたまらなかった。
「……ファルカウはきっと退屈ですよ?」
 可愛くない台詞が口を突く。クラウスは「だろうな」と肩を竦めた。
「私は巫女です。貴方の望みに応えられるかどうか」
 可愛くない台詞が口を突く。クラウスは「だろうな」と同じ調子。
「人間は――私達より早く老います。同じ時間は過ごせません」
 可愛くない台詞が口を突く。クラウスは「うるせぇよ」と私の腕を引く。
「……っ……!」
「『俺はアンタがどうして欲しいかだけ聞いてんだよ』」
 可愛くない台詞を並べてそうして貰わない理由を探した私に彼は珍しく怒った顔をした。
「――――」
「……で?」
 腕を掴まれ、ぐっと顔を覗き込まれて。意地悪な彼はきっと私を逃がしてくれない。
 もやもやする胸の内に少しだけ、少しだけ――カノンの顔が覗いていた。
 カノンは昔から難しい子だった。内向的で怖がり屋。
 彼女は私を慕ってくれたけれど、私にも彼女の本心は知れず、『だから確信は無かった』。
『私には間違いなく確信は無かったのだけれども』。

 ――怒っている……とは違うんです。説明が難しいけれど、あれは――

 己の台詞が語るに落ちる。
 どれ程に取り繕おうとも私はその可能性を否定出来ず、否定する術も無く。
 しかし、この目の前の熱砂の恋を否定し切る事は出来なかったのだ。
「……す」
「あん?」
「抱きしめてくれたら――考えます」
 だから、私の吐き出したその一言は、この日のやり取りはきっと永遠の罪だった。
 幾星霜、時を重ねても晴れぬ永遠の別離は――きっとこの瞬間に決定付けられたものだったから。

 きっと私は永久に――自分自身を許せまい。

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