PandoraPartyProject

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カノン・フル・フォーレ

 私の世界は何時も閉じていて、何時も平穏そのものだ。
 深緑(アルティオ=エルム)は幻想種の領域。
 迷宮森林に守られた大樹ファルカウは外界に比べて平和そのもので、長くを生きる幻想種の性質と相俟って、変化というものがない。
 優しい――尊敬する姉と、仲間達に囲まれて。
 凪のように変わらないこの世界で生きていく。
 疑いの一つも無く、繰り返す時間を厭う事も無く。
 私は私の世界に概ね満足していた筈だ。
 そうしてどれ位、無為な――言い換えれば幸福な時間を過ごしてきただろうか?
 積み重ねられる穏やかな日常にも小さな『イベント』が起きる事もある。

 ――迷宮森林で行き倒れた旅人が居るらしいよ

 始まりは仲間達がざわめいた事だった。

 ――リュミエ様が助けて、応対してるって……

 さもありなん。
 姉は公平で善良だ。
 幻想種は閉鎖的な生活を選んでいるが、他種族に敵対的な訳では無い。
 侵略者は断固として許さないが、迷い込んだ『間抜け』な旅人に辛辣に当たるような事はしない。
 しきたりや在り方を考えれば、外に出してやるのが適切かも知れない。
 受け入れるべきかどうかは微妙な所かも知れないが……きっと衰弱でもしているのだろうと思った。
 真面目一辺倒な私と違って物事に柔軟に当たる事も出来る。
 リュミエ・フル・フォーレはファルカウを導くリーダーであり、自慢の姉なのだから。
 何れにせよ、『イベント』は変化の無い世界に投げ入れられた小さな石のようなものだった。
 仲間達はまだざわめいていたけれど、私は余り興味が無かった。
 お気に入りの本に視線を落として、話半分にだけ――旅人の話を聞いておく。

 ――旅人さんは男の人なんだって!

 ――傭兵? 冒険者? 世界中を見て回ってるんだって!

 ――話を聞かせてくれたりするかしら?

 ――リュミエ様は余り無茶を言ってはいけませんって言ってたけどね!

 ……関係が無いのだ。それは、ちょっと。
 ちょっとだけ――外の世界は気になるけれど。話を聞いてみたい、何て思ってしまったけれど。
 私はカノン・フル・フォーレ。大樹の巫女の妹だ。
 他の子達がどうしたって――簡単に浮ついたりはしないのだ。



「よう」
「……よう?」
 ファルカウは旅人さんの話で持ちきりだった。
 彼は酷く社交的で外の世界の事を殆ど知らない幻想種(わたしたち)にとっては格好の興味の対象だった。
 療養の為の短期の滞在と聞いていたけれど、「あの子達が離さないから」と姉は苦笑いしていた。
 だから――彼の滞在は思ったよりずっと長いものになった。何時帰るのかを私は知らない。
「挨拶だよ。アンタに。『よう』」
「……よう、です」
『それでも私にはあまり関係が無い人だったのだけれど』。
 或る時、木陰で本を読んでいたら――突然に彼に話しかけられた。
 一度も口を利いた事も、目を合わせた事も無かったのに、物凄く親しげに。
 ……当たり前のように、この妹巫女(わたし)に。
「……今日は一人なのですか? 旅人さん」
「珍しいだろ。逃げてきたのよ」
「……隣」と。その抗議を口にはしなかったけれど私の眉はハの字になっていた筈だ。
 彼は当然のように私の隣に腰掛け、木にもたれながら大きく伸びをしていた。
「……それで、どうしてこの場所に?」
「仕事柄、捨て目が利く方でね。アンタの居場所が一番の安全地帯だと思ったのさ。
 ……アンタ、ファルカウの中央に住んでるが俺と口を利いた事も無かっただろう?」
「それはそうですね。正真正銘今日が初めてです。だから酷く困惑しています。
 まさか、幻想種の全てが貴方とお話をしたいと――自惚れていらっしゃるのでしょうか」
 私は彼の発言意図を測りかねて――同時に馴れ馴れしさに少しの棘を込めて言った。
「まさか」
「……では、どうして」
「簡単さ。アンタは周囲に一目置かれてる。それで静かなのが好きで、俺に興味がない。
 必然的にアンタが避難する場所は他の連中から見つかり難い――或いは寄せ付けにくい場所になるのさ。
 探した訳じゃないから今日見つけたのは直感に過ぎねぇけど、見つけたからには活用しねぇとな。
 アンタは不本意かも知れないが――理に叶っちゃいるだろう?」
「……………」
 鏡を見た訳ではないけれど、私の眉はもっとハの字になった筈だ。
 彼はデリカシーが酷くなくて、ズカズカと土足で私に踏み込んでくる。
 別にそうとまで言われた訳ではないけれど――付き合いが悪くて悪かったですね。
 ……友達が居なさそうで悪かったですね!
 コホン、と咳払いをした私は冷静なままである。私はカノン・フル・フォーレ、こんな事では動じない。
「名前は?」
「……はい?」
「アンタ、なんていうの。俺はクラウス。クラウス・エッフェンベルグ。アンタは?」
「……………」
「変な所で粘るね、アンタは」
「……カノン。カノン・フル・フォーレといいます。宜しくはしなくて構いません」
「カノン、ね。じゃあ宜しくして貰おう」
「……全力で! 帰って欲しいのですけれど」
「やだね。幻想種連中が俺を散々付き合わせてんだ。
 そんならアンタが俺に付き合う位はしてもフェアだろう?」
「……っ、私には関係無いでしょう!?」
「あー、いいね。やっといい顔させたぜ? アンタ、仏頂面が過ぎるんだ」
 憤慨する私に悪戯っ子みたいな顔で笑う。
 誰にでも朗らかな姉は皆に慕われている。でも、私はあくまで『妹巫女様』だった。
 こんな風に大きな声を出した事なんて無いし……
 そもそも――邪魔したり、からかいに来る人なんて居なかったから。
「……………本当に厭な人ですね」
「良く言われる。ま、『赤犬』に噛まれたとでも思っておきなよ」
「躾のなっていない犬に噛まれたくなんてないです」
「言うね、調子が出てきたか? 意外と面白い奴じゃん、アンタ」
 立て板に水を流すかのように彼の言葉は澱みなかった。
 まるで私がどんな風に反応するか全てを読み切っているかのよう。
 ――燃える赤髪が愉快気に揺れる度、くすぐったくてざわざわした。
 居心地が悪くて、逃げたくなる。その一方で次に何を言い出すのか――気になって仕方ない。
 私はカノン・フル・フォーレ。不届き者はやっつけなければ気が済まない。
 でも、でも……
「……初めて言われましたよ、そんなの」
 ポツリと零せば彼は云った。

 ――そう? じゃ、周りの見る目がねェんだな。



 ……こんなの、分かるに決まってる。
 直感を信じるべきだった。最初から嫌な予感はしていたのだ。
 ……だから、我ながら、私は莫迦だと罵りたい。
 くるり、くるりと世界が回る。
 驚く程簡単に、信じられない位に呆気無く。
 私というキャンバスには、貴方という色が載ってしまったの。
 私は可愛くないから。皆や――姉さんみたいには振る舞えないから。
 だから、望んだりはしない。大それた事は考えない。
 唯、ただ――貴方がたまに話をしてくれれば良かった。
 名前を呼んで? 気が向いた時、傍にいて?
 たまに頭を撫でたり、甘い意地悪をしてくれたらそれだけで良かったわ。

 間違いないわ。
 カノン・フル・フォーレは熱病のような恋をした。
 森の深く、赤いはしかにかかったの――酷く素敵に浮かれていたの。

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