ノート
リャナンシーの秘密


お菓子は甘ければ甘いほど良い。
飲み物もそう。苦いものは嫌い。
例えば、今日のような過ごしやすい天気の日には、お花畑が一望できる特等席で、ふわふわのシフォンケーキと太陽の色をしたオレンジジュースを飲みながらのんびり過ごしたいんだ。
お兄ちゃんはどうだったのかな?
あたしは、お兄ちゃん ───ジョルジュ・ド・ヴェルジーのことをよく知らない。何が好きとか、何が楽しいとか、悩んでる事や苦しんでることも、結局彼が亡くなるまで何も知らないままだった。
同じ日に産まれた双子だっていうのに、あたし達はまるで血の繋がりがない他人のように育ってきた。あたしがもっとお兄ちゃんの側に居て、お兄ちゃんの力になれていたら、今きっとあたしの向かいの席には《彼女》じゃなくてお兄ちゃんが居たんだろうな。
穏やかな晴れの日、お花畑が一望出来る特等席。
あたしの前にはメイドが用意してくれたブラックコーヒーだけが置かれている。
「どうした?飲まないのか」
向かいの席からせせら笑うような意地悪な声が聞こえてきて、あたしは一瞬眉を顰めた。メイドの居る手前、あたしはあたしらしい振る舞いが出来ない。彼女はそれを分かっている。
残された道は一つしかない。いつだってそうなんだ。
ぶるぶると震える手でティーカップを傾けると、口の中に大嫌いな苦味が押し寄せてきて、思わず吐き出しそうになった。
真っ黒な水面の中にはお兄ちゃんが居る。
体型が分からぬように工夫された派手な衣装、屍と見紛うような不気味な化粧を纏って。いくら呼びかけても返事をしてくれない死人は、あたしのフリをして微笑んでいる。
「貴殿は甘物を好まないと聞く。これは俺が頂こう」
視線をゆっくり上に戻すと、向かいに居る彼女は、ニヤニヤと口元を釣り上げてこちらを観察していた。彼女はあたしの友人で、あたしの秘密を知る人だ。今は我が家が所有する領地の管理を彼女に任せているから、ビジネスパートナーとも言えるかもしれない。名前は知らない。だから、あたしは勝手に《小鳥》と呼んでいる。6年前、出会ったばかりの頃はこんな人じゃなかった。か弱くて、小鳥と呼ぶに相応しい繊細さを持っていた。こんなに太々しくて意地悪な性格だと知っていたら信用して秘密をバラすことなんてしなかったと思う。今更後悔しても遅いけど。
『あーあ、残念だなぁ。このマカロンめっちゃ美味しいのに!ジョルジュ君も一口食べてみたら?』
「喜んでいただけて何よりです。遠慮せず召し上がってください。これは全て貴方のために用意させたのですから」
『マジで?だってさ、稔クン!遠慮なく頂いちゃおうぜ』
「ほう?さすがは誇り高きヴェルジー家の次期当主様だ。その辺の安物達とは格が違う」
これ見よがしにケーキスタンドに並べられたスイーツにパクつく姿とか本当にぶん殴ってなりたいぐらい不快だ。でも、嫌いにはなれない。
彼女はあたしの秘密を唯一知る人であり、数少ないあたしの理解者だから。
■
あたし達は幻想の外れに領地を持つ貴族だ。
御三家の足元にも及ばないか弱い一族。
けれど、代々王党派として、いついかなる時も幻想王に従いお守りする。それがヴェルジー家の使命であり、誇りだった。
家の中が穏やかでなくなったのは、フォルデルマン三世様がご即位なされた頃だった気がする。父が度々他の貴族達と言い争いをしている姿を見た。
それでも父はヴェルジーの者として陛下の味方であり続ける道を選んだ。そんな父にあたしは憧れみたいなものを抱いていた。母も納得して、父を懸命に支えていた。唯一、お兄ちゃんだけがそんな父と家の縛りに不満を抱いていたと知るのは、彼が亡くなる当日のことだった。
■
「あの間抜けな王に、一体何が為せると言うのだ!」
あの日のことはよく覚えてる。真夜中に突然、普段は静かなお兄ちゃんの怒号が聞こえてきた。あたしは苦情を入れるつもりで、声がする方へ──兄の書斎へ赴いた。けど、出来なかった。
「貴様だ…貴様のせいで我が家は孤立した。他の者から後ろ指を指され、寄る辺すら無くした。最早こうする他、未来は無いと言うのに……ッ!」
「未来はない?それはお前だけだ、我が息子よ」
お兄ちゃんは血まみれだった。お父さんはお兄ちゃんの前でただ俯いていた。その手には、王家を守護するべく携えていた愛刀が握られている。突然目の前に現れた異様な光景に、あたしは怖くて、頭が真っ白になってしまって、何も出来なかった。それから、誰にも気づかれないようにそうっと開けた扉の隙間から、惨劇の全てを見てしまったんだ。
「私は陛下の忠臣である。故に、幻想の脅威となる者は速やかに排除せねばならない。血の繋がりがあろうとそれは変わらんよ。しかし、金や地位の為に他国と違法な取引きか……呆れを通り越して笑いが込み上げてきそうだ」
お父さんはこんな状況で笑っていた。
あの時の父はまるで、人じゃなくて悪魔のようだった。
「して、どんな気分だ?遂行な志とやらをへし折られたようだが」
「黙れ……ッ、黙れ黙れ黙れ黙れ!!」
お兄ちゃんは血の泡を吐きながら絶叫して、父の愛刀を取り上げた。小さい頃からプライドの高い兄だったけど、それは死に際でも変わらないらしい。反撃に使うと思われたその剣は、予想に反して兄の腹へと突き刺さっていた。
「父よ、耄碌した愚かな死神よ!せいぜい舞台上で踊るが良い。お前に似合いの末路が待っている」
「私は地獄の特等席でその最期を見届けることにした」
それからのことは、あまり覚えていない。
あたしが次に目を覚ました時、お兄ちゃんは亡くなってお父さんは消えていた。あたしは、残された領民達と心神喪失したお母さんの為、そして、王室の為に『嘘』をつく道を選んだ。
『ヴェルジーは今なお健在である』と。
あたしはお父さんみたいに国を守る力もないし、お兄ちゃんみたいに小細工するのも苦手だ。ない頭を一所懸命に捻って、やっと出したのがこの答えだった。
あたしが不幸になるだけなら良い。でも、ヴェルジーのせいで他の人が不幸になるなんて絶対嫌だ。だから、この嘘は絶対に誰にもバレちゃいけない。あたしはヴェルジーとして、家族と国を守るんだ。
■
「その役を演じるのは、さぞ大変だろう」
思い耽っていたあたしを現実に引き戻したのは、小鳥の一言だった。
そうだ。この一言で、あたしはつい誰にも話しちゃいけない秘密を漏らしてしまったんだ。
「聞き飽きました。これで何度目でしょうね?」
「何度でもするさ。この世は舞台、人は皆役者。そして、この俺は君達の物語を演出する美しき劇作家!であれば……適度に役者達へ労いの言葉をかけ、褒めてやるのも仕事の内だろう」
ケーキスタンドを空にした小鳥は、満足そうな表情を浮かべている。
あたしは遠慮のないその様に演技を忘れて苦笑を溢した。
「興味深い。貴方は独特の世界観をお持ちのようですね」
『いやマジこれ単なる真実だから。茶化しちゃダメよ?』
「はいはい」
「中でも、お前はよくやっている。これからも己の舞台の為に励むと良い」
「……ありがとうございます」
あたしは役者、正義の味方の振りをする小娘。
この舞台がいつまで続くか分からないけれど、幕が降りるその時にこの生意気な小鳥と……出来れば、お父さんやお兄ちゃんにも「よくやった」と褒めて貰えるような、そんな最後を迎えられるようにしたい。